山奥のカフェ
雨の降る音で目覚めた朝だった。
せっかくの休日。
たまには遠出してみようと思い立った俺は
とくに目的地も決めず車を走らせた。
時間は10時過ぎ、道路は比較的空いている。
ふとバイパスに乗り知らないところで降りてみようと思い、
見たことも、どう読むかもわからない地名の標識を見てハンドルを左に切った。
バイパスを降り、道の駅を抜けると後はひたすらに山道だ。
雨に濡れてつややかな木の葉、草花。
雨水がフロントガラスを叩く音も
対向車とすれ違う時の雨水を引くタイヤの音も
今日は心地が良い。
やがて分岐と標識が現れる。
まっすぐ行くと聞いたことのある温泉街に着く。
左に曲がった先には何も書いていない。
俺はなんとなく左にハンドルを切った。
おそらく行き先は、行き止まりだ。
この先には何もないだろう。
それはそれで良い。
しばらく進むと左手に「café(カフェ)」と書かれた看板を目にする。
民家も一件もない、あるのは廃業したラブホテルくらいのこの場所に、
明らかに場違いなそれは俺の興味をそそった。
雨でぬかるんだ駐車場に車をとめる。
駐車場には大型トラックのコンテナが置いてあり、
側面には魔女と黒いネコが描かれている。
歩いていると視線を感じた。
誰かに見られているようだ。
ガラリと鳴るドアを開けて中に入る。
中はほんのり明るい。
入ってすぐカウンター席が並び
店内の中央には暖炉が、奥の方にテーブル席が幾つか並んでいる。
ただ人影が見当たらない。
俺は一番入り口に近いカウンター席に座る。
ふと食器棚の上に黒く三角にとがった帽子が置いてあることに気付く。
まるで魔女の帽子のようだ。
しばらく座っていたが誰も出てくる気配がない。
聞こえるのは暖炉で炭の弾ける乾いた音だけだ。
「すみません」
と声を出す。
カウンターの奥から
「はーい」と女の人の声がした。
出てきたのは金色の髪に青い瞳の女性だった。
ただ板前の服を着ている。
「ラッシャイ!」
女性はすごい勢いで俺の前に来る。
「……ん?」
「寿司カ!天丼カ!」
声がでかい。
「あの、ここカフェですよね」
「寿司カ!天丼カ!」
何だそのキノコかタケノコかみたいな迫り方は。
俺はちらりとメニューに目をやる。
一番上に「ブレンドコーヒー」と書かれているのを見て安心した。
「ブレンドひとつ」
「ヘイ!大トロ一丁!」
「聞いて」
彼女はフライパンに油を敷く。
そして中に食材を放り投げると豪快に火を上げながら炒め始めた。
大トロは?
しばらく調理を続けていた彼女は
火を落とし、皿に食材を盛り付け始めた。
そして皿を掴んで乱暴に俺の前に置く。
「ヘイ!キノコノバター炒メ一丁!」
大トロは?
「ちなみにこれ何のキノコなの?」
「スィータケ!」
椎茸ね。
俺が恐る恐るフォークでキノコをいじっているとカウンター越しに話しかけて来る。
「オ客サンハ!何のキノコデスカ?」
え?ここそういうお店なの?
「いや別に何のキノコでもないよ」
俺は椎茸に口をつける。
バターの味がよく乗っていて美味しい。
「ワタシハ!松茸ガ好キデス!」
ああ。何のキノコですか、っていうのは何のキノコが好きなのかって俺に聞きたかったのか。
「俺は椎茸が好きだよ」
「ヘイ!天丼一丁!」
「ちょっと待て」
もはや何が彼女のスイッチなのか分からない。
今すぐ彼女の電源を切りたい。
「ヘイ天ぷら一丁オ待チ!」
出てきたのはカズノコだった。
何も合ってねえ。
さっき天丼って……。いや、よそう。
俺は出てきたカズノコをナイフで切り分けフォークで口に運んだ。
なかなかよく漬かっていて美味しい。
「ワタシハ!マグルォジャアリマセン!」
「だよね。松茸だもんね」
俺は極力彼女のスイッチを押さないような答えを探っていた。
「スィータケさんは松茸デスカ!?」
いつから俺の名前はスィータケになったんだ。
「俺のはスィータケだよ。食後のコーヒーもらえる?」
「ヘイ!ブレンドコーヒー一丁!」
あるのかよ。
***
「さて、俺はそろそろ行くよ」
コーヒーを飲みながら、まるで地滑りのごとくズレまくる異文化コミュニケーションを堪能したあと俺は席を立った。
「マタ来てスィータケ!」
サヨナラ三角って言った方が良いのかな。
「また来るよ」
俺は自然に笑顔になっていた。
「で、会計いくら?」
「1500マンエン!」
「たけーよ」
おわり