30☆恋人はストロベリーピンク? 中編
「なーんだ、彼女ちゃんじゃなかったの? ちぃはてっきり……」
両手にたくさんの赤い果実を抱えた千歳の無垢な発言が胸に刺さる。言われてそっぽを向いたあたしと茉莉花を見比べて、千歳はますます首を傾げた。
「茉莉花のベッドで寝てたから、てっきり彼女ちゃん連れ込んでヤってたんだとばっかり思っちゃったぁ。あはははは。なーんだ、違うのかぁ。えっ、あれ? じゃあ彼女ちゃんじゃないしーちゃんを連れ込んでヤってたって事? んもうっ、ルームメイトのちぃがいなかったからって、女の子とっかえひっかえヤりまくってたのかぁ。やるなぁ、茉莉花ってばぁ」
「あ、あのなぁ、君は言葉を慎むって事が出来ないのか? ぼくはとっかえひっかえもしてないし、連れ込んでヤったりもしてないっ。なんで急にヤるとかヤらないの話が出てくるんだよ。ぼくのイメージはそんなか?」
「え? うん」
にっこりと頷く千歳の顔には嫌味の一つも感じられない。あたしは心の中で思った、「ざまあみないわね」と。
言われた本人は引き攣り笑いを浮かべながら天を仰いでいる。さっきまでの勢いと爽やかさはどこへやら。取り繕っていたものが簡単に剥がれた瞬間だった。
千歳はドアノブに掛けたあたしの手を取り、「まーまーまーまー」とにこにこずりずり引き戻す。巨乳の前に抱えられたイチゴからは香料のきついそれよりも甘い、嗅いだ事のないくらいの瑞々しい香りが漂っていた。
見れば一粒があたしの人差し指くらいは、ううん、中指くらいの大きさはある立派な代物。形の崩れた物や不揃いな物を規格外と言って市場へは出荷されないと聞いた事がある。そしてその規格外になった野菜や果物を農家の人同士や親せきなどに配る事もあると聞いた事もある。
いやいやいや、これはどう見ても規格外のそれじゃなく、高価高級高品質のイチゴ様でしょうよ?
「ささっ、しーちゃんはここ座ってぇ、茉莉花はこっち。お皿借りて来れなかったからボウルだけどごめんね。ここ置いとくからお好きなだけ食べて食べてー。いっただっきまーす」
かなり強引にベッドに座らされ、ボウルを挟んだ向かい側には昇天したままの茉莉花がセットされた。あたしたちの間にしゃがみ込んだ千歳は「んーっ、ベリグー。あ、ストロベリーだけにベリーグーね。あはははは」とかなんとか言って一人で盛り上がっている。
ものすごくおいしそうなイチゴをものすごくおいしそうに食べる千歳。ただでさえ言い争った時に喉がカラカラになっていたのもあり、高級フルーツを間近で初めて見る貧困層のあたしの喉がごくりと鳴った。
「しーちゃんも茉莉花も食べないのー? イチゴ、嫌いだった? これね、お母様の実家で作ってるオリジナルの品種でね、『満福』ってゆー品種なの。お腹いっぱいの『満腹』と、『幸福に満たされる』って意味が込められてるんだよー。食べたら幸せになる事間違いなしっ。何があってケンカしたのか知らないけど、これ食べたら嫌な事も全部忘れてハッピーハッピーになるよ? ささっ、二人共お食べお食べぇ」
曇りのない千歳の言葉があたしたちを気遣って言ってくれてるのか、単に自然と口にしているのか分からなかった。それでも無邪気に頬張る姿を見ていると裏も表もない事くらいは判別出来た。
意外といい子かも……。
「い、いただきます……」
「いただきます……」
同時にボウルに手を突っ込んだ茉莉花とあたしの手がぶつかる。一瞬気まずく固まったけど、目が合ったあたしの手のひらに「はいよ」と言って一番大きなイチゴを乗せてくれた。気持ちの解れたあたしも「ありがと」と言って素直に口へと運んだ。
「うまっ! 千歳、こんなの収穫に行ってたのか? こーゆー高級フルーツって一個一個丁寧に採らなきゃいけないだろうし、神経使っただろ」
