22☆深紅の嘘 後編
「ち、違うの、鈴芽ちゃんっ。これは尾行してたとかじゃなくて……」
「私に御用だったのではないのですか?」
「あー、いや、その、御用は御用だったんだけど……」
何を言ってるんだ、あたしは。尾行という罪が後ろめたくて、他に疚しい事もないのにうろたえてしまう。
鳴り続ける着信音と不審そうな二人の視線が次の言葉を煽り立ててくる。
「汐音さんに見られてしまっては白状するしかないようですね」
「す、鈴芽ちゃん……あなたやっぱりその人と……」
「えぇ、お恥ずかしながら。紹介しますね、こちらは私のルームメイトの方で、相葉汐音さんです」
な、なんであたしが援交男に紹介されてんの?
ぐるぐると回る思考回路、ぶるぶると右手の中で震える携帯。必死に冷静さを取り戻そうとしている間に、ジリリンと叫び散らしていた着信音は鳴り止んだ。
あたしのイメージ通り好青年そうな男性は、こちらににっこりと微笑みかけて「初めまして」と軽く会釈をした。その爽やかな笑顔にはどこかで会ったような記憶がある。でも思い出せない。だってあたしには二十代くらいの男性に知り合いなんていないし……。
いや、騙されるな。爽やか好青年に見えようが所詮は女子高生を金で買う変態。だけどどういう顔していいのか分からず、とりあえずあたしも「どうも……」と頭を下げた。
「汐音さん、こちらは私の元家庭教師でもあり、その……私の交際相手でもあります、龍一さんです」
か、家庭教師? 元教え子といえど女子高生を買う変態との仲をスッパリ認めるとは……さすが鈴芽ちゃん。普段から何事にも動じない娘だとは関心していたけど、こんな時までにこにこ出来る肝が羨ましいくらいだわ……。
それとも、開き直ってるの……?
「こ、交際相手……。や、やっぱりそうなの、鈴芽ちゃん。お金で繋がってたの?」
「お金、ですか? ええと、まぁそう言われてしまうと初めはアルバイトでしたので、お金の繋がりと言われましても否定出来ませんねぇ」
「初めはって……じゃあ今は、今はもう違うんだよね? お金はもらってないって事だよねっ!」
そうよ、初めはどうあれ、今は真剣に愛し合っての交際なんだとしたら、これはもう援交とは呼ばれずに済むんだもん。
どうか頷いてーっ。
「今は……ええと、妹との間ではアルバイト代が発生してますが、私の方は特には……。それがどうかしましたか?」
どうかしましたかって……感覚がマヒしてるの? 今は違うってのは安心したけど、初めはお金で繋がってた不純異性交遊だよ? 犯罪だよ? バレたら退学だったんだよ?
それにこいつ、しょうこりもなく中学生にも手を出してるの? 鈴芽ちゃんという彼女をゲットしておきながら、今度は妹とも? どんだけロリコンなの? どこまで腐ってるの?
キモい……。やっとまともな思考回路を取り戻したあたしが睨みつけると、龍一と呼ばれる変態が思い出したように口を開いた。
「あぁ、ルームメイトのって事は、うちの妹がやらかしてしまった例のお相手ですね。どうも、その節は妹が失礼しました」
「……はい? 妹?」
そうだ、どこかで見たと思ったその笑顔は……。
「獅子倉茉莉花の兄です。お噂は鈴ちゃんから聞いてますよ。茉莉花と仲良くしてくれてありがとうございます」
あ・に……?
