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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編
18/105

 18☆疑惑困惑のマスカットグリーン?

「ば、バッカじゃないの? こん……こんど……あは、あはははは……」


 これが? このケースが? 何を、こいつは何を言って……。


「い、色違いのを兄ちゃんが持ってたんだよ、それと同じロゴの。汐音だってそのブランドくらい知ってて持ってんだろ? 高級ブランドの中でも『ダンディGG』つったらお世話になってないぼくだって知ってるくらいかなり有名だし」


「ダンデ……し、知らないわよ、そんなブランド。そもそもあたしは段ボール箱入り娘なのよ? ボロアパート育ちのあたしがそんなの知ってる訳ないじゃない」


「じゃあ知らないでこんな高級なもん持ってんのかよ。なんでこんな高級こん、こん、こんど……むケースなんて」


「なんでって……」


 なんでって、これは鈴芽ちゃんがあたしに、眠れないあたしの為に作って……。


「し、汐音? き、君まさか万引きしたとか言わないよね? そんなケースが必要だからって盗んだり……」


「する訳ないでしょ! それに、そんないかがわしい物あたしには一生関係ないわよ。これは鈴芽ちゃんがあたしの為に作ってくれたって言ってたもん。中にアロマオイルを含ませた綿を入れといたから枕元に置いて寝るといいって。眠れないあたしの為を思って作ったからって……」


 そうよ、この部屋で一緒に住んで間もないけど、ずっとあたしの味方だったし、いつも心配してくれてたんだもん。冗談も陰口も、ましてや嘘なんてついた事ない鈴芽ちゃんだもん。


 あたしを騙す訳ないじゃない。


「汐音、ごめん。その……万引きしたのかなんて疑ったりして。でも、こんなレザーケースをあんなちっこい鈴芽ちゃんが縫えると思うか? 少なくともそのブランドのロゴは本物っぽいし、触った感じフェイクレザーでもない。ほんとに鈴芽ちゃんが作ったって言ってたのか?」


「……お下がりだけどいらなくなった物を加工して作ったって……。鈴芽ちゃんが嘘つく訳ないじゃない。嘘つく必要も理由も……」


 あたしが言葉を詰まらせると、茉莉花もまた言い辛そうに俯いた。二人で見つめる手の平のそれは、茉莉花の言うように手縫い出来る程薄い生地ではない。鈴芽ちゃんは不格好だと言っていたけど、例えこれを手縫いで加工していたのだとしてもこんなに整っている訳がない。


 ただ、新品ではなく使用感だけは残っている……。


 しばらくの沈黙の間、あたしは真っ白になりそうな脳みそを振り絞って考えた。これは鈴芽ちゃんのお下がりなのか、だとしたら何に使っていたのか。使っていたのだとしたら何を入れていたのか。なぜ手作りだの加工しただの嘘をついたのか、そもそもそれはほんとに嘘だったのか。嘘だとしたらなぜそんな嘘をつく必要があったのか。


 嘘をついてまで渡したかったのか。


「汐音」


 沈黙を裂いたのは、茉莉花の押し殺したような低い声だった。あたしが黙って視線を戻すと、茉莉花は立ち上がってあたしの前まで来た。何かを言いたげな顔でじっとあたしの目を見ている。そして「ふー」と深いため息を一つついてしゃがみ、今度はあたしを見上げた。


「……何」


「汐音、ぼくは確信のない話をするのはあまりいい事じゃないと思ってる。だから黙ってたんだけど……鈴芽ちゃんには深く関わらない方がいい。同室の汐音には難しい事かもしれないけど、出来るだけプライベートに首を突っ込まない方がいい」