「んー、どうだろ? 子供の頃から毎年やってるから分かんないや。あはははは。そうだ、来年はみんなで採りに行く? お婆様んち広いから十人くらい余裕で泊まれるし」
「いや、ぼくはいい。こんなん一個一個神経尖らせてたら頭おかしくなりそうだし」
「そうなの? しーちゃんは?」
あまりのおいしさに無言で食べ続けていた。傍から見たらリスのように頬を膨らませているかもしれない。もぐもぐと味わっているうちに、その顔をじっと見ていた茉莉花が代わりに応えた。
「行かないってさ。ぼくが行かないんならね。つーか、汐音は恐ろしく不器用だから採る時に握りつぶしちゃうか、今みたいにその場で頬張っちゃうかもしんないしね」
「ろ、ろぉゆー意味ぃ?」
「ふふん、ぼくとお留守番がいいんだろ?」
憎たらしくてしょうがないのに、やっぱり憎めないこの笑顔。
「あらあらまあまあ、お熱いですことぉ。ちぃはお邪魔かな? うりうりぃ」
肘で突っついてくる千歳に覗き込まれて顔がどんどん熱くなっていく。きっと今、あたしはイチゴのように真っ赤な顔だと思われる。くすくすと笑う二人の声を聞きながらやっとの思いで巨大イチゴを飲み込んだ。
「しーちゃんたら照れちゃってウブなんだねぇ。茉莉花も『彼女じゃない』って言ってたけど、本当はしーちゃんの事好きなんじゃないのぉ? お似合いだと思うよ、うんうん。付き合ってないんなら、今ここでキューピーちぃちゃんが告白を見届けても苦しゅうないが?」
「なんだその日本語……。ぼ、ぼくは別に……その、し、汐音が言ってくれるなら……いつでもいいんだけど……?」
「おーっとぉ、獅子倉茉莉花選手、ここで受け身の姿勢を構えたーぁ! 対する……しーちゃん、名字なんだっけ? まぁいいや。こほん、気を取り直して。対するナントカ汐音選手はどう攻めるーぅっ?」
「えっ、あ、あたしっ? あたしだって別に……その……」
二人の視線が突き刺さる。千歳に至っては「じぃー」という効果音をも口にしている始末。茉莉花に関しては照れ隠しだかなんだか、わざとらしい咳払いをしてあたしの表情を窺っている。
どうしよう……ただでさえさっき言えだの言わないだのとケンカしたばかりだというのに、こんなシチュエーションで発言権を渡されるとは思ってもいなかった。せっかくイチゴを食べて和み始めたところだったのに……。
「ね、ねぇ、おかしくない? 例えばよ? 例えばあたしが茉莉花の事がす……好きだったとするじゃない? もしもよ? もしもそうだったとしても、あたしたち女の子なのよ? その……そーゆーのってさ、ま、周りの人たちはどーゆー目で見る……のかな……。や、やっぱり女子校といえどおかしい、よね……?」
しどろもどろになればなる程、余計に羞恥心が増していく。例えばだのもしもだのと覇気がないあたしをどう思ってるのだろうと、二人の顔がまともに見れなくなり俯いた。
「へ? なんで? 何がおかしいの?」
すっとんきょうな千歳の声が響く。ただでさえキンキンと頭が痛くなるような甲高い地声だというのに。見ると表情もまるでハト豆。豆鉄砲を食らったところでそのレモン目から出そうなビームで打ち返せるかもしれないけど。
「女の子が女の子を好きで何がおかしいの? 恋人って男の人だけが選択肢じゃないとちぃは思うなー。中等部から一緒の子はみんな知ってるけど、ちぃなんて鈴ちゃんに何度フラれた事か。女子校だからとか共学だからとか、好きになっちゃうのはどこでも同じだよぉ。ちぃは鈴ちゃんが男でも好きだし、女の子のままでも大好きなんだ」
「そ、そうなの? 『千歳さんからずいぶんかわいがってもらってるんです』って鈴芽ちゃんが言ってたけど……」
そういう事なの? 龍一さんに嫉妬ってそういう意味だったの?
