慕うということ Ⅳ
そこから進むことしばらく……道の開拓は途中で止まっていたので、最終的にはニコの『迷路』が火を噴き、予定よりもだいぶ早く、そろそろ日が暮れ始めるかな、というタイミングで、村の入口が見えてきた。
「なん、だありゃ」
それが放牧的な『村』と呼んで良いものではないことが、一目でわかるほど、異様な光景だった。
外壁の周りに、黒い茨の蔦が幾重にも絡みついて、それらが常に生物のように流動している。森に向かって数え切れないくらいの根が伸びていて、それも時折、血管のように脈動している。
イスティラのそれとは違うが、間違いなく『魔女の庭』であることを、嫌でも思い知らされるその景色の中で、一番『おかしい』風景は。
「うん? おぉーい! 何してるんだ君たち、そっちは危ないぞー!」
村の入口、門の前に立っている…………中肉中背で髭の生えた、どこにでもいそうな、普通のおっさんがいた事だった。
一応、兜に鎧に槍にと、装備を身に着けてはいるものの、普通の村で普通の村人が、普通に外敵に対して見張りを立てているのと変わらない。
「君たちは旅人かい? ひゃあ、森を抜けてきたの。凄いことするねぇ。この村に来る人は大体あっちから迂回してくるんだけどねえ」
おっさんは目を丸くしながら、地図に記された迂回ルートを通っていたら、そっちから来ることになったであろう方向を指さした。
「…………あ、あの、ここってセリセリセ、であってます?」
流石のリーンも動揺しながら尋ねると、おっさんはあっさりと頷いた。
「ああ、ここはセリセリセの村だよ。お客さんかい?」
「ええと、《冒険依頼》で来ました。手紙を預かっていまして……」
「手紙……あーあーあー、あれだ、ギルドの人だ。なんだなんだ、いつも来る人と違うからわかんなかったよ……もしかしてラッヘル達になんかあったのかい? 怪我とか?」
ラッヘル、というのは恐らく、ザシェがセリセリセに派遣していた冒険者の名前だろう。
「あー……ちょっとレレントでひと悶着ありまして、私達は代理で……多分次はその人が来るんじゃないですか」
「ああ、なるほど、そっか。いや、よかったぁ、最近来ないから心配してたんだよね。おっと、今、門を開けるよ」
普通の門番が、普通の冒険者にする、普通の対応だった……いや、《冒険依頼》の依頼書を確認しない時点で、そこらの村より警戒心が薄い、俺たちが山賊や野盗である可能性を全く考慮していない。
『御仁、兜が似合っているな』
リーンに抱えられたスライムが、不意にそう言った。
コーメカが食用として使っていたように、スライムを家畜にすること自体はそこまで不自然、というわけでもないので、リーンも都市部以外では隠そうとはしていないのが実際のところだが、かといって魔物が言葉を喋り始めると話は変わってくる。
普段、このスライムが絶対にやらないようなことをしたもので、俺もリーンも咄嗟に遮ることすら出来なかったのだが、当のおっさんは。
「うん? 今喋ったのはそっちのスライムかい? はっはっは、ありがとよ。もらいもんだけどね」
笑って、受け入れるだけだった。
「おい何やって――――」
『気をつけろよ小僧』
一拍遅れて、口を開いた俺に、悪びれること無く、スライムは小声で言った。
『この村は、我輩の存在を容易に受け入れる、土壌があるぞ』
ぎぎぎぎぎぎ、と古い木製の扉特有の、きしんだ音がした。
扉を開けたおっさんは、ボリボリ頭をかきながらしゃがみこんで、蝶番を弄りながら、
「あちゃあ、こりゃあ油挿さないと駄目だなぁ、おっと、ようこそ俺たちの村へ」
そうして踏み入れた『魔女の庭』の景色は……。
……メインの大通りは石畳で整備されていて、両端に様々な商店が並んでいる。
……人々が往来し、主婦が立ち話をしたり、野菜や肉を買っている。
……子供の手を引いて帰路に着く親、仕事を終えて酒場に繰り出す職人達。
……その、どこにでもある景色の中に、たしかに混ざっている、〝異様〟。
「リーン、あれ……」
「はい、アラクネ、ですね」
俺の視線の先、リーンも気づいた。
道の端を、あのアラクネがガサガサと這っていた。少し目を凝らせば、そこらの壁に張り付いていたり、街路樹の上に巣を張っている個体もいる。
森で遭遇した個体より小さく、体長は半分ほどだが、見間違えようもない。
だが、村人たちはその蜘蛛に対して、特に警戒も恐怖もしていないようだった。視界に入っても、それどころか真横にいても気にする様子すら無い。
そりゃ、喋るスライムぐらいじゃ驚きもしないはずだ。
むしろ村人たちからすれば、むしろ大きな馬車の方が珍しいらしい、もっぱら視線を集めているのはニコのほうで、こちらに気づいた人間はお、という顔をしたり、チラチラと様子を伺っている奴も居る。
だが、それはあまり外から人が来ない村に、冒険者が訪れた時特有の、『あの人達は誰だろう?』という興味本位の色が強い、これもまた、よくある光景の一つにすぎない。
この、ちぐはぐな感覚、違和感の塊、日常風景であるはずなのに、そうであることがおかしいという矛盾。
俺は、この感覚を知っている。
赤いヒトガタが、自分の血を吸い上げても、何も感じない子供達――――。
「……ハクラ?」
つんつん、と肩を突かれて、はっと我に返った。
「あ、ああ、悪い…………どうする?」
俺の問いに、リーンは少し考えて、
「…………あの、とりあえずご飯にしませんか?」
「速攻離脱案はどうしたんだよ!」
「だ、だって、そこの酒場から良い匂いが……! ここ数日パンと干し肉生活でしたし!」
「舌が肥えてんなぁ!」
ヴァーラッド伯が用意してくれた食料はどれも一級品で、旅の途中で食うには贅沢すぎるモンだったはずなんだけどなあ! 野菜のスープまでついてたはずなのに。
「ど、どこまで食い意地が張ってるんだ……みたいな顔で見ないでくださいよ!」
「言いたいことが全部伝わってて何よりだよ、オラ行くぞ!」
まあ、まず魔女セリセリセを見つけ出さないといけないのだが……それでも魔女の庭の中で無抵抗に出されたものを食うのは危険が過ぎる。
抗議の声を出すリーンの手を引いて、歩き出そうとした瞬間。
「そ、そこの二人、待ってほしいかな!」
背後から、声がした。若い女の声だった。
振り向いて、その声の主を見て。
俺は言葉を失った。リーンも、少し遅れて振り向いて、俺と同じリアクションをした。
動きが止まったのは向こうも同じだった、声をかけてきておいて、驚いた顔を隠さない。
その理由は、恐らく俺と同じだ。
「…………もしかして、あなた」
先に口を開いたのは、向こうの方だった。
「わたしの、お兄ちゃんかなっ!?」
全然違う、俺をそう呼ぶのは、世界に一人だけだ。
白い、クシャッとした髪の毛。血のように赤い瞳。
淡く白い、病人のように色素の薄い肌。
違いといえば、その長さくらいのものだろうか。
……その少女は、俺と――ハクラ・イスティラと、瓜二つの容姿をしていた。




