暮らすということ Ⅳ
温泉街、というものの、石よりも木造りの建物が多く、街になり始めたばかりの大きな村、というのがラディントンの第一印象だった。
山を背にして壁を作り、出入り口を一つにして見張りを立てればそれだけで強固な守りになる。実際、門番は頑丈な鎧に身を包んだ兵士だった。
「止まれ!」
「申し訳ないが、現在ラディントンには何者も立ち入ることは禁じられている!」
やっとベッドで眠れる、と思った矢先にそんな事を言われたものだから、リーンが杖を持ち出して門番をぶっ飛ばそうとするのを止めなければならなかった。本当に躊躇のちの字もない。
とはいえ、ここまでえっちらおっちらやってきて、街に入れず門前払いなどされたら、どんな人間でも心が折れるかキレるかのどちらかだろう。リーンは迷わず後者だし、場合によっては俺もそうなる。
そんな俺達が街の中に入れたのは、言わずもがなギルクのおかげだ。ギルクの顔を見た途端、さっと顔色を変えて敬礼し、『彼らは良いんだ、通してあげて』と言えば、二つ返事と共に門扉が開いた。
「こりゃ、ギルクを助けて正解だったな」
『情けは人の為ならず、というやつであるな』
「巡り巡って自分の所に帰ってくるって意味でしたっけ」
「役に立てて何よりだよ」
道中の行程で、ギルクの口調も大分砕けていた。敬語が抜けると、どうも慣れ親しんだ男友達のような口調になる。スライムのことも案外あっさりと受け入れた辺り、これが元の性格なのだろう。
間の抜けた会話をしながら、ギルクの後ろについて歩く。山を切り開いて作ったからか、街の中でも高低差が激しい。階段の代わりに土を盛ったスロープが多く、馬車での移動で困らないようになっているのは、温泉街として旅人を招き入れることを前提としているからなのだろう。
「おやギルク様! 何でまだこんな所にいるんですか!」
「どうなさったんですかそのお怪我は!」
「おい皆、ギルク様が来たぞ! わからず屋のお嬢様め!」
「何度言っても聞きやしないんだからこの娘は! お客人もいるのかい! 全く! もてなさなきゃラディントンの名前がすたるというものだよ!」
ギルクが道を歩けば、誰かしらが声をかけてくる。その度手を振って、笑顔を振りまく様は、なるほど貴族の令嬢という感じがする。
「ハクラ見てください、あれ美味しそう、お饅頭ですって! わぁ沢山種類がある、あ、あっちにもありますよ!」
「お前は食いもんばっかか!!」
街に入って二十分も経っていないのに、屋台を見る度あっちにふらふら、こっちにふらふらと落ち着きがない。その上、ギルクの客人とわかれば、こっちが金を出す前に食い物を差し出してくるのだから凄まじい。それを遠慮なく受け取るリーンもすごいが。
「あー、甘くて美味しいー、滅多に見ないんですもんこういうのー」
「もう、自堕落です。良いですか、女神様は清貧を説いています、贅沢するよりも……」
「まぁまぁ、そう言わずに」
横に太いおばさんが、饅頭を強引にクレセンに握らせた。え、と目を白黒させる修道女に、良いから食え、と促す。
「な、なんですかもう……ほ、施された以上、拒否するわけには……むぐ、もぐ…………ふぁ、甘……!」
清貧を尊ぶらしい修道女サマですら、一口で夢中になってしまうようだ。俺も一つもらったが、パンとは異質の柔らかさの生地に、独特の甘みがする餡が詰まっていて、正直な所、気に入った。
「変わった味だな」
「アンコと言うんだ。硬い豆をよく煮て濾して、砂糖と混ぜたモノだよ」
私も好きなんだ、とギルクは笑った。
「……アンコ? どっかで聞いたことあるな、確か東方大陸の菓子じゃなかったか?」
「へえ、詳しいね。街の職人に、何人か東方大陸出身が居てね。温泉街もそこを参考に作ったって聞いたよ」
そう言われれば、建物の拵えも、西方大陸や南方大陸では見ない形をしている。屋根は一枚一枚、細かな板材を敷き詰めて居るようにも見える。
とまあ、こんな有様だから、歩みは遅いが、それを急かすのも野暮というものだろう。強いて言うなら、クレセンはさっさと【聖女機構】と合流したいだろうが……。
「……ん?」
そんな事を考えて、修道女に視線を向けると、食べかけの饅頭を両手で持って、ギルクの背中をぼーっと見つめていた。
「どうした?」
「んっ! んんっ! なんですか!?」
「いや、そんなに驚くなよ……ギルクをじっと見てたからさ」
「え、そ、そうですか……ち、違います、見てません!」
何故こいつは言われたことをとりあえず一度否定するのだろう。
「おいギルク、クレセンが貴族様の生活に興味津々だと」
「はっ! な、何を……」
「ん? ああ、そうだった。大事なことを失念していた」
抵抗しようとしたが、時既に遅し。ギルクはクレセンの手を引いて、見物に集まった街の人々の前に連れ出して言った。
