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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編
40/105

40☆秘密の恋人は百合色?

「……入るわよ……?」


 エレベーターホールへ消えて行くお母さんの背中を見送ってからそっと扉を開いた。勝手に開けるのは心が痛むけど、茉莉花の為だから……そう自分に言い聞かせて中を覗いた。


 真っ暗。扉の隙間から差し込む廊下の灯りだけが室内を照らしている。思った通りだだっ広い部屋はさすがに照明を点けないとどこにあいつがいるのか分からない。廊下からの灯りを頼りに照明のスイッチを探した。


 パチンという音と共に真っ暗だった部屋が明るいオレンジ色に包まれた。当たり前のように白い蛍光灯だと思っていたので、天井からぶら下がる白熱灯のシャンデリアに少し驚いたけど、冷静に考えてみたらこの屋敷にシャンデリアなんて有って当然なくらいのアイテムだった。


 ぐるりと見渡すと、テニスコート程あると想像していたのが過剰だったとホッとした。学校で言うところの教室二つ分くらいだろうか。それでも貧乏人はおろか一般人でも予想出来ない広さには違いない。


 その広い広い部屋の隅っこにデデンと置いてある、存在感たっぷりの白いキングサイズのベッド。その大きなベッドに小さく蹲った背中。やっと会えた、そう思うとたった四日間会っていないだけというのにじんわりと胸が熱くなった。


「茉莉花……」


 二人きりのシンと静まり返った空間に響くあたしの声。見つめる背中はぴくりとも動かない。お母さんが持ってきてくれたスープをこぼさないように恐る恐る近付いてもう一度呼んでみる。


「茉莉花……? あたし、汐音……」


 眠っているんだろうか。怒っているんだろうか。茉莉花はシーツに(くる)まったまま、ただ背中を丸めてじっとしていた。せっかくここまで来たんだ、茉莉花がトイレにでも起きるまで待とう……そう決意してベッドの隅に腰掛けた。


「誰? 勝手に入ってくんなよ」


 カサカサに乾いた低い声。布団でこもっているから少し聞き取りにくいとはいえ、今度こそ間違いなく茉莉花の声だと分かった。


「ごめん……。何回かノックしたんだけど返事がないから……」


「……汐音?」


 問いかけと同時に布の擦れる音がした。だけど覗き込んでも茉莉花は背を向けたまま。起きてた。茉莉花だ。あたしの声だと分かってくれた。それだけでも嬉しかった。ここまで来てよかったと思えた。


「うん。……茉莉花、あんたご飯もろくに食べてないんですって? さっきお母さんがスープ持ってきてくれたよ。一緒に飲も?」


「……何しに来たんだよ」


「何しにって……」


 冷めた言い方に切なくなる。嬉しさと切なさで込み上げてくる涙をグッと(こら)えながらお母さんが持って来てくれたかぼちゃのポタージュを見つめる。ほわほわと上がる湯気。茉莉花の暖かかった心もこんな風に冷めていってしまうのだろうか……。


「……鈴芽ちゃんか龍一兄ちゃんにでも聞き出して来たんだろ? 兄ちゃんも余計な事しやがって……」


「会いに来たのにそんな言い方ないでしょ? 心配してたのよ? あたしだけじゃない、みんなあんたの事心配してるの」


「お説教しに来たんなら帰れよ。ぼくはもうあの学校には戻らない。だから君とももうなんでもなくなる。元々君とはクラスメイトでもルームメイトでもなんでもないんだ。お説教される覚えも心配される筋合いもない」


 ずっと気を張っていたその分、今にも心が折れそうだった。頬を伝う滴を悟られないようにグイッと袖口で拭う。さっきのお母さんの涙を見てから、泣くのは卑怯だと思ったから。人の心を素直にさせない魔法がかかっていると思ったから。


 廊下で賭け引きした時の事を思い出す。お母さんが言っていた『あの女』とは、きっと茉莉花に電話をかけてきた例の元カノ。あの電話の次の日からだ、茉莉花の言動がおかしくなったのは。黙り込んだまま別れた理由さえも聞き出せずじまいだったけど、今思えばおかしくなった原因はそれしかない。


 あの電話の後、茉莉花は少しだけ言おうとしていた。留学に行ってしまうのが寂しいから別れを切り出したのかと問いかけた時、あいまいながらも肯定していた気がする。


 寂しいから別れる? 別れたら寂しいのに……寂しいから別れる……?


