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百合色横恋慕  作者: 芝井流歌
第1章 パステル編
16/105

16☆誘惑の小麦色?

「……汐音?」


「……んん……」


 瞼が重い……。


 誰かが呼んでる気がする。あたしをゆさゆさ揺さぶってるのは誰?


「汐音、風邪ひくよ?」


 聞いた事あるような、でも心地よい声じゃない……。お父さん? 違う、もっと若い男の子の声。でもあたしを「汐音」と呼ぶのは……。


「もしかして具合悪い?」


 女の子にしては低い声、男の子にしては柔らかい声。もしやもしやと重たい瞼を押し上げると、そこにいたのは……。


「んなっ……」


 獅子倉茉莉花だった!


「どした? こんなとこで寝ちゃって風邪ひくよ? 食堂に来ないから心配したんだぞ」


 ベッドを枕に座り込んでいるあたしの目の前で覗き込んでいるのは、これ確かに気に食わない奴の顔。今度こそ幻覚? 重い瞼と重い頭を上げたあたしは、まだ働かない脳みそで考えた。ここ、あたしの部屋だよね? あたしのベッドだよね? 間違えてないよね? と。


 ぐるぐる駆け回る疑問質問難問を解決出来ないまま、あたしはゆっくりと部屋中を見渡した。手元にはあたしのお気に入りの桜模様のベッドシーツ。机の上にはぶん投げた時に壊れた目覚まし時計。足元にはほっぽり投げたバッグから一枚のCDが飛び出ている。


 ベッドの上には一口も飲んでいないまま転がっているジンジャーエール。そうだ、これを買って、そこでいのりちゃんに痛いとこをつつかれて、泣きながら帰ってきてベッドに突っ伏して……そのまま寝てたんだ……。


 って事は?


「な、なんであんたがここに……」


「なんでって、だから今夜何時頃行こうかって聞こうと思って食堂で待ってたんだけど、他の子に聞いてもまだ夕飯食べに来てないって言われたし、帰って来てないのかなーって思ったんだけどさ。もう夕飯の時間終わっちゃったから心配になって見に来たんだよ」


「た、頼んでないわよ! 勝手に入って来ないで、変態っ」


「……ふーん、ぼくにそんな事言っていいのかなーぁ? 今夜は鈴芽ちゃんいないんだろー?」


 獅子倉茉莉花がくりくりお目々を細め、意味深な横目であたしを見下ろす。意味、その意味は分かってはいるけど……。


「どっちにしても勝手に入って来るなんてデリカシーがなさ過ぎる! 着替えてたらどうすんのよ」


「着替え……」


「そうよ、真っ裸だったらどうすんの? あたしの部屋で鼻血出して倒れないでよね、変態っ」


「わ、分かった、気をつけるってば。それよりさ、汐音……もしかして泣いてた? 目、真っ赤だぞ」


「……違うし」


 違わないんだけど、あんたなんかに言うもんですか……。


 言われて下瞼を擦ると、人差し指の間接に薄らと水滴が付いた。ぎゅっと目を瞑ってぷるぷると頭を振る。弱いとこなんか見せたくない。あたしのポニーテールもいやいやと揺れている。


 顔を背けた先で目に止まったのは、鈴芽ちゃんの枕元に置いてある目覚まし時計。奴の言っていた通り、食堂の閉まる時間を二十分も過ぎている。帰ってきてからそんなに寝てしまっていたのかと愕然とした。


「汐音、夕飯どうすんの? 何か食べる物ある?」


「ない。でもまだ門限まで一時間近くあるし、コンビニで何か買ってくる。お構いなく」


「あっそ。さっき貧民中だって言ってたから、ぼくのクロワッサン分けてあげようかなと思って持ってきたんだけど……いらないかー、そーかそーかぁ」


 奴は意地悪そうにそう言うと、手に持っていたビニール袋をぶらぶらさせながら立ち上がった。


 そ、その小麦色の袋、その三日月モチーフのロゴは……。いつだって貧民中なあたしがずっと食べてみたいと思っていた駅前の高級そうなパン屋の……。


 悔しくて睨み上げると、奴は満足そうににっこりと笑って「よしよし」とあたしの頭を撫でた。


「カラオケの帰りに寄ったんだ。汐音が眠れなかったら一緒に夜食に食べようと思ってさ。でもまぁ、その様子だと夜食の分はなくなりそうだな。今寝ちゃってたみたいだし、余計眠れなくなるけど、どうする? 今食べる? それとも夜食に……」


「た、食べる」


「食べる? 食べさせて、く・だ・さ・い、だろ? し・お・ん・ちゃん」


「はー? バッカじゃないの! 調子に乗らないでよね。誰があんたの買ってきたパンなんか……」


 その時、「ぐーぅ」という音が鳴り響いた。怒鳴りつける声と同じくらいの音量で鳴ったあたしのお腹。慌てて押さえるも、すでににやりと獅子倉茉莉花の口元が緩んだ。


「……」


「……」


「食べる、だろ?」


「食べる」


 ぷいっとそっぽを向くと、もう一度「いーこいーこ」と言いながら頭を撫でてきた。あたしはその手を振り払う事が出来ず、ベッドにぽつんと転がっているジンジャーエールに手を伸ばす。


