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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編
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2☆すみれ色の侵入者?

「ふぁ……眠いよー……」


 眠い眠いと何度口にしただろうか。口にしたところで眠れる訳ではないのだけど。


 だけどベッドで横になって早二時間、欠伸(あくび)だけがぷかぷか込み上げてくるばかりで、肝心の入眠までは辿り付けず……。


 おかしい……。今日は入学式やらオリエンテーションやらで緊張しまくったし、あげく入寮生は手続きやら荷ほどきやらで、自宅通学生よりも確実に絶対に疲れているはずなのに。疲れてる、絶対に疲れてるはずなのに。普段地震が起きようがカラオケの最中だろうが、どこででも爆睡出来るのがあたしの特技だったのに……。


 疲れてはいる、じゃあ眠れない原因……といえば一つしかない。


 それは静かすぎるこの部屋。あたしが入寮したこの桜花寮、二人部屋だというから安心していたのに、隣のベッドに横たわるルームメイトが静かすぎて……逆に眠れない……!


 というのも、両親と姉、それから妹、家族五人で暮らしていたアパートはとてもとても狭く、隣人の会話はもちろん、ペット禁止なわりに下階からはニャーニャーピヨピヨ、上階に関しては毎晩のようにアンアン……。そ、それがペットの鳴き声じゃない事くらいは分かっているけど……。


 とにかくおんぼろアパートは騒音の宝庫だったし、川の字に寝ている父の(いびき)も母の歯ぎしりも、姉の寝言も妹の寝相踵(かかと)落としもない空間で寝た事がないあたしには、この部屋は静かすぎて不気味な程なのだ。


「……汐音さん、まだ寝付けないのですか?」


 闇の向こうから眠たそうな声で鈴芽(すずめ)ちゃんが尋ねてきた。このルームメイトさえうるさくしてくれれば、あるいは眠りにつけるかもしれないのに……などという八つ当たりが脳裏を過ぎる。


 あたしが眠れないからうるさくしろ? どんなワガママだ? こんなうるさいという言葉が似合わない程のおしとやかな口調の、小学生かと疑りたくなるような低身長とそれに相応しい童顔、同じクラスになっていなければ小学生が紛れ込んでいると勘違いしてしまいそうだったこのルームメイトに。


 名は藍原(あいはら)鈴芽(すずめ)、名の通りスズメのような小さくて愛らしい少女。同じ一年四組のクラスメイトでもあり、出席名簿でも前後という仕組まれたような御縁だったりする。


 そんなお子様のようなルームメイトは、さっきまで隣のベッドですやすやと眠っていた。ボヤキながらうだうだと寝返っていたから起こしてしまったのだろうか、さらさらと布の擦れる音の方へ振り返った。


「ごめん、鈴芽ちゃん。起こした?」


「いいえ、お手洗いに……。寝る前に紅茶を入れたからかしら、目が覚めてしまっただけですよ。気にしないでください」


「……そっか、行ってらっしゃーい……」


 あたしがそう言うとするりとベッドを降り、真っ暗な中を灯りも点けずに廊下へと消えていった。唯一の頼りだったルームメイトのぺたぺたという足音が遠ざかっていく。


 真っ暗だし……静かすぎる……。こんな事なら、廊下に出る時に電気を点けていってもらえばよかった……。


「はぁー……もう!」


 ごろりと寝返りを打って頭までバサッと布団を被る。被っても被らなくても視界は暗闇、自分の呼吸音だけが暗闇に篭もっていく。ギュッと裾を握りしめて思う、あたしこんなにビビリだったかな、と。


 間もなくガチャっという開閉音で我に返る。帰ってきた、よかった! ホッと一安心して力が抜けた。少しだけ布団をずり下げて足音を確認する。


「おかえり。早かったね」


「……」


「鈴芽ちゃん?」


 篭もっていて聞き取りにくいのか、返事がない……。いるよね、いるよね? ともう少しだけ布団をずらして耳を出してみた。だけど気配はするものの、足音はぴたりと止んでいて……。


「なんだ、一緒に寝たいんならそう言ってくんなくちゃ! かわいい仔猫ちゃんだなぁ」


「へ? ちょ、ちょちょちょ……! 鈴芽ちゃん?」


 いきなり布団をはぎ取られ、声の主が潜り込んできた。そしてあたしの耳元で「へへっ」と言いながら頬を寄せてきた。


 な、何? あんなにおしとやかそうに見えたのに、夜のテンションはこんなに大胆な野獣だったの? い、いいけどさ、いい香りだしかわいいし、いいんだけどさ……って……あれ? ちょっと待って?