「寂しい事言わないでよ。あんたがいなくなったらファンの子たちも寂しがるわよ?」


「知らないね。どうだっていいよ、あんな軽い女たちなんか。ちやほやしてきたからちょっとからかってあげただけなんだし。生徒会長も風紀委員も、ぼくがいなくなれば平和で喜ぶだろうさ」


「そうだとしても、あたしはあんたがいないと寂しいもん……」


「しつこいな、寂しい寂しいって……。そんなに寂しけりゃ他の誰かに添い寝してもらえよ。いつまでもぼくを利用すんのやめろよな」


 ダメだ。泣いちゃダメだ。ダメだと思うと余計に苦しくなる。声が震えてしまう。


 あたしは冷め始めたカップを手に取り、スープを一口飲んだ。カップと表面は(ぬる)くなってきていたのに中の方はまだ熱くて舌を火傷した。


 一向に振り返らない茉莉花は今どんな顔しているのだろうか。壁に掛けられたボンボン時計はもうすぐ六時を指すところ。きっと外はもう暗い。舞台の幕のような赤いビロードのカーテンからは少しの光も見えない。あたしは何も出来ないまま暗い夜道を帰るはめになるのだろうか。お母さんとの約束通り、このまま……。


 そんなのは嫌だ、そう思い直してぶんぶんと頭を振った。


「あたし、元カノさんとの事何も知らない。ほんとは知りたいけどあんたが話したくないってい言うなら話さなくてもいい。だけど、一つだけ教えて? 彼女はあんたの……茉莉花にとっての何だったの?」


「なんだよ、急に。……何って、彼女は彼女だよ。ぼくの彼女。それ以上でもそれ以下でもない。……もういいだろ? 早く帰れよ」


「帰らない。ちゃんと答えてよ」


「ヤダね。答える義理はない」


「じゃあ帰らない!」


 思いの外大声を上げてしまった自分に嫌悪感を覚えた。心まで背を向けている茉莉花に対して圧力は禁物だと思っていたのに……。


 やっぱりあたしはいつも力ずくでしか誘導出来ない強引で卑怯な奴だ……。


「……いいよ、じゃあ答えてあげる」


 さらさらと布の(こす)れる音がしたので振り返った。茉莉花がゆっくりとこちらに寝返っているる。久しぶりに見るその顔はどこか虚ろで、目が合っているのかいないのか分からない程だった。


 あたしと向き合うつもりになってくれたのは嬉しい。だけど、これを聞いてしまったら約束通り帰らなくてはならない、そう思うと複雑な気分だった。


「ぼくにとって彼女は最初で最後の恋人だ。心から好きだと、大切だと思えたたった一人の愛しい存在。彼女なしでは生きていけないと思わされる程、本当に好きだった。彼女もとても愛してくれたからね、ぼくの事を。男っぽいからだとか女だからとかではなく、獅子倉茉莉花だから好きなんだと言ってくれた最愛の人だよ」


「……」


「ぼくはもう未練はない。身を焼かれるような思いでたくさん苦しんだけどね。焼けて黒こげになって炭になって灰になって、ようやく断ち切れたんだ。だからさ、汐音……」


 茉莉花はしんどそうにゆっくり上体を起こした。お兄さんのであろう黒いぶかぶかのパーカーを羽織っている。指先の出ない袖口を二・三度巻くって寝癖を手ぐしで梳いた。


 こんな時でも容姿を気にするのも茉莉花らしいけど、そこまで気が回る程この話を軽くしているのかと言うと決してそうではなかった。


「だからさ、汐音。君もいつかそうやってぼくを忘れられるよ。もっとも、君にとってぼくを忘れるのはもっと容易い事かもしれないけどね」


「なんで……なんでそんな風に言うの? なんでそんな事決めつけるの? あんたにあたしの何が分かるって言うのよ! こんなに好きなのに、簡単に忘れられる訳ないじゃない! バカっ!」


 今度こそ(こら)え切れなくなった涙が溢れてきた。泣くのは卑怯だ、そう思ったのに……。溢れてくる涙と込み上げてくる嗚咽に呆れたのか、茉莉花はきょとんと目を丸くして言った。


「……もっかい言って?」


「……バカ……」


「それじゃなくて。『忘れられる訳ない』の前だってば」


「……前……? ……分かんない。もう分かんないよぉ……うぅっ、うっく……」


「……やれやれ。遅いよ、汐音」


 茉莉花はずるずると四つん這いで身体を引きずりながらこちらへ向かってきた。キングサイズのベッドとぶかぶかのパーカーの影響で赤ちゃんのように見える。やがてあたしの近くまで来るとぽふんと倒れ込んでため息をついた。


「はー、疲れた……。三日以上ほとんど食べてないと身体が軽くなると思ってたのにこんなに重いとは……」


「……」


「何ボーッと見てんだよ。ぼくがここまで歩み寄ってきてあげたんだ、なんか言えよ」


「……お疲れ様……?」


「だぁー! もうっ」


 うつ伏せになって足をバタつかせる茉莉花が唸り出した。今度は駄々っ子? お金持ちのお嬢様は手に入らない物がないから、思い通りにならないと拗ねてしまうんだろうか。


 だけど、その態度のおかげでやっと分かった。あたしに何を求めているのかを……。


 あたしは借り物の服だという事も忘れ、再び袖口でごしごしと頬を拭った。切り出しにくいので一旦深呼吸をして、それから茉莉花をじっと見下ろして言った。


「あたしに誓ってくれたらもう一回言ってあげる。もうあたしの前からいなくなったりしないって約束して?」


「……ずるいぞ。言ってくれたら誓ってやってもいい。汐音こそぼくに誓え、絶対にぼくを手放さないって」


「……」


「……」


 しばらくの沈黙の後、茉莉花は黙ったままにじり寄ってきてあたしの膝にこてんと顎を乗せた。無言の圧力を感じる。千歳に邪魔されてお預けになったあの夜も、茉莉花はこうして甘えてきた。だからあたしはあの時言ったんだった、『望むならいつでもしてあげる』と。


