慕うということ Ⅶ
だから平然とそう返されて、俺たちは二人とも、一瞬何を言われたか分からなかった。
俺のほうが、わずかに疑問を声にするのが早かった。
「……………………はぁ!?」
「驚く程の話かい、それなりの大きさの村にギルドが出来るなんて珍しくもないだろ?」
「お、おかしいだろ! ここは――――――」
「魔女の庭だから、かい?」
セリセリセの太陽の目は、俺の動揺など見透しているのだろう。
次の言葉を継げなくなった俺の代わりに、リーンが言った。
「単純に、実現可能なんですか? デメリットのほうが大きい気がするんですけど」
冒険者が合理主義者であるように、その元締めであるギルドもまた徹底した合理主義で動く。ザシェがいい例だ。
言い換えるなら、よりによって北方大陸の、しかも教会に場所が割れている魔女の庭にギルドを作るなんていう、ギルドと教会の関係を致命傷レベルまで悪化させるようなデメリットを上回る、何かしらのメリットが存在する、ということになる。
「あたしの契約した悪魔はブェルベル・スィスォスィスァスォスゥスォつってね」
「なぁ悪魔って舌を噛みそうな名前の奴しかねえのか!?」
「はい、舌を噛みそうな名前の奴しかいません!」
「そうかよ!」
ルシルフェルやティタニアスはまだ良いほうだったらしい。いや、それより。
「……ブェルベルって何位だ?」
「第二位です。ティタニアスと並ぶ七大悪魔の一体です」
つまりイスティラと同格、セリセリセは文句なしに最上位の魔女であり、ついでにアリアリアは最上位の魔人ということになる。
「ブェルベルの権能は草花と虫の支配、つまり植物を操る悪魔さね。そしてあたしの研究は『植物と人体の融合』さ、ホッダやサレッタのように、体の一部を植物に置換できる」
ならば、ザシェが『メリット』としてセリセリセに見出したものは何か。
答えを、俺はもうこの目で見た。見てしまった。
「職人なんかが事故で体を失う事はあるさ。ウチだって指を飛ばしちまった奴がいてねぇ、代わりの指を作ってやったもんだよ。だがね、この世界で一番体を欠損する職業とはなんだい?」
そんなもん、決まってる。
「……冒険者」
「そう、冒険者だ。魔物との戦いで手足を失って引退する冒険者なんてそこかしこにいるだろう? あたしはそいつらに失ったパーツを供給出来る。あたしは《接ぎ木》って呼んでるけどね、みてくれはちっと悪いが、リハビリをきっちりやりゃ、細かい作業だって出来るようになるさ」
ギルドにとって最大の損失、それは冒険者を失うことだ。
腕利きであればあるほど、経験を積めば積むほど、難易度の高い《冒険依頼》が回ってくるようになる。
高額の報酬と、実力と、危険は、全てイコールで繋がっている。必然的に、熟練者ほど大きな傷を負いやすい。
実際、四肢を失って引退に追い込まれる冒険者は、セリセリセの言う通り、珍しくないのだ。どんな所に居てもおかしくないぐらい、ありふれている。
セリセリセの技術は、その状況に一石を投じられる。秘輝石さえ失わなければ、手足を失っても再起できるとあらば――冒険者は合理主義者の集まりだ、その技術がどこ由来かなんて関係ない、あっという間に受け入れるだろう。
見た目が悪かろうが、魔女の技術だろうが、使えるなら使うし、便利なら定着する。
「ま、正直な所、あたし一人がこの村でちまちま研究を続けても、いい加減頭打ちでね。あたしは技術を、ギルドは資金と資材、それと人員を提供し合って、研究拠点を作ろうって話さね。そもそも施術できるのがあたしだけってんじゃあ、肝心の普及が出来ないだろ?」
セリセリセがお茶をもう一口飲もうとして、カップの中身が空であることに気づくと、俺の前に置いてあったお茶に手を伸ばし、それを奪っていった。
「だから、別に今日明日でどんとギルドをおっ建てようって話じゃあないのさ、手紙のやり取りを裏でこんなちまちましてる時点で、急いじゃいないさね。レレントの問題が落ち着くまで待ってたって全然構わない。政治的な根回しも考えりゃ、十年で形になりゃあ、御の字だろうよ」
