エピローグ Ⅰ
『む、目覚めたか』
意識が戻った途端、耳に飛び込んできた、あまりに聞き覚えのある声に、逆に安心してしまう自分が嫌だった。
「…………降りろ」
頭の上にどんと鎮座していたスライムを叩き落とすと、ぼむぼむとはねて床に転がった。
『何だ、折角熱を冷ましてやったというのに』
むるむると不快を示しながら、スライムが蠢いた。
起き上がろうとすると、全身が軋んで、ひどく痛む。
「で、ここはどこだ、天国か、それとも地獄か?」
『いや、普通にラディントンであるが』
「……………………」
『冗談である。まぁ、無事で何よりだ、小僧』
……炎の精霊に突っ込んで以降の記憶が曖昧なので、なんとも言えないのだが、少なくとも“無事”に生き残れるような状況ではなかったというのは間違いなかったはずだ。
というか、両腕が炭になったのは覚えてるんだが、見た所しっかりくっついている。
「…………お前?」
『ではない。気になるなら、自分で聞いてみると良い』
そう言われて、あぁ、誰か居たのか、と今更ながらに思い目をやると、椅子に座ったまま、うつらうつらと首を前後に揺らすクレセンの姿があった。
…………いや、リーンじゃないんかい。
「はっ!」
ちょうど、そのタイミングで、がばっと顔を上げたクレセンは、目をぱちくりさせて、それから俺の顔を見て、それから自分の顔を叩き、もう一度俺の顔を見て、そして殴った。
「何でだよ!」
「よ、よよよかった、夢じゃありません、目が覚めたんですね!」
「俺を殴って確認するなや!」
「だって……あぁ、もう」
はぁ、と大きく息を吐いて。
「……十日間も眠っていたんですよ」
泣きそうな顔で、というか泣き声でそんなことを言われると、攻め立てようという気持ちも失せるものだ。
「……まぁ、なんだ、ありがとな」
「……お礼を言われるようなことは」
一度言葉を区切って、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。
「……しました」
「……そうなのか?」
「はい、私のことは、命の恩人として覚えておいてください。ふふ」
なんだろう、このムズムズする感覚は。
今すぐコイツのみつあみを引っ張ってやりたい…………。
「とりあえず、皆さんを呼んできますね。あ、それと……」
手に動けと脳が命じたのと、クレセンが立ち上がるのはほぼ同時だった。
扉へ向かうが、ふと、思い出した様に振り向いて、ちらちらと俺を見ながら。
「ルーヴィ様は、皆への報告があると、先にパズに向かわれたので……私、戻る手段が、ないんですけれど」
そう言った。
断らないだろう、と、分かっている顔だった。
「…………また、パズまで、乗せていってくれますか?」
ラディントンに溶岩が達するまで、あと数百メートル程度だったらしい。
門を出れば、生々しい黒い岩が、山肌からずっとこっちに続いているのが視認できる。
他人事みたいに言わせてもらうが、よくぞ止められたものだ。
「本当にね。でも、ありがとう、君たちのおかげで、助かった」
癖毛を指でいじりながら、ギルクは深々と頭を下げた。
「ヴァーラッド家を代表して、家族を、故郷を守ってくれた我が友ハクラよ。ギルクリム・オルタリナレヴィス・マルグレヴナ・レレント・パズ・ククルニス・ラディントン・ヴァーラッドは、感謝を忘れない。いつか必ず、この恩を返させて欲しい」
貴族としての礼節を交えた、最上級の感謝の表しなのだろう。
される側としては、気恥ずかしいことこの上ないし、恩を売りたかったわけでもない。
「……次来たときの飯と宿でチャラにしといてくれ」
「そんなの、私が言わなくても、君たちを見ればラディントンの誰もがしてくれるよ。この街の救世主なんだから」
「そこまで大層な扱いをされるのが困るって意味なんだが……」
「謙虚な人だなぁ、でも、それが君の良い所なんだろうね」
そのギルクの柔らかな笑みは、ラディントンや街の人々を慈しむそれと同じだった。
「どうだい、行き遅れた貴族の三女に婿入りするつもりはないかな?」
「……勘弁してくれ」
「はは、冗談だって、シュトナベル君に怒られる」
「…………あいつとは、そういうんじゃない」
「…………………………………………え?」
ふんわりした笑みが一転した。お前何言ってるの? と顔に書いてあった。
「あ、あれだけ人前で告白をぶちまけておいて?」
「……あれは立ち位置の確認だ、どっちが首輪をつけてるかっつー話」
「そ、そうなんだ……ハクラはつけられる側かい?」
「不本意なことにな」
「はぁ…………ふうん、シュトナベル君も苦労するなあ」
「…………いや、苦労してるのは俺の方なんだが」
「そう言ってる内は、彼女の苦労はわからないんじゃないかな……ああ、そうだ、私の立場でいうのもなんだけれど、ハクラ、一つお願いがあるんだ」
「ん?」
「ラディントンでのことを、一度父上に報告したくてね。南のレレントまで、私を乗せていってくれないだろうか」




