29☆恋人はストロベリーピンク? 前編
あたしの形相に一瞬ビクついた茉莉花が恐る恐る視線の先を辿る。と同時にあたしも転がったお色気レモン目娘の方を見やる。当事者の娘はというと扉の前に立ち尽くしている茉莉花と目が合った瞬間、先程のような甲高い奇声を上げながらそちらへ飛び跳ねて行った。
「まーりかちゃーんっ! 会いたかったーぁ。寂しかったよーぉ」
「うわわっ、だっ、ダメダメダメ! 今ハグ禁止ーっ!」
お色気レモン目娘と茉莉花の叫び声がこだまする。唖然とするあたしの視界には、扉の前でじゃれてんだか格闘してるんだかの二人のやり取り。両手を広げてハグしようとするレモン目娘を振り払おうと、バスグッズ片手にたじたじで応戦しているヘタレ茉莉花。
しばらくその光景をベッドの上から眺めていたあたしだったけど、あまりの放置具合に頭にきて、わざとらしい咳払いをして二人の注目をこちらへ向けた。
「汐音、ち、違うぞ? この子は……」
「やーん、お風呂上がりのいい匂いーぃっ」
なにやら慌てて説明しようとしているけど、こちらへ駆け寄ってくるも、子鳴きじじいのようにぴったりと背中に貼りついているレモン娘までもれなくついてきている。何が違うのよ、そう目で訴えると、茉莉花はじたばたと身振り手振りをしながら話し始めた。
「こ、この子が千歳だよっ。うちのルームメイトのっ。し、知らなかったんだ、今日戻ってくるなんて。汐音だって分かってくれてるだろ? ぼくが千歳の事情を知らなかった事」
「ち、ちと……」
「そうだよ、だからこれは決して浮気でも、まして連れ込みなんかじゃないからなー? 痛い、痛いから放せってば、千歳ぇ」
「だってーぇ、嫌がる茉莉花がかわいいのがいけないんだもーん」
うん……なんとなく合点がいった気がする。この感情丸出しの騒がしい娘がいなくなって寂しがってた訳が。放せだの嫌だだの言ってる割りにはほんのり赤面してるし。引っ付いてる千歳とやらもかなりご機嫌な様子で巨乳を押しつけながらすりすりしてるし。
へーぇ……楽しそうじゃない……。
「あ、ところであの子は? 帰ってきてベッドにダイブしたら茉莉花じゃなくてびっくりしちゃったぁ。しかも吹っ飛ばされちゃってさ。元気がいい子ねー。茉莉花の彼女ちゃん?」
「か、彼女ってゆーか、その……隣の部屋の汐音だよ。鈴芽ちゃんと同じ部屋の」
……なんか今、はぐらかさなかった?
あたしがじろりと睨むと、茉莉花は心当たりを察したのかすかさず目を逸らした。そんなあたしたちにはお構いなしと能天気にレモン目をキラキラさせているルームメイト。興味がころっと変わったのか、たじろいでいる茉莉花をほっぽり投げてこちらへ駆け寄ってきた。
「鈴ちゃんのっ? いーないーな! ちぃもまた鈴ちゃんと同じ部屋がよかったーぁ! あ、ちぃは千歳だよ。瀬戸千歳。下から読んでも『せとちとせ』なのー。あ、ちぃちゃんでいいよ? あなたは? なに汐音ちゃん?」
ま、マシンガンにも程があるっ。ぺらぺらと早口で、そしてずずずいっと顔を近付けてくるのであたしまで圧倒されてしまった。若干距離を遠ざけつつ、その勢いに負けじとこちらも口を開いた。
「あ……相葉、相葉汐音……」
「相葉汐音ちゃんね。下から読むと『んおしばいあ』かぁ……なんかロープレに出てくる技みたいだね。あははははっ。んー、じゃあ『あいちゃん』なんてどおかなぁ? あー、でも鈴ちゃんも藍原だからあいちゃんだしなぁ」
「し、汐音でいいけど……」
「うん、じゃあ『しーちゃん』ね!」
き、聞いてないしーっ。
圧倒的マイペースな新手に、あたしも茉莉花もすっかり巻き込まれていた。『よく冗談を言ってよく笑う、明るくて思いやりのある子』という茉莉花の言葉を思い出す。確かに、確かに間違ってはいないけど……。
強烈すぎないー?
