恋するということ Ⅱ
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「こンの――――――大馬鹿!」
セリセリセ邸に戻ったアリアリアを待っていたのは、魔女による鉄拳制裁だった。
「なんでマンドラゴラの回収をわざわざ専門家に頼んだと思ってるんだい! 一歩間違えたら死にかねない危険な作業だからだよ! 誰がアンタに行って来いっつたさね!」
俺達が森から戻る途中に散々した説教が、物理的なダメージを伴って襲ってくるもんだから、アリアリアもたまらないだろう。
「っぐ、えぐ……」
何より、直接命の危機に晒された恐怖もあるのだろう、縮こまって泣いている姿は、安易な行動を差っ引いても哀れを誘う姿だったが、怒鳴り付ける理由としては正論極まりないので、助けてやることも出来ない。
頭部をスライムが守ってくれていた為、アリアリアは奇跡的に無事だったが、転んだ拍子に足を捻って、歩行が困難になってしまったのだ。
わざわざ全員の危険を増やしにやってきた、足手纏いの一丁上がりというわけだ。
「とにかく、三人共、ありがとね! 一旦ホッダの治療に戻るから、アリー、アンタそこで座ってな! 逃げたらタダじゃおかないよ! クロヤ、後は任せたさ!」
俺達が捕獲したマンドラゴラは、サイズ的にも十分だったらしい。どっちにしても二匹目を引っこ抜く余裕はなかったので、ありがたい話だ。
「ハクラ、大丈夫?」
「何とかな……いや、悪い、結構キツイ……」
クロヤが大量の薬草を抱えて戻ってきたのは、俺達とほぼ同時で、リーンに背負われたアリアリアを見た時は、流石に目を丸くしていた。
……俺が背負う余裕がないぐらい消耗していたとも言う。マンドラゴラの絶叫爆弾みたいなもんを作って放り投げるような武器が出来たら、割と真面目にどんな戦争でも勝てるんじゃないだろうか。
「……アリアリア、足、見せて」
「ん………………」
木箱を持ってきて、しゃがみこんだクロヤに対し、スカートの裾を少し持ち上げて、捻った足を見せるアリアリア。クロヤが小さな足を持って、軽く左右に動かすと、
「痛…………っ」
と露骨に表情が歪んだ。
「……ヒビは入ってないか。結構乱暴に転んだ?」
『頭部を守るのに精一杯で、他の所を守る余裕がなかった、すまぬな』
「ううん、ありがとう、アオさん。この程度で済んでよかったよ。本当に、下手したら死んでた」
クロヤが眉根を寄せて、怒りをにじませた表情をするのは、本当に珍しい。
俺の後先考えない行為にカイネを突き合わせた時や……俺自身が怪我を負った時。
誰かを案じるからこそ、危険を戒めるときの表情だった。
「何でハクラ達を追いかけたりなんてしたんだい、アリアリア」
木箱から取り出した軟膏を皮膚に塗って、何枚かの薬草を押し当てて、一緒に包帯で巻いていく……随分と手慣れている。
「………だ、だって、わたし、待ってるだけなんて嫌だったかな……そ、それに、森なら、道案内くらいは、出来るし……」
「いつもは、アラクネたちが見張ってる範囲だから、一人で行くのを許されてるんだよ」
「っ…………」
アリアリアにとっては庭だと思っていた森は、その実、保護者の監視下にあったということらしい。
「せめて僕の方にくればよかった。ハクラ達が任された仕事は、本当に危なかったんだよ」
「で、でも、だから、それをやったら……褒めてもらえるって、思ったかな……」
「仮にアリアリアが一人で、マンドラゴラを怪我なく引き抜けてても、セリセリセは怒ったと思うよ。危ない真似を、しないでくれって」
「……わたし、そんなに頼りないかな」
「違うよ、大事だから」
「……クロヤも、怒ってる?」
「怒ってる」
「……わたしのこと、嫌いになったかな」
「それとこれとは、話が別」
キュッと包帯を巻き終えて、クロヤはアリアリアの頭に手を置いた。
「嫌いにはならないけど、すごく心配した。もう、こんな事しないって約束して欲しい」
