救うということ Ⅵ
クローベルのように海辺だったり、山を背にしたような場所を除くと、人間が多く住む場所は、魔物から身を守るために壁を築く都合上、大体が円形をしている。
それはいざ領土を広げようとした時、増築だったり改築だったりがやりやすいようにと言う工夫からだが、高い丘の上から見下ろすレレントはほぼ真円に近かった。
規模はざっと見ただけでもエスマの二倍はあり、分厚く造られた壁はそのまま砦の役割を果たしている。飛竜が多い土地柄だからか、各所に据え置きの大型弓、バリスタが設置してあるのも見て取れた。
「わー! でっかーい! すごーい!」
子供のように真っ先にはしゃいでいるのがリーンで、圧倒されて言葉もないのがクレセン、地元だから見慣れているであろうギルクは得意げな顔をしており、ファイアは相変わらず微笑んでいた。
「ここまでくれば、レレントまであと二時間もかからないよ」
「長かったような短かったような……」
あの後、遠くを飛行するワイバーンを何度か見ることは合ったものの、直接魔物とやり合うことはなく、道程は極めて平和だった。
……いや、途中、全く関係ない所で若干えらい目にあったが、それはそれとして。
「さて、一応確認しておくが」
到着目前になって、俺は全員を見回して言った。
「レレントについたら、このパーティは解散だ。俺とリーンは自分たちの旅に戻る」
改めて口にして、少しだが〝寂しくなるな〟と感じた自分がいる事に、我ながら驚いた。顔には出なかったと思うが……。
「あれ、別にすぐ出発するわけじゃないでしょう? レレントにいる間は父様の所に滞在すればいいじゃない。別荘もあるし、きっと歓迎してくれるよ、ご馳走も沢山でるよ」
「えっ、ホントですか? ハクラ! 是非お言葉に甘えましょう!」
「別れを切り出した瞬間にそういう事をいうな! いや、別に二度と会わないってわけじゃねえし、その提案はありがたいんだが……」
眉間を抑えながら、俺はギルクに言った。
「…………なんかズルズル、元の流れに戻れないまま、面倒くさい仕事を押し付けられて行く気がする」
「…………あー…………」
ギルクを助けてからこっち、たまたま周りの人間と、俺達の都合が一致していたが、流石にそろそろ、いい加減ケジメを付ける頃合いだ。
貴族とべったりの冒険者も、修道女と親しい冒険者も、続けていればどこかで齟齬が出る。
「確かに、父様、その辺はしたたかだからね、ぜーったいなにか面倒事を押し付けそう。…………報酬はいいだろうけど」
「貴族の紹介で金回りのいい仕事を受けるのも悪くないが、そういう旅じゃないらしいんでな。……だろ? リーン」
「ええまぁ、北方大陸に来てから、まだ生態調査も出来てませんし……気になることは色々ありますから、自由に動きたくはあります。……ご馳走は、惜しいですが!」
本音が吹きこぼれまくっていた。それでこそリーンだ。
続けて、クレセンを見る。視線に反応して、ねじって焼いたパンみたいな二つのおさげが、ぴくんと動いた。
「私は、別にあなたに心配してもらうようなことはありませんっ!」
「別に心配はしてねえよ。…………いや、悪い、嘘ついた。お前なにかやらかしそう」
「あ、あなたほどじゃありません! 私は…………」
推薦状が入った自分の荷物を、ギュッと抱いて。
「……少し、考えます。でも、あなた達について行っても、迷惑ですから。ミアスピカにもいけませんし……」
「クレセン君は、それこそしばらく家に来れば良いのさ。姉様からの推薦だし、父様も歓迎してくれるよ」
「…………も、申し訳ありません。お世話になります」
流石に、ギルクの親切までは突っぱねないクレセンだった。
で。
目下最大の問題であるファイアに目をやると、柔らかく微笑んだまま、こてんと首を傾げた。
「うふふ、そんなにじいっと見つめられると、照れてしまいますね」
「いや、これからお前はどうするんだって話をしたいんだが……」
ファイアを送り届けるのはレレントまでだ。しかし大陸全土を巻き込みかねない爆弾をただ放逐するというのも気が引ける。というか下手すると俺達の旅の行く末が危うくなる。
「それこそ、父様に頼んでみようか」
「ああ、確かにそれなら――――」
ギルクの父、ヴァーラッド辺境伯なら、ミアスピカにいる大司教――つまりファイアの父親にも顔が利くだろう。