「皆のもの聞いてくれ! 彼らは不慮の事故で落馬し、あわや命の危機だった私を救ってくれた旅の者達だ! その中でもこの麗しき修道女は、怪我を負った私を献身的に介護してくれた! ここに来られたのは彼女たちのおかげに他ならない!」
姿格好は薄汚れていようと、これだけ人気のある貴族令嬢がそう言えば、あっという間に英雄もかくやという扱いだ。近寄ってきては握手を求めてきたり、本当にありがとうと抱きしめられたり。目を回しながら生真面目に応対するクレセンが、何とも印象的だった。
そんなこんなで辿り着いたのは、坂の頂点に聳える、それこそ貴族の館かと見まごうような建物だった。
ぐるりと、それこそ市壁の如く建物を囲むように刈り込まれた木々の壁の向こうには、ハーブの庭園があり、その奥に鎮座する屋敷は平屋ながら横に長く、かなりの大きさだ。
「昔は、私の家だったんだ」
照れくさそうに、ギルクは頬を掻いてそういった。
「ラディントンの開拓を始めた時、辺境伯一家が駐屯する為に建てた物を、宿として再利用してるんだ。だから今でも、私の部屋は残っていてね、実家のようなモノだよ」
「なるほど、確かに一番高価い宿だ」
案内板によれば、上から見ると中央に穴の空いた四角形をしていて、星を一望できる露天風呂があるのだという。
貴族の権威というのは目に見える形であることが望ましい、とは誰の言葉だったか。開拓地の拠点なのだから、贅沢である必要も豪勢である必要もないはずだが、シンボルとして必要だったのかも知れない。
「少し待ってて、事情を説明してくるから……っと」
庭園を抜けて扉を叩こうとしたところで、内側から開いた、誰かが出てくる所だったらしい。
「あ、申し訳ありません」
「コチラこそ、失礼」
やり取りの後、扉がしまってギルクの姿が見えなくなると同時。
宿から出てきた女が、俺達をじっと見ていた。厳密に言えば、一人の少女を見ていた。
「…………ああっ、クレセン!」
「ラーディア!」
クレセンとよく似た格好をしていた。お互いに気づけば、もう足を止める理由はない。駆け出し、人目はばかること無く、ぶつかるように抱きしめあい、お互いの無事を喜んでいた。
「良かった、辿り着けたのね! 遅かったから心配したのよ……良かった無事で……」
「ごめん、遅れて……ラーディア、皆は?」
「他の宿に居るわ。出発の準備をしてる。……貴女には申し訳ないけど、ラディントンは、明日にも発つ事になると思う」
ラーディアと呼ばれた女が申し訳無さそうにしているのは、折角辿り着いたクレセンを十分に休ませる暇もなく、温泉街を出ていかなくてはならないからか。
「ううん、そんなの良いわ。ちゃんと合流できたし……あ、ルーヴィ様は?」
クレセンが尋ねると、ラーディアは、クレセンに取る態度とはまた違う申し訳無さを表情に出しながら言った。
「ルーヴィ様は……まだやることがあるって。後から合流なさるわ。私達は先に出て、パズを目指す。中間地点で、合流できる見通しよ」
「そ、そう……」
残念そうに肩を落としたのは、俺の見間違いではあるまい。事あるごとにルーヴィルーヴィ言っていたのだから、無理もないかも知れないが。
「……じゃ、ここまででいいか、クレセン」
声をかけると、ようやく二人が我に返り、はっとした顔で俺を見た。
「あー、ハクラ、感動の再会に水さしたー」
「うるせーな!」
実際、ものすごく口を挟みづらかったが、誰かが言わねば話は進まないし、リーンに任せたらどんな暴言が意図的にせよそうでないにせよ出るかわからない、なので俺が言うしか無いのだ。
「……ハ、ハクラ・イスティラ! それにリーン・シュトナベル! 悪魔の手先め!」
そして認識するや否や、そう言い放って、クレセンをかばうように抱きしめて、震えながら睨みつけてくる。
「…………」
いやまあ。
確かに【聖女機構】の前でさんざん大暴れしたけども。
レイスとなったクラウナを使役したけども。
あまつさえコーメカの手首から先をバッサリ切り落としもしたけども。
魔女でないと出来ないようなことを、連中の手法では魔女と断じられない女が、魔女以上に魔女らしいことをやらかした結果だけども。
そこまで罵られて怯えられるとは思わなかった。悪魔の手先ときたもんだ。
「ラーディア、その……」
「クレセン、何もされなかった? ああ、貴女って子はどれだけ無茶を……」
クレセンがなにか言おうとしても、ぎゅうと強く抱きしめられれば、それは抵抗できない束縛と同じだ。目を見るだけで、謝ろうとしているのは何となく分かる。報酬は前払いで受け取っているので、これ以上クレセンに付き合う理由もない。【聖女機構】がラディントンを出ていくというのなら、これでお別れだ。
「じゃあな」
それだけ言って、俺は宿の扉をくぐった。
なんだかんだ、クレセンを悪く思っていなかったリーンは、少し後ろ髪を引かれているようだったが、小さく手を振って、別れとした。
「あ……」
冒険者と魔女と魔物の旅に、修道女がいる理由はない。イレギュラーで出会って、当然のように別れるのだ。




