エピローグ
◆
「そんじゃ、元気でやんな。喧嘩すんじゃないさね」
セリセリセとクロヤ、それにアリアリアの見送りを受けて、俺達は村を後にした。
………………生きてるじゃねえか、セリセリセ。
一応あの後の話を少しだけすると、自分の心臓をアリアリアに移植したセリセリセは、なんとその脚で研究室まで戻って、試作品の代用心臓を自分の胸に突っ込んだのだ。
最古の魔女であるセリセリセの身体は、常人とは流れる時間が違う。
つまり心臓を失っても、しばらく行動するだけの余力があったわけだ。
肝心の『欠陥品』である心臓に関しては、
「そりゃあんた、自動で動かない欠陥品なんだから、自力で動かし続けるしかないさね」
とあっさり言ってのけやがった。
「そりゃ面倒だよ、四六時中、意識的に心臓を動かさないといけないんだ。あたしの代謝が人より遅いことを差っ引いても、一分動かし忘れたら死ぬよ、眠気の限界が来る前に対策を考えないとね」
とのことで、要するに『普通の人間には使えないが、セリセリセだけならば、ギリギリ実用に足る代物だった』ということらしい。
「じゃあ、もう、あの絶対にこの後死ぬ以外ない別れのセリフはなんだったんだよ……」
「ちゃんと動く保証がないから、おっ死ぬ可能性もあったさね。まあ生きてたんだから良しとするさ、ねえアリー、クロヤ」
一方で、死を覚悟して恥ずかしい告白をしたアリアリアや、それを受けて本音を吐露したクロヤは、一周回って羞恥に悶え苦しんでいた。
「殺して欲しいかなー! 無理かなー! 恥ずかしいかなー!」
「アリーに死なれると、僕は困るな……」
「じゃあ死なないー! クロヤ好きー!」
マジでもう、さっさと出ていきたかった、何でこんなもん見させられなきゃあかんのだ。
村人たちは、セリセリセが戦闘に参加させなかったアラクネを使って、非常時に備えた広場に避難させていたらしく、人的被害は一切なかったようだ。
アリアリアの魔人化騒動に関しても、なにせ魔女の庭だ。セリセリセが説明と謝罪をすれば、とんでもない、アリーちゃんが無事で良かった、と、大きな問題にはならなかった。
ホッダの治療も無事に終わり、蔦の指を振り回して、アリアリアのスカートをめくろうとした瞬間、クロヤに凍らされたりと、色々あったが、まあ、その辺の話は蛇足だろう。
俺もリーンも力を使い果たした事もあって、しっかりともう一泊した。
魔女セリセリセの心臓を譲り受けたアリアリアは、その日の夜にはもう調理場に立って、夕飯をしっかりと作ってくれた。
ベーコンと卵、それに生クリームを使った、新機軸の麺料理らしい。
「ね、美味しいかな?」
なんだかんだで、俺が一匙もシチューを口にしていなかったことに気づいていたアリアリアは、ここぞとばかりに顔を覗き込んできたので。
「ああ、美味いよ」
世辞抜きで、そう言った。まあ、結局半分はリーンに奪われたんだが。
その夜、俺はクロヤと一晩中、話をした。
どんな生活を送ってきたのか、どんな出会いがあって、誰と分かれて、今に至ったのか。
…………いや、人に言えないような事を、リーンと会ってからは、結構したな。
積もる話を詳しく語る気はないが、ただ一つ。
「……カイネは、生きてるよ」
どんな姿で、までは、聞くことが出来なかったが、イスティラと、いつか決着を付ける時、俺は、多分カイネとも再会することになるんだろう。
……とまあ、そんなこんなで。
セリセリセは宿場になっている、と言ったが、カーヴェ川の跳ね橋周辺は、ちょっとした村ぐらいの規模で、祭りを思わせる賑わいがあった。
順番待ちの行商人が露天で売り物を並べ、商談を交わし、人が集まるならと酒場が出来て、その客に娼婦がやってきて、と言った具合で、俺達が到着したのは日が暮れかけた頃合いだったのに、喧騒が止む気配がない。
並ぶ建物は全て旅人用の宿か酒場で、誰かの持ち家はないらしい。
「とりあえず、何か食うか?」
食欲魔人リーン様のご機嫌を取ろうと、そう提案してみたが、リーンは、んー、と少し考えて。
「それより、先に宿を取っちゃいませんか? 宿舎とお湯が使える所。ニコちゃんも預けたいですし」
「また贅沢を……」
「あるものは使うべきですよ、私が宿を見繕うので、ハクラは御飯食べるとこを探してください」
……リーンの言う通り、騒動の礼代わりに、セリセリセからしっかりと路銀を受け取っていたりするし、ここを超えてギルドにたどり着けば、路銀の心配はなくなるから、確かにここで多少奮発するのをためらう理由はない。
せめてリーンが喜びそうなメニューがある店を見つけて、馬車ごとニコを預け。
飯を食い終わる頃には、完全に日が沈み、夜の帳がすっかり降りて、それでも、賑わいは収まらない。
