慕うということ Ⅲ
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そうして、俺達は魔女の庭、セリセリセへと向かっている。
ザシェの話では、早馬で五日程度とのことだから、ニコならもっと早く着くだろう。
嫌な夢を見たせいか、今更寝る気にもなれず、しかしリーンは安眠を妨害されると灰熊よりも凶暴化するため、叩き起こして早めに出発というのも無理がある。
なもんで、レレントを出る前、ギルクやクレセンとの最後の別れ際にあった一悶着を、アイツらがいなくなった馬車の中で振り返っていると……。
『ふんぬぬぬ……』
かなり力の入った声が聞こえた。見ると、リーンの枕になっていたスライムが、むるむると体積を移動させ、核の一部を無慈悲な荷重から逃している。起きてたのか。
『ふう………うん? 起きていたのか、小僧』
向こうも同じことを思ったらしい。
「ヤなことを思い出しちまってな。静寂を噛み締めてた」
『ふむ、まあ無理もあるまい、状況が状況であるからな』
そういや、こいつはイスティラが魔女の庭であることも知っていたんだったか。
「枕業務はどうした、サボりか」
ただ、なんとなくその部分を掘り下げられたくないので、適当に話を振った。起こすと怒るが、この程度の会話ぐらいでは起きないのもリーンだ。
『最近、体重のかけ方が容赦なくなってきたのでな。我輩とて、核が潰れると危険だ』
「やっぱ弱点なのか?」
『うむ、再生に一日はかかる』
再生するんかい。
しかし、冷静になると、旅が始まってから、邪魔の入らない状況下で、こいつと二人きり(という訳では無いが)という状況は、そんなになかった気がする。
基本的にリーンが抱いて連れているというのもあるが……向こうも同じことを思ったのか、微妙に気まずい沈黙が流れた。
まあ別に、その辺りの気を使うような仲でもない、弾む話ができないなら、黙っていた所で問題はないのだ。
……と、俺が思ったその矢先に、
『小僧、お前には感謝している』
「なんだいきなり気持ち悪ぃ」
突如、神妙な口調でのたまうもんだから、思わず本気でそう言ってしまった。
『まぁ聞け』
幸い、言われた当人(?)は気にしてないらしく、話を続けてくる。
『本来なら、小僧との縁はクローベルで切れるはずだった。我輩はそう思っていた』
「成り行きっちゃ、成り行きだったのは否定しねえけどよ」
アグロラ達が逃げてしまったこともあって、単に行くあてがなかったとも言う。
だったら、リーンにくっついていったほうがまだ身の安全と旅の資金を確保できると、冒険者らしく、そう合理的に考えただけだ。
『常人であれば、恐れるであろう』
「何を」
『お嬢をだ。我輩は何人も見てきた。魔物使いの娘に近づき、少しの時間を共にして、やがて恐れ、怯え、離れていく者達を』
表情というものがないように見えて、体の硬度や動きで感情を推し量れる、という事を、最近はわかってきた。
『こと、お嬢の旅に関しては遥かに苛烈だ。ユニコーン、火山の噴火、そして〝竜骸〟。命が惜しいのであれば、お嬢の隣にいるのは合理的ではあるまい?』
「それを言うなら、俺はお前らが居なかったら、とっくに死んでるだろうが」
なんなら、眼の前のスライムに、ちぎれた腕をくっつけてもらってすらいる。
「……俺にとって、そんな段階は、とっくに通り過ぎてんだよ」
一応、続きの言葉を吐く前に、リーンの顔を見てみたが……。
「うみゃ」
うん、寝てるな、大丈夫だ。
「……リーンが着いてこいって言うなら、俺はどこまでもついて行くよ」
本人には聞かれたくなかったが、それは紛れもない、俺の本心だった。
びゅう、と風が吹く音がして、幌が少し揺れた。
『……旅ももうじき、折り返しだ。このお使いが終わったらいよいよ、真っ直ぐ黒竜の封印へと向かうことになる』
「…………折り返し? クロムロームが目的地なんだろ?」
俺の疑問に、スライムは呆れたように言った。
『このまま北方大陸に骨を埋めるのであればそうであるが、お嬢の旅はリングリーンへと凱旋して、初めて終了なのだ』
