助けるということ Ⅰ
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どんな物語も、話を壮大にしようとすると、だいたい竜という奴が出てくる。
それは〝リングリーンの魔女〟もしかり、〝女神サフィアの伝説〟然り。
蒼い竜を従えた原初の魔女に、赤き竜を友にした女神。どちらの話にも、共通しているのは〝人が竜を下した〟という偉業だ。
リーンから聞いた話では、蒼竜アイフィスそのものがリングリーンの魔女を生み出したらしいし、そもそも旅の目的は黒竜クロムロームを封印する事なのだから、今更実在を疑うわけではないが。
「実際に言われると、ピンとこないもんだな」
「正直に言うと、私もです。だからこそ、レレントの〝竜骸〟を見て、竜の実在を確信して、サフィアの教えに目覚める信徒も多いのだとか」
パズに到着して早々、ギルクは姉であるパズの領主夫妻の下へ挨拶に、リーンはスライムと共にギルドへと向かった。本当は俺もリーンに着いていって《冒険依頼》を吟味したかったのだが、馬車に積んでいた荷物で、厄介なものがあった。
クレセンがパズの教会からちょろまかして来た、一抱えほどある円盤状の大きなチーズである。六分の一程が馬車の足代として俺達に支払われたが、残りは所有権はクレセン――というか【聖女機構】にあるので、これは向こうに返却せねばならない。ラディントンでクレセンと別れる際、回収されそこねていたものだ。
実際に持っていると、中身が詰まっているためなかなかの重量だった。俺にとっては問題ない程度だが、子供のクレセンにはそこそこの荷物になる……というかよく持ってこれたなこれ。
正直気まずいのでルーヴィの顔は見たくなかったのだが、まぁ送り届ける所まではいいだろう、ということで、教会まではクレセンと一緒に行くことになったわけだ。
宿はギルクが厩付きの場所を手配してくれたので、ニコは一足先に仕事を終えて惰眠を貪っている。
「竜骸?」
ギルクの話じゃ、ここから教会までは歩けば十分程度という事だったが、歩幅の違いもあって、クレセンの歩行速度に合わせるとかなりゆっくりのペースになってしまう。
「ええ、レレントには女神の友である〝赤竜〟ヴァミーリの遺体が祀られている神殿があるんです。厳密に言うと、先に神殿があって、その周囲にレレントの街を作り上げた、というのが正しいんですけど……かつてはその所有権を巡り、オルタリナ王国とサフィアス諸国連合の間で戦争になりかけたこともあったと聞きます」
「戦争?」
「北方大陸は女神サフィアの伝説が多く残る土地ですから、大陸全土でサフィア教が信仰されています。なのでサフィアス諸国連合も、オルタリナ王国も、どちらがより力を持っているか、どちらがより〝本物〟であるかを、様々な根拠や証拠を並べて比べあっています。その中でも〝竜骸〟は――――」
「なるほど、トップクラスに重要なわけだ。〝竜骸〟を有している方がよりサフィアを信仰してると」
「そもそも、サフィアス諸国連合自体が、遠い昔にオルタリナ王国から離反した貴族達がそれぞれ立ち上げた国家同士の同盟ですから、元々仲が悪いというのもあるんですけど」
「へぇ、それで〝連合〟なのか」
細かい国々が集まって出来ている、ということくらいは知っていたが、どうやって出来たかについては全く知らなかった。
「国家の成り立ちぐらいは知っていても罰は当たらないと思いますけどっ?」
「知る機会も学ぶ機会もなかったもんでね」
「神学校とはいいませんが、せめて普通の学校には行ってなかったんですか?」
ほとんどの場合、学校と言えば、肉体労働に従事できなくなった老人やらが主導して、村や街の子供達に、読み書きやら簡単な計算など、生活に必要な知識を教えるような集会を指す。が、生憎俺は縁がなかった。
俺にその辺りの教育をしたのはラモンドだったが、昔の俺は知識より剣術が知りたかったし、今も大体似たようなものだ。
「ガキの頃は色々あったんだよ、冒険者なんか大体そんなもんだろ」
「…………まぁ、それは、そうでしょうけど」
言葉が小さくなっていったのは、まさしく〝色々あった〟結果、こうして俺と肩を並べて歩く事になっている自分が居るからか。
なんとなく重くなった空気を変えるため、俺は軽い気持ちで言った。
「ルーヴィに頼んでみたらどうだ? せっかく近くまで来たんだから聖地巡礼させてくれって」
反応は劇的だった。クレセンは俺に対しては火のついた導火線みたいなものなので、小さな爆発は怒りという形で表現される。