 ……こ、こんな声だっけ?


「鈴芽ちゃん? ね、ねぇ、あのぉ……」


「ん? スズメ? 違うよ、ぼくだよ? 誰と間違えてるのかな? いけない子だなぁ」


「……はっ?」


 誰? ぼく? え、え? 待って、待って? 誰この男ーぉ!


 あたしはパニックになり、ガバッと起き上がって頭を抱えた。落ち着け、落ち着け、これはきっと夢! あたしがビビリ過ぎて生み出した悪夢! お、男が……男があたしの布団にいる訳がー……!


「で……で、ででで出ていってー! へ、変態! へんたーいっ!」


「えっ? ちょ、ちょっとタンマ! 暴れんなって! ベッドから落ちるだろって……!」


「落ちろ変態! 帰れへんたーい! このーぉ!」


「わ、分かったから! ぼ、暴力反対! ね、話せば分かるって! ね?」


「うるさーぁい!」


 怒りに任せて思いっ切りシュートを繰り出すと、横たわっていた変態はベッドの向こうへドサッと転げ落ちていった。暗くてよく分からないけど、微かにもぞもぞと動いているその不気味さがあたしの恐怖を更に高ぶらせる。


「ひ、人を呼ぶからっ! 警察を呼ぶからっ! どっから侵入してきたか知らないけど、よくも女子寮に、よくもあたしのベッドに……キィー!」


「ちが……」


「黙れっ、この変態! 違うもんか! あんたなんて死刑よ、極刑よ! くたばれクズ男っ!」


 手当たり次第という言葉の通り、あたしは暗闇の中、手に触れる物を次々と投げつけた。怒りと驚きと恐怖と怒りと怒りとで電気を点ける事も忘れ、ひたすらベッドの向こうへと全力投球する。枕元に置いておいた携帯電話、目覚まし時計、それから机の上にあった筆箱も教科書もノートも、今日配られた真新しい物ばかりなのになんて躊躇は一瞬たりとも感じなかった。


 あまりの勢いで投げつけたせいか怒りのせいか、あたしはハァハァと肩で息をしていた。だけどこの感情が冷める事はなく、若干汗ばみながら足に触れた段ボールを持ち上げ……。


「死ねーぇ!」


「キャー!」


「女みたいな声出してんじゃねーっつーの! これでもくらえー!」


 まだ荷ほどきされていない私服もろもろ入った段ボールを振りかぶったその瞬間……。


「汐音さん? 一体どうしたんですか? ……あらあら……」


 呆れた声の方を向くと同時にパチンと灯りが点き、扉の前で呆然とした鈴芽ちゃんの姿が見えた。その姿に安堵し、緊張の糸がぷつりと切れてぽろぽろと涙が溢れていった。火事場の馬鹿力で持ち上げていた段ボールがやけに重く感じ、ドサっと手から滑り落ちていった。


「うわぁーん! 鈴芽ちゃぁーん!」


「汐音さん? 何があったんですか? こんなに震えて……よしよし、ですよ」


「怖かったよぉ……。早く、早く警察呼んで!」


「警察? とにかくこれは一体何が?」


「何って変態が……! ほらっ、あそこ!」


「あそこ?」


 あたしが指差した先は地獄絵図のように散らかったベッドサイド。クリティカルヒットして飛び出した時計の電池やバラバラに飛び散った筆箱の中身。その中央で頭を抱えて魘されていたのは、すみれ色のジャージを着た……。


 女の子だった……。


「う、嘘……。だって、だってさっきは確かに男の声で……」


「いってててててて……いくらぼくがかっこいいからって酷すぎじゃね? 男と間違われるのは悪い気はしないけどさ、ぼくのベッドで寝てたのはそっちだろ? なのに変態だなんてさぁ……いててて、時計クリティカルヒットだったんだけど……」


