慕うということ Ⅵ
「はい、どーぞ!」
有無を言わさず部屋から締め出された俺たちは、そのままアリアリアの案内で食堂に移動した。眼の前に透き通った緑色のお茶が置かれたが、現状の気分では、到底飲む気になれない、というか。
「……なあ、さっきのって」
「ん、ホッダ君かな! 年齢はわたしより一個下で、スカートめくりが得意かな」
「いや、そんなパーソナルな情報はどうでもいいんだが……」
聞きたいことはどう考えてもそうではない。
「あの右腕は、お母様が?」
俺の言いたいことを、代わりにリーンが聞いてくれた。腕に絡んできた、あの蔦の感触が蘇る。
「そうかな! ママは村一番のお医者さんだもん」
「……医者?」
思わず口に出たその疑問に、アリアリアの方が戸惑ったようで。
「あれ、身体の悪いところを治すのが、お医者さんだよね。違うかな?」
「いや、間違っちゃ、いないが……」
どう返して良いものかわからず、それ以上何も言えないまま数分が経過した所で、
「いやー、終わった終わった」
人繭のセリセリセを名乗った女が、乱暴に扉を開け放って、食堂に入ってきた。
「お疲れ様かな、お茶淹れてあるよ」
「ありがと、アリー。ついでで悪いんだけどちょーっと大人の話があるから、あんたサレッタの所に行ってきな。ホッダは一晩家で預かるってよ」
「えー! もうわたしの分までお茶淹れちゃったかな、蜘蛛さんに手紙書いて渡してよ」
「もうすぐあの子の仕事が終わるだろ、ついでに迎えに行っておやりよ」
「あ、そうだったかな! 行ってくるかな!」
一瞬ゴネたアリアリアだったが、そう指示されるとはっと顔を上げて、すぐさま食堂を出て行ってしまった。
普通の、母子の会話、という感じだった。
「……なんつーか、元気な奴だな」
クレセンやテトナとはまた別方向に活動的で、忙しない。
「かわいいだろ、自慢の娘さね、嫁にゃやらんよ」
「いらねえよ」
ただでさえ鏡を見ているみたいで、若干落ち着かないっつーのに。
ともあれ、食堂に残ったのは俺、リーン、スライム、そして……人繭のセリセリセ。
改めて対峙すると、座高だけでも俺より高い。体格の良さが嫌でも目につく。
泥のように浅黒い肌は、どちらかといえば東方でよく見られる色だ。
グシャグシャのまま乱雑にまとめた長い髪には見栄えという概念はなく、衣服は魔女らしい荘厳さを微塵も感じさせない、着古した作業着だった。
……その瞳は太陽の残光のように爛々と輝く、橙色をしている。
「やー、悪い悪い、すぐに行ってやるつもりだったんだけど、あの坊主いきなり駆け込んできて腕ぇ動かなくなったとかのたまうもんだから」
が、開く口から出てくる言葉は、緊張など一片も感じさせない、力の抜けた気楽なものだった。
「……あのガキは」
その態度に、どう応じていいか分からず、なんとか絞り出すように、言葉を区切りながら、真っ先に問うべき疑問を口にした。
「どうしたんだ。あの右腕は、何だ」
俺の目には、何かしらの植物に寄生されているとか、取り憑かれているように見えた。
すると、セリセリセはにやにやとしながらこちらを見た。
反応を楽しんでいるようにも、小馬鹿にされているようにも、どちらにでも取れる表情だ。……まるで、あの女のように。
「ありゃあ、あの子の腕だよ、見たままさね」
「見たままって」
「あの子の家族は、昔大火事にあってね」
ずず、とセリセリセがお茶をすする音が、食堂に響いた。
「サレッタは体が半分焼けちまったし、ホッダは倒れてきた柱に右腕を潰されちまった。だもんであたしが代わりを作ってやったんだよ」
あまりにあっさりというモンだから、一瞬、話に理解が追いつかない。
なくなった体の代わりを、作った?
「見た目はあれだけどね、指までちゃんと動くし神経も通ってる。その気になりゃ自分の意志で伸ばすことも出来る……つっても植物だから毎日水と肥料やらないと枯れちまうんだけど、あのガキ両方サボりやがってからに。今は治療中だけど、今夜は痛みで寝れないだろうよ。ま、いい薬さね」
「じゃあ、ホッダ君のお母さんの……その、皮膚も?」
リーンが尋ねると、セリセリセは苦笑して頷いた。
「ああ、あれこそ見た目悪くて申し訳ないさね、皮膚の移植に向いた木はこの辺にゃ生えてないんだよ。東方か、もっと北にいきゃあすべすべした材質の樹があるんだがね、ほんとはもっと美人なんだよあの子は」
しみじみと語り始めた魔女のそれに対して、俺の理解は未だ追いついていなかった。
「まー初見じゃ驚くのも無理ないさね。あんたらの反応はまだマシな方だよ」
一体、何を言ってるんだ。
それじゃまるで、魔女が人の為に力を使ってるようなもんじゃないか。
その動揺を見透かしたかのように、セリセリセは、肘をついて、にやにや笑いを崩さず、俺を見た。
「疑わしいかい? あたしの事が」
「………………あぁ、死ぬほどな。何企んでやがる」
「ハ、ハクラ!」
リーンが俺を咎めるように割り込んだ。頭では眼前の魔女に敵対的な行動を取るべきではないとわかっていても、それをどうにも抑えきれない。
「あっはっはっはっはっはっは!」
だが、肝心のセリセリセは、その態度に両手を叩いて、大笑いした。
「いや、悪い、馬鹿にしてるわけじゃないけどね、それぐらい素直に言われると、逆に気に入っちまうさね」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、セリセリセはお茶を飲み干した。
