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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編
32/105

32☆好きも嫌いも飴色?

「えりちゃーん、これありがとねー」


「いいえ。返すのはいつでもいいと言いましたのに。それにしても月曜だというのに今日はやけに元気ですわね。土日はゆっくり出来ましたの?」


「ふふっ、まーねー」


 首を傾げるえりちゃんにCDを返し、ブルーマンデーという魔物にも勝利したあたしは部活へと急いだ。睡眠不足が解消されるとこんなにも快適な学園生活を送れるものなのかと実感している。


 ぐっすり寝過ぎたおかげで寝癖が酷かったのはちょっと計算外。だけど、それも朝シャンの為にこっそり早起きする茉莉花の後をこっそりついて行ったのでトレードマークのポニーテールもぴしっと決まっている。るんるんでシャワーを浴びる隣のブースでは茉莉花の「ついて来んなっつってんのにぃ……」というボヤキが聞こえてきて、それはそれでまたあたしのテンションを持ち上げさせた。


「ふんっふふーんっ」


 足取りも軽い。ポニーテールもご機嫌に揺れている。バッグを胸に抱いて鼻歌混じりに合唱曲の予習。生徒たちのきゃっきゃうふふが絶えないこの廊下でも、あたしの脳内には淑やかな旋律が流れている。


「なーんだぁ、今日は部活なのかーぁ。いつになったらカラオケ連れてってくれんのー? もうマリッカの歌聴けないなら音楽室の前で合唱部の盗聴でもしちゃおうかなーぁ」


「ずるーい、私もマリッカの歌聴きたーい。でも合唱曲ってよりロックが上手いのになんで軽音部に入らなかったのーぉ?」


「合唱部の部長ってものすごい真面目そうだから、見学ですって言ってこっそり聴きに行ってもいいー?」


 音楽室へ向かう途中、相変わらず六組の前ではマリッカファンが屯していた。生徒会長との約束から一週間しか経っていないというのに、しつこい女の子たちだこと。ハッキリ断らない本人が一番悪いんでしょうけど。


「いやぁ、聴かせたいのはやまやまなんだけどさ、バレたらぼくが怒鳴られるから勘弁して? 謹慎が延びてもいけないし。そしたら仔猫ちゃんたちともっと遊べなくなっちゃうからさ。ねっ?」


 自重前の茉莉花なら、いつもここらでなでなでしたり頬に手当てたり、そのままキスしちゃうんじゃないかってくらい顔近付けていた。だけど言葉と同時に反射的に動いてしまう右手を左手で止めるなどという技を身に付けたらしく、自分なりの葛藤がなんとも健気で滑稽。


「じゃ、また明日ね。ぼく以外の人についていかずに真っ直ぐ帰るんだよ、仔猫ちゃんたち」


 着飾った声で吐き気のする台詞を堂々と言い放った茉莉花は、向かう先の同じあたしが背後にいるとも知らずに女の子たちに手を振って歩き出した。バカめ、このレーザービームにも劣らない視線を感じないとは……。


 本校舎から少し離れた音楽室が近付くにつれて、人気(ひとけ)も笑い声も減ってくる。何も知らずに階段を昇っていく茉莉花はバッグを肩に担ぎ直して小さくため息をついた。スイッチが切れかけているのか、スキンシップ充電とやらが不足してきたのか。いずれにせよ無防備には違いない。


 ちょっと驚かせてやるか、と後ろから勢いよく茉莉花の腕にしがみついた。


「きゃー、マリッカーぁっ!」


「え、え? な、何っ? ……って、汐音じゃんかよー。びっくりさせんなって……もうっ」


「あははっ。油断大敵よ、マリッカさん?」


「やけにご機嫌なんだな。汐音が活き活きしてる時って、いっつもぼくをいじめて遊んでる時な気がするけど……。もしかしてまたなんか企んでんじゃないだろーな」


「失敬ね。人を悪女呼ばわりしないでよっ、バーカ」


 抱っこしていたバッグで思いっ切り背中を叩くと、「いてっ」と二・三歩前につんのめった。こんなとこファンの子に見られたら、あたしこそど突かれるだけじゃ済まないかもしれない。


