生きるということ Ⅶ
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「わたし、テトナ・ヘドナ・ライデア、っていいます。十一歳です」
長の血族の女性の号が名前に含まれている通り、ライデアの村長の家族か。おそらくは孫娘だろう。
お嬢が破壊したコボルドの巣ではあるが、外壁部分の崩落だけで中に入ることはできるので、とりあえず全員でお邪魔させてもらった。流石にこの人数だと手狭ではあるが。
肝心のコボルド――ルドルフと呼ばれたそいつは、今はテトナの膝で丸まっていた。
「私はリーン、こっちはハクラで、この子はアオです。よろしくね、テトナちゃん」
お嬢が優しく微笑みかけると、テトナは少し緊張した様子で、しかし、警戒心を緩めて頷いた。顔が良いので、こういう時は優しいお姉さんのフリが上手である。
「アオ?」
『紹介に預かった。スライムのアオである。お見知りおきを、お嬢さん』
余計なことを考えたことを感づかれた気配がしたので、我輩は即座に自己紹介に移った。
「しゃ、喋った……! スライムが、喋ったよ、ルドルフ!」
『うむ、我輩、普通のスライムとは少々違う故にな。危害を加える事はない。安心してほしい』
「わぁー……すごいねえ」
「キュウ……」
ルドルフの頭を興奮して抱きかかえるテトナを、小僧は仏頂面で(なにせズボンが偉いことになった)眺めていた。
「で、お前は何でこんな所に来たんだ? 人喰いコボルドが出るってのは知ってんだろ」
そんな面構えのまま聞くものだから、我輩が開いた心がみるみる閉ざされ、再び強い警戒心を顕にした。小僧に喋らせてはならぬかも知れない。
「大丈夫ですよ、ハクラは怖い顔してますけど、意外と優しいところが……」
はて、とお嬢は首を傾げた。
「ハクラ、私に優しくしてくれたことあります?」
「ねえよ」
即答であった。
「テトナちゃん、あっちで話しましょうか、女の子だけで。あのこわーいお兄ちゃんは放っておいて」
「おいこら」
「うん」
「うんじゃねえよ」
『小僧、もう少し表情筋を緩めろ。気持ちはわからんでもないが、子供相手に取る態度でもあるまい』
そう言ってやると、余計仏頂面になる。言われている事が正しいのはわかっているが、納得がいっていないときの若者の顔である。
「その……お兄さん達は、コボルドを、退治しにきたん……でしょう?」
「基本的にはそのつもりです。あ、でも、そっちのルドルフ君に関しては大丈夫ですよ、ご心配なく」
「ほんと……?」
「ほんともほんとです。私嘘だけはついたことがないんですよ」
「嘘つけコラお前良くも俺の前で堂々と言えたなオイ」
『小僧、顔、顔』
テトナは怯えた様子を隠さず、コボルド――――ルドルフを連れてお嬢の影に隠れてしまった。完全に小僧が悪役である。
「もー、ハクラ、小さい子の前ぐらい、笑顔しませんと。大人げない」
「この世界で最も大人げない人間に言われたくねえんだよ俺は」
小僧の視線の先には、怯え縮こまったルドルフがいる。最も、震えながらもテトナの前に出ている当たりは、雄の挟持と言ったところか。
「今のライデアの状況でコボルドを匿ってるってのが、どんだけやばいことかはお前だってわかるだろ」
「で、でも……ルドルフは、悪くないもんっ!」
「悪いか、悪くないかじゃなくて、危険か、危険じゃねえかなんだよ。村人を喰い殺したコボルドの同種を、よりによって村長の孫が隠してるなんざ、爺さんの立場がねえだろ」
それは子供に対して告げるにはあまりに正論である。小僧は間違っていない。
極めて合理的な、冒険者の考え方だ。
「ただでさえ村長の采配ミスで犠牲が出てる時にそんなもん知られてみろ、家に火ぃつけられてもおかしくねえぞ」
「ハクラ、ハクラ」
「そういうのをひっくるめて何とかするために、コボルド相手に冒険者を雇ったんだろうが、それをお前がぶち壊して――――」
「ハクラっ!」
お嬢が大きな声を上げた。暴力に訴えないお嬢は久方ぶりだ。
睨んでいると言っていい目つきで、小僧はお嬢を見て、黙った。
自分の後ろに隠れ――――声を押し殺すテトナを抱きしめながら、たしなめるような声で、お嬢は言った。
「……泣いちゃってますよ、やめましょうよ」
ぐす、うう、とすすり泣く声が、巣穴の中に響く。ルドルフはテトナを責める小僧をじっと睨む。
「…………」
『小僧、お前は間違ってはいないぞ、それは我輩が保証しよう』
「……お前にフォロー入れられてもな」
小僧も、この状況でそれ以上追求できるほど、血と涙が通っていないわけではないようだった。
「事情はわかりません、けど、私たちは冒険者です。ちゃんと解決して見せます、これ以上大事には絶対にしません」
