恋するということ Ⅰ
◆
「悪いが、ちぃっと面倒事になっちまった」
翌日。起床して早々、俺とリーンは、飯を食う暇もなく、セリセリセに呼びつけられた。
とりあえず服装と装備だけ整えて、階段を上った先、初日はちらりと見ただけで追い出された、セリセリセの研究室へと向かう。
二階の半分以上のスペースを使っているらしく、かなり広かったが、それ以上にごちゃごちゃとしていた。棚には様々な植物の種や苗木が並び、更に硝子のケースの中には、見たこともないような植物の種が、液体の中に浮いていた。
だが、一番目につくのは、やはり部屋に鎮座する〝繭〟だ。
糸が薄いのか、森で見たものと違って、外皮を破かなくても、薄っすらと中身を伺うことが出来る。
「何があったんですか?」
一歩前に出たリーンが尋ねると、セリセリセは頭をガシガシと掻きながら言った。
「思ってたより、ホッダの調子が悪い。よりによって《接ぎ木》の枯死直前に、思い切り指を伸ばしたもんだから、あたしの想定以上に消耗してたみたいさね」
「…………俺のせいじゃねえよな?」
その蔦でできた指に思い切り絡まれたのが俺なのだが……。
「強いて言うなら、世話をサボったこのガキが悪いさね」
近づいて、〝繭〟の中に居る子供、ホッダの様子を見てみる。息苦しそうに顔をしかめているが、何より右肩から先だ。昨日見た時と比べると、蔦は半分ぐらいの細さになり、先端は色が黒く変色し、枯れると言うよりは、もはや腐っていると言ったほうが良いかも知れない。
「だがね、一度《接ぎ木》が枯れちまうと、もう一度生やすのは難しい。ましてホッダは心臓の血管の一部も《接ぎ木》が補ってたから、全部枯死したら、最悪命に関わるさね」
説明しながら、棚に置いてあった、太い硝子の瓶を手に取った。中には、なにかの果実のようなものが入っている様に見える。
「何だ? それ」
「心臓の代用品さ」
軽い疑問を解消するつもりで尋ねたら、とんでもない答えが返ってきた。
セリセリセの《接ぎ木》は、四肢だけじゃなくて、内臓まで作れるのか。
「いや、こりゃまだ試作品さね。心臓の機能をもたせることにゃ成功したが、肝心のポンプが自動で動かない。ずーっと心臓マッサージを続けなけりゃ役に立たない欠陥品さね」
言われてみれば、確かに心臓に近い形をしていなくもない。
「……それで、私達は何をすればいいんです?」
リーンも、繭を覗き込み、ホッダの容態を眺めていたが、やがて顔を上げて、セリセリセを見た。
「出来る事がないなら、わざわざ呼ばないですよね」
「話が早くて助かるね。採ってきてもらいたいモンがある」
壁に貼ってあった地図を引っ剥がすと、机の上にダンと置いた。
見た感じ、セリセリセ周辺の地図らしく、俺たちが直進してきた森の奥の辺りに、印を付け始めた。
「この辺りに生息してるんだよ、マンドラゴラがね」
マンドラゴラ。
どこかで聞いたことがあるような気がする、リーンと始めた旅の途中、ではなく、確かラモンド辺りが酒の席で武勇伝として語っていたような……。
「こいつから採れる成分が、枯れかけた《接ぎ木》を立て直すのに必要さね、普段ならあたしが採りに行くところだが、今はここを離れられない」
セリセリセがリーンを見据える。何千年を生きる古き魔女に対し、現代のリングリーンの継承者は、一歩も退かずに、その視線を受け止めた。
「元々あんたらに頼みたかった仕事さ。様態の急変が無きゃ急ぐ必要はなかったんだが……悪いが採ってきちゃくれないかね。代わりに、カーヴェ川の通行はあたしが保証しよう」
「わかりました、急ぎましょう、ハクラ」
即断、即決、速攻だった。
俺だって異論はない。リーンが決めたことなら、従うまでだ。
地図を掴んで、部屋を出ると、装備を整えたクロヤと、心配そうな顔をしたアリアリアが、俺たちを待ち構えていた。
「僕は西側に、他にも必要な薬草を採りに行く。ハクラ達は東側を探してくれるかい?」
歩きながら分担を決めていく。秘輝石が入っているだけあって、合理的スイッチはクロヤにも備わっているらしかった。
「ク、クロヤ、わたしも」
後を追いかけてきたアリアリアが言いかけた言葉を、クロヤはピシャリと遮った。
「駄目だ。今回はいつも遊びに行く範囲じゃなくて、もっと奥に行く、危ないよ」
ばっさりとした拒絶だったが、俺でもリーンでも同じことを言っただろう。戦力外通告を受けたアリアリアは、しょんぼりと肩を落とした。