「おー、月曜からさっそく夫婦喧嘩か、相葉ぁ。獅子倉も腑抜けた顔してると尻に敷かれっぱなしになるぞ? シャキッとしろシャキッとぉ」


 階段の上から聞こえてきたクールな声は黒宮部長だった。あたしと目が合うと、にやりと笑って音楽室へ消えていった。


 そして、そのにやりを見てあの時言われた事を思い出した。『獅子倉はいつもお前を気にかけて見てたぞ』という部長の言葉を。会話が芋づる式に蘇ってくるごとに恥ずかしくなってきたあたしは、「ついてこないでよ、バーカ」ともう一発お見舞いして音楽室へ駆け込んだ。


「お疲れ様でー……」


 言いかけたところで異様な光景を目にした。これから合唱部の練習が始まるという状況のはずが、弓道着を纏った人の後姿があったのだ。その向かい側には莉亜先輩。目にかかっている前髪を飴色のヘアクリップで止めてもらっていた。


「だから昨日切に行ったらと言ったのに……。返すのは明日でいいから、ちゃんと目に入らないようにしておきなさいよね」


「ありがとー、聖ちゃん! 今度の日曜には絶対切に行くから、土曜日まで借りちゃダメー?」


「いいけど……栗橋さんの『絶対』は当てにしてないわ。忘れるどころかなくす心配もあるし」


「酷ーい! な、なくしたら同じの買って返すもん。その時は私もお揃い買っちゃおうかなー」


「す、好きにすれば? じゃあ私は部活に戻るから」


 にこにこ顔で大きく手を振る莉亜先輩に軽く手を上げた道着姿の人は、くるりと振り返ってこちらへ歩いてきた。扉の前でそのやり取りを見ていたあたしと目が合うと、「失礼」と横をすり抜けていった。リンとしていて、でも少し照れ臭そうなその人は、確か入学式の時に莉亜先輩を教室まで引きずって行ったあの先輩だ、と思い出した。


 二年生とは思えない天真爛漫な莉亜先輩の面倒を、いつもああしてよくみているんだろうか。『不器用な奴程かわいいもんさ』、部長の言葉がまた蘇る。手のかかる莉亜先輩を、あの人もまたかわいくて仕方ないんだろうか……。


「またあなたなの? 先日お断りしたばかりでしょう? あいにくあなたと連絡を取る暇も用事もないの。そこをどいてちょうだい」


 扉をガラガラと閉めようとしたところで、ドスの効いた声が廊下から聞こえてきた。小窓からは先程の弓道着の人と……。


「冷たい事言わないでくださいよ、砂塚せんぱーい。ぼくは道着姿も素敵だなって思っただけッスよ。弓道部の子ってみんなガード硬いんッスねー。ぼくのアドレス帳には一人も……」


 ナンパちゃら娘の姿……。


「聞いたわ、あなた栗橋さんの電話番号も聞き出したんですって? あの子にちょっかい出すのやめてもらえるかしら」


「ちょっかいなんて出してないッスよ。部活の先輩の連絡先聞いちゃダメでした? うちの部活の先輩がダメなら、弓道部の砂塚先輩のなら聞いていいって事ッスよね?」


 あんのバカっ! お触りも遊びもダメなら連絡先交換だけでもしようっての?


 怪訝な表情であしらう先輩。へらへらとしぶとく粘る茉莉花。いても立ってもいられず、あたしは閉じかけた扉を開けて茉莉花の方へ駆け寄った。


「何してんのよ、バカ茉莉花っ。あんた自主規制してんじゃないの? 莉亜先輩の大切な人にまで手を出そうなんてサイッテー!」


 勢いよく振りかぶったあたしの手を、砂塚先輩が背後からがしっと掴んだ。だって……そう先輩を見上げると、砂塚先輩は冷やかな目をしたまま首を横に振った。それがどういう意味なのかは分かる。分かるけど……。


 だけど……。


「相葉さんだったわね。自主規制を誓ってる噂は聞いているから獅子倉さんを叱りたい気持ちは察するけれど、怒りに任せて暴力を振るうのは感心出来ないわね。しつけをしたいのなら怒らず焦らずが基本よ。それは子供も動物も同じ」


「だって……砂塚先輩だって困ってたじゃないですか。あたしは先輩の為を思って……」


「そう、それはありがとう。だけど感情的になってもなにもいい事はないの。弓道をやっていると特にそう思うわ。平静さを保っていれば何か見えてくるはずよ」


 先輩はそう言うと、力を抜けたあたしの手首をそっと放した。肩を竦ませていた茉莉花も徐々に力を抜いて砂塚先輩をすかし顔で見つめる。見定めるようにあたしたちを交互に見た先輩は、少し呆れた笑顔で「それじゃ」と去っていった。