 ずるい。撫でてくれるのはお母さんの特権だったのに……。


 あたしはその手に弱い。


「もう意地悪言わないから食べなよ。んっとね、チョコのクロワッサンとモカのクロワッサン、どっちがいい?」


「チョコ」


「げっ、ぼくもチョコがよかったのにー。モカにしない?」


「しない」


「くそっ、分かったよ。ぼくのオススメ商品だから今回だけ譲ってあげるとするか」


 獅子倉茉莉花はぽふんっとベッドに腰掛け、膝に乗せたビニール袋の中から「はい、どーぞ」とチョコクリームの入ったクロワッサンを取り出してきた。


 あたしがおずおずと見上げると自分の隣をぽんぽんと叩いて「ここ、ここ」と座れと促してきた。仕方なくあたしもベッドに……と思ったところで躊躇する。言いなりになってばかりいたら、まるでこいつの飼い犬じゃない。あたしは隣に座るのをやめて、ベッドを背もたれにして床にぺたりと座った。


「なんだよー、隣来ないの? 下にいたらかわいい顔見れないじゃんか」


「見なくて結構よ」


「ちぇっ、かわいくないなぁ」


「かわいくなくて結構よ。……いただきます」


「どーぞどーぞ」


 たっぷり昼寝したからか、たっぷり泣いたからか、焼けたバターの香りだけでごくりと喉が鳴る。しかも憧れのパン屋の売りであるクロワッサン。貧乏なあたしには無縁だと思っていた高級店の看板商品……。


 ほんとに食べていいのだろうか、とちらりと見上げるが、奴はあたしの視線になど気付く気配もなく「うん、うまーっ」と嬉しそうにパクついていた。じゃああたしも……とがっつかないよう気を付けながらかじりついた。


 ふんわりと香る小麦の匂い、香ばしいバターの匂い、中に包まれたチョコレートクリームの甘い匂い、もったいなくて味わいながらちびちびとかじっていく。焼き立てでもないのに生地がザクザクとしていて、やっぱりコンビニのふにゃふにゃクロワッサンとは雲泥の差があるんだなと感動した。


「汐音、おいしい?」


「うん、おいしい」


「そっか、良かった。これもらっていい?」


「うん」


 奴はベッドに転がっていたジンジャーエールを手に取り、ぷしゅっという音を立てながらフタを開けた。あたしのなのに……そう思ったけどクロワッサンをもらっておきながらダメとも言えず。ごくごくと減っていく音を聞きながら、自動販売機の前でいのりちゃんに言われた言葉を思い出していた。


 苦手意識を持っていると相手にも通じてしまう、そう言っていたけど……。先入観で判断してしまうのはもったいない、そう言っていたけど……。


 あたしは男が嫌いで嫌いで仕方ないあまり、男の子みたいな獅子倉茉莉花に『苦手だ』という先入観を抱いていた。だから拒み続けていた。


 だけど、この苦手意識を知っていながらも、どんなに冷たくしても、どんなに悪態をついても、じゃあ獅子倉茉莉花は『苦手』という態度をあたしに向けた?


 ううん、むしろこんなに……。


「ねぇ、獅子倉茉莉花」


「なんだよ、それ。マリッカでいいよ」


「やだ。なにそのバカっぽいあだ名。恥ずかしくて口にもしたくない」


「はいー? じゃあ茉莉花でいいよ」


「じゃあ茉莉花、あんたさ、なんでそんなにあたしに優しくする訳? やっぱ弱み握られてるから?」


 見上げた先にはきょとんとした茉莉花の顔。しばらく目をぱちくりさせていたが、「んー……」と首を傾げた後、思い出したようにペットボトルをあたしの頭にぽんっと乗せた。


「かわいいから、じゃないかな?」


 にっといたずら小僧のように笑うその顔には、嘘も嫌味もないように感じて……。


 そんな事、言われた事なくて……。


 いつだってあたしは強がって突っ撥ねていて、女の子らしさもかわいげもないと罵られてきた。だけど、なのに……。


 か、かわいい……?


「聞くんじゃなかった」


「へ?」


「どーせチャラ娘の口説き文句でしょ。あたしはそーゆー軽いお世辞嫌いなの。だから聞くだけ無駄だったなーと思っただけ」


「ふーん。じゃあなんで顔赤いのかなー?」


「う、うっさい、バーカ。暑いからに決まってるでしょ。返してよ、あたしのジンジャー」


 頭に乗っけられたペットボトルを奪うと、くつくつと笑いを堪え切れない茉莉花の息遣いが聞こえてきた。ムカつく、そう思いながらフタを開けてごくごくと飲み続けていると……。


「ねぇ、一緒に寝よっか」


 と、耳元で甘く低い声で囁かれて……。


「寝ないっ、この変態!」


「いてー!」


 と、どつかれてくれるのでした。


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