「なんで? なんでそんな事言うの? 鈴芽ちゃんが、あたしが何したって言うのよ。あんたに鈴芽ちゃんの何が分かるって言うのよ。何を知ってるって……」


「聞けよ、汐音!」


 あたしと違って大きな声を出したりしない茉莉花の怒声が部屋中に響いた。心臓がギュッと縮まる。手が震える。目が泳いでしまう。喉がからからになる。


 怖い……。


 真剣な眼差しに耐えきれず、あたしは顔を背けた。


「ごめん、デカい声出して……。汐音、ちゃんと聞いてくれる?」


「……やだ。聞きたくない」


「いいや、聞いてもらう。ぼくも噂でしか聞いた事ないんだけど、鈴芽ちゃんは……」


「やめてよ! 聞きたくないんだってば!」


 叫ぶが先か、あたしは目の前にしゃがんでいた茉莉花を突き飛ばしていた。ハッと我に返ると尻もちをついた茉莉花が目を見開いていた。手をあげてしまうのはいつもの事ながら、少し勢いが強すぎたかと謝ろうとすると……。


「ちょっと出てくるよ。飲み物、何がいい?」


「茉莉花、あの……」


「たまにはジンジャーじゃないの買ってきてやるよ。なっ」


 そう言って茉莉花は、ぷいっと部屋を出ていった。買ってくる、そう言っていたけどもう帰って来ないのかもしれないという漠然とした妄想が過ぎる。帰って来ない、帰ってきたくない、あたしと話す事はもうないのだろう、と……。


 鈴芽ちゃんも、茉莉花も、みんなあたしを置いてどこかへ行ってしまう気がして……。


「うっぐ、うぅ……」


 情けなくて寂しくて、涙が溢れていく。なにしてるんだ、あたしは。上っ面の姿だけ知っていればそれでよかった? 現実を知るのが怖いから、それなら偽りのままでよかった? それを壊そうとする茉莉花は敵だと思った?


 鈴芽ちゃんの事も、茉莉花の事も、あたしはまた自分から拒絶したんだ……。


 窓に打ち付ける雨音が聞こえた。ずっと話していたから気付かなかった音。二人部屋に独りぼっちのあたしの、鼻水を啜る音だけがやけに響いている。今日程この部屋が静かだと感じた事はない。眠れない真夜中なんかよりも、雨音一つしない昼間なんかよりも。


 しばらくしてコンコンと扉をノックする音が聞こえた。あたしはパジャマの袖口でごしごしと涙を拭い、いつもより重く感じる扉を開いた。


「ただいま」


「おかえり……」


「買ってきたよ。飲もっ」


 すっと部屋に入ってきた茉莉花に手を引かれ、あたしもとぼとぼとベッドへ戻る。茉莉花は先にあたしを座らせ、自分はその隣であぐらをかいた。そして「ほいっ」とあたしにペットボトルを握らせた。


「飲んだ事ないのがあったからさ、これにしてみたんだ。マスカットソーダ、汐音は飲んだ事ある?」


 ハスキーがかった声が柔らかく耳に届く。情けなさと申し訳なさでまともに顔が見れない。あたしは冷えたペットボトルのラベルを見つめながら首を横に振った。


「ううん、ない。でもおいしそう」


「だろ? さっきもこないだも汐音のジンジャー奪っちゃったから、これはぼくのおごり」


「うん、ありがと。……いただきます」


 二人並んでプシュッとフタを捻る。飲んでいる時はお互い言葉を発していないのに、独りぼっちの時と静かさが違うのはなんでだろう。


 もう帰ってこない、そう思っていたから隣にいてくれるだけで暖かく感じる。これまでどれだけの人を突っ撥ねてきたか分からない。みんな戻ってこなかった。むしろ敵になった。だからてっきりこいつもそうなんだとばかり思っていた。


 だけど、茉莉花はちょっと違うかもしれない。暴言を吐いてもビンタしても蹴っ飛ばしてもどついても、どんな悪態をついても真剣に向き合ってくれようとしている。チャラチャラしてて軽い奴だと思っていたのに、みんなにもこんなに優しいのだろうか。


 もしかして、上っ面の付き合いしか出来ないあたしの方がある意味『軽い』のかも……。


 茉莉花が買ってきてくれたマスカットソーダは甘すぎずすっきりしていて、でもほんのり酸味もあって、それでいて炭酸が喉の奥に詰まったもやもやを浄化させようとしてくれている。