 あとに残ったあたしたちは黙ったままその背中を見送っていた。やがて角を曲がって姿が見えなくなり、茉莉花は横目でこちらに視線を向けた。


「悪かったわね。邪魔して」


「……別に」


 思いの外薄い反応だった。邪魔された事を怒っているのか、子供だの動物だのと並べられて拗ねているのか、あるいはお説教にうざったさを感じているのか。こっちだってあんたのせいで……そう思ったけど、先程の砂塚先輩の冷やかな目を思い出して蟠りをぐっと飲み込んだ。


「突っ立ってないで入りなさいよ。あんたの大好きな莉亜先輩ももう来てるわよ」


 あたしは砂塚先輩のようにクールに諭せない。すぐ感情丸出しになるし手をあげてしまうし……。ならばこのもやもやは押し殺すしかないのか、と話を逸らす事しか出来なかった。


「汐音」


「何? 先に行くわよ」


「待ってよ。……ぼくさ、餓えてるのかもしれない」


 真顔でなにを今更言い出すのか。真剣な話ならちょっとは耳を傾けてあげてもいいと思ったけど、分かり切った事を改めて聞く必要なんてない。そう思ったあたしは鼻で一つ笑い、掴もうとしてくる茉莉花の手を振り払った。


「は? そうでしょうね。万年発情期だものね。スキンシップ充電とやらが満たされなくて片っ端から連絡先交換してるんでしょ」


 茉莉花は呆れ笑いするあたしの目をじっと見つめていた。人気(ひとけ)のない廊下には、校庭から聞こえる運動部の掛け声だけが響いている。傾きかけた夕日が茉莉花の整った顔を照らしている。いつになく真面目モード。学校でもこんな顔をするんだ、ときゅんとしてしまう自分もいた。


「いや、スキンシップもそうなんだけどさ、愛情不足なんだよ。だから女の子にちょっかい出したくなっちゃうんだと思う……多分。でもさ、汐音がちゃんと愛情注いでくれれば他の子には目移りしないと思う……多分」


「な、なんなのよ、多分多分って。真顔でバカな事言わないでよね。根拠もない妙な分析いらないから」


「根拠ならある。こうやって汐音と向き合ってると満たされてる気がするんだけど、側にいてくんないとどうしても寂しくて他の子にちょっかい出したくなっちゃうみたいなんだよ」


「それも口説き文句? 色んな子に言ってるんでしょうけど、あたしにはそんないいわけ通用しないわよ。あんたのチャラい言動はずっと前からじゃない。今更もっともらしいこじ付けしないでよね、この野獣」


 一瞬でも話に付き合って損した……。情けなくてがくりと肩を落とす。項垂れたまま音楽室に戻ろうとするあたしとは裏腹に、茉莉花は相変わらず真面目モード全開であたしの背に問いかけてきた。


「汐音はそれでいいの?」


「は? 何が」


「汐音がちゃんと繋ぎ止めてくれないと他の子にちょっかい出しまくっちゃうんだぞ? 誰か満たしてくれる子がいたらそっちに行っちゃうかもしれないんだぞ? 汐音はぼくが誰かに取られちゃってもいいのかよ。ぼくは汐音が好きでいてくれる限り好きだって言ってるのにさ」


「な、なによそれ……。それって……」


 それって、あたしが好きじゃなきゃ好きでいてくれないって事じゃない……。


「よーっし、さっさと声出ししない奴は通せんぼの刑だ。それが嫌ならとっとと入れ」


 ガラリと開いた扉の向こうから部長が顔を出した。二重扉の音楽室には会話まで聞こえてはいなかっただろうけど、あの黒宮部長の事だから気にかけてくれていたに違いない。一度あたしたちをそういう目で見てしまった部長には、もめていたのがバレバレだったはずだから。


「……すいません。今行きます」


「ぼくは帰ります。お疲れ様ッした」


「ほー、獅子倉が歌う気がないとは珍しいな。カラオケ禁止されてウズウズしてたかと思ったんだが見当違いか。だがそうですかと帰す訳にもいかなくてな。今日は新曲の音入れをしようと思ってたんだが、二年が他校の合唱コンクールを聴きに行ってて誰もいないんだ。今日に限ってアルトがお前とうちしかおらんし、譜面の読めないお前には格好の個人レッスンだろ?」