旅芸人が太鼓を叩き、誰かが合わせて笛を吹くと、踊り子が飛び出て踊りだし、酔っ払った旅人たちが、我も我もと混ざり初め、やんややんやと大騒ぎが始まる。
ビールのジョッキがひっきりなしに打ち鳴らされて、おかわりの音頭が止まらない。その騒々しい集まりの隣を、俺とリーンは横目で見ながら通り過ぎた。
宿の前までたどり着くと、ふとリーンが、
「あ、すいません、忘れ物しちゃったので、先に入っててください」
と言い出した。
「あん? だったら一緒に……」
「良いですって。アオが居ますから」
スライムを抱きかかえたまま、リーンは来た道を戻っていく。
あいつが一番警戒しないといけないのは人間で、ここは結構遠慮のない連中が集まってるんだが……と思いもするが。
「…………」
今でも思い出せる手の感触が、いまいちリーンの行動に口を挟むことを止めさせる。
まあ、言う通り、スライムも居るし、そんなに遠いわけじゃないし、別にいいか。
部屋に戻って、荷物を纏め、寝間着に着替え、ようやく一日が終わろうとしている。
リーンが選んだにしては、ベッドの質は中の上ぐらいといったところか。
ここに来るまでの旅で寝泊まりしたのが、馬車の中か、貴族の屋敷か、という両極端な二択だったこともあり、こういうベッドの感触をしばらく忘れていた気がする。
窓の外から、喧騒が聞こえる。さっきとは違う音楽と、別の歌。
どこかで聞いたことのあるような、吟遊詩人の声がする……多分、気の所為だ。
……月は何も見ていない。夜は全てを包み込む。
……秘めごとは秘めごと、明かさぬ、見せぬ。
……だから今宵はイタズラをしよう。
……あの日見た、妖精のように。
意味を考えるでもなく、音を真剣に聞くでもなく、ただ耳に入ってきたものを聞き流しながら、ぼうっとしていた。
……こんこん。
扉をノックする音で、はっと我に返る。
「……ああ、おかえり、捜し物はあったか?」
勿論、それはリーンだ。くぁ、と小さくあくびをしながら、
「いえ、忘れてきちゃったかも知れません」
「なんだそりゃ」
そう言いながら、ずいと部屋に入ってきて、そのままベッドにどさりと倒れこんだ。
よく見たら、もう寝巻きに着替え終えて、普段は編み込んでいる髪を解き、寝る身支度を整えていた。
俺がどれだけ意識を飛ばしていたかはわからないが、リーンが店に引き返して、戻ってきてから、ここまで用意する時間はなかったと思うが……。
「あれ、……スライムは?」
いつも抱いているあいつも居ない。部屋か?
「置いてきちゃいました」
「…………どこに?」
「馬車に。ニコちゃんも一人じゃ寂しいでしょうし」
寝転がったまま、枕を顔で抱きしめて、翠玉の瞳だけが、こちらを見ている。
「…………いいから、部屋に戻れって」
「ないですよ」
「……ん?」
「一部屋しか、借りてません」
俺は、こいつの本名を、未だに知らない。
我儘で、大食漢で、自信過剰で、意地っ張りで、その上、原初の魔女の子孫。
得体のしれない力を使いこなし、数多の魔物の知識を収め、長い旅を続けている。
俺が、リーンについて知っている事なんて、その程度だ。
俺は、リーンと一緒に行くことを選んだ。
契約という名の約束で、北の最果てまで、共に。
そこから先の未来なんて、考えたこともなかった。
そんな権利は、ないと思っていた。
望んでもいいのだろうか。
あの日、逃げて、別れたかつての友が、己の気持ちに向き合ったように。
「私がするのは、ここまでです」
半分、閉じたリーンの瞳が、こちらを見た。
「だって、ハクラったら、へたれで、びびりですから、どーしようもないから、私が頑張ってあげてるんです、最大限の、譲歩です」
窓の音から、笛の音が聞こえる。
「……言葉にしてくれないと、私、わかりません」
祭りのような喧騒は、まだ続く。
月の下で行われる全てを、秘めごとにする。
きしむベッドに腰掛けて、金糸の髪を、指で梳いた。
くすぐったそうに身を捩るリーンの頬まで指を動かすと、頭ごと、体重を預けてくる。
「リーン」
「はい」
「俺は……この旅が終わった後も、お前と一緒に居て良いのかな」
「駄目って言われると思ってたなら、噛みつきますよ」
「……勘弁してくれ」
自分の顔を、リーンの耳元に寄せて、俺は一言、呟いた。
窓の音から聞こえる音色が、その囁きを、二人だけのものにする。
『人繭のセリセリセ』は最後のこのシーンの為の物語であり、ご覧のお話は『魔物使いの娘』で間違いございません。
同人誌として頒布した範囲、小説家になろうに掲載する分の『魔物使いの娘』は、一旦これにて完結とさせていただきます。
商業版では細かな部分は変わっていくと思いますが、ここから先のハクラとリーンの冒険を書いていけるように頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。