13☆契約は赤ベコの色?
「土日だけ、あたしの部屋で一緒に寝て」
「はいー?」
どれだけ恐ろしい条件を想像していたんだろう。獅子倉茉莉花は肩透かし、といった顔できょとんとした。
しかしこちらとしては真剣な依頼。この『きょとん』の間に余計な妄想を働かせない為にも早く説明しておかなければ。
「勘違いしないでよ。一緒って言っても同じベッドじゃないから。二度と入り込まないでよね、この変態」
「ど、どっちが変態だよ。部屋に来て一緒に寝ろ? でも同じベッドじゃない? ぼくをどこで寝かせるつもりなんだよ。どんなプレイだよ。どこまで鬼畜なんだよ」
訳も分からず呆れた顔をされてイライラ度が増してくる。人の話も聞かないで……。
「理由は言いたくなかったけど、プレイだの鬼畜だの言われるなら話すわよ。ちゃんと言うと、つまり鈴芽ちゃんのベッドであたしが寝るから、あんたはあたしのベッドで寝て欲しいって事。鈴芽ちゃん、土日は家の都合で帰省してるの。でもあたし、誰もいないと眠れなくて……。こないだの土日もほとんど寝てないし……。とにかく、あたしがこの静かすぎる寮生活に慣れるまででいいから」
「……ふーん」
「な、なによ。笑いたいなら笑えばいいじゃない。バカにしたいんでしょ! 高校生にもなって一人じゃ眠れないだなんて」
「いいや? 全く」
「じゃあなによ。条件、飲むの? 飲まないの?」
奴は拍子抜け、という表情でしばらく首を傾げていた。あたしが黙っていると、少し考えてから訝しげに口を開いた。
「ほんとにそれだけ? お泊りSMごっことかする訳じゃないんっしょ?」
「死ね」
「た、例えだよ例え! 週末隣のベッドで寝るだけ? ほんとにそれだけでいいんなら赤ベコのごとく首を振るけど」
「じゃあ振りなさいよ」
ほんとに笑顔でヘッドバンギングしてるし……。しかし赤ベコはもっと滑らかに頷くわよ、と心の中でツッコむ。
「もっと言うなら、あたしが寝付くまで起きてて。しゃべってようが歌ってようが何しようが構わないから。とにかく静かだと眠れないの。でもこんな事鈴芽ちゃんにはお願い出来ないし、このままだとあたし授業中の方が睡眠時間長くなりそう」
「ふーん。ぼくなら毎日添い寝してあげるのに」
「ぶっ殺す」
縦に振っていた首を、今度は引き攣り笑いしながらいやいやと横に振る。忙しい奴だこと。
交渉成立の安堵でため息をつくあたしと、お安い御用な条件に安堵した獅子倉茉莉花のため息が重なった。むしろチャラチャラの軽い奴には棚ぼたな持ちかけだっただろう。
でもこの交換条件は、逆に言えばお互いの恥ずかしい弱みを握られてるという事。どちらかが裏切れば最後、必然的に羞恥プレイに曝される。もっと言えば、克服した側はもう口止めをする理由がなくなる。
ところがこの駆け引きはイーブンじゃない。どちらかが克服をすればこの関係は終わるけど、あたしは克服しなくても『相手』さえ見つかればいいのだ。別に隣にいるのがあんたじゃなくてもいいって事。
つまりこれは、あんたにとって不利な駆け引きなのよ、獅子倉茉莉花さん。
「ただでさえ平日に鈴芽ちゃんがいても静かすぎて眠れないのに、毎週毎週土日独りぼっちだったらこの先どうしようかと思ってたのよねー。音楽流してみたり動画点けっぱなしにしてみたり試したんだけど、やっぱこう、人の気配じゃないとダメみたいで」
「へぇ、気ぃ強いし口も悪いけどかわいいとこあるんじゃん。ほんとはあの時も嬉しかったんじゃないのー?」
「そのふわふわな髪、燃やして欲しい?」
「じょ、冗談だってばぁ。しっかし、今まで親に添い寝してもらってた訳? よく寮に入る決心したなぁ」
ぴくりと目尻が上がる。聞かれたくない、言いたくない。あたしがここに来た訳は……。
とはいえ、全てを隠しておくのは逆に探究心を煽ってしまうというもの。お風呂でのこそこそと同じで、下手に隠そうとしなければ気にはならないものなのだから。
あたしは眠れない理由を掻い摘んで話した。家族五人で狭いアパートに住んでいた事、狭いだけに川の字で寝なければならなかった事、家族の鼾・寝言などに加え近所の騒音も丸聴こえだった事。さくさくと説明していくあたしに、獅子倉茉莉花はふむふむと頷きながら耳を傾けていた。
ただ、あたしは事実に加え、一つだけ嘘を交えた。騒音がないと眠れないならなぜ寮に入ったのか、そう聞かれると地元を離れたかった理由を言わなくてはならないから。だからあたしは「狭い部屋じゃなくて、一人でベッドに寝てみたかったんだ」と事実とは異なる事を、さもそれらしい理由で上書きした。
余計な事は知らなくていいのよ。あたしだって忘れたいんだから。
「あんたこそ、よく大浴場しかない桜花寮に住めたものね。自殺行為じゃない。バカなの?」