もはや壁の花と化していた茉莉花もやっと平静さを取り戻したらしく、やれやれとうな垂れて千歳をあたしから引き剥がした。悪びれた様子のない千歳は首を傾げて「どしたの?」と言い出す始末。
だけどそれもまた一瞬で、思い立ったように両手をぽんっと叩き大きなバッグをごそごそとあさり出した。一時の猶予もなく動き回っていて目まぐるしい。
「そうそう、鈴ちゃんと茉莉花にお土産ーぇと思ってたくさんもらってきたんだよー。しーちゃんも食べて食べて? あ、ダメじゃん。ちぃってば洗ってなかったのに。ごめんごめん、ダッシュで洗ってくるから待っててねー」
千歳は大きなバッグから取り出した大きな平べったい箱を高々と掲げ、スキップらしき足取りで部屋を出ていった。ものすごい嵐が去った後には甘いイチゴの香りが漂っていた。
遠ざかるスキップもどきの足音を聞きながら、ゆっくりと茉莉花の方を見やる。あちらもまたバツが悪そうに振り返る。別々のため息を同時に吐き出した後、茉莉花は湿ったままのタオルを首にかけてあたしの隣にぼふっと腰掛けた。
「え、えっと……いい子なんだよ? 悪気はないんだ。ぼくも三日しか過ごしてなかったけど、人見知りしなくて人懐っこい子だなって印象だったし。だから……怒んないで?」
「……分かってる、ちょっと圧倒されちゃっただけよ。そうじゃなくてね、あたしが気に食わないのは……」
「うん?」
慌ただしくて自分の言動を忘れましたとは言わせない。思い出す時間を数秒与えてあげても分からないようなので、それもまたカチンときた。
あたしは首にかけている茉莉花のタオルを両端掴み、そのままぐいっとこちらへ引っ張った。「ぐへっ」とカエルの潰れたような奇声を発した茉莉花は、眼前に来たあたしの表情でやっと思い出したらしく、へらへらと引き攣り笑いをし出した。
「しょ、しょーがないだろー? むくれるくらいなら汐音が言えばよかったじゃんか」
「なんて? 『そうです、彼女でーす』って?」
「……」
「答えなさいよ」
至近距離でお互いに口を尖らせている。昨日のムードなら「もっかいする?」なんてどちらかが言いそうな距離。でも今は違う。答えてくれないもどかしさに噛みついてやりたい気分。
先に目を逸らしたのは茉莉花の方だった。タオルを掴んでいたあたしの手をぱしっと払いのけ、立ち上がって横目使いで言い放った。
「ぼくはまだ好きって言ってもらってない。ちゃんと『彼女だ』って紹介して欲しいんなら、汐音こそぼくにちゃんと伝える方が先だろ? 浮気だのなんだのってヤキモチ妬いてくれんのは嬉しいけどさ、ぼくを独り占めしたいってのはその次の話だ。これは思い上がりでもなんでもない。恋人になるってそういう事でしょ?」
「……」
「でしょ?」
そりゃそうなんだけど……おっしゃる通りなんだけど……。
そう言われても……。
言えない……。
「汐音が言い出したんだぞ? 約束するからべろちゅーしろって。約束守ってくんないんなら、昨日ぼくにした冒涜を水に流す訳にはいかないな」
「……」
「なんか言えってば」
黙って俯くと、茉莉花はわざとらしくため息をついた。重苦しい空気が流れている。ちらりと見上げると物言いたげな茉莉花と目が合った。イライラしているようにも見えて胸がぎゅっと締め付けられる。
「じゃ、じゃあ、あんたは好きって言葉がないと恋人にもなれない頭でっかちなのね? 好きでもない人とべろちゅー出来る程、あたしの約束が適当だって言いたいのね? 信じられないって言いたいのね?」
「そうは言ってないだろって。つーか揚げ足取るなよ。適当だとか思ってないけど、それ以前に汐音がそれ言えんの? 昨日ぼくにツッコまれたばっかだろ。好きでもない人に裸見せたり触らせたりすんのかってさ」
「だって……」
だって、言わなくても信じて欲しいじゃない。そんな言葉なくたって分かって欲しいじゃない。
『好き』って伝えるのは言葉だけではないじゃない。
「もういい。帰る」
「汐音ー、ひとこと言ってくれればいいだけなのにさ、あんま意地張ってるとかわいくないぞ」
「かわいくなくて結構よっ。どうせあたしなんか……。バーカ!」
「……んもう、二言目にはバカバカって……。分かったよ、好きにすれば?」
止めてくれないのね、と振り返ると、あちらはほんとに帰んの? という顔で見ていた。でももう引き返せなくて扉のノブに手を掛けた瞬間……。
「洗ってきたよーん。みんなで食べ……あれ? しーちゃん帰っちゃうの?」
「う、うん。またね、千歳ちゃん」
「あー、さてはケンカしたなー? ダメじゃん、茉莉花ぁ。彼女ちゃん泣かせたらぁ」
あたしと千歳の視線が一人を差す。その張本人はフッと一つ鼻で笑い、余所行きのにっこり爽やかスマイルで言った。
「彼女なんかじゃないよ」