「お、お兄さん? お兄さんって三人いるって聞いてはいましたけど……。ほ、ほんとですか?」
やっぱり、変態の兄は更に変態だったのね……。こんな援交ロリコン変態と比べたら茉莉花がまともに見えてくるわ。
「次男や三男よりもよく似てるって言われますけど……似てませんか?」
に、似てますけどぉ、笑うと余計似てますけどぉ。むしろあいつを本物の男にしたら十年後くらいにはこうなってるんでしょうねってイメージ湧いてますけどぉ……。
「そうだっ、鈴芽ちゃんてばあいつのお兄さんと付き合ってるって、あいつは、茉莉花は知ってるの?」
「いいえ、お恥ずかしくて言ってません。ですが、私が中等部を受験する時、大学生だった龍一さんが家庭教師のアルバイトをしていた事だけは知ってらっしゃると思います。もっとも、教え子が私だとは龍一さんは口にしていないそうなので、獅子倉さんはご存じないかもしれませんねぇ。今は私ではなく、私の妹の家庭教師ですが」
「中等部って……ま、まさか三年前から援交してた訳じゃないよねっ? いやいや、中学生でも援交なんてダメだけど、じゃなくて、高校生でもダメだけど」
「えんこう?」
動揺してうまく言葉が出て来ないあたしの前では、きょとんとした二人が顔を見合わせている。
え、も、もしかして……。
「汐音さん、先程からお金の事をやけに気にしていらしたようですが、お金というのは家庭教師のアルバイト代の事でして、お付き合いさせていただいてはいますが、私は龍一さんに一切お金など受け取ってませんし、援助交際などではありませんよ」
あは、あは、あはははは……。
誰だよー、援交なんて言い出したのー!
「だ、だよね! 鈴芽ちゃんがそんな事してるはずないもんね。やだなぁ、あたしったらすっかり噂に惑わされて……。いやぁ、でも事実じゃなくて良かったー」
「噂、ですか? あぁ、もしかして千歳さんが一時期騒いでいた事でしょうか」
「そ、そうっ、その子に会いに来たの。実は……」
あたしは昨日からの茉莉花との会話をざっくりと説明した。援交の噂、彼女が戻ってこない理由の憶測、援交の口止めに彼女の弱みを握って脅したんじゃないかという細かい想像。彼女に会って鈴芽ちゃんの実体を聞ければ潔白を、あるいは公正を促せるかもしれないからここまで来た、と。
そして、ブランド物の謎のケースがアレじゃないかという追及も。
さすがの鈴芽ちゃんも苦笑いといった表情だった。隣では龍一さんがそっぽを向いて笑いをこらえている。
「残念ですが、みなさんが期待されたような事実は一つもありませんねぇ。交際は交際でも援助交際ではありませんし、千歳さんが泣いていたというのも理由は別物です。それと、汐音さんに差し上げたケースですが、その……コンドームケースなどではなく、携帯用ドラッグケースでして……」
「ど、ドラッグケースって……薬持ち歩くのに入れとく……アレの事だよね? じゃ、じゃあなんでアロマオイルがどうのって……」
「あれはですねぇ、以前に龍一さんが頭痛持ちの私の為にプレゼントしてくださった物なんです。少し古くなって口が緩んで通気してきてしまったので、それを利用してポプリに使ってたのですが汐音さんにちょうど良いかしらとオイルを浸した綿を入れてみました。私は進学祝いにと龍一さんと同じ色の物を買ってもらったので、龍一さんに許可をいただいて古い方を汐音さんに差し上げたんですよ。ですから、その……コンドームケースなどでは……」
は……恥ずかしーいっ! あ、あんにゃろー……早とちりでコン、コンド……ケースなんて言い出しやがってーぇ!
そりゃまぁお兄さんも持ってたでしょうよ、あげた張本人ですもの。彼女とお揃いのドラッグケースくらい持ってるでしょうよー!
こ、この状況をあいつにも、あの男装バカ娘にも味わわせてやりたかった! 全てはあいつの大いなる勘違いから始まった事なのに、なんであたしだけがこんな羞恥心を味わわなきゃいけないのよー!
ほらほら、龍一さんなんて後ろ向いてお腹抱え出したじゃない。肩震わせて爆笑してるじゃない。
全部全部全部、あんたのせいだからねーっ?
