慕うということ Ⅴ
「びっくりしたかな! だってわたしにそっくりだし……生き別れの兄妹説があるかも知れないと思ったかな」
「生き別れの兄に心当たりがあんのかよ」
「ないかなーっ」
あはは、と笑うその様子からは、悪意も敵意も感じ取れない。むしろ俺がまだ、そんな簡単に切り替えられない。
俺より年下なのは間違いない、見た目だけで判断するなら、十代前半ぐらいだろうか。
ちょうど、あの時の俺たちと同じぐらいの、年齢の子供。
「あなた、魔人ですね」
俺より一歩前に出て、リーンが言った。
魔人。女が魔女になる為に、悪魔と契りを交わした時に稀に身ごもる、魔女と悪魔の混血児。つまり、俺のことだが。
「マジ……マジン? わたし、そうなのかな?」
一方、言われた少女は困惑、というか、聞き覚えのない単語に、不思議そうにしていた。
リーンの声色には少なからず警戒が滲んでいたが、その辺りを気にした様子もなく、その先の説明を待っているのか、首を傾げているばかりだ。
「…………え、何、魔人ってこんな顔似るの?」
「髪と目の色は、はい、一律で白と赤ですね」
知らなかった……っつーか自分が魔人というカテゴリに入ることもリーンと出会ってから知ったぐらいなので、他の魔人となんて、当然会ったこともなかったわけで。
「……ってことは、お前、セリセリセの」
この村に居る魔女はいくらなんでも一人だけだろう、つまり必然的に。
「そうかな! 偉大なる魔女、人繭のセリセリセの一人娘! アリアリア・セリセリセとはわたしのことかな!」
コチラにとってはそれなりに重い意味を持つ問いかけだったのだが、当のアリアリアは堂々と、かつ自信たっぷりに宣言した。
つーか……。
「噛みそうな名前してんな!」
「失礼なこというかな! 言いやすいかな! アリアリア・セみぐっ」
早口で繰り返そうとした結果、どうやら思い切り舌を噛んだらしい。
「………………」
「……大丈夫ですか?」
その痛がり様たるや、あのリーンですら、純粋に心配から声をかけてしまうほどだった。
「…………い、言い訳をさせてほしいかな」
しばらくうずくまっていた、アリアリアを名乗る娘は、口元を抑えながらも、なんとか立ち上がった。涙目だが、前だけはしっかり向いていた。
「……どうぞ」
「こ、この村でわたしの名前を知らない人なんていないから、自己紹介慣れしてないかなっ! そもそも名前は人から呼ばれるものだし!」
つまり噛みそうな名前の被害を喰らうのは周りの人間ということか……。
「さあっ、噛みやすいわたしの名前を言ってみるといいかな!」
「開き直ったぞこいつ」
とりあえずリーンの出方を伺おうと視線を向けると、お任せくださいと言わんばかりに、にっこり笑った。
「じゃあアリーちゃんって呼んでいいですか?」
「速攻で攻略されたかなーっ!?」
どうすんだ、ちょっと面白くなってきたぞ。
「まーみんなそう呼ぶし、いいかなっ」
そしてすぐに立ち直った。テンションの乱高下が激しい。
「っと、愉快で楽しいおしゃべりしてる場合じゃないかな。あたし、ママに言われてお客さんを迎えに来たんだったかな」
ママ。
つまり、人繭のセリセリセ。
俺たちが来たことはとっくにご存知ってことか。
「で、で、お兄ちゃん達は名前、なんて言うのかな? わたしより当然言いやすい名前なんだよね?」
どうもテンポを崩されがちだが、流石にここに来て自己紹介しないわけにも行かない。
「……ハクラだ」
「リーンです、リーン・シュトナベル。こっちのお馬さんはニコちゃん、これはアオです」
『お嬢………』
スライムが『これ』扱いなことに今更とやかく言うまい、本人が抗議の顔をしてるがリーンは素知らぬ顔だった。
「とっても言いやすいかなーっ! よろしくねっ」
そして、やはりというべきか、喋るスライムにも、特に驚いた様子はないようだった。
「じゃあついてきてー、わたしのお家に案内するかな!」
歩き出すアリアリア。
リーンと顔を見合わせ、頷き合い、とりあえず黙って見送ってみた。
