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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編
33/105

33☆雨の帰り道はネズミ色?

 新曲もくそもない。知ってる合唱曲かと思いきや、黒宮部長作詞作曲のラブソングだなんて有り得ない。つーか合唱曲でもなんでもないし、単にソプラノパートとアルトパートのハモリがあるってだけのデュエットソングだった。なぜこれを合唱部に持ち込んでくるのか謎だらけにも程がある……。


 あれなの? 部長って意外と乙女だったりするの? メグ先輩に届かぬ思いを乗せました的なあれなの? それならそれでプライベートでやってよね。


「おやや? マリッカちゃんが一人で帰るの珍しいねぇ? いつもの取り巻きさんたちは?」


「あー……とりあえずおとなしくしてる間は一緒には帰れないッスからねー……。部活も覗きにきたいって言われましたけど断りましたよ。派手な事してるとまたチクられちゃうスからねぇ。そーゆー莉亜ちゃん先輩は? 砂塚先輩が終わるの待ってるんスか?」


「うーん、どうしよっかなぁって思ってるんだよね。聖ちゃん照れ屋さんだから、一緒に帰るの待ってると嫌がる時があるしさぁ。それに聖ちゃんは寮生じゃないから一緒に帰るって言っても……あれ、雨?」


「えー……」


 そんな会話が聞こえてきた下駄箱前。言われて見上げればどんよりネズミ色の雲が空を覆い尽くしていた。部活始まる前は夕日が刺していたというのに。


 気付かぬふりして先に帰ってしまおうか。下駄箱で隔たれてる二人の位置からあたしの姿は見えていない。確か置き傘があったはず、そう思って傘立てを覗き込んでいると背後からポンポンッと肩を叩かれて振り返った。


「汐音ちゃん、傘持ってないならこれ使って? 私はルームメイトと帰るから」


 と、シックなネイビーの傘をふりふり差し出してきたのはいのりちゃん。その後ろではクラスメイトの奈津子ちゃんが照れ臭そうにそっぽを向いている。あぁ、やっぱり同室なんだから一緒に帰るんだよね……と当たり前のようなそうではないような納得をしてしまう。


「ありがと、いのりちゃん。寮に着いたら部屋に返しに行くね。あたしも置き傘してたと思ってたんだけど見当たらなくて。助かるよ」


「いいよいいよ。お弁当忘れても傘は忘れるなってことわざあるでしょ? 大事な大事なコスたちが濡れないように、私にとって傘は必須アイテムだからね」


「……そんなことわざあったっけ?」


「え、逆だっけ? 傘は忘れてもお弁当は忘れるな、だっけ?」


 いのりちゃんは時々理解不能なボケをかましてくれる。でもこれが天然だからかわいいと思ってしまう。そしてスタイルのいい娘がお弁当の話題を出してもかわいいもんはかわいい。ぽちゃの娘なら『そんな事ばっか考えてるから……』と心の中でツッコんでしまうけど。


 ツッコもうか流しとこうか悩んでいるうちに、いのりちゃんの後ろで奈津子ちゃんが袖口をちょんちょんしていた。それに気付いたいのりちゃんは「じゃあ、お先にね」とどんより雲の下へ消えていった。せっかく貸してくれたんだし、置き傘探しはやめてお言葉に甘えますかね、とあたしも下駄箱を後にする。


「あなた、合唱部の一年生よね?」


 ふと呼び止められた気がして顔を上げると、玄関の方から黄色い傘を畳みながら近付いてくる人と目が合った。胸の刺繍は二年生を表す紫色。何かしてしまっただろうかとおどおどしていると、その人はにっこりと首を傾げて言った。


「二年の栗橋莉亜、もう帰ったかご存知? もしまだいるようなら渡してもらいたいのだけれど」


 その人が差し出してきたのはピンク色のビニール傘。手元の柄の部分には小さく『りあ』と書いてあった。


「莉亜先輩でしたらそこに……」


 あたしが指差す先には楽しげにじゃれついてる莉亜先輩とバカちゃら娘。傘を差し出してきたその人も二人の姿を見つけると「ありがとうね」ともう一度微笑んだ。ふんわりして暖かいその笑顔に見惚れるけど、でもどこか冷たく寂しげなようにも感じた。


「莉亜、帰るわよ」


「あっ、郷奈ちゃーん。傘持ってきてくれたの? ありがとー! じゃーね、マリッカちゃん」


「うわっ、莉亜ちゃん先輩ずるいじゃないスかー。ぼく置いてけぼりッスかー?」


 ぶつぶつと口を尖らせる茉莉花にはお構いなしに「じゃーねー」と雨の中へ入っていく先輩たち。満面の笑みで傘を振り回す莉亜先輩。隣で叱りつけているその人も嬉しそうで。こんな憂鬱な雨なのにみんな楽しそうで羨ましく思ってしまった。


