103☆おしくらまんじゅう
しっかし歩きにくいったらありゃしねー……。
星花祭の余韻が残る校舎内。正確にはまだ片付けと後夜祭が残っているので熱気が収まっていないのも当然だ。
そのキャッキャウフフの中等部校舎の階段を、黒宮部長命名『ジャスミン姫』が見世物になりながら上って行く。振り返らない者はいない。様々な視線を浴び続けている。
ついつい、いつものくせでサービスしそうになってしまう。しょうがないじゃないか。容姿こそ元女優顔負けの姫コス女生徒だが、中身は『泣く子もトロける学園の王子様』だぞ? ……今テキトーに作ったけど。
笑顔を振りまく程度なら許されるだろうが、ウィンクはちょっと気をつけよう。おませさんが多い星花中等部といえど、さすがに中学生には刺激が強いだろう。
ドレスの裾を摘まみ上げ、上品に上って行く。スケッチブックを脇に抱えていなければ文句なしに美しい立ち振る舞いだと思うのだが、これがなければ意思疎通ができないので致し方ない。
目指すは3年生の教室。学年カラーはオレンジだ。見落とさないようにきょろきょろしながら獲物を探した。
「誰かお探しですかぁ?」
3階に付いたところで、スラッとしたおさげの女の子が声をかけてきた。すでに帰るところらしく、肩にバッグを抱え、人差し指に自転車の鍵を引っかけている。
校章の色はオレンジ色だ。中等部3年生。ぼくは思わず声を出しそうになったが、いかんいかんとお口にチャックのままスケッチブックを開いた。
『内部進学する子? 合唱部入らない?』
ぼくが胸元でスケッチブックを掲げると、おさげの少女は首を傾げた。……なぜ喋らないのか、そりゃ不思議だよねぇ……。
「えっとぉ……高等部に進学はしますが、習い事が忙しいのと家がちょっと遠くて早く帰らなくちゃいけないので、部活は入らないと思うんです。ごめんなさい」
そう言ってぺこりと会釈をし、「では、失礼します」と階段を駆け下りて行った。
まー、そーだよなー……。お嬢様学校だけに、部活だけじゃなくて習い事に忙しい子もいるよなー……。
気を取り直して教室へ向かう。手前には『3ー1』とプレートが出ている。まずは1組。片っ端から口説いて……じゃなくて、勧誘していこう。
部長の言っていた通り、中学生だけに帰りが早いらしい。大方片付けが終わっているようで、教室内は机と椅子が元通りに並んでおり、隅にゴミ袋や機材が積み上げられているだけだ。生徒も数人しか残っていない。
声を発せないので一応コンコンとノックをし、ツカツカと教室にお邪魔する。異様な来客に驚いた様子の女の子たちにスケッチプックを向けた。もちろんにっこり笑顔も忘れずに。
「えっとぉ……」
女の子たちはアイコンタクトで相談し合っている。ぼくは2枚目にさらさらと書き足した。
『今仮入部希望出すといいことあるらしいよ』
もちろん思いつきのでっち上げである。
「いいこと、ですか……?」
おずおずと尋ねてきた。いかん、余計に困惑させてしまった。自爆したようだ。手応えもなさそうだし、時間短縮のためにもさっさと次に行こう。
にこにこ手を振って1組を後にする。女の子たちは最後まで不思議そうな顔のままだった。
うーん、中学生にはまだぼくの魅力が通じないのだろうか……。それとも、やっぱりこの格好が敬遠させてしまうのだろうか……。
続いて2組。……こちらはすでに真っ暗。帰宅したのか後夜祭の準備にでも入ったのか……。
惜しい気持ちを抱えつつ3組へ。こちらも机と椅子が奇麗に並べられていた。
だが1組と違うのは、残っていたメンバーだ。あの子たちは……。
「私も仮入部希望出したー!」
「嘘ー! あたしもー! 直接スカウトされちゃって即決ー!」
……すでに希望をもらっている子たちだった……。
心の中で御礼を告げて次、次。
最後に4組。ここのクラスはまだ片付けの真っ最中だ。人数もそれなりにいる。
ぼくは勧誘済みの子がいないか記憶をフル回転させながら、そっと中の様子を伺った。
「あのー」
不意に背後から声をかけられて飛び跳ねそうになった。
振り返ると、ぼくより少し背の高い女の子がキラキラしたお目々で覗き込んできた。
「合唱部の伴奏してた人ッスよね!」
「……!」
なぜそれを……! と口から飛びで出そうになったのを必死で堪えた。
ぶんぶんと首を振るぼくの顎にいきなり片手を添え、「いや、だって……」と左頬に視線を這わせてくる。
ば、ば、絆創膏ー……っ!
しまった! マスクしてくればよかったー! ぼくは時すでに遅しだが慌てて手で覆った。
客席からは主に右側が見えていたはずなので左頬の絆創膏はそこまで目立たないと思っていたのだが、ここでもぼくの余計な行動が仇となっていたようだ。演奏中にちらちら流し目していたせいで、計算していたよりも左頬をさらしていたらしい……!