 まるで今の茉莉花みたいに。


「落ち着いた? あんま飲むと夜中トイレに起きちゃうからな」


「うん。でもやっぱ今日も眠れそうにないから帰っていいよ」


 あたしがそう言うと、茉莉花はソーダを吹き出しそうになった口を手の甲で押さえ、すっとんきょうな声で尋ねてきた。


「へ? なんで? ぼくが隣のベッドで寝てれば汐音だって眠れるかもしれないんだろ?」


「そうかもしれないけど、さっき三時間くらい寝てたみたいだし……それよりも、あたしは鈴芽ちゃんの事を信じたいし嘘はついてないと思いたい。でも今のあたしは鈴芽ちゃんのベッドで寝たら色々考えちゃいそうで怖いの」


「じゃあぼくが鈴芽ちゃんのベッドで寝るから、汐音は自分のベッドで寝たらいいじゃんか。ご希望通り汐音が寝つくまで独り言でも鼻歌でも起きてるぞってアピールしてやるからさ」


「あんたが鈴芽ちゃんのベッドで寝るのはダメ。あたしだったら自分のいない間に誰かが勝手に寝てたら嫌だもん。だから帰っていいよ。振り回してごめん。あんたの秘密はちゃんと守るから、今夜は……」


 ほんとに自己中心な女だ、あたしは。鈴芽ちゃんを信じてるなら、例えこれが嘘だったとしてもどうでもいいじゃない。嘘の一つくらいついたっていいじゃない。今まで一つもなかったとはいえ、嘘をついた事のない人なんてきっといないんだから。鈴芽ちゃんを信じ切れないからって、あたしが茉莉花を振り回すのは間違っている。


 だけど、あたしは思い出してしまった。玲ちゃんが食堂で茉莉花と同じ事を言っていたのを。よくない噂がある事を。『関わりたくない』そう言っていた事を。


 鈴芽ちゃん……。あたしにはあなたがいい子にしか見えないのに、なんでこんな……。


「しょうがないな、それなら選択肢を増やすよ。汐音のベッドでぼくと寝るか、もう一つは汐音がぼくのベッドで寝るか。これ以上の選択肢は『寝ない』しか思いつかないぞ」


「なっ、それ両方とも添い寝って事じゃない」


「違う、後者は添い寝じゃないぞ。汐音がぼくのベッドで寝て、ぼくが隣のベッドで寝るって事」


「だって、あんたのルームメイトはどうすんのよ。まさかあんた、ルームメイトと添い……」


 言いかけたところで茉莉花が立ち上がった。うーんと伸びをして、それからあたしを見下ろす。どこか気まずそうにはにかみながらあたしの頭にぽんっと手を乗せた。


「人を信じるって難しいよな。信じて裏切られた時に傷つくのは怖いし、信じなければ相手を傷つけるし。汐音がぼくを嫌ってた理由は分かった。でも過剰な男嫌いな理由はわからない。同じように、ぼくも汐音も鈴芽ちゃんの気持ちが分からない。信じていいのか、信じない方がいいのか、もね。そしてぼくの事も」


「……何が言いたいの?」


「汐音が聞きたくなったら話す。鈴芽ちゃんの噂の事も、ぼくの隣のベッドが空いた理由も。それを聞いて信じる信じないは汐音の勝手だけど」


「空いた……?」


 そういえばこの前茉莉花の部屋に行った時、今はいないと濁していた。あの時は取り込んでいてそれどころではなかったし、たまたま留守だったのかと気にも留めていなかった。


 照明のせいで茉莉花の顔が逆光になる。表情はよく分からない。でもきっともどかしいのだろう、ほんとは聞かせたくないけど言わなくてはならない事のようだから。


 あたしは頭に乗せられた手を振りほどき、立ち上がって茉莉花の眼前で言った。


「聞く」


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