安全にファイアを届ける手配も可能だろうし……問題があるとすれば、その護衛役に俺達が選ばれるなんて展開になりかねないことだが。
「それでしたら、問題ありません。わたくしも、レレントまでで大丈夫です」
だが、そんな心配を他所に、ファイアはきっぱりとそう言い切った。
「レレントに到着すれば、わたくしを守ってくれる方がおりますから」
「レレントの教会は頼れるのか?」
俺が聞くと、ファイアは首を横に振った。
「少なくとも、ミアスピカに着くまでは、教会を頼らないほうが良い、と言われました。わたくしが生きていることが知れれば、また追手が来る可能性があると」
誰に? と言いそうになったが、それを今聞いても仕方ない、それよりもだ。
「……その、こんな事を言うのは失礼だとわかっているけれど、アドム君達を助けたのは……ファイア司教、あなたにとってはまずかったんじゃないかい?」
ギルクが、俺が思った疑問を代わりに口にした。アドム達はパズのギルドにありのままを報告するだろうから、その際、ファイアの話題が出るのは避けられない。
命を狙われているゆえに、行方不明という体裁でここまで来たファイアにとって、それは下手をすると致命傷になりかねない。
タイムラグがあるので、流石に俺達――ニコの速度を超えてレレントに先回りは出来ないだろうが……。
「いいえ、目の前で失われかけた命の火を、救わぬ事などわたくしには出来ません」
だが、ファイアはきっぱりと、力強く言った。その言葉を発する際、普段の柔らかな印象はどこにもなかった。
「それが、わたくしの役割です。我が身可愛さに、誰かに手を差し伸べられぬことなど、あってはならないのです。いついかなる時であっても、わたくしは同じことをするでしょう」
何故ファイアが聖女と、女神の再来などと呼ばれているか、俺はこの時、分かった気がした。献身は、いつだって自己犠牲と表裏一体だ。ファイアはそれを躊躇わない。
「はぁーーー!」
「うお!? 何だどうした急に」
俺が感心というか、ある種圧倒されて言葉を失っていた時、いきなりリーンが体を起こし、叫んだ。
「無性に腹が立ってきました!」
「ど、どうした、お前の中の邪気が光に当てられて耐えきれなくなったのか!?」
「誰の何が邪気ですか! いいですかファイアさん!」
びしっと指さされたファイアは、あっけにとられた顔をしながら、こくこくと頷いた。
「? は、はい」
「あなたは根本から間違えています! 自分の力というのは、誰かの為ではありません、自分の為にあるのです!」
世界で唯一、原初の魔女の契約を引き継いだ魔物使いの娘が放つ、最大限の暴論だった。
そして多分、こいつは本気でそう思っている。
「……自分の?」
ファイアの反応は、疑問、というよりも――全く理解できない概念を、眼前に提示されたような感じだった。
不思議そうでもなく、怒るでもなく、何故そうなるのが、思考の辻褄が合っていない様な顔だ。
「そうですよ! まず自分があって、それから他人があるんです! どこかのお人好しはなぜだか他人を優先する傾向にありますが!」
「それは俺のことか」
流石にこの聖女様と並べられるのは心外なんだが。
「別にあの場で見殺しにしろとは言いませんが! 普通は躊躇うんです! けどあなたは躊躇いませんでしたし、この道中、一度も話題にしませんでした! 私はそれを怒っています!」
「な、なんであなたが怒るんですか!」
思わず口を挟んだのはクレセンだ。確かにリーンにファイアが怒られる筋合いはないし、そもそも司教様に生意気な口を聞く冒険者は放っておけないだろう。
ファイアも同じ様な感情を抱いたんだろう、フード越しでもわかる、強い視線をリーンへ向けた。
「クレセン様の言う通り、リーン様の意見には、わたくしは賛同できません」
それは強い拒絶の意思だ。手を組み、頭を垂れれば、それだけで祈りの所作が出来上がる。
「わたくしは、誰かを助けるために、生まれてきたのですから」
「ふぅーーーーーーーーーーーーーん」
それを聞いたリーンは、更に不機嫌の色を強める。俺となんやかんや口論をしたり、暴力を奮ったりする時のそれではなく、心の底から敵意の感情がにじみ出るような、そんな表情だった。
「お、おい、リーン、どうした」