「…………ごめん、ごめんなさい……」
また、じわりと涙を浮かべるアリアリアを、優しく抱きとめるクロヤ。
うん、いいシーンだ、いいシーンなんだが。
「私達は何を見せられてるんでしょう……」
「さぁ……」
完全に蚊帳の外で、二人のやり取りを見るしかない俺達は溜まったものではなかった。この空気感の中に、なるべくなら居たくない。
「……セリセリセの様子見に行くか、あわよくばさっさと許可証貰って、出ちまおうぜ」
「ええー、ハクラ、そんなに早く出発したいんですか」
「当たり前だろ……ここは魔女の庭だぞ」
どれだけ牧歌的に見えても、どれだけ平和に見えても、その事実は変わらない。
アリアリアが良い娘に見えて、クロヤと信頼関係を交わしていたとしても。
魔女、人繭のセリセリセが腹の底で何を考えているかなど、俺達にわかりはしないのだ。
「クロヤさんとはお話したんですか?」
「…………したよ」
不完全燃焼極まりなかったが、あれ以上情けない姿を、クロヤにも、誰にも見せたくない、というのもある。
そっと食堂の扉を閉めて、ロビーへ移動し、階段を上ると、ちょうど研究室からセリセリセが出てきた所だった。
「おや、どうしたね?」
「様子見に来たんだよ。あのガキは?」
俺が尋ねると、セリセリセは大きくため息を吐いて、
「とりあえず持ち直したさね。いいマンドラゴラだったよ、想定してるより薬効が強くて助かった。ありがとよ」
「そりゃどーも。んじゃ例の物を寄越せ」
『小僧……』
スライムが苦言を呈す程の態度であることは自覚している。
「んん、なんだい、急ぐねえ。跳ね橋が上がるのは明後日だから、明日の昼頃に出たらちょうど夜に向こうに着く頃合いさね。なんか急ぐのかい?」
これ以上一秒たりともここに居たくねえんだよ、と吐き捨てたかったが、セリセリセの気が変わったら、そもそも取引がおじゃんになる可能性がまだ捨てきれない。
なんと言ったものか考えていると、リーンがズイっと前に出た。
「いえ、よければ後一日泊めてもらえると嬉しいです、興味が湧いたものもありますし」
「リーン……」
咎めるような声が出てしまったが、そう、旅の主導権はいつだってリーンにある。
リーンがそうするというのなら、俺は従わなくてはならない、そういう契約だ。
「そっちのほうがあたしもありがたいさね、もちっと礼もしたいし……ああ、アリーはどうだい? 落ち込んでたかい?」
「なんか急にクロヤさんとイチャイチャし始めたのでいたたまれなくなってこっちに来たんですけど」
リーンがそう言うと、先程鬼の形相で娘を叱りつけていた女とは思えないほど大口をあけて、セリセリセは笑った。
「あっはっはっはっは! そうかそうか、ならいいさね。クロヤなら上手く慰めてくれるだろ、あたしゃもうちょい鬼になってようかね」
そこにいるのは、魔女と言うより、一人の母親だった。
廊下で立ち話もなんだろうと、適当な部屋に入り、小さなテーブルを囲んで座る。掃除はされているものの、あまり使われている気配はなかった。
「……あの、もし言いたくなかったら、いいんですけど」
リーンにしては珍しく、遠慮が先行した言い方だった。
「なんだい?」
「セリセリセさんは、どうして魔女になったんですか?」
『お嬢』
「だって気になるじゃないですか。私だって警戒してないわけじゃないんですよ。『古き魔女には関わるな、ルシルフェルとの契約を奪われる事なかれ』って、教わってきましたから」
「……契約を、奪う?」
聞き捨てならない言葉が耳に入ってきたので、俺は思わず割り込んでしまった。
「ええ、私はリングリーンの後継者です。つまり、先代がいて、それを引き継いでいます……ルシルフェルとの契約は、他者に譲渡できるんです。勿論、直系の子孫であることが条件ではありますけど」
リーンが指をくるくる回して、あえてセリセリセを見ながら言った。