「は、はぁ? 潜り込んできたのはそっちでしょ! お、男と間違えたのは謝るけど……悪いのはそっちじゃん!」


「何言ってんだよ。トイレ行ってる間にぼくのベッドに潜り込んでるなんて、勘違いしてもしょーがないだろ? それよか他にも謝る事あるんじゃないの?」


「ない! 謝って欲しいのはこっちの方だっつーの! 人の部屋に勝手に入ってきて、人のベッドに潜り込んできて……」


「だっからさぁ……」


 その時、ヒートアップしていくあたしと侵入者の言い争いを傍で見ていた鈴芽ちゃんが、何かを思い出したように首を傾げながら口を開いた。


「もしかして、お隣の部屋ではないですか? ここは二一九号室ですが……」


「に、二一九……?」


「えぇ、二一九です」


 侵入者は目をぱちくりさせながら、ゆっくりと部屋の中を見渡した。そして壁に備え付けられているフックのところでもう一度瞬きをしてからこちらを向いた。


「あそこに掛けといたぼくのお気に入りのジャケットは?」


「えっと、ですからここは二一九号室でして、私と汐音さんのお部屋ですから……ありませんねぇ」


「そ、そう……なんだ……。ははっ、ははははは……」


「分かっていただけました?」


 自分の置かれていた状況がようやく把握出来たのか、侵入者は青ざめた顔で引き攣り笑いをしながら立ち上がった。冷静に対応していた鈴芽ちゃんもふぅっと苦笑いしている。


 ……けど、あたしの怒りは全く治まらない訳で……。


「謝って!」


「はい?」


「はい? じゃない! あたし、ちゃんと謝ってもらってないんだけど?」


「あぁ……えっとぉ……」


「早くっ!」


「……そんなに怒んなって。ぼくだってベッドから蹴り落とされたり物投げつけられたり被害被ってるのに謝ってもらってないんだぜ? 謝るから謝ってくれよなー」


「……イヤ」


 謝る? なんであたしが? あたしは何も悪くない。ちょ、ちょっと勘違いしたけど正当防衛なんだから!


 きっぱりと断って仁王立ちするあたしに向かって、侵入者はのそりと近付いてくる。その顔には申し訳なさの欠片もなくて余計に腹が立つ。キッと睨みつけてから顔を叛けて「デグチ、あっち!」と扉を指差した。


「そう睨むなってぇ……どんだけ怒ってんだよ。ったくもー……かわいい顔が台無しだぜ? し・お・ん・ちゃん!」


「はぁ? あんたに汐音ちゃん呼ばわりされる筋合いない!」


「じゃあ呼び捨てがお望みかな?」


「くたばれ、ボケナス」


「ったく、口が悪いんだなぁ。んまぁ気の強い子は嫌いじゃないけどね」


 そう言うと侵入者はあたしの頬にすっと手を添え、「お詫び、ね?」と言って唇を重ねてきた。


 あまりにも一瞬の出来事すぎて避ける暇もなく、ただただあたしは立ち尽くしていた。嘘? 冗談? 夢? グルグルと現実から逃げようにも、唇に残る微かな感触が否定を否定する。


 それでも現実を受け止めきれず、手の甲で唇に触れてみる。さっきのはこんな骨ばったそれじゃなくて、もっともっと柔らかかった……。って事は、やっぱり……?


 焦点の合わない視野の中で、両手で口を覆っている鈴芽ちゃんの姿が見えた。視線を侵入者に戻すと、奴は目が会ってにっと笑った。


「な、なにす……」


「え? だからぁ、お詫びだってば。謝れって言ったの汐音じゃん?」


「……この……っ!」


 それ以上は言葉にならなくて、代わりに乾いた音が響いた。「ちぇっ」と呟いて出て行く背中を最後まで見届けられず、あたしはその場にへたり込んだ。慌てる鈴芽ちゃんの呼び掛けが耳に入ってきたけど、頭の中までは入ってこなかった。


 代わりにあたしの頭の中にあるのは、にっと笑ったあいつの顔。そして身体に残ったのは手のひらのじんじんという痛みと、煮えくり返るような胸のざわざわ。それと……。


「あんのボケナスー! 返せー、あたしのファーストキスーっ!」


 それと、柔らかい唇の感触……。 



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