恋するということ Ⅲ
☆
足が熱を持って、じくじく痛む感覚も、治療が施されると、大分落ち着いてきた。
代わりに、顔がものすごく熱い。どれだけ叱ったって、結局、クロヤは最後にアリアリアを甘やかしてくれる。
隣に座って、といえば座ってくれるし、撫でて、といえば撫でてくれる。
それは妹に対する扱いだとわかっていても、触れれば幸せを感じてしまうし、この時間が、ずっと続くなら、このままでもいいかな、と思ってしまう気持ちがないといえば、嘘になる。
(…………やっぱり駄目なのかな)
クロヤは優しい。いつでもアリアリアのことを考えてくれる。
でも、それが家族としてではなく、女の子としての感情だと知ったら、どう思うだろう。
拒絶はしないかも知れない、でも、今まで通りではいられないかも知れない。それが怖くて踏み出せない。
「…………」
ちらりとクロヤの顔を見ると、ああ、この表情だ。
時々、クロヤはこんな顔をする。ここではない、どこか遠くを見つめて、悲しそうに、寂しそうに。
何に思いを馳せているのだろう、セリセリセが聞くなと言うから、アリアリアは今まで、クロヤがウチに来るまで、どんな暮らしをしていたのか、聞いたことがなかった。
きっと、それを知る人がやってきたのに、どうにも複雑な事情がありそうで、教えてと言うつもりが、結局今でも聞けずじまい。
例えば、もしもクロヤが、本当は故郷に好きな人がいて、実は帰りたがってたとしたら……なんてことを、考えなかったわけがない。
「…………」
聞いてみて、もしそれが本当だったらどうしよう。
今は、一緒に暮らしているけれど、遠くへ行ってしまったらどうしよう。
「ね、クロヤ、ハクラのお兄ちゃんと、なにかあった?」
していい質問なのか、少し迷ったけれど。
「……うん、そうだね、昨日の夜、少し」
そう返事をするクロヤは、今、アリアリアを見ていなかった。
「自分が恨まれて当然だって、思ってるんだろうな。僕はただ、生きててくれただけで嬉しかったんだけど」
「……喧嘩しちゃった?」
「喧嘩ではない、かな。意見があわないだけ……相手が悪いって思ってるわけじゃないんだ、ただね」
長い指が、アリアリアの頬を撫でた。青い瞳の向こうで、悲しい色が揺れていた。
「……お互い、自分が悪いと思ってるんだよ」
そんな顔をしてほしくなかった。
ホントは、心から、思い切り笑ってほしいのに。
胸が締め付けられるような感覚があって、自分には、何も出来ない事が悔しくて。
不意に、昨晩の会話が、頭の中で蘇った。
『……結局、思い切って、伝えるしかないんじゃないですかね。なんでも良いから』
今、自分がクロヤにしてあげられることはなんだろう。
そう考えたら、自然に体が動いていた。
少し体を持ち上げて、頭の位置を押し上げた、その時。
「えっ」
「あっ」
ごん、とアリアリアの頭が、クロヤの顔に直撃した。
「っ、ぐ」
「ご、ごごご、ごめんかな! 大丈夫!? 見せて見せて!」
口元を抑えるクロヤ、なんてことでしょう。
「へ、平気、口の中を少し切っただけ」
困ったような、悲しいような、でも、相手を心配させないための、柔らかな苦笑。
いつもアリアリアを見守ってくれた、この表情。
お互い、向き合って、見つめ合い、気づいたら、言葉がなくなっていた。
アリアリアが何をしようとしたのか、クロヤだって気づいていないわけがない。
「…………僕は」
クロヤが、言い訳をするように、顔をそらした。
「誰かを、好きになっちゃいけないんだよ、アリー、だから」
ごめん、を言わせる前に。
アリアリアは、再び顔を寄せた。抵抗も、言い訳もさせなかった。
少女のファーストキスは、苦い、鉄の味がした。
数秒間、そのままでいた。
やがて、ゆっくり顔を離すと、もう、身体の熱で全身が焼け落ちそうだった。
「関係ないかなっ」
だから、熱に任せて、言葉を吐き出した。
きっと伝えなければいけないと思ったから。
「クロヤが誰も好きになれなくても、わたしはクロヤが大好きだから!」
他の誰かを好き、とかじゃないなら、それだっていい。
だって、アリアリアがクロヤを好きになる事に、クロヤの意思は関係ない。
恋するというのは、そういうことだ。
ぎゅっと手を握りしめて、ちゃんと見つめなおして。
「何かあっても、わたしは絶対、クロヤの味方かな。だから、思い切り、ハクラのお兄ちゃんに、言いたいことを言うといいかな」
それが精一杯の、アリアリアにできることだった。
「……アリー」
兄だった男は、少し時間をかけて、それから。
「ありがとう」
そう言って、小さな体を抱きしめた。
この物語は【魔物使いの娘】で間違いございません