「いや、ぼくは……いてててててっ」


 仏頂面でバッグを肩に背負い直す茉莉花の頭をむんずと掴み、ついでにジャージの襟首を雑巾でも拾うかのように抓み上げる黒宮部長。そのまま「はいはい」と言いながらずるずる音楽室へ引きずっていく。呆気に取られるあたしにもとばっちりがきそうなので慌てて後を追った。


 茉莉花の二面性、どちらがほんとのあいつなのか分からない。そして言ってる事も、やってる事も。


 あたしだけに見せていたと思っていたヘタレも優しさも、もしかしたら誰にでも見せてるのかもしれない。厳密に言えば公然でなければ、二人きりならあたし以外の誰にでも見せる一面なのかもしれない。


 寂しい? 満たされない? ちやほやされてるじゃない。きゃっきゃされてるじゃない。愛されてるじゃない。あたしなんかと親密になる前からへらへらいちゃいちゃべたべたちゃらちゃらしてたじゃない。それが今更あたしを言い訳にするなんて信じられる訳がないじゃない……。


 『ちぃとの部屋でも学校でも見せない顔、しーちゃんには見せるんだーって思ったんだよね。リラックス出来る相手なんだろうなーって』


 ……ダメだ。自分の考察も人の憶測もしっくりこない。黒宮部長も千歳も茉莉花の表情をよく観察してるんだなって感心するけど、それが果たしてどれがどこまで正解なのか勘違いなのかも見分けられない……。


「ったくもー、かわいい後輩に乱暴するなんて酷いッスよ。おかげでセット乱れちゃったじゃないッスかー」


「おー、すまんすまん。獅子倉はドエムだと思ったからちょっと手荒にしちまったかもしれんな。だがそのボサボサの方がかわいいぞ?」


「やめてくださいよ。ぼくはかわいい系じゃなくてかっこいい系女子なんで。ぼくを褒める時は『かっこいい』しか受け付けませんよ? ……あと、なんスかドエムって。どんなイメージスか」


「あ? 自分で『かわいい後輩』って言ったじゃないか。めんどくさい奴だな」


「うー、そうじゃなくてぇ……」


 いつもあいつの事ばっか考えてて嫌になる。分かってる、あたしはあいつの事が好きだから考えちゃってるんだって分かってる。振り回されてるんじゃなくて、ただあたしが空回りしてるだけなんだって分かってる。


「あれ? 莉亜ちゃん先輩、そのパッチンかわいいッスねー。おでこ出してるなんて珍しいじゃないッスか。気分転換? それとも失恋でもしました?」


「これかわいいでしょー? 聖ちゃんに借りたの。残念ながら失恋じゃないんだなー。前髪切り損ねただけなんだなー、これが!」


「へぇ、相変わらず砂塚先輩と仲いいッスね。つーか、莉亜ちゃん先輩は失恋どころか初恋もまだっぽいや。それとも、初恋はぼくにしときます?」


「へ? ううん、しない」


 でも、あんたはほんとにあたしがいいの? あたしでいいの? ちっとも伝わってこないから不安になる。気持ち悪い。もやもやする。むずむずする。


「ちょっ、即答否定やめてくださいよーぉっ。傷ついたなぁ……。莉亜ちゃん先輩の天然には勝てないや、あははははっ」


 もし、ほんとにあたしで満たされたなら、その笑顔はあたしだけのものになるの? ほんとに独り占め出来るの?


「え? だって、マリッカちゃんは女の子じゃん。私は女の子大好きだけど、初恋はイルカの飼育員さんだったなぁ。あんなお仕事出来るお兄さん、憧れるなぁって思ってたよ」


「莉亜ちゃん先輩の憧れてたのは飼育員のお兄さんじゃなくて、イルカを飼育する仕事の方なんじゃないんスか?」


「あははっ、そうかもー」


 ……出来る訳、ないよね……。


 あたしもあんな風にバカ言いながら茉莉花と笑っていたい。だけど、その笑顔を独り占めになんて出来っこない。茉莉花を独り占めになんて出来っこない。取り繕ってるのかもしれないその笑顔もムカつく程好きだから……。


 苦しい。いっそ嫌いになってやろうか。あいつが幻滅するような事たくさんして、あたしの事も嫌いにさせてやろうか。


 あの中三の夏の悪夢と一緒に、この思いも決して開かない瓶に詰めて、誰も来ない海に沈めてやりたい……。



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