恋するということ Ⅳ
◆
セリセリセが再び研究室に戻ったことで、俺とリーンは二人きりになった。
先程の会話が、ぐるぐると頭の中を渦巻いている。
納得出来るはずなのだ、出てきたすべての情報が、俺の中で一つの答えを作っている。
「……駄目だ」
ここに居たくない、今すぐ立ち去りたい。いや、もうはっきりしている、逃げ出したい。
あと一日、ここにいたら、俺は多分、正気を保てない。
「駄目って、何がです?」
「出よう、リーン、今すぐ、この村から」
「……ハクラ?」
「今から出て、跳ね橋が上がるまで、一泊ぐらいなら泊まる金ぐらいあるだろ。何なら馬車で寝ても良い、水も食料も、ヴァーラッド伯から貰ったやつがまだある、問題ないはずだ」
「ちょ、どうしたんですか、ハクラ!」
「お前こそ何いってんだ、リーン、ここは魔女の庭だぞ、そのど真ん中だ。悠長に長居したくないのはお前だって同じだろ」
「え、ええ?」
焦燥感に焼かれる俺を見て、リーンの顔に、今まで見たことのない様な動揺が浮かんだ。
どこか、頭の一部、ほんの少しだけ冷静な部分が、他人事のように、それを見た。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください。客観的に見て、もうその危険は少ないはずです! セリセリセさんの言ってることに矛盾はありませんし、私は納得出来ましたよ!」
「わからねえだろ、そんな事! あいつは魔女だ、一番古い……人間を飼い殺しにしてる、魔女なんだよ!」
イスティラと同じ世代の、イスティラと同じ位階の魔女と契約した、イスティラと同格の、最古の魔女。
「人間を平気で殺して、溶かして、改造する魔女だぞ! 裏で何を企んでるかわかりゃしねえ! 村人全員が洗脳されてない保証もねえ! 一日泊まったことだって、本当はどうかしてたんだ!」
矢継ぎ早に叫ぶ俺に対して。
『小僧、落ち着け……』
「うるせぇ、お前は黙ってろ!」
割り込んだスライムに、怒鳴り返したことで。
「っ」
リーンの中で、ついに戸惑いよりも、怒りが先行した。
「いい加減に、してくださいっ!」
だん、と机を叩いて、リーンがスライムを抱き直し、俺を正面から見据えた。
「動揺してるのはわかります、ハクラの価値観にこの村はそぐわないのかも知れません、でも、なんでもかんでも魔女だからって切り捨てるなら、そんなの、ギルクさんを斬ろうとした頃のルーヴィさんと同じです! それを止めたのは誰ですか!」
リーンは正しい。的確な理詰めだった。俺がやってきたこと全てが、そのまま今の俺を刺す言葉になる。
わかっている、わかっている、わかっている。
本当は、わかってるんだ、全部。
「――――俺は知ってる! 魔女が何をするか! クロヤがどんな目にあったか! カイネが何をされたか! アリアリアだってそうだ、セリセリセが本当は何のつもりで産んだかなんて俺達にわかりゃしねえだろ!?」
わかっているのに、止まらない。
それが一線を超えてしまったと、自分で理解できていても。
「セリセリセさんは、イスティラじゃありません! わかってないのはハクラの方です!」
ついに、リーンがブチ切れた。
「自分が母親に愛されなかったからってそれを――――」
パンッ。
乾いた音と、手に残る感触。
それを自分がやったのだと、理解することが出来なかった。
リーンが、頬を抑えていた。
翠玉の、あの日、俺が覗き込み、世界の色を変えた瞳が。
呆然と、俺を映していた。
「――――――――あ」
違う、と言いたかった。
何も違わない、俺がやった。
謝ろうと思って、手を伸ばした。
びく、と、小さな肩が震えて、一歩、後ずさった。
取り返しのつかないことをしたのだと、頭が真っ白になった、瞬間。