24☆憂鬱な月曜も紺色を羽織って?
「ふあーぁ……」
「やはり土日は眠れなかったのですか? お力になれなかったようで申し訳ありません」
「違うよ、鈴芽ちゃんのせいじゃないから謝らないで? 土曜の朝は爽快な目覚めだったんだけどねー。ふあーぁ……」
あくびが止まらない月曜の朝。憂鬱な一週間の始まりだけど、このどんより気分は週末に比べたらかわいいもんだ。
朝一で寮に戻ってきた鈴芽ちゃんはとても申し訳なさそうで、だけど秘密を打ち明けられた事ですっきりした顔をしていた。隣のベッドに腰掛けながら制服のリボンを丁寧に結んでいる姿を見ると、やっぱりあの妄想のバカバカしさに笑いさえ込み上げる。
眠い目をしばしばさせながら鏡の前で髪を結う。土日はずっと垂らしていたから、いつものポニーテールがやけに子供っぽく見えた。
「あら、では金曜の夜は眠れたという事ですか?」
う……ツッコまれた……。
いや、だが茉莉花との契約を明かす訳にはいかない。同じ部屋で寝てもらったなんて言えない。
あいつの秘密と尊厳を守る為でもあるけど、それよりなによりあんなチャラ娘に頼んでるなんて知られたくない。
「あー……うん、まぁ昨日よりは眠れたかなって感じ。一人でも眠れるように早くなんとかしないとね。毎週月曜日にはもれなくクマ女になっちゃうし。でも鈴芽ちゃんは気にしないでね? これはあたしの問題だし、あんな幸せそうな姿見せられちゃったらねぇ……あはは」
「えっと、それで、あの……龍一さんとの事なのですが……」
「分かってる分かってる、誰にも言わないよ。誤解を解く為にあいつには言ったけど、あと知ってるのは千歳さんくらいでしょ? でも、その誤解されるような噂を流した張本人が戻ってきたら、ちゃんと内部生の子たちの誤解も解いてもらわないとね」
「ええ。ですが千歳さん自身も悪気があって言った訳ではありませんし、『援助交際みたいだ』というのがどなたかの耳に入って、そこから噂が広まったのかと思ってますから、あえて否定しなくても噂などそのうち消えますので大丈夫です」
「はぁ……寛大だねー、鈴芽ちゃんは。その心の広さ、少し分けてもらいたいくらいだよ。ふあーぁ……」
「眠いかもしれませんが、そろそろ出ませんと遅刻してしまいますよ? あら……?」
連発のあくびで目の前が滲んでいる。ポニーテールの結び目まで届かない横毛を手ぐしで整えて、涙をごしごしと拭った。鏡越しに見えた時計を見て思い出す。そういえばあいつが直してくれたんだった、と。鈴芽ちゃんもそれを見て首を傾げていた。
「そだねー。行きますかっ」
なぜ直っているのかを聞かれる前にあたしは紺色のブレザーを羽織ってバッグを手に取った。鈴芽ちゃんも笑顔で「はい。では行きましょう」と部屋を後にした。
「汐音」
扉を閉めるが先か、背後から呼ばれる声が耳に入った。でも、その声の主には振り返る必要がない。
話す事がないから。
「汐音ってば。無視すんなって。まだ怒ってんの?」
「……行こう、鈴芽ちゃん」
「汐音、話があるんだ。三分でいいから聞いてよ」
「……」
「汐音」
歩き出そうとするあたしの肩を、茉莉花の白い手が掴んできた。そのままぐいっと振り向かされて睨み上げるとむくれたあいつと目が合った。
「何? あたしは話す事ないんだけど」
「ぼくはある。……鈴芽ちゃん、悪いけど先に行ってもらえるかな」
一瞬たじろいだ鈴芽ちゃんにいつもの笑顔を取り繕って「ごめんね、ちょっと借りるだけだから」と爽やかに切り替えられるその『たらし』っぷり、見事としか言いようがない。そこがムカつくというのに。そこが嫌いだというのに。
鈴芽ちゃんはちらりとあたしの顔色を窺って、心配そうな声で「分かりました。では後程」と言って背を向けた。鈴芽ちゃんの小さな背中が遠ざかっていく。後を追おうとすると茉莉花の手に力がこもって強く引き寄せられた。
「痛い」
「ごめん。でも、じゃあ逃げないでよ」
「やだ。あんたのそーゆーとこ大っ嫌い。笑いかければ、甘い声出せば、優しくすれば誰でも落ちると思ってる、あんたのそーゆーとこ大っ嫌い。女の子がみんなあんたの言う通りになると思わないでよ!」
「思ってないって、そんな事。つーか廊下で大声出すなよ、目立つだろ。ちょっとだけでいいから、ぼくの部屋来てよ」