「……知らないんだから……」


 呟いて背を向ける。茉莉花はきっとまだあたしに気付いていない。あんな奴知らないんだから、そう言い聞かせながら校門を潜った。


 雨はさほど降っているようには見えないのに、ボタボタという傘に弾かれる音がやけに心を打つ。いのりちゃんはあたしに貸してルームメイトと相合傘で、莉亜先輩はわざわざ届けに来てもらえて、みんなそれぞれの『雨』を過ごしている。誰かが、誰かの為に傘を差し出している。大切な人が濡れてしまわないように……。


「……んもぅっ」


 バカなあたしはバカなあいつの為に踵を返した。ぴちゃぴちゃと靴下に水滴が跳ねてくる。ローファーの中がじんわり湿ってくる。だけど少しでも急ぎたくて、小走りで玄関へ戻った。


「汐音……。帰ったんだと思ってた……」


 あと一分早かったら間に合っただろう。玄関に差し掛かる直前で茉莉花が出てきた。無意味だというのにバッグを頭に乗せてこちらを見ている。それも、きょとんとした表情で……。


「……ほらっ、帰るわよ」


「迎えにきてくれたの? 戻ってきてくれたの?」


「違う」


 理由なんて言いたくない。無駄に調子に乗らせたくないから。


 七センチ程高い茉莉花の頭の上まで傘を持っていくと、奴はにっこり笑って「ぼくが持つよ」と受け取った。あたしが黙って歩き出すと茉莉花も歩き出す。絶対にあたしの方に傾いてるというのに「濡れてない? 大丈夫?」と覗き込んでくる。遥か遠く感じる寮を見つめながら一つ頷くけど、『あんたの方は大丈夫ではないじゃない』とは口に出せなかった。


「ねぇ、汐音」


「……」


「ぼく、どうしたら汐音を怒らせないように出来るかな……。怒らせるつもりはないんだけど、いつも怒らせてるよね……」


「……いいんじゃない、そのままで。あたしが気ぃ強いのは今に始まった事じゃないし。怒りっぽいあたしに合わせてくれなくていいわよ……」


 わざとぼそっと呟く。あわよくば雨音にかき消されて欲しかったから。でも届いて欲しかった。だから口にはした。だけど、ほんとはこんな言葉信じて欲しくはなかった。


 茉莉花はしばらく黙っていた。どんな顔をしているんだろうと気になったけど、それを確認する勇気はあたしにはなかった。目も合わさず沈黙を保ったまま歩くこと約五分、徐ろに指を絡まされて思わず声が出た。


「ちょっ……」


「汐音、付き合ってくれる?」


「……へ?」


 実にお間抜けな顔をしていると思う。突然の発言に返す言葉が見つからない。いや、そんな事より先に、なんで急にこんなところで言い出すのかなどなど脳内を疑問符が埋め尽くしていく。


「イヤ?」


「い、イヤって……イヤっていうか……なんでそんな事、今こんなとこで言うの? 今答えなきゃダメなの?」


「え、うーん……もうすぐ着いちゃうからさ。一旦寮に戻っちゃったらもう買いに行くのやんなっちゃうでしょ? 雨だし。付き合ってくんないんなら寮まで送ってからぼくだけ行ってくるよ。何買ってきて欲しい?」


「買いに……?」


「うん。前に汐音に買ってきたクロワッサンあっただろ? あそこのパン屋まで買いに行ってくる」


 は?


 あ、あはははは……。付き合ってってそういう事? パン屋に買いに行くのを付き合ってって意味だったのね?


 この娘、どんだけ天然な『たらし』なのっ? 無意識にドキドキさせてるって事の自覚がなさ過ぎて笑えるわ……。


「キモっ、何急に笑ってんだよぉ」


「キモいとか言わないでよねっ。付き合ってあげるわよ、しょうがないから。クレープん時みたいに、いつもの癖でふらっとナンパでもしに行っちゃったらあんたの謹慎が延びちゃうしねっ」


「おやおや? ぼくの心配してくれるとは嬉しいねぇ。でも、汐音は謹慎が延びた方が嬉しいんだろ? ぼくが他の女の子と遊ばないし、でも汐音とはこうやってデート出来るし」