「原初の悪魔達は、契約の縛りがゆるい分、細かい所に穴が多いんですよ。古い魔女なら、契約に干渉する方法を見つけていても、おかしくありません。それでなくても、私を無理やり拘束して、子供を産ませて、その子に契約を引き継がせて、自分で育てれば、傀儡には出来てしまいますし」
当たり前のように、とんでもない事を言い出したので、俺は思わず立ち上がった。
「…………っ、だったら何でこんなとこ来たんだお前!」
最悪の事態になったときのリスクが、あまりに高すぎる。
だが、リーンは何言ってるんですか、と俺を睨むばかりだった。
「ハクラが居るからですよ、レレントでいったじゃないですか」
「………………っ」
「だから、気になるんです、セリセリセという魔女は、一体どういう魔女なのか」
リーンは以前、言っていた。魔女は願いから生まれる、と。
純潔を悪魔に捧げてまで、叶えたい願いがあり、その為には手段を選ばず、目的のために邁進する存在。それが、魔女。
「この村が良い所なのは、わかりました。アリアリアちゃんもいい子ですし、社会的な交流を広げようとしているのもわかります、でも、私が教わった、古い魔女のあり方とは、一致しません」
俺がずっとこの村に抱いていた、違和感と不快感。
人繭のセリセリセは、何を目的としてこの村を作り上げたのか。
それが、わからない。
「ああ…………んー、どう言ったもんかね」
腕を組むセリセリセは、その問を不躾で無礼だと感じるよりも、どう答えるかを悩んでいるようだった。
「……アリーには内緒にしてくれるかい?」
「はい、私の口は酒場でのハクラの財布より硬いです」
じゃあガバガバじゃねえか。
しかしセリセリセは真実がわからない、一種のジョークだと思ったらしく、小さく笑ってから、
「東方大陸はトゥ・トゥリ砂漠の誇り高い遊牧民、サキューラ族っつー部族の長の娘、それがあたしさ。こんな肌も目の色も、こっちじゃとんと見ないだろ?」
「ああ、やっぱ北方大陸の出身じゃないのか」
「あったりまえだ、こんなエキゾチック美人がいるかい。っても、あの頃、あたしゃ部族の中じゃ肩身が狭くてね」
遠い過去に思いを馳せるように、セリセリセの目が細められた。
「子供が作れなかったのさ、先天的な問題でね。ガキの頃から将来を誓った幼馴染から、跡継ぎを産めないとわかった途端、役立たずと詰られたのは、今でも覚えてるよ」
背筋が凍りつくような、というのは、こういう時に使う表現だろうか。
「女の仕事は子供を生むこと、って価値観が特に強かった時代だったからね、無駄飯ぐらいの役立たずと罵られりゃあ、邪な心の一つも湧くってもんだろ?」
何も言うことが出来なかった、リーンも同様で、真剣な顔で、話に聞き入っていた。
「そんなある日、うちの部族の縄張りに迷い込んだ、異国の商隊がいてね。馬車を襲って、戦利品の整理をしていた時、古い本があったのさ。そこに、悪魔の呼び出し方と、契約の方法が書いてあった。文字通り、藁にもすがる思いさ」
「じゃあ、セリセリセさんは……」
「自分を子供を産める体に改造するために、悪魔と契りを交わしたのさ。あたしが人体改造に特化してるのは、その名残さね」
植物を支配する権能を持つ悪魔と契約した魔女が、わざわざ人体改造に応用した理由が、それか。
「…………ん? でも、待てよ。アリアリアは……」
俺と同じ魔人。
悪魔と魔女の混血児、だ。
「それさ、それが一番の誤算だった。あたしの身体は驚くべきことに、契約時点で悪魔との子を宿してた……人間との子供は出来なかったのにね」
何という皮肉だろう、
「そうとも知らず、随分と色々やったもんさ。既に肚に子供がいるもんだから、新しい種を孕める訳がない。何よりあたしの身体は魔女として既に変化していた……あんたら、ここまで何の疑問も感じなかったかね? 特に坊や」
セリセリセは唐突に、俺を指さした。