「そして、もう一つ残念な事に、千歳さんのお宅に行っても今はお会い出来ません」
「え、会えない? なんで? まさか入院してるとか?」
「いいえ、一か月程お母様のご実家に行ってらっしゃるそうです。中等部の時は毎年春休みに行ってらしたんですが、今年はイチゴの実りが遅かったとかで……。ですので今年はこの時期に収穫のお手伝いに行ってらっしゃるんですよ」
い、イチゴ……?
「ちょっと待って? そんな事で学校休んでいいの? 噂を流した張本人だから口止めに始末されたとかなんとかじゃないの? それに、泣いてた理由って……あと、新品のパンツは……」
「ええとですね、順を追って説明しますと、まずお休みの件は学園側にはきちんと許可をいただいてるそうですよ。毎年の事でしたし、お家の事情でご家族の『将来イチゴ農園を相続させたいから』という正当な理由で許可を得てるそうです。ですから、出荷まで終わればあと数週間で戻っていらっしゃいますよ」
も、戻って……来る……ですって?
「彼女、中等部の頃から私の事をとてもかわいがってくださっていたのですが、私が龍一さんとお付き合い始めた事を打ち明けた時の、『おっさんと付き合うなんて援交みたいだからやめなさいよ』と龍一さんに嫉妬した事から流れた噂かと。泣いていたのはですね、高等部になって部屋が分かれてしまったあげく、ご実家に一か月程旅立つ事になってしまって寂しがっていたんです。その……下着は確かに私が差し上げた物ですが、旅先では新しい下着を、と思ってプレゼントしました」
あは、あはははは……。ですよねー……。
あんのやろー、マジでぶっ飛ばすっ!
中等部に入る前から鈴芽ちゃんを知っているという龍一さんも一連の件を知っているのか、隣で吹き出しながらうんうんと頷いている。こんな時でも真面目な鈴芽ちゃんは「他にご質問は?」となんでもござれの余裕な対応。ここまで説明されて理解出来ない程あたしもバカじゃないので、あいつへの怒りを隠しきれない引き攣り笑いを浮かべながら首を横に振った。
「ごめん、鈴芽ちゃん。疑ったりして……。でも全部誤解で良かったー」
「いいえ、そんな誤解を受けてるだなんて知りませんでしたから、私の方こそご心配おかけして申し訳ありませんでした。よかったら汐音さんも上がっていきませんか? せっかく私の家までいらしてくださったんですし、お茶とケーキくらいしかおもてなし出来ませんが妹と遊んでやってください」
「えっ、ここって……」
先入観とは恐ろしいもので、鈴芽ちゃんが入るのを躊躇っていた豪邸は鈴芽ちゃん本人のお家だった。あの状況で手を引いていたら、誰だって男が連れ込もうとしてる風にしか見えなかったじゃない……。言われて冷静になれば表札には煌々と『藍原』の二文字。
もはや苦笑しか出て来ないんですけど……。
「僕はいつも平日に教えに来てるんですけどね、さっき妹ちゃんから『宿題を見て欲しい』って連絡があったんですよ。でも鈴ちゃんは土曜日くらい休んでくださいってしぶってて……なかなか入れてくれないんです。デートを中断してしまったからヤキモチ妬いてるんだと思いますけど」
「ち、違いますよ、龍一さん」
おーおー、珍しく鈴芽ちゃんが取り乱してますよ。図星が恥ずかしかったんですかねぇ、顔真っ赤ですけど。
全てが誤解だと分かったし、肩の力が一気に抜けてふぅっとため息を一つ吐いた。と同時にキュルルっというお腹の虫が鳴く。そういや起きてから何も食べてなかったんだと身体の素直さに負けて、古い洋館のような豪邸に招かれる事にした。
それにしても……。
再び鳴り響く着信音。『獅子倉茉莉花』の表示に殺意さえ湧く。
覚えてらっしゃい……この辱めは十倍にして返してあげるんだから!