 物言いたげに恨めしそうな目で見上げてくるのでご要望通り頭を撫でてやると、満足そうに微笑んで目を閉じた。かわいい。散歩好きな仔犬みたいにちょこまか目移りしちゃうけど、帰るべき家はあたしのところだって思ってくれてる。まったく、女心をくすぐる天才なんだから。


 やっぱり来てよかった。会いに来てよかった。この愛しい茉莉花を、もう二度と手放したくない……。


「好きよ、茉莉花の事が好き。ずっと側にいて欲しい。絶対手放さないから、ずっとあたしの側にいて?」


「……」


「もしもあたしが留学する事になったら、あんたを引きずってでも連れていく。もしもあんたが留学する事になったら、あたしは意地でもくっついていく。あんたの……茉莉花の事が好きだから、ずっと一緒にいたいの。……ダメ?」


「……」


「……ちょっと、聞いてるの? 人がせっかく……」


 反応のない茉莉花の肩をゆさゆさ揺さぶると、閉じていた目から涙が一筋流れていった。初めて見る茉莉花の涙。それは人を素直にさせない魔法など掛かっていない、心を打つ純真な涙だった。


「うん、聞いてる。嘘でも嬉しくてなんも言えないや」


「バカね。あたしが嘘でこんな事言えると思ってんの?」


「一回言ったけどね、ぼくをからかって押し倒した時に。あん時はマジでムカついたけど……でもちゃんと責任取ってくれたから許してやる……」


「ふふっ、泣くか偉そうにするかどっちかにしなさいよね」


「泣いてねーし……」


 言いながら茉莉花はあたしの膝に顔を突っ伏した。スカート越しにじんわりと伝わってくる涙の温もり。泣き顔くらい見せてくれたっていいじゃない、そう言いたかったけど、茉莉花のプライドを尊重してそっと胸にしまった。


 ふと見ると先程のスープからは湯気が消えていた。早く飲まないから冷たくなってしまったんだ。でも、あたしは知ってる。その中はまだまだ温かい事を。冷たいふりをしていても冷え切ってなどいない事を。


 ねぇ、スープは温かいうちに飲む方が、告白は熱いうちにした方がいいと思わない?


「あたしはちゃんと言ったんだから、今度はあんたもちゃんと言ってよね」


「あんたって言うな。彼女にしてやんないぞ」


「……あっそ。別にいいもん」


 むくれたあたしがぺしっと頭を叩くと、茉莉花もむくれた顔でのそのそと起き上がった。そして唐突に隣で正座をし始め、急に真剣な表情で切り出してきた。


「嘘だよ。……汐音、ぼくと付き合ってください!」


 半ば土下座状態に頭を下げる茉莉花の思いもよらない行動に慌てたあたしは、その言葉が嬉しくて嬉しくて堪らないのに素直に応えられず、とりあえず茉莉花の両肩を掴んで頭を上げさせた。


「……しょ、しょうがないわね……。彼女に……してあげてもいいわよ……?」


「違うだろ、汐音がぼくの彼女だ」


「じゃああんたは何なの? 彼氏?」


「……か、彼女……かな?」


 変なの、と二人で笑った。ほんとはどっちも彼女なのに、その言葉が照れ臭すぎて茶化してしまう。茉莉花もまた、とっさに土下座した自分が恥ずかしくなったらしく、こめかみをぽりぽりして再びあたしの膝に顔を埋めた。


「しょうがないわね。お母さんとの約束破っちゃうけど、あんたがどうにか言いくるめてよ?」


「約束? なんの?」


「……ううん、なんでもない」


 黙っておこう。茉莉花を諦める代わりに、最後に一度だけ話をさせて欲しいと約束した事は。


 きっとこの恋は誰にも認められない。女の子同士だもの。お嬢様と貧乏人だもの。学園の王子様と捻くれ者の赤毛猫だもの。


 誰にも言えない。誰にも祝福されないけど、誰にも邪魔はさせない。


 だけど、いずれ訪れるかもしれない別れのその時まで、あなたの恋人でいさせてね……。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

この2人の物語はいずれどこかで続編を書きたいと思っております。

その際はぜひまた応援してくださいませ!


2ヶ月弱、16万文字にお付き合いいただきまして本当にありがとうございました!

今後も芝井流歌をよろしくお願い致します♪

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