空になったカップを置いて、改めて、並ぶ俺とリーンを見る。
「――――森の中で、あたしの作った繭を見たろう?」
声のトーンが一段階下がって、瞳の中の橙色の圧が、増した気がした。
「……ああ、中に人が入ってた。まだ生きてた」
アレを作り出した魔女に、どんな善性を見出して、何を信じろというのか。
この村がどれだけ平和そうに見えても、どれだけ人々が慕っているように見えても。
その事実は変わらない、こいつは、魔女なのだ。
『あの者達はミアスピカの教会騎士であるな』
リーンの腕から、スライムが、ぴょいとテーブルの上に飛び乗った。
『門番の身につけていた兜に、レレントにやってきたミアスピカの正規騎士と同じ紋章があった。鹵獲したものを流用したのであろう?』
「そりゃ、もったいないからねえ。金属も木材も何も足りてないんだ、使えるものは使わないと」
アラクネを通して森を見張っていたセリセリセは、喋るスライムにも動じず、そのまま会話を続けた。
『ミアスピカ大聖堂のお膝元に魔女の庭があるなど、あのコーランダ大司教は認めはしまい。騎士の一軍を派遣するぐらいは、当然するであろう。ザシェ殿の配下が行き来した程度では、ああも通りやすい道は生まれまいよ』
そういや、辺鄙な場所にある村へ行くにしちゃ、やたらとルートが整備されていた。
あれは教会騎士達が、移動した痕跡だったのか……多分、森が切り開かれていたのも、同じ理由だろう、途中で道が途切れていたのも。
道中、アラクネに襲われて、全滅して、人繭にされた。
「言いたいことがありそうだね」
「無いと思うのかよ」
「じゃあ聞くがね、イスティラの息子」
「その呼び方はやめろ」
自分でも、怒気が籠もっていたと思う。
多分、次呼ばれたら、俺は全ての事情を投げ捨てて、斬りかかっていたかも知れない。
「そりゃあすまんさ、それなら聞き直すよ、坊や。あたしがしたのは悪いことかい? 村人もろとも焼き払いに来た連中を生かして帰さなかった事が?」
「そ――――――れは」
投げつけられた言葉は、俺の口を噤ませるのには十分だった。
「あんたらに証明する方法はないけどね、警告はしたよ。それ以上近寄るな、帰るなら何もしない。進むのであれば死ぬより辛い目に合う――まぁ聞くわけはないとわかっちゃいるがね。坊や、信仰で攻めてくる敵は厄介だよ。なにせ自分が正義だと信じてる」
細められた魔女の瞳は、俺が知る、超越者のそれと同じ淀みを持ちながら、
「あたしはこの村の主だ。ここで暮らす連中の今日と明日を守る義務がある。それを脅かそうとする外敵にゃ、容赦はしない。生半可な情で生かしたら、今度はもっと大部隊がやってくるからね、徹底的にやるさ。人一人から搾り取れる養分の有効性も、あたしはよく知ってる」
為政者である、ギルクやクルル、あるいはヴァーラッド伯と同じ光が、ちらついた。
「この村の人たちは、それを知ってるんですか?」
スライムを抱きかかえ直しながら尋ねたリーンに、セリセリセはそりゃそうさね、とあっさり肯定した。
「今の子供達世代は流石に知らんけど、祖父祖母の世代ぐらいならね。そもそも北方大陸に居場所のない逸れモンが集まったのが、この村の始まりさね」
「じゃあ、セリセリセさんも?」
「いや、あたしがここに流れ着いたのはたまたまさ。二、三百年位前かねえ。適当にぶらぶらしてたらこの村の前身に辿り着いて、流行り病の薬を作って、事故で手足を失った連中に代用品を用意してやって、色々やってたらこんな事になっちまった」
言動に、矛盾はないように思える。
行動にも、確固とした理屈があって、それは俺の安易な道徳観で否定できるものではないのかも知れないと、思い始めている。
それでも、俺の中にある何かが、納得できないと言っている。
「ま、あたしの話はこれぐらいでいいさね、それより、あんたらここに何しに来たんだい」
「あ、そうでした。手紙を預かってきたんでした」
「忘れんなよ」
ザシェの命と五千万エニーがかかってんだぞ。
封書を受け取ったセリセリセは、裏表を確認してから、封の部分をじっと見て、
「あんたら、中身を見なかったのかい?」
にやにや笑いに戻って、そう言った。
「すっごい気になりましたけど、当人以外が中身を見ちゃいけない、みたいな契約だったら困るので」
「さすがルシルフェルの継承者さね、賢い賢い」
答えに満足したのか、セリセリセはその場で封を破って、パラパラと中身を読み始めた。恐らく一分にも満たない時間で、本当にざざっと目を通しただだけで、
「あーっはっはっはっはっはっはっはっは!」
先程とは比べ物にならないぐらい、大笑いをし始めた。
「いやー、別に落ち着いてからでも良かったのにねえ、ザシェの坊やは相変わらず律儀さね。あたしだって〝竜骸〟が大暴れしてすぐ人を寄越せなんて言わないさ」
俺たちは〝竜骸〟に纏わる事件が(政治的な部分を除けば)解決した直後に、もうこの村に向かっていたはずだが、セリセリセは内容も顛末も把握しているらしかった。
「聞いていいなら聞いちゃいますけど、どういう内容なんですか?」
気になっていたというのは嘘ではないらしく、あわよくば中身を知ろうと、しれっと聞く辺り、さすがリーンの図々しさだ。
「ああ、ウチにギルドを作る為の取り決めに関する話さね」