「大人しく留守番してろって。つーか、どれだけ持ってくりゃいいんだ?」
「成体を一匹、できれば二匹だってさ。じゃあ、急ごう」
アリアリアを置いて、屋敷を出て、まっすぐ道を進む。既に門は開け放たれていた。
残念ながら、ニコは連れていけない、というより。
「下手に『迷路』を作っちゃうと、マンドラゴラぐらい弱い魔物は巻き添えを食らって消滅しちゃうかも知れません」
とのことらしい。
クロヤと分かれた俺達は、早速森の奥に躊躇なく踏み込んでいく。
ルート確保の為、〝風碧〟で藪を打ち払いながら、俺は尋ねた。
「で、マンドラゴラってのはどういう魔物なんだ?」
「植物型の魔物です、枯れた人参みたいというか、やせ細った大根というか」
「根菜の形をしてるのはわかった」
つまり、見るべきは地面か。
「特徴的なのは、やっぱり抜いたときの反応ですね、植物って、ハクラ、フレンジーってわかります?」
「いや、フレン……何?」
「一部のウミガメとかに見られる生態です。砂浜で孵ったウミガメの子供は、生息圏である海に向かって、卵の中で蓄えたエネルギーを全力で消費して、猛ダッシュするんです。カメとは思えないぐらいの、それはもうものすごい勢いで、軽い障害物ぐらいならぐいぐい乗り越えてたりもできます、何せ、早く海にたどり着けないと死んじゃいますからね」
「ふうん……いや、ウミガメとマンドラゴラになんか共通点でもあるのか?」
「マンドラゴラは植物型の魔物にしては珍しく、能動的に動く手段がないんですよ。地面に生えっぱなしなんです」
リーンも先祖代々伝わっているという名目のご立派な杖をガンガン振り回して、自然破壊に勤しんでいた。
「マンドラゴラは非常に栄養価に富んでいて、高い薬効もあります。そうすると、私達みたいに薬として求める人間やら、お腹をすかせた魔物まで、マンドラゴラを求めてくるわけですが……みーつけた」
ガンガン突き進んでいると、やがて不自然に木々が消失し、黒い土が盛られたエリアが出現した。
その中央には、リーンの言う通り、枯れた人参の頭みたいな部位がむき出しになっている植物が、一本だけ生えていた。葉っぱが大きく青々と伸びて、1m近くはありそうだ。
「……めっちゃ目立つな」
「目立つようにしてるんですよ、ハクラがお腹空いてる獣だとするじゃないですか」
「いや、腹を空かせてる獣はお前の方……」
「ハクラがお腹空いてる獣だとするじゃないですか」
「…………はい」
勢いでゴリゴリに押し切られた、まあいいか。
「するとそこに美味しそうなお野菜があります、どうしますか?」
「ええと、まあ、掘り返して食うかな」
「そう……そうしてハクラは死んでしまうのでした、ちーん」
「なんでだよ!」
リーンは悪びれずに杖を置いて、いつもの、人差し指をぴん、と立てるポーズを取った。
「マンドラゴラは引き抜かれた瞬間、蓄えた魔素を全て使って、とんでもない叫び声を上げるんです。範囲が広がるほど加速度的に減衰していくんですけど、その分、音源に近かったらただじゃすみません。衝撃波が耳から入って、脳をシェイクされて一撃必殺です。引き抜かれたマンドラゴラは同時に種をばらまいて、そのまま個体としては死んじゃうんですけど、仕留めた獲物の死骸を肥料にして、種はすくすく育つというわけです」
「なるほど、それが、マンドラゴラのフレンジー、ってことか」
引き抜かれた瞬間、命と引き換えに周りの生物を巻き添えにする、かなり厄介な植物だ。
「…………………………で、俺らはそれをこれから引き抜いて持って帰るんだよな?」
「はい」
「…………どうやって?」
「私は遠くから離れて見てるので、ハクラにちょっと引っ張ってもらって……あ、冗談です、そんな顔しないでくださいよ! ちゃんと正しい引き抜き方がありますってば!」
「だったら最初からそう言え……危うくお前を木に縛り付けてから縄をマンドラゴラに巻いて遠くから引っ張るところだったぜ……」
「最初に私を縛り付ける所以外は合ってますけど!」
まあ普通に考えたら、音源の近くに居ると危ないなら、離れりゃいいだけの話だ。
つーか、わざわざ馬車からロープを持ち出してたからな。
「ただ、それでも鼻と口を手で塞いで、目は閉じて、耳栓をした状態で引き抜きます。頭の穴に空気の通り道があったら最後、脳が爆発して死ぬと思ってください」
「…………そんな音でかいの?」