「あたしやイスティラは歴史で見る限り、二千年を生きる、最古に属する魔女さね。なのに、なんで坊やとアリーは、今この時代に生まれてると思う?」
「……………………あ」
どうして今まで疑問に思わなかったのかと聞かれれば、なんとなく、そういうものなのだろうと感じていた、としか言いようがない。魔女に常識など、通じないと。
だって、千年、二千年の時を、平気で生きてるような連中なんだぞ。
「最古の魔女と言われる通り、あたしらは長生きだがね。何も永遠に生きられる不老不死ってわけじゃあない、身体の時間の流れが遅いのさ。若作りのイスティラはどうかしらんが、ゆっくりゆっくり、老いちゃあいるのさ」
「つまり…………ハクラやアリアリアちゃんは、その、ずっと」
「孕んで、遅い時間の流れの中で、ゆっくりゆっくり、育ってたのさ。時間の流れはきっちり相対的ってわけじゃなくてね。どちらかと言うと契約した悪魔の方に左右されやすい……ま、とにかく、身ごもってから産むまで、それぐらいの時間がかかったってわけさ」
魔女たちの長い人生からすれば、ほんの一部。
ごく最近になって産み落とされた、二千年前の契約の名残。
それが、俺達か。
「後から下位の悪魔と契約して魔女になった、寿命に関する契約をしてない連中の方が、先に魔人を産み落とすもんだから、あたしは戦々恐々としたさね、おいおい、あたしからはどんなモンが生まれてくるんだと。ちなみにあたしが妊娠の兆候を知ったのが、八百年前だったかねえ」
「そりゃ、気の長い話だな……」
「笑えるだろ、そのころにゃあ、とっくに部族は滅んでて、子供を欲しかった相手はとっくにくたばってたのに、目的だけは、契約時点で果たせていた……そんなチグハグな人生を送ってきた魔女が、このあたしさ」
「じゃあ、この村は……」
「勿論、アリーの為の村さね」
セリセリセの顔に、迷いや逡巡といったものはなかった。そこにあるのは、目的に向かって進んでいる奴だけが持っている、自信だった。
「あの子が生まれた時は嬉しかった、こんなに何かを愛おしいと思ったのは初めてだった。この子のためなら何でも出来ると思ったさ。二千年越しに、あたしは一番欲しい物を手に入れた……けどね」
セリセリセの言うことが、全て正しいのであれば、一つの問題にぶち当たる。
「魔人の時の流れは、人と同じさ。若い頃が長いし、常人よりは長寿さね? それでも、アリーのほうが先に老いて、死ぬ。あたしは、あの娘を看取る事が決まっている。だったら作るしかないだろう?」
何を? 決まっている、俺達はこの村で、それを見てきた。
「あの娘が死んでも、その子供が。さらにその子供が。子々孫々まで、あたしが見守りながら、平和に安心して暮らせる場所をさ。魔女の庭だと言うが、とどのつまり、偏見さ。なら利便性は、いつかそれを覆せる。時間はかかるかも知れないけど、それだけは、あたしにはたっぷりある」
だからセリセリセは、どれだけ時間をかけてでも、ギルドを村に欲しがったのだ。
冒険者は合理主義者、信仰も差別も偏見も全てなぎ倒して、新しい技術が使えるもんなら何でも使い、その絶対的な中立性でもってあらゆる国家に根を張っている。
そのギルドの常識の一部に、セリセリセの《接ぎ木》が食い込めれば、立場は盤石なものになるだろう。
それが何百年後の話かはわからないが、決して夢物語じゃない。
「だからお嬢ちゃんへの質問の答えはこうさ。あたしは。子供を求めて魔女になった、そして目的はもう果たしてしまった。だからやることを探しているうちに、こんな所に来ちまったのさ」
これで話はおしまいだというように、セリセリセは手をパン、と叩いた。
「ま、信じるかどうかはあんたら次第だがね……だからこそ、あたしは外敵を許さない」
森にアラクネを放ち、悪意を持って攻め入るものがあれば、これを残酷に、徹底的に排除する。二度と逆らう気が起きないように。
「あの子の未来を守るためなら、あたしは何だってするさ」