「ぼくだって最初の一日二日で慣れると思ってたんだぞ。見られる方はね。だけど、どうも見る方は慣れなくて……。ぼくんちは汐音んちと逆で、男兄弟ばっかなんだよ。兄さんが三人、一番下にぼく。……分かるだろ? 女の子の裸が昔から見慣れない訳」
「ふーん。男なら見るのも見られるのも慣れてるとかキモっ」
「キモい言うなよ。見るのに慣れてるのは否定しないけどさ、見られるのは『どーぞどーぞ』って訳じゃないんだからな。その……ぼくの身体つきが変わってきた頃くらいから家族の見る目もちょっと変わったように感じてさ……。思い過ごしかもしれなかったけど、成長していく自分も抵抗があって。それに、兄弟の中で自分だけ違うんだって意識したくなかったし。だからなんつーか、誰にも見られたくないんだよ」
チャラチャラへらへらしてる奴にも考えてた頃があったのね、と聞き入ってしまっていた。晒の謎もなんとなく察した。見られたくないのは裸だけじゃなくて、服の上からでも分かる膨らみもだったんだろう。
いつもの堂々としたナルシスティックな獅子倉茉莉花はどこへやら、ベッドの上で小さくしょぼくれている。あたしの方は隣に誰かがいてくれれば解決する問題だけど、こっちの案件は打開策が見つからない。それを痛感して余計に凹んでしまったんだろうか。
ふとその向こうの机に置かれた時計に目をやると、ここへ来てから一時間以上も経過していた。あまり遅くなっては鈴芽ちゃんに心配かけてしまう。なにせあたしはお風呂にいると思われてるんだから。
「まぁ見るのも見られるのも苦手だって理由は分かったけどさ、毎日毎日お風呂行く度にビビッてる訳にいかないでしょ。空いてる時間もあるけど後からわらわら入ってくる時だってあるんだから、時間を見計らってってのもどうこう出来ないし」
「だからこっそり朝シャンしてるんだよ。それも大浴場には行くけど浴室には入らないでシャワーブースで済ませてさ。脱衣所はまぁ……半裸だったり、全裸になってもすぐ浴室入ったり着替えたりするからなんとかなってたし。だけど汐音の言う通り、今日みたいに朝寝坊してシャワー入り損ねたからって夜に入るとなるとこの様だし、これから三年間ずっとシャワーだけって訳にもいかないもんな。分かっちゃいるけどどうしようも……はー」
「分かった。あんたがマリオでもなくちゃんとした女の子だって証拠も間の辺りにしたんだし、口止めついでに打開策を考えてあげてもいいわ。すぐに思いつく事でもないから二・三日考えさせて」
「そりゃありがたいんだけど……『ちゃんとした女の子』って聞き捨てならないな。ぼくが本物の男の子にでも見えてた訳? そういえば準備室に追いやられた時にも言ってたよね、『チャラい奴も男も大嫌い』って。もしかして、ぼくが男の子っぽくしてるから冷たかったって事? ぼくの裸見て女の子だって確信したからってどんだけ態度変わるんだよ。どんだけ男嫌いなんだよ。いくら女姉妹しかいないからって過剰すぎだろ。酷すぎる、ぼくかわいそうじゃね?」
「……」
「おいってば」
強く握りしめたポカリスケットの容器がペコッと音を立てた。それに反応した奴がペットボトルに目を移す。ほんとの事をツッコまれて胸が痛い。
でも、だって、しょうがないじゃない……。
「帰る」
「はいー? なんだよ、急に」
「鈴芽ちゃんが心配するから。じゃーね、獅子倉茉莉花さん」
「待てって」
ベッドから立ち上がって背を向けるあたしの右肩を奴が掴んだ。一番触れてほしくない肩の傷、触れて欲しくない心の傷……。
どうしてあんたは……。
「汐音……? なんで泣いてんの?」
「……よね……」
「え? 何?」
「あんた、ほんとに女の子よね……?」
振り返ると獅子倉茉莉花は困惑した表情だった。なぜ泣いているのか、なぜそんな質問をするのか、きっとこの数秒の間で必死に考えていたんだろう。
困らせるつもりはない。責めるつもりもない。ただ、ただあたしは不安なだけなの。怖いだけなの……。
しばらくの沈黙の後、彼女は一旦頷いてからにっこり笑って……。
「そうだよ」
と言ってあたしの頭を抱き寄せた。
そこはとても暖かくて柔らかくて、生乾きの髪を撫でる手も優しくて。あたしはその胸に埋もれながら、小さい頃お母さんにしてもらっていた愛おしい時間を重ねた。
「……苦しい……バカ」
「へへっ、ごめん。じゃあこっち向いて?」
「やだ。顔、見られたくない」
「ったく、しょうがないなぁ汐音は。ぼくが女の子だって信じてくれたんなら、やり直ししていいでしょ?」
そう言って彼女はあたしの頬に手を添えて、二度目のキスと引き換えに……。
「調子に乗んな、バーカ!」
「いってー!」
二度目のビンタももらってくれたのでした。