長寿の魔女にとっては短いのだろうが、普通の人間にとっては、人生の大部分を占める時間。
十年、それだけの時間をかける価値があると、あの男が判断し、少しずつ、夢想を現実にしようとしている途中なのだ。
「デメリットはないんですか?」
「普通の人間だと拒絶反応が出るから、繭にぶちこんで《接ぎ木》した部分と身体の差異を調整する必要があるさね。あんたらも経験あるだろ? 身体に異物をぶちこんだ時の痛みはさ」
「あー、秘輝石を入れたときの反応と一緒なんですね」
冒険者なら誰でも体験したことがある、秘輝石を手の甲に入れた夜の痛み。
秘輝石が神経に根を張るから、と説明されたが、理屈としてはアレと同じということか。
「そういうことさ、なもんで、冒険者なら身体が魔素に馴染んでる分、定着はむしろ早いさね。繭が必要ないのは実験済みさ」
「…………はー」
リーンが大きく息を吐いた。
「びっくりしました、でも、納得しました」
「……納得って、何がだよ」
「え、だから、ザシェさんがセリセリセさんと契約した理由ですよ。ハクラは納得できなかったんですか?」
きょとん、とした顔で俺を見たリーンは、その時点で警戒心を解いたらしい、ようやく自分のお茶に手を付けた。
「………………えっ、嘘、美味しい! ハクラ、このお茶すごく美味しいですよ!?」
「今日一番でかい声出したじゃねえか」
食い物に目がないリーンが美味いと言うんだから、そりゃ上等なんだろう。
俺の分はセリセリセに奪われたので無いが……別にどうでもいい。
あっはっはっは、と快活に笑いながら、セリセリセ。
「品種改良はお手のモンでね。ギルドが出来て交易が増えたら、メインは茶葉や野菜、飼料になるだろうさ。アリー茶として輸出しまくるよ」
「セリセリセ茶じゃないんですか」
「味に関しちゃ、あの子の意見を随分と取り入れたからねぇ」
「……………………」
納得してないのか、とリーンは言った。
違和感。焦燥感。嫌悪感。
渦巻く感覚は、どうにも消えない。納得なんて出来ないに決まっている。
「……茶飲んだら、行くぞリーン」
「えっ?」
何だ、その『全然想定してなかった』みたいな顔は。
「一泊したくないから森突っ切ろうって話だったろが!」
「そ、それはそうなんですけど、ハクラ、セリセリセさんの話を聞いてましたか!?」
「聞いてたけど、何だよ」
色々言っていたが、俺からすりゃ要するに如何わしくて疑わしい、胡散臭いだけの話に過ぎない。そしてそれらは究極的にはザシェとセリセリセの問題であって、俺には直接関係ないのだ。これ以上関わりたくないし、長居もしたくない。
リーンも同じ意見だったはずなのだが、立ち上がった俺のマントの裾を掴みながら、こいつは本気の顔で言った。
「植物の品種改良が得意ってことは…………お野菜も美味しいはずじゃないですか!?」
『お嬢………………』
ここに来て、リーンの本能、もとい食い意地が大爆発し始めた。
女の一人旅で培ったリスク管理はどこ行った。
「いや、本当にお茶が美味しかったんですって、飲んでみてくださいよ!」
「飲まれたんだよそこの魔女に!」
「あぁ!? あたしの娘が入れたお茶が冷めそうだったからだろうが!」
急にキレたセリセリセが割り込んできた。どういうタイミングだよ。
「仕方ないねえ、もう一杯淹れてやるさね、あたし手ずから……あたし手ずからね……!」
「いらねえ、来るな、にじり寄ってくるな」
じりじり詰められる距離を、徐々に後ろに下がって保つ。
というか、立ち上がられると、セリセリセは俺より背が高い。
別段、俺が特筆して背が高いというわけではないにせよ、女に見下ろされるのは、もしかしたら初めての経験だった。
……イスティラは小さく、あの時も、俺は階段の上から……。
「たっだいまーーーっ!」
ドバァーン! と激しい音とともに、大きくて元気な声が玄関の方から響いた。
アリアリアが帰還したらしい、なんてタイミングと、なんて音だ。