………………………あ、戻ってきた。
「どうしてついてこないかなーっ!?」
「いや、どうしてと言われても……」
飯を食うことすら警戒していた最中、魔女の庭の中の、ド直球の相手の本丸に、流れで乗り込むのは流石に無警戒がすぎるというか。
「……悪い子じゃなさそうなんですけどね」
「わかんねえだろ、まだ」
「いっそ、《冒険依頼》だけなら手紙をアリーちゃんに届けてもらえばいいんじゃないですか?」
「いや、万が一、こいつが手紙を渡さずに持ち逃げしたらザシェの命がないだろ」
無警戒な囮を餌に、根城まで獲物を引きずり込む、くらいのことは、当然やってのけるからこそ、連中は『魔女』と呼ばれるのだ。
「こ、こそこそ内緒話を、目の前で始められたかな……」
しかし目の前で落ち込み、さり気なくニコのたてがみを撫で始める姿を見ていると、本当に罠なのか、疑わしくはなってくる。
俺たちが警戒し過ぎなのか、それとも……。
「あぁ、アリーちゃん、ちょうどいいとこに」
不意に、通行人が俺達に……というか、アリアリアに近寄ってきた。
「あ、サレッタおばさん、こんにちはかな! もうこんばんは?」
「こんばんはかなあ。ねぇ、うちの子見なかった? お昼からずーっとどっか行ってて」
「んー、見てないかな。ママに聞いてみる?」
「お願いしていい? ……あれ、こっちの人達は、冒険者さん?」
「そう! ママのお客さんかな!」
「あらそう、どうも、こんばんは。観光名所みたいなところはないけど、いい村だから、のんびりしていってちょうだいね」
「ど、どうも……」
そう返した俺の言葉に、動揺が混ざってないといえば嘘になる。
アリアリアに話しかけてきたのは、門番のおっさんと同じく、どこの村にでもいそうな主婦だった。片手に藁かごを持って、買い物の帰りに見える。
……顔の半分が、鱗のようなものに覆われていなければ。
よく見たら、それは鱗というよりも、もっと細かく、脆そうな、乾いた樹皮だった。
細かくて薄い樹皮が折り重なって、皮膚の代わりに生えている、というべきだろうか、それが首の付根まで……おそらく、さらにその下まで広がっている。
本来眼があるべき部分には、固形化した樹液のようなものが詰まっていて、動きから、瞳として機能していることがわかった。
自分がどういう目で見られているのかはわかっているようで、サレッタおばさんと呼ばれたその人は、苦笑してこちらに一礼したが、無礼を咎めるようなことも言わなかった。
一方、アリアリアは、壁に張り付いていたアラクネを両手でひょいと掴んで……っておいおいおい。
「ママー、ホッダくんどこにいるかわかるかな?」
あろうことか、アラクネに対してそう尋ねると、アラクネはアラクネでわしわしと両足を動かして、何やら意思表示を行った。
「あ、ママのとこいるみたいかな」
「本当? まーたセリセリセ様にご迷惑かけて……アリーちゃん、お家帰って、まだうちの子がいたら早めに帰ってくるように言ってくれる?」
「はーい!」
アラクネを地面におろし、サレッタと手を振って別れると、それまでの流れをここぞとばかりになかった事にして、
「おまたせおまたせ、さあ、行くかな!」
と笑顔でのたまった。
「……なあ、今のアラクネは、セリセリセとつながってるのか?」
俺の質問に、アリアリアはなんともないようにうなずいた。
「うん、ママはあの子達を通して、村の中を見たり聞いたりしてるから、言いたいことがあればそこらへんの子を捕まえればいいかな! 喋れないからお返事はジェスチャーだけど。手をわしゃわしゃ、ってした時は、『家においで』の合図かな」
……つまり、森の中にいたアラクネ達と対峙した時点で、俺達はもう魔女に捕捉されていたということで、行動が全て筒抜けだったからこそ、アリアリアが俺たちのもとにすぐさま駆けつける事が出来たのだろう。
魔女の『眼』として機能する使い魔が村中にはびこり、それを当然のものとして使っている村人たちがいる。
「……覚悟決めるか」
いざとなったら、武力行使だ……あの時は選択肢にすらなかったことが、今なら出来る。