「は? バッカじゃないの。うぬぼれてると濡れネズミにしてやるわよ」


 そう言って傘を引っ手繰ろうとすると、茉莉花はにやりと笑って「図星か? 図星か?」と言いながら傘を高々と上げた。からかわれてる、そう思うと腹が立つけど、一番腹が立つのはからかわれてるのに赤面してしまうあたし自身。


「メロンパン買ってくれたら機嫌直してあげてもいい」


「メロンパン? いいけど、クロワッサンじゃなくていいの?」


「千歳の胸見てたらメロンパン食べたくなったの。でもクロワッサンも食べてあげてもいい」


「ははっ、なんだそれ。メロンパンはどっちかって言うと汐音じゃないの? 千歳は本物のメロンくらいはあるよ」


 聞き捨てならない事を……。あたしの眉尻がぴくっと上がる。


「この変態っ。しっかり比べてんじゃないわよ。そんなにじっくり味わいたいんなら後でイヤって程見せてあげるから覚悟しときなさいよね」


「じょ、冗談だってば。メロンパンね、メロンパンとチョコクロワッサン。これでいいだろー?」


「……」


「あ、アップルパイも……つけます」


 あたしがにんまり頷くと、茉莉花はやれやれと苦笑した。千歳に言われた事、よくよく思えばそうかもしれない。茉莉花はほんとに色んな顔を見せてくれる。それがあたしがさせてる結果だとしても、人前でナルシズム全開の獅子倉茉莉花からは誰も想像出来ないかもしれない程の七面相。


 ワガママなあたしも受け入れてくれる。だから甘えてしまう。ホッと解れるこの感覚が堪らなく心地よくて、悔しいけどやっぱりこいつの事を嫌いになれないなぁと思ってしまう。辛くてもしんどくても側にいたいと、いて欲しいと思ってしまう。


 ほんとはこのまま手を繋ぎたかった。だけど学園最寄りの駅前という人目もあり、謹慎中の茉莉花が特定の女の子とイチャついてると噂されてもいけないのであたしも我慢した。部屋に帰ればずっと二人きりでいられる。部屋の中だけは思いっ切り甘えて独り占め出来るのだから。


 雨の糸にネオンが滲んでいる。さっきよりも大粒になってきている。傘に落ちる雨音も強くなってきている。きっと茉莉花の右肩はびしょ濡れだろうに、相変わらずあたしの方へ傘を傾けてくれていた。


 街灯とお店の看板がどんどん増えてくる商店街に差し掛かったところで、小麦色のビニール袋をぶら下げた女性とすれ違う。あの三日月モチーフ、茉莉花が買ってきてくれたパン屋のロゴだ。近付くにつれて醗酵したパン生地と甘いチョコレートの香りが漂ってくる。


 パン屋の店内はセレブな女性とオシャレな女の子たちで埋め尽くされていた。少し曇ったガラス張りの外からでも嬉しそうにパンを選ぶお客さんの顔がよく見える。オレンジ色の照明が店内の暖かさを強調されているように感じた。


 あたしは自動ドアの前でふと立ち止まり、雑に畳む茉莉花から傘をすっと横取りして言った。


「あたし、ここで待ってるね」


「え、入んないの? 別にいいけど……濡れないようにね」


 うん、と一つ頷いて背中を見送る。案の定茉莉花の右半身はびっしょりと濡れていた。バカね、人の心配ばっかりして自分の事はお構いなしだなんて。帰ったらすぐ拭いて乾かしてあげなきゃ風邪ひいちゃう。とっととお風呂に行ける体質ならよかったのに、と改めて思った。


 茉莉花が出てくるのを待っている間、あたしはぐるりと商店街を見渡していた。一際派手で目立つ看板に『カラオケ』の文字が見える。あいつはいつもあの店で歌っているのだろうか。女の子たちに囲まれて遊んでいたのだろうか。この先、もしあいつの謹慎が解けたら、あいつはまた同じ事を繰り返すのだろうか……。


「そう簡単に変わる訳ないしね……」


 ため息が洩れた。校内ベタベタ禁止、校外お遊び禁止というだけでストレスゲージが上がって、しまいには連絡先交換だけでもと往生際の悪い事してるんだもの。例えどんなに謹慎期間が長かったとしても、あいつのチャラっぷりが直る事はほぼないと思っていた方がいいのかもしれない。


「やっぱり相葉さん。健気に待っているなんて仲がいいのね」


 自動ドアの音と同時にあたしの名を口にする声が聞こえた。やっぱり? 健気? 仲がいい? そんな事を言うのは……と心当たりを探ったけど思い浮かばず恐る恐る振り返った。