「簡単に言わないでください! そんなワガママ言えるわけないでしょう!」
「行ける距離にあるのに通り過ぎるのは合理的じゃないだろ」
「私達は旅行しているわけじゃないんです! それに――――」
「それに?」
勢いのまま声を荒げたクレセンだったが、そこまで言うと途端にしゅんと肩を落とし、静かなトーンで告げた。
「…………ミアスピカ大聖堂の〝内側〟に入れるのは、洗礼を受けた信者だけです。それ以外の人は、外周までしか立ち入れません」
「あー……」
クレセンは修道服に身を包み、サフィア教に属する【聖女機構】の一員であるが、『サフィア教が認めた由緒正しき信者であるかどうか』でいうと、否だ。
教会が『あなたは正しい女神の信者です』と認めた者には洗礼が与えられる。逆に言えば、それが行われない者を、教会は〝仲間〟としては扱ってくれない。施しを与える対象、哀れなる子羊、行く道を知らない迷人として接してくる。
例えば、冒険者の中には諸事情でサフィア教を信仰している者も多く居るが、基本的に教会と対立の姿勢を取るギルドに所属している以上、絶対に洗礼が与えられることはない。
なので普通、洗礼を受けたい信者は教会に足繁く通い、その教会の司祭なり神父なり、洗礼を与える権限を持っている者に、女神への信仰心を示し認められねばならないのだ。
それは長い聖句を覚えることだったり、奉仕活動への参加だったり、布教をすることであったり、寄付金という形であったりする。
「けど、レレントまでは行けるだろ?」
「それはそうですが……もしも――――」
そこでクレセンは、言葉を区切った。
「もしも?」
「……何でもありません、ほら、もうすぐ教会です。行きましょう」
誤魔化すように早歩きになる、もっとも、それで俺が普通に歩くのと同じ速度なのだが。
クレセンが言う通り、それから教会が見えるのはすぐだった。エスマのそれよりも一回り大きい、三階建ての立派なモノだ。
周囲に他の建物がないのは、教会をより特別な場所だという事を強調するためだろう。北に近づけば近づくほど、この手の建物は豪華になっていく。
このサイズの教会なら、立派な鐘があるもので、都合よく、丁度真昼を知らせる鐘が大きく鳴り響いた所だった。
「ん?」
しかし、聞こえてくる音はカラン、カカラン、ガラン、と、甲高さと不規則さが混ざっていて、耳障りが悪い。クレセンも同じ感想を抱いたようで、音の発生源である教会の最上階、鐘楼のある部分に視線を向けた。
「……ラーディア?」
「あ?」
教会の一番高い場所、つまり鐘の音の発生源をじっと見つめて、一拍後、突如、クレセンが走り出した。
「あぁ!? 本当にどいつもこいつもいきなりだな!」
その速度たるや、今まで気を使って歩いていたのが馬鹿らしくなるほどだった。何があったかはわからんが、こいつの爆発力はつくづく侮れない。
先に駆けたクレセンと、慌てて追いかけた俺が、教会の扉にたどり着くのはほぼ同時。
「お待ち下さい、なにか御用でしょうか?」
教会の門扉が開け放たれる時間帯というのは決まっている。詳細な時間は興味がないから知らないが、まぁ朝の礼拝とか昼の施しとかを行う時だ。
それ以外で教会を訪れる際は、エスマでそうだったように、扉の前の騎士にこれこれこういう事情で神父様にお会いしたいのですだとか、こう困っているので助けてもらえないでしょうかなど用件を伝えなければならない。
なので当然、無理に入ろうとすると止められるわけだ。背の高い、軽鎧に身を包んだ門番が、俺とクレセンを見下ろしながらそう言った。
以前はリーンの物理的な説得によって無事に相互理解出来たが、今回はさてどうしたものかなと思っていると。
「【聖女機構】のクレセン・リリエットです! 失礼します!」
そう告げるや否や、有無を言わさず、小さな体でするっと男の脇をすり抜けて、扉を開けて中に入ってしまった。器用なやつだな。
「うわ、ちょっと君……」
「あー、すいません、連れ戻してくるんで俺も中入っていいっすか?」
俺が尋ねると、男は俺の顔を、そして右手を見て眉をしかめた。
「……アンタ、冒険者だよな?」
「あぁ。別に長居する気はないんだけどな」
「まさか、【聖女機構】に雇われたのか?」
当たらずとも遠からずで、俺を雇ったのはクレセン個人だが、まぁ似たようなもんだ。
しかし教会の関係者に、教会の人間が冒険者を頼った、などとわざわざ告げるのは流石に問題がある。
「そういうわけじゃないが、あいつのご主人さまに用があるんだよ」
そう言うと。
「…………ハッ」
門番は、俺を鼻で笑い飛ばした。