大通りをまっすぐ歩くと、アリアリアの言うとおり、すぐに建物が見えてきた。
古ぼけた、長い年月を思わせる、城と砦の中間ぐらい、というべきだろうか。サイズだけならヴァーラッド伯の屋敷の半分以下だ。
外門は開放されている……というか、ボロボロに錆びて役目を果たしていない。
数匹のアラクネが門番代わりにひっついているが、俺達をちらりと一瞥しただけで特に何をするでもなく、代わりと言ってはなんだが、村の外壁にもあった茨が、城の全体を同じように覆っていた。
……中に入ってから、あれに入り口塞がれたら出られねえな。
「馬車はここに停めてくれていいかな」
言われた通り、庭まで馬車を乗り入れて、しかし車輪は固定せずに。
「ニコ、頼むぞ」
『きゅ』
耳元でそう言うと、意図を理解してくれたようで、噛みつかずに頷いてくれた。本当に賢いなこいつ。
俺たちが閉じ込められても、ニコが外部から扉をぶち破ってくれれば離脱の目がある、曲がりなりにも霊獣だ、アラクネ共に囲まれて襲われても、多分、大丈夫だろう。
「ママー、ただいまー」
そうこうしているうちに、アリアリアが古城の扉を開け放ち、案内に従うまま、俺たちは魔女の居城に足を踏み入れる事となった。
思ったより、明るい、と感じたのは、光水晶がそこいらに設置されているからだろう。調度品の類も、古さは感じさせるが、しっかりと手入れされていた。
俺の記憶にあるイスティラの居城は、外見と中身の広さが違ったが、ここはどうやらそういう仕組はないらしい。壁紙も絨毯もどこか色褪せていて、純粋に年月を伺わせる造りだった。
アリアリアはまっすぐずんずんと突き進んで、正面の大きな扉に手をかけた――瞬間
「ぎゃああああああああああああああ!」
その向こう側から、大きな悲鳴が聞こえてきた。
まだ若い、恐らく、少年の声。
「助けてぇぇえ! 誰かぁぁぁ!」
その声に、気づけば足が前に出ていた。
悲鳴に驚き、硬直したアリアリアの後ろから、扉を開け放つ。
俺の視界に飛び込んできたのは、十歳かそこいらの子供だった。
この村で散々見てきた、どこにでも居る、普通の少年だ。
右肩から先が、何かしらの植物の蔦で覆われていることを除けば、だが。
「っ、チャンスだ!」
子供は俺に気がつくと、その蔦で覆われた指が、鞭か何かのように伸びて、俺の腕に絡みついてきた――――ってちょっと待て。
「うおおっ!?」
予想だにしていなかったアクションに、狼狽したのは俺の方だった。腕を締め付ける力は存外に強く、しかし〝風碧〟を抜いて切断して良いのか、一瞬ためらった。
その僅かな間を埋めるように、子供の背後に居た背の高い女が、
「――――こンのスカポンタン!」
子供の頭を、ゲンコツで思い切りひっぱたいた。
その衝撃で俺の腕に絡んでいた蔦が解け、ぐにゃりと力を失って、床に垂れた。ぱきぱきと音を立てて、末端から急速に水分が失われ、風化していく。
「いってぇぇえええええええ! 何すんだよぉ!」
「何もクソもないさこの馬鹿! 毎日水やって栄養剤打たなきゃアンタの腕はすーぐ枯れちまうんだって何百回も言ってるさね!?」
「だからって繭ん中入るのやだよ! アレ痛いし痒いし!」
「虫歯と同じさね! 面倒だからって放っておいたら取り返しの付かない事になんだ! 事もあろうに思い切り伸ばしやがって! 見な! もう端っこから枯れてるさね!」
「ああああほんとだぁぁぁ!」
ジタバタと暴れる子供の、服の襟をひっつかんだ女は、ようやく顔を上げて、こっちを見た。
「悪いねぇ驚かせて、ちぃっと待ってな。アリー! 茶でも出しとくさね!」
「い、いや、待て、何やってんだお前……!」
〝風碧〟の柄に手をかけたまま、固まってしまっていた俺が何とか絞り出した言葉に、
「悪ガキにお説教と、ついでに診察と治療さね! 安心しな、あんたらが誰だかはちゃんとわかってるから」
その女は当然のように言った。
「あたしは〝人繭のセリセリセ〟、初めましてだね、イスティラの息子」