「目立つ? あんたいつも学校の廊下で目立つ事してるじゃない。今更なによ。あたしに怒鳴られてるかっこ悪い姿を見られたくないだけでしょ? 目立ちたくないならお望み通りにしてあげるわよっ!」
乾いた音が響いた。ほんとはこんな事したくなかった。でも、しょうがないじゃない。放してくれなかったあんたが悪いんだからしょうがないじゃない。
茉莉花は引っ叩かれた左頬を押さえながらじっとこちらを見ていた。何も言わず、ただ黙ったまま見つめていた。怖くなったあたしが目を逸らすと、そっと掴んでいた肩から手を放した。
その後あいつがどんな顔してたかなんて知らない。あたしはあいつから逃げるように小走りで寮を出た。何も考えたくなくて、思い出したくなくて、朝の肌寒い空気の中、プリーツスカートを翻しながら学校へと急いだ。
話ってなんだったんだろう。引っ叩かれてなぜ黙ってたんだろう。
バッカじゃない。あんたも、あたしも……。
「もー!」
物に当たるのはよくない、そう思いながらもこんなくさくさした気分では笑顔で校舎になど入れそうになく、あたしは裏門にある自転車置き場へ向かった。とにかく八つ当たりでもしないとこのイライラを押さえられそうになくて、数台しか停まっていなく人気もない駐輪場の花壇に思いっ切り蹴りを食らわした。
「いっ……たぁー……」
それもそうなんだけど……いくらローファーの底が頑丈だとはいえ、レンガ調の花壇に勝てる訳がなく、あたしはその場に蹲って悶絶した。
何やってんだか……。もう仮病使ってサボっちゃおうかな……。
「ね、ねぇ、大丈夫? どこか具合悪いの?」
不意に後ろから聞こえた幼い声の方へ振り向くと、二つ結びの小柄な女の子が自転車を慌てて停めて駆け寄ってきた。見られた? そう思ったけど、この子の慌てようからするに自業自得だとは思っていない様子。
し、心配させて申し訳ない……。
「大丈夫です。ちょっと足を痛めただけなんで……。そのうち治まると思うので先に行ってください。遅刻しちゃうし」
「ううん、わたしは平気だから教室まで送るよ。四組の相葉汐音ちゃんでしょ? わたし、隣の五組だからついでに送ってあげる」
「隣? なんであたしの名前まで知って……」
あぁ、そうか。こんな髪色、目立つもんね……。覚えたくなくても目に入っちゃうよね。
「立てる? 肩貸そうか?」
「ううん、ありがと。えっと……」
「ひかりだよ」
「ありがと、ひかりちゃん」
人懐っこくて元気いっぱいの口調のひかりちゃんを見てると、自分の根暗さを思い知らされる。そんな湿った事を考えているあたしを心配そうに気遣いながら「もうちょっとだよ」と言いながら教室まで付き合ってくれた。肩こそ借りなかったものの、よたよたと歩くあたしと一緒にいてくれた事がすごく嬉しかった。
「……あれ? なんかあったのかなぁ?」
ようやくたどり着いた一年の教室が並ぶ廊下には、遠巻きに若干の人集りが出来ていた。不思議そうな顔をしているひかりちゃんと目が合う。「ちょっと覗いてくるね」といたずらっぽく囁いたひかりちゃんは輪の隙間から様子を窺いにいった。
「では、以後気を付けてくださいね」
輪の中からりんとした声が聞こえたかと思うと、群がっていた人集りが真っ二つにざざっと分かれ、その先から声の主であろうメガネの女の子が出てきた。
胸には臙脂色の刺繍、三年の先輩だった。花道のような輪の切れ目を颯爽と抜けて去っていく姿は、入学式の時に壇上にいた人だとすぐに思い出せた。
「しーちゃん、しーちゃん」
呼び慣れないあだ名だけど、幼稚園に入る前までお母さんにそう呼ばれてたっけかと振り返る。さっき初めて話たのに『しーちゃん』呼ばわりするとは、ひかりちゃんはほんとに人懐っこいのだと改めて思った。
戻ってきたひかりちゃんは手をばたつかせながら興奮気味に話し始めた。
「生徒会長がね、直々に注意しに来たんだってー」
「あ、やっぱり今のって生徒会長? 入学式に見た顔だなって思ったし、風格あるよね。……で、注意って誰が何を注意されたの?」
「それがね……」
生徒会長が出てきた雑踏の中心に見えたのは、バッグを肩に担いでこめかみをぽりぽりとしている、ジャージ姿の獅子倉茉莉花だった……。
しっちぃ様作「あなたの光に包まれて。」より 大空ひかりさん
しっちぃ様作「咲いた恋の花の名は。」より 江川智恵さん
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