そうとバレては逃げるしかない! 一気に蘇ってきた羞恥心が、ぼくの火事場の底力を誘発する。顎に添えられていた手を振りほどき廊下を駆け出した。
「あっ、待ってくださいよー」
恨めしいこの格好のせいで、階段の寸前であっという間に捕まった。ぼくはじたばたともがくも、「危ないッスよ!」と余計に引き留められる。
「なんで逃げるんスか? ボク合唱部のこと、友達に聞きに来てたんスよ。まさか本物に出会えるとは思ってなかったなぁ」
「……?」
え、もしや? と思い振り返る。目が合うと、その子は照れたようにはにかんだ。
濃紺のブレザーとお揃いのプリーツスカート、朱色のネクタイ。胸には見たことのない校章が刺繍されている。
うちの制服じゃない……。
「ボク、来年ここを受験しようと思ってて、見学兼ねて文化祭来てたんスよ。小学校の時の友達が中等部にいるんで声かけてもらえて」
「……」
「んで、たまたま合唱部の見て……えっと……おし……くら……?」
誰が押しくらまんじゅうだっ!
ぼくはムッとしてスケッチブックに『し・し・く・ら!』と殴り書きした。
「あ、そうそう。やっぱり獅子倉さんですよね? ボク、あなたに憧れて、来年ここ受かったら合唱部に入ることに決めました!」
言われてホッとした気持ちと、おいおい勘弁してくれよという気持ちで、トホホと笑顔のコラボレーションだ……。
ぼくに憧れて合唱部に入りたいと? そりゃ10人目ゲットで嬉しい歯嬉しい。
その反面、憧れの王子様の姫コスをさらしてしまったという失態に、膝から崩れ落ちそうだよマリッカ先輩は……。
『言わないでくんない?』
さらさらと走り書き。眼前に突きつけると、ネクタイちゃんはぱちぱちと瞬きをした。
「……はい? 何をッスか?」
えっとぉ……伝わらない? 仕方ないので書き足す。
『ぼくがこんな格好してたこと」
きょとんと首を傾げている。なんで? という顔だが、この状況でなんでと思うのか、なんでをなんでで打ち返したい。
間髪入れず、ぼくは次ページにキュキュキュとペンを走らす。
『もしくは忘れて! いいかい? これは決してぼくが着たくて着てるわけじゃない。普段のぼくを知らない君に誤解されたくないから言っておくが、本来ぼくはだな』
「あー、そうなんスね。了解ッス」
ぼくは書き途中で顔を上げた。けろりと返され、必死に弁明しようとしていたぼくは、暖簾に腕押しな気分だった。
「自分で言うのもなんですけど、ボクも結構モテるんで苦労は分かりますよ。大丈夫ッス、誰にも言わないから安心してください。先輩とボクだけのヒ・ミ・ツ、ね」
肩を抱かれ、そっと耳元で囁かれた。首筋をかすめた吐息がくすぐったい。
安心感のあるような、それでいて色気のあるようなアルトボイスに一瞬くらっとした。
ぼ、ぼくはいつも子猫ちゃんたちをこんな風に……。
「あれ? 先輩、顔赤くないスか? もしかしてボクに……」
ハッと我に返り、肩に回された腕を払う。『んなわけないだろ!』と殴り書きしてスケッチブックの角でべしべし叩いてやった。人間というのは、ほんとのことを言われると一番ムキになるものなのだと汐音から学んだ。
……って、こんな茶番を繰り広げている場合じゃない。希望を出してくれるのなら、一刻も早く黒宮部長のところへ行かなければ。
ぼくはキラキラスパンコールポシェットの中から、『仮入部希望名簿』と書かれた四つ折りの紙を引っ張り出した。
それをぴらぴらさせ、10番目の欄を指でつつく。頭頂部を摩っているネクタイちゃんは、「名前書けばいいんスか?」とそれを受け取った。
ネクタイちゃんが用紙を壁に押し当てて記名している間、ぼくはその整った横顔をまじまじと観察していた。首筋をかすめた生暖かいものを思い出して、またも顔が火照っていく。すかさずぶんぶんと首を振った。
調子狂うのはこの姫コスのせいだけではなさそうだ。同族嫌悪とまでは言わないが、どうやらぼくは『同族』に免疫がないらしい……。
「これでいいッスか? ついでに連絡先書いといたんで、よかったら今度デートしてくださいね?」
名簿返却と同時にウインクを飛ばされ、リアクションに困ったぼくはとりあえずこくんと頷いておいた。満足げに微笑んだネクタイちゃんは「絶対ッスよ?」ともう一度ウインクをよこして去って行った。
……ある意味頼もしい後輩ができそうだ……。
たたみ直す前に名簿を一瞥した。『歌越百歌』と記名されていた。
なるほど、合唱部にふさわしい名前だ。やっぱり頼もしい新入部員になりそうだよ、黒宮部長……。
雑にポシェットに押し込み、元来た道を急ぐ。
目指すは3年1組。ラスボスの待つ教室だ。
今回のゲスト 歌越百歌さん
砂鳥はとこさん作 『蒼い歌と百合の花』よりお借りしました! https://kakuyomu.jp/works/16816927862256181318