マリアージュ~混淆~
第153回フリーワンライ企画参加作品です。
お題
偽物の〇〇から真実の〇〇
一分間で
マリア―ジュ
きみはぼくの天使様
黄泉路
すべて使用
制限時間11分オーバーでした。
いつも冷淡であり続けたあの男が急にいなくなったあの日を覚えている。なかなか休日の合わない職業どうしだったのにその日は久しぶりに重なってくれたから、デートの待ち合わせは昼間っから本当にウキウキだった。
ずっと待ってた、まだ暑い季節、陰に隠れることも忘れて少しでも目立たせようと陽の光を欲張っていたくらい。これまで一線を越した関係で待たされることなんてなかった。男といえば誰しも私を僅かでも失うまいと必死だった。それくらいモテていた上に高圧的な女王であり続けた私は主導権の頂上に居つづけていた、男は一度着ければ飽きてしまう服飾にすら及ばなかった。
初めての『待たされる』、という状態にむしろ恍惚となり陶酔してしまったの。
好きだった、夢中……という言葉で云いつくせないくらい愛してた。私よりずっとずっと遠い彼方にいて欲しかった。だから、待たされたことが我が身を裂きたくなるくらい嬉しくてしかたなかったの。
あの男はとても面倒くさがりだった、だからあの男の自宅の側の何もない道路に呼びつけられてずっと立ちつくしていた。幸せだった。このまま来なくてもいい、それくらい無上の喜びを感じていた。
灼熱の日差しがずっと肉体を苛んでいた。何も苦しくはない。
突然の……雨。それは一分間で止んでいた。
だけど、やっぱり変だ、ずぶ濡れになってしまった私はふいにそう思って左腕の時計を見た。2時間……。自分のことなんてどうでもよかったけれど、もし、あの男に何かがあったらば……そういう思いだけで私の一歩は踏み出されていた。
たった5階建ての小さなオシャレなマンション。エレベータもなくてとても不便だろう、そう思いながら3階へとコンクリート階段をのぼった。
ベルを鳴らす…………
しかし。それから10分ほど待ちぼうけしていた。私はやっぱり自分都合ではなくて、あの男の異変が心配になってしまった。
堰を切ったようにドアを叩く、これまで見せたことのないくらい暴力的な振る舞いだった。確かに始めは遠慮気味だったのかもしれない、でも、自分でも訳が分からなくなるくらいの頃には隣近所の迷惑も鑑みず拳はドアを目一杯叩いていたし大声でガナりつづけていたんだと思う。でもあの男は何も応えてはくれなかった。
この時点でようやく私は部屋のドアノブを握り回した。扉を手前に引けば何の抵抗もなく開いてしまった。
背筋が凍った。あの男に何かあった、瞬時にそう悟った。
誰もいない部屋、ひと目で淫乱な真紅の衣装に着飾った見知らぬオンナの肖像、写真立て。
混乱した、どうしていいのかわからなかった。だから、それから何日だろう、私はずっとその部屋に居つづけて、寝食も忘れただ茫然とするだけだった。
一滴の水も飲まなかった、意識が朦朧としはじめたとき、ようやくいけない、と感じた。
とりあえず冷蔵庫を勝手に物色して無差別に臓腑に収めていった。命はどうにか繋ぎ止められた。
それからの時間、もう帰っては来ないと確信していた彼の行方の手がかりを得るために、まるで空き巣に入ったみたいに押し入れの奥、部屋の至るところをすべて掘り探していった。
『婚姻』と書かれた名刺が、最後の最後、リビングの豪勢なカーペットの下敷きになって顕れた。
★
これは機械仕掛けなのか……それとも狂った品種改良のすえ生み出された本当の植物だろうか…………
整然と美しいここは箱庭で、明媚な光に満ちた世界。中央に堂々と植えられた巨大な樹木の実。あり得ないことのようだけれど本当にその果実こそ私だった。
私は樹木の太い枝の先に癒着していて、本当の果実みたいに下がっていた。
裸だった、元の色白の肌ではなくなっていて、葡萄みたいに暗紫色に染まっていて、自分でも心の底から悍ましかった。だけではなくて、ぶよぶよと膨れ上がった肌が、皮肉なくらいにパンパンに張った果実のような栄養と甘さを示していた。
「餌の時間よ」
あのオンナ…………
初のお目見えだった肖像のまま、相変わらず真紅のボンデージファッションに包まれた淫靡な肢体、オンナは私の巣である樹木の植わった地面の土へとワインボトルくらい太い瓶に入った液体肥料をズブッと刺した。
「はははは……あの男はアタシに夢中だったわ。『きみは天使様です』。涙ながらに発せられるそれがあの男の口癖だった。オマエという女と付き合いながら……なんてみっともない……はははははっ…………」
もう数日で……完成するの……
私はあのオンナの奴隷であることに抵抗することがなくなってしまった。そうして洗脳は遂げられていった。私は私という果実が完成するのを心待ちにするようになったの。
でも植物の胎児。果実となり下がった今でも時々人間の女だったあの頃の記憶が蘇ってくるの。
あの日、裏切りを知ってしまった私にもたらされた感情は、とても幸福な感情だった。
偽物の情から真実の情……私はこう思ったの。つまり偽物の愛情は失われてしまった、だけど真実の恋情がそこから始まった。私はもう迷うことなく…………
あの日の部屋で、再び一分間の雨が降っていた。雨はとってもどす黒く重たそうな異常な雨だった、あたかも私の心の異常を指し示すかのように……
「あの男はね……何を思いながら黄泉路を渡ったのかしら」
オンナはこの上なく優越感に浸っていた。
「あの男は恍惚とした表情を浮かべて死んでいったわ。アタシの顔をじいっと見つめつづけてね……さてと、オマエにこの半年間ずっと与え続けた栄養は、ほとんどが糖分さ、それをパンパンになったオマエの肉体は溜め込んでいるのさ。このステーキはあの男の肉で作ったものだ。そして、オマエという下等な存在を絞ってワインを造るんだ」
私はその言葉に酔いしれてしまった。肉だけでない……肉だけなら確かに澄み切った味の白ワインのような飲み味になるはずよ……でも……あの男の肉汁を湛えたそのステーキに合うのは……私の骨も臓器も脳髄や胆汁や糞尿まで全てを絞りきって、ない交ぜにされた、渋くて苦味に満ちた赤ワインでないと完成されないのよ……そう、肉とワイン……あの男と奴隷の混淆は。