「ああ、おかえりー! ってコラ扉思い切り開けるなって言ってるさね! ほら、アリーも帰って来たし、とりあえず座んなよ」
へらへらと笑いながら、セリセリセの手が俺の肩を軽く叩いた。
……油断はしていなかったつもりなのに、一瞬、アリアリアに気を取られた瞬間、もう距離を詰められて、触れられていた。
「多分、その方がアンタにとってもいいはずさね」
「……どういう」
意味だ、と言いきれなかったのは、今度は食堂の扉がズガァーン、と言う音と共に、勢いよく開け放たれたからだった。扉に対してあらゆる容赦がない。
「今日はお客さん沢山だから作りがいあるかなっ! 鶏とお野菜貰ってきたし、これはもうシチューにするしかないかな!」
想像を裏切らない、元気なアリアリアが居た。両手で布袋を抱えているので、足で扉に蹴りをぶちかましたものと思われる。
「シチュー! ハクラですよ!」
「逆だ逆!」
リーンは完全に食欲に支配されている、もう駄目だ。
俺がこの状態で、なお自分の意見を通そうとするなら、リーンを抵抗できないよう気絶させて馬車に押し込んで、大脱走する他に無い。
だが、果たしてシチューを食いのがしたリーンが意識を取り戻した後、俺を生かしてくれるだろうか。あらゆる謝罪と懇願が通じない可能性がある、俺は決断を迫られている。
「……ハクラ?」
……そんなことを考えてしまっていたから、不意に呼ばれた自分の名前が、誰の声だったのか、すぐに分からなかった。
リーンじゃない、スライムでもない、勿論セリセリセでも、アリアリアでもない。
それは、初めて聞く男の声だった。
なのに、俺はその声を知っている。
アリアリアの背後から、片手で、野菜がはみ出した袋を抱えた男が、姿を現した。
二の腕まで伸びた、真っ黒な髪の毛。色素の薄い、特徴的な青い瞳。
「見間違えじゃ、ないよね。やっぱり、ハクラだ」
俺の知る姿より、随分と背が伸びていた。
あの頃、少し見上げるだけだった頭の位置は、記憶にあるそれよりももっと高い。
声は低くなっていて、随分と大人らしくなった。
それでも、間違えるわけがない。
「……クロ、ヤ」
言いたいことがあっても、俺やカイネの事を優先して、いつでも、困ったように笑う奴だった。ちょうど今の様に。
キシリ、と硬いものが軋む音が、僅かに聞こえた。
「――――――っ」
反射的に、音の出処を見てしまった、クロヤの下半身、あの時、食い千切られた、失ってしまったはずの、右脚。
そこには、木の根が複雑に絡み合った、異形の足が生えていた。
眼の前に、過去がやってきた。現在の歪みを身に宿して。
俺が助けられず、俺が見殺しにしたはずの、友達の姿が、確かにそこにあった。
お互いの名前を呼んだまま、向き合って動かない俺達に、リーンはえ、え、と困惑しながら、掴んだままの俺のマントを、さらに引いた。
「ハ、ハクラ、友達なんていたんですか!?」
「お前さあ……」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
一方、クロヤを連れてきたアリアリアは、すごいすごいと大はしゃぎだった。
「えー! クロヤのお友達だったのかな!? ごめんね、サプライズとか言ってる場合じゃなかったかな……いや、ママ、実は知ってたんじゃないかな!?」
「うん、ふつーに知ってたから驚かせようと思って引き止めてたさね」
「もっと早く言ってほしいかなーっ! あ、クロヤ、お手伝い良いから、友達とゆっくり話してほしいかな!」
クロヤの抱えていた袋を奪い取ると、どたどたと荷物を食堂の裏……多分調理場に運び込んでいくアリアリア。
「うふふ、お気遣いしちゃった。わたしってば出来る女かなー」
「そういうのは口に出さないほうが点数高いよ、アリー」
「がーん!」
聞こえる独り言に横槍を入れるクロヤのそれは、あまりにあの頃と同じだった。
「……えっと、ハクラ。出発します?」
流石に申し訳無さそうに聞いてくるリーン。
ニヤニヤと笑う魔女の目論見に乗せられた事を自覚しながら、拳を強く握りしめた。