「どちらかと言うと一種の魔法なんですよね。なので今回は」
『む』
リーンは抱えていたスライムを、突如ぶちっと引きちぎった。
「………………え、何してんのお前」
「何って、耳栓ですけど」
ちぎったスライムを更に二つに分けて、耳に詰め始めたリーン。嘘だろ。
「む、言っときますけど、アオの衝撃吸収能力は凄いんですよ。ダマスカスの矢だって、空中で見事止めて見せたでしょう」
なんか、あったなそんな事。
アグロラがリーンに向かって矢ぶっぱなした時だったっけ。
「衝撃波も、要するに振動ですから、これで軽減できるはずです、葉っぱは非常に頑丈なので、生え際にロープを巻いて思い切り引っ張れば抜けますよ。ということで」
えい、とリーンが正面に回って、俺の耳にスライムの破片を詰め始めた。身長差を考えると、必然的に顔が近くなり、細い指が耳に触れて、ひんやりとした感覚が伝わってくる。
が、それ以上にスライムの身体そのものが不自然に冷たく、異様に弾力のあるものが耳を覆う感覚の違和感がすごくて、それ以外のことを感じる余地がなかった、というか。
「うわ、マジで何も聞こえねえ」
発した自分の声ですら、くぐもったうめきに聞こえるほどだ。
当然、もうリーンの声も聞こえないのだが、やることはもうわかっている。
葉と根の間にロープを巻いて、軽く引いて強度を確認すると、既に安全地帯まで避難して、防御姿勢を取ったリーンの下へ、ゆるく持って移動する。
あとは、目を閉じて、口と鼻を押さえて引っこ抜くと。
……対策はしたとわかってても、『これから凄い音がするぞ』とわかっていることをするのは絶妙に緊張する。
リーンに習って、片手で口と鼻を押さえて、目は獲物をギリギリまで見ているために、薄目にして。
ロープを引く力を入れた、その時。
「■、■■■■■■■」
ひょい、と俺の真横に。
アリアリアが姿を現した。
視界に捉えられたのは、本当に偶然だった。あと僅かにでも遅れていたら、俺はアリアリアを視界に入れること無く、目を閉じていた。
耳栓をして、目を閉じているリーンに、気づけというのは無茶な話だ、が――
『■■■■■■!?』
スライムは、直前で気づいたようだった。二つの核が仰天を示す形に代わり、リーンの腕の中から這い出ようとした。
既に、手には硬いものを引き抜きぬいた感触が伝わってきている――全ては、本当に一瞬の間に起こった。
「■?」
まだアリアリアは、現状に気づいていない。伏せても居ないし、口をふさいでも居ない。
「この…………馬鹿!」
少しだけ、リーンの身体からはみ出したスライムに、俺の手がぎりぎり届いた……指先で引っ掛けるようにして掴み取って、アリアリアの顔面に叩きつける。『声』が聞こえたのは、どちらが早かっただろうか。
『キイエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
ほんの数秒間。
耳栓の向こう側からでも容赦なく鼓膜を叩く、大絶叫。
しかし、俺は音に驚く余裕がなかった。
声量もさるものながら、それに伴う衝撃波が、全身を貫いた。
地面からドーム状に広がっていく振動は、周囲の木々から葉を根こそぎ吹き飛ばし、枝を折っていく、逃げ切れなかった鳥達がぼとぼとと落下してくるのが、視界の端に見えた。
スライムを投げるために身を起こしていたのが災いし、全身で衝撃波を受ける羽目になったが、マンドラゴラに背中を向けていたことは、不幸中の幸いだった。
衝撃波を顔から受けることなく、代わりに、純粋な衝撃によって吹き飛ばされた俺は、何度か地面を転がってから、木に激突して、ようやく止まった。
グラグラになった視界と、キンキンと奥が響く耳から耳栓を引っこ抜いて、何とか身を起こして、顔をあげる。
『よ、よく気づいた小僧。我輩、今のは本当に危なかった』
果たして、そこにはアリアリアの顔を包んだスライムが居て。
本当にギリギリ、間に合ったことを知った。
「――――えっ、なんですか、どうしたんですか!?」
やっと目を開けて、耳栓を取ったリーンが、困惑しながら駆け寄ってきた。
「ハクラ、大丈夫ですか! 何があったんですか!」
リーンに身体を起こされながら、まだ定まらない視界で、俺は言った。
「俺が聞きてえよ……」
ロープの先に繋がれたマンドラゴラは、もう何の反応も示さなかった。
茂った葉の一部にはいつの間にか花が咲いていて、パラパラと細かい種が、宙を舞った。