流石にリーンらしくない。落ち着けと肩に手をのばすと、しゃあ! と威嚇された。何だ、どうしたお前。
リーンはそのまま、ぐいぐいファイアの下ににじり寄ると、反応する間も与えない速度で手を伸ばし、あろうことか身体特徴を不可視にする魔法のフードを剥ぎ取った。
そのまま、ファイアの前髪の手をかけると、深い蒼色の瞳が顕になり――――。
翠玉色と蒼玉色の瞳が、お互いを見つめ合った。
どれぐらいそうしていただろう、数分だったかも知れないし、数秒だったかも知れない。数十分ってこたないだろうが、体感的にはそれ以上だった気がする。
やがて、膠着はリーンによって破られた。
突如、にへっと笑って、こわばっていた表情を崩し、手を離した。
「失礼しました、私が間違ってました」
リーンが自主的に頭を下げるなんていう事態が、もう何か天変地異の前触れなんじゃないかと思い、俺は反射的に身構えた。
結論から言うと、この予感は当たった。
「……い、いえ、わかってくだされば、わたくしは、それで――――」
そのファイアの言葉を受け入れれば、問答は終わるはずだった。
終わらせないのが、リーンという女なのだ。
「はい、今のではっきりわかりました、あなたは誰かのためになんて微塵も思ってません」
「――――――え?」
空気が凍る、という表現は、この瞬間のためにあったのだと確信したし、今すぐ逃げ出したいという衝動になんとか逆らえたのは、俺のマントを無意識に掴んで怯えているクレセンに気づいたからだった。
穏やかで、柔らかな笑みで、献身的な聖女、というのがファイアのイメージだが、今そこにある顔は、完全に表情の抜け落ちた能面だ。
俺の知る限り、怒りが沸点を越えすぎて、感情を出力する方法を一時的に忘れると、人間はああいう顔になる。
「あなたが人を助けるのは、あなた自身のためです。それをファイアさんがわかってないことも、わかりました。だからもういいです。時間の無駄でした、失礼しました」
「お前喧嘩の売り方が上手くなったなぁ!」
「やだ、褒めないでくださいよハクラ」
「過剰に責めてんだよどうすんだこの空気!」
リーンの言いたいことは確かにわかるが、旅の終着間際で、何故こんなテンションにならんとあかんのだ。
というか、これ以上サフィア教を敵に回してどうするんだ。相手は元司教で将来の大司教だ、下手すると大陸全土の教会に捕縛命令が下されかねないということをわかってるんだろうか。
俺の表情から言いたいことを察したのか、リーンは『だーいじょうぶですよー』、と手を振った。
「ファイアさんは誰かのために生まれてきたお優しい方だそうですから、私のこともきっと許してくれますよ、ねえ?」
「リーン・シュトナベル!」
流石にその暴言は看過できなかったのか、クレセンが体を起こして怒鳴った。ギルクは狼狽え、どう仲裁に入るか考えているのか、腰を浮かせては落とし、むむむと何かを考え込む。
「――――どうして」
その混乱に割り込んだファイアの声色は、底冷えするほど冷たい。海の底のようだった。
「そう思うのですか? リーン様」
問いに、リーンは素直に答えた。
「あなた、アドムさんたちを助ける時、躊躇わなかったんですよね? 自分の身に危険が及ぶかもって分かっていても」
「はい、それが何か――――」
「一緒にいる私達が巻き込まれるとは微塵も考えてなかったんですか?」
あ、と声を上げたのは、クレセンで。
俺は頭をガシガシと掻いて、舌打ちをした。
「あえて黙ってたのに何で言うんだお前は……」
「私はハクラと違ってお人好しじゃありませんので」
ぷい、と俺からも顔を背けて、リーンは続けた。
「え、あ……あ、わ、わたくし、わたくしは……あの…………あ――――」
恐らく、本当にそこまで思い至ってなかったのだろう。
目の前の命を救うのに、精一杯だったんだろう。
そして、ファイアの起こす奇跡を目の前に、それを正面から咎めるものも、居なかったに違いない。
「別にファイアさんがアドムさん達を助けたのを間違ってるとは言いません、けど、それはファイアさんが納得するための行為です」
荷台の片隅に積まれた毛布に腰を落として、リーンは唇を尖らせて言った。
「――ちゃんと区別をつけないと、いずれ自分に返ってきますよ」
それ以降、レレントに到着するまで、喋る者は誰一人としていなかった。