「す、砂塚先輩……。ち、違いますっ。別にあいつを待ってたとかじゃなくて……」


「あら、違うの? 獅子倉さんは人を待たせていると言っていたけれど。残念ね。仲直りしたのだと思ったのに。……あなたも好きなの? アップルパイ」


 あわあわと傘を振りながら否定するあたしの様子をおかしいとも思わないのか、砂塚先輩は真顔でビニール袋をゆらゆら持ち上げた。あなたも、という事は砂塚先輩も好きなんだろうか。


「あげるわ、間違えて買ってしまったから。たまには名物のクロワッサンを、と思って買いに来たのだけど、いつもの癖でついアップルパイを買ってしまったの」


「い、いえ、あたしはその……あたしは違う物を買いに来たので大丈夫ですっ。先輩こそ、お好きなら明日の朝ご飯にでも……」


 このクールな表情、ちょっと苦手かもしれない。千歳にはかなわないけど万年感情丸出し奈あたしには、このクールな真顔にどんな『裏』が隠されているのか見当がつかない。ただでさえさっきお叱りを受けたばかりだというのに、急にあげるわと言われておいそれと頂けないチキンな自分……。


「汐音、お待たせー。……あれ、砂塚先輩、まだ帰ってなかったんスね。店員さんに聞いたけど、やっぱりアップルパイはさっきので最後みたいでしたー。ラッキーだったッスね、先輩」


「そう……。それは残念だったわね。じゃあ最後の一つを取った私ではなく、日頃の行いを恨むのね。それと、感謝するのも私ではなく、相葉さんにしておきなさい。それじゃあ、今度こそお先に」


 何を言っているのかちんぷんかんぷんなあたしにドサッと無理矢理袋を押し付け、砂塚先輩は小さく微笑んで駅前の人波に紛れていった。いつも冷たいと思っていた人が笑うとこんなにも暖かい気持ちにさせるのかと知った瞬間だった。りんとした表情も姿勢も、普段の何倍も素敵に見えた。


「へー、砂塚先輩ってかっこいいだけじゃなくて優しいんだな」


 しばらく見惚れていたけど、茉莉花もまた同じ事を考えていたらしい。莉亜先輩のパッチンの時もビンタの時も、思い返せば見て見ぬふりだって出来たはず。なのにわざわざ首を突っ込んで片付けようとしてくれる、優しくて面倒見のいい人だったんだ……。


「もらっちゃった……アップルパイ」


「えっ? ぼくが買おうとしたら、『日頃の行いを恨みなさい』って、最後の一個取られちゃったんだぞ? ぼくのじゃなくて待ってる人に買ってってあげたいんだって言ったのに無視されてさぁ……。何が日頃の行いだよ。譲ってくれるなら最初から気持ちよく譲ってくれればよかったのに。汐音もそう思わない?」


 違うよ。先輩は言ったもん、『相葉さんに感謝しなさい』って。うぬぼれではなく、先輩はあたしだから譲ってくれたんだよ。実はほんとにアップルパイを買いにきたのかもしれない。ほんとにクロワッサンと間違えて買ったのかもしれない。それはどちらが正しいのか分かんないけど、これは仲直りして健気に待ってたあたしへのご褒美で譲ってくれたんだよ。


 それだけじゃないかもしれない。あたしへのプレゼントを買えなかった茉莉花の顔を立てる為に譲ってくれたのかもしれない。あのクールな表情からは真相は掴めないけど、あたしたちの仲にまたヒビが入らないように気を効かせてくれたんだ。


 そうだよね、砂塚先輩……。


「チョコクロとメロンパンは?」


「買ったよ。あと、アップルパイないって言われたから代わりにこれ買ってきた。ここの店はクロワッサンもパイも生地が絶品だからね」


「代わり? 何?」


「チェリーパイ」


「なんかそれ、えっちぃからいらない」


「はいー? なんだそりゃ」


 濡れネズミの茉莉花に傘を渡し、代わりにビニール袋を受け取る。なんか夫婦の買い物帰りみたい、そう思ってくすぐったくなった。


 砂塚先輩も黒宮部長も、きっとあたしたちの事を感付いてる。他にも誰か気付いてる人がいるかもしれない。だけど今ので確信した。あたしは背中を押されてるのだと。応援してもらえてるのだと。


 雨は相変わらず降り続いている。夜がやってくる。それでもいつか雨は止み朝がくる。太陽は必ず昇ってくる。


 今はこそこそしか出来ないあたしたちだけど、いつか堂々と手を繋いで歩ける日がくる。茉莉花の肩を濡らさずに相合傘が出来る日がくる。


 そう信じて、そっと茉莉花を見上げながら歩き出す……。



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