「鈴ちゃんちはノンケなお宅だからねぇ。ちぃんちみたいに女系が当たり前の種族とは違うし、振り向いてもらえないのも理解してもらえないのもしょうがないとは思うけどぉ……あ、でもまだ諦めた訳じゃないんだよ? あのロリコン彼氏と別れさせるつもりはないけど、ちぃはいつでも落とす気満々だからねっ」
「……一途なんだな」
本来であれば実らぬ切ない失恋話なのに、千歳は相変わらずにこにこと話し続けている。むしろ切なそうな顔をしているのはイチゴ片手に相槌を打った茉莉花の方だった。
あたしも笑顔で語れる千歳の気持ちは分からない。表情に出していいのなら、きっと茉莉花と同じ顔をしていただろう。
でも、そんな千歳を羨ましくも思う。鈴芽ちゃんを思う気持ちも諦めない気持ちも、千歳はものすごく強いものを持っているのだから。一言『好き』と言えなくてごちゃごちゃ抜かしてるあたしたちとは雲泥の差だと思った。
「ちぃのお母様もレズちゃんでね、公印届けは出せないけど奥さんがいるの。ちぃはお母様たちとは血縁関係のない養女でね、育児放棄した産みの親に変わって育ててくれてるんだ。んで、実はお母様も養女。お婆様もレズちゃんでね、イチゴ農園に働きに来てた女性と……」
クラクラする話だった。その後も千歳の生い立ち話は長々と続き、結局何が言いたかったかを本人も忘れる程の演説っぷりだった。まぁなんとなく察しは出来たけど。
要は、『女の子同士がくっついて何がおかしい』と言いたかったのだ。
途中くだらないダジャレやジョークを入れてくるので、ほんとに真面目な話なのかと疑りたくもなった。茉莉花も同じ事をツッコミたかったらしく、「それさぁ……」と何度か割り込もうとしていたけど、千歳の地声の大きさとマシンガントークにかき消されて気付かれもしなかった。
あげく、あたしたちには気まずさしか残っていない……。
「と、ゆー訳でぇ……あれ? 何でちぃの話してるんだっけ?」
「え、えっと……千歳ちゃんの服がかわいいねって話……だよ」
「あっ、これお気に入りなのー。ちぃね、本当はゴスロリ着たいんだけどぉ、ご覧の通り爆乳だからあんまかわいい服がキツいし似合わなくてぇ。だけどね、このワンピースはちぃがちっちゃい頃買ってもらってた小悪魔ファッションのデザイナーさんが特注で作ってくれたのー。ブラするとどうしても肩こっちゃうからワンピの内側にカップ付けてくれてね……って、あれ? そうだっけ? 服の話だったっけ?」
うん、なんとなくパターンを掴めてきたかも。千歳は話し出すと長い。そして長話をすると起承転結がおかしくなって着地点を見失う。
悪いけど、その鳥頭利用させてもらうね。
「って事は、その谷間見え見えのふりふりワンピの下にはブラ付けてない訳ね。ふーん、どうりで誰かさんが過剰反応してると思ったぁ……」
ちらりと茉莉花を見やると、ぎくっという表情でこちらを向いた。さっきあたしたちを紹介する前、すりすりされていた時に赤面していたのは胸の大きさの問題じゃなかったらしい。そのダブルメロンのような巨乳のダイレクトな感触を味わってしまっていたのだ。しかも、その下はノーブラなんだと気付いたから余計に慌ててたにに違いない。
この変態、女体コンプレックスのくせにおいしい思いばっかしやがって……。本物の変態さんが聞いて呆れるわ……。
どーせあたしは『並み』ですよーだ。
「あー、思い出した思い出した。イチゴ食べようからの、満福からの、ケンカもハッピーからの、告っちゃえー、だったね」
レモン目娘は巨乳の前でぽんっと一つ手を叩いた。思い出さなくていいものを……。気まずさがぶり返してくるじゃない。
まだまだ底の見えないイチゴさんの二つ目に手を伸ばせずにいるあたしとは対照的に、何個目だろうという茉莉花がイチゴのお尻を齧りながら首を傾げて言った。
「し、汐音、あの……仲直り、しよっか」
「仲直り? そ、そんな事言ってもあたしは……」
急に、それも千歳のいる前で催促する? 要求する? どうしても『好きって言わないと……。
「いや、いい。今すぐ言ってくれなくてもいいよ。だけど、ほんとにぼくの事を独り占めしたくなったら、その時はちゃんと言ってくれるよね?」
「な、なんであたしばっか? じゃあ、じゃあ茉莉花はどうなのよ。あたしの事、独り占めしたいって思ってないって事?」
なんであたしがこんなに必死こいてるのに、こいつってば余裕でもぐついてるの?
これはあれなの? モテる娘はこういうシチュエーションに慣れてるからなの? 言葉の重みが違うの? 言われ慣れてるんなら有り難みなんて微塵もないんじゃないの?
「いいや? 好きだよ?」
「は?」
「好きだよ、汐音の事。でもさ、ぼくには分かるんだ。汐音はぼくが独り占めしなくたってぼくだけのものになってくれる。ぼくしか見えない、ってね。だから独り占めしたいとは思わない。思えない、かな。汐音がぼくに向いてくれてる限り、ぼくも汐音が好きだよ」
「え、え? え? え?」
なんて言った? この獅子倉茉莉花って娘、さらりとけろりとなんて言った? 高級スイーツ齧りながらなんて言った? 第三者のいる前で、大事なこと軽々しく言わなかった?
「ぼくはちゃんと言ったからな、汐音のお望み通り。後は汐音がぼくとどうなりたいか、だよ? 千歳、ごちそうさまー。手ぇ洗ってこよーっと」
茉莉花はそう言うと、あたしの頭をぽこっと叩いて部屋を出ていった。バタンという音のする方を見ていた千歳の視線がこちらへ向く。公開処刑のような告白に、色んな意味で顔から火が出そうだった……。