お嬢はテトナを優しく撫でて、微笑んで見せた。繰り返すが顔だけは良いので、こういった時の包容力は非常に高いのがお嬢の数少ない美点の一つである。
「ほら、速く戻らないと、パパもママも心配しますよ? 後のことは私たちに任せて下さい。ルドルフ君のことも、悪いようにはしませんから」
少なくとも、この時のお嬢には悪意はなかった、それは断言できる。いくら人間性に問題があるとは言え、年下の童女を理由なく傷つけるほどは腐っては居ないのだ。
だから、その一言で、喉を引きつらせていたテトナの涙腺が、本格的に決壊してしまったのは、誰のせいでもないと、我輩は思いたい。
「……私のパパ……コボルドに、食べ、られ、ちゃったから」
……思いたいのだが、空気が凍りつくことだけは誰も止められなかった。
テトナの父ということは、村長の息子か、婿養子か。どちらにしても村の次の指導者を担うべき男だっただろう。
老いた父に代わり、働き盛りで若い後継者は、当然、問題が起きた時、率先して前に出なくてはならない立場だ。
ならば、今回も、当然前に立ったのだろう。そして、人喰いのコボルドに襲われたのだろう。
少し考えれば、わかることだったかもしれない。村長が、積極的に犠牲の詳細を語らなかった理由もわかった。
「……………………」
先程、テトナからしてみれば、『お前の祖父の采配ミスのせいでお前の親父が死んだのに軽率に何をしてるんだ』と、大人の理屈で罵倒した小僧は、おそらく人間はこれ以上居心地の悪い顔を出来ないだろうと思わせるほど眉をしかめていた。
『……ならば、何故、ルドルフをかばうのだ?』
「ルド、ルフ、は……友達、だもん……ずっと、前から……っ!」
気づけば、テトナはこらえるようにして、ルドルフを抱きしめていた。そんな少女の頬を、慰めるように小さな舌で舐める。
コボルドそのものに忌避感を持ってよいはずだ。誰よりもコボルドが憎い筈だ。
それでも、彼女は守ろうとしたのだ。村人に存在が知れれば、ルドルフの命は無いとわかっているから。
「ルドルフは、悪くない……悪いのは、他の……だから、私、わたし……っ」
「わかりました」
そんな寄り添い合う一人と一匹を、お嬢は上から、まとめて抱きしめた。
「大丈夫です。テトナちゃんのパパの仇は私達が取りますし、ルドルフ君にも手を出させません、そうします」
『また面倒な方向を選ぶのであるなあ』
「それはそれ、いつものことじゃないですか」
我輩からしてみればいつものことだが、小僧にしてみれば全く初耳の話であろう。
「……リーン、真面目な話をするぞ」
「む、なんです?」
「村人をどう納得させるつもりだ? 食性の違いだの、喰うやつと喰わないやつが居るだの、ライデアの人間には何も関係ない。喰ったのはコボルドだ。だから全部のコボルドが駆除対象。俺たちにはその――――」
魔物の固有名詞を呼ぶ、という行為に慣れていないのだろう(なにせ我輩もスライム扱いである)、その名を呼ぶことに一瞬ためらったが、続けた。
「――――ルドルフが人を喰わないと証明できるのか? 納得させられるのか? それが無理ならこの冒険依頼は降りるべきだ。何も考えないでコボルドを殺せる奴らがやったほうがいい。お前がコボルドの場所を探り当てられるなら、俺が一日で始末してやる」
それは全くもっての正論である。
冒険者としての最も恐れるべき事態は、冒険依頼失敗という「不名誉」だ。
即ち、最も重要な『この冒険者ならば冒険依頼を解決してくるだろう』というギルドや同業者からの『信頼』を失う、という意味である。
まして、コボルド退治などという低難易度な冒険依頼である。失敗する方が難しい。もしそうなれば、少なくとも、二度とエスマでは活動できまい。最悪なら、大陸を出る羽目になる。
それでも他大陸のギルドの支部には情報が伝わるであろうから、下手すれば冒険者階級の格下げすら起こりうる。
この冒険依頼が失敗するパターンは事実上一つしかない。コボルド相手に全滅することはありえないので、村長が「こいつらには任せられない」と判断した時だ。
下手に「悪くないコボルドもいるから殺すのはやめましょう」と言えば、どうなるかは火を見るよりも明らかである。
「そうですね……」
お嬢も、これに関しては真剣に、お巫山戯無しで応じた。
「六割、は納得させられると思います」
「……何を基準に六割なんだよ」
「だって、人間ってわからないんですもん」
その表情に、一切の遊びはない。ただただ、心からの本音を吐露した。
「原因はわかっています、何が起こったかも理解してます。証拠も、そろそろ向こうから来る頃合いです。あとは仮説を補強したいんです、そのためにルドルフ君を探してたんですから」
その物言いに、小僧とテトナは揃って首を傾げた。
「一体どういう――――」
小僧の疑問は、ザリ、と土を踏む音と気配に遮られた。