「……あ」
根なし草のその日暮らしが長すぎて。
帰る場所がある、という発想が、そもそもなかった。
故郷なんて概念は、もっとだ。
『だから、問うぞ小僧。お前はいつまでお嬢の側に居る?』
「いつって……」
考えたこともなかった。
漠然と、旅が終わるまでは一緒にいるんだろうと思っていたし。
それ以上先の未来で、自分がどうなっているかなんてのは、それ以上に思考の外だった。
(遠い遠い北の果て、クロムロームの約束の地まで。私を守り、私を支え、私と共に、来てください)
リーンをクロムロームまで連れて行く。それが、俺がリーンと交わした契約だ。
だから、それ以上先は一緒にいる理由がない――契約がない。
「……さぁな。分け前を貰って、どっかでのんびり暮らすのもいいかもな」
その選択肢が現実的になるぐらいの資金は、もう得ているわけだし。
『…………お嬢が起きて無くてよかった、怪我人が出るところであった』
「なんでだよ」
『自分の胸に聞いてみよ』
ザシェは公的には認められていない村、と言っていたので、道中のルートがまともに整備されているとは思っていなかったのだが、実際に通過してみると、覚悟していたほど荒れていない。
誰かがコストをかけて整備した、というよりは、人が往来を続けた結果、自然に形成された道なのだろう。馬車の揺れも大きくなく、ニコは想像以上のペースで走り続けた。
「んー、森を突っ切ったら半日以上短縮できそうなんですけど」
ただ、地図上で見る限り、セリセリセの少し手前には、『かなり』と言っていいほど大きな森が広がっている。
ルートの指示では、これをぐるりと迂回するように書かれているが、リーンはショートカットを狙いたがっているようだ。
「期限に余裕がないわけじゃないんだし、危険を冒してまで行くことはないだろ」
「そうですけど、〝普通の危険〟は私達にとって危険じゃありませんから」
森のように自然が濃い場所、人の手が入ってない場所というのは、大体魔素も濃い。つまり生息している魔物も強くなる。
エスマの近場にあった森だって、少し道を外れて森の奥までいけば、変異種のヒドラが居たように。
が、リーンにはその手のリスクは一切ない。あらゆる魔物は、リーンに敵対できないのだから、確かに合理的な判断といえなくもないか。
「上手く森を抜けられれば、明後日の昼前にはセリセリセに辿り着けます。迂回ルートだと夜になるでしょうから、一泊していかないわけには行かなくなります」
「……あー、なるべくなら長居したくないもんな」
「です、手紙を渡して速攻離脱、が賢いかと。魔女の庭の中で夜を過ごすのは論外ですけど、村の周辺もテリトリーみたいなものでしょうから、近場で野宿もあまりしたくないですね」
「お前って意外とリスク管理するんだな……」
べちん、と言うささやかな擬音とともに後頭部を叩かれた。すぐ暴力が発生する。
「あのですね、私、ハクラと会う前は女の子の一人旅だったんですからね。休む場所も寝る場所も、本来はすごく気を使うんですよ」
「スライムを数に計上してやれよ」
「周りから見たらアオなんていないようなもんじゃないですか」
『お嬢……』
人前じゃネックレスに変身させてるから、確かにそりゃそうなんだろうが、酷い物言いではあった。
「私みたいに可愛くて目立つタイプの美少女は多かれ少なかれ人目を惹きますから、その分、余計なトラブルも増えるのです」
「自分が余計なトラブルを起こすタイプだという自覚はあるんだな……」
俺にはわからん苦労のようなものがあったらしい……いや、最初は容姿に惹かれたという点では俺も似たりよったりの部類ではあるのかも知れんが。
「そうですよね、ハクラだって私に一目惚れですもんね?」
何も言ってねえよ。
「顔にでてますよ、かーおーにー」
「話を戻すぞ」
この路線で戦うと一切勝ち目がないので、強引に話題を切り替える。
「この森がどれだけ深いかわかんねえのが、一番の問題だ。下手に踏み込んで、行き詰まって、馬車の切り返しが出来なかったら最悪だろ」
いや、その場合は俺が自然破壊を行えば良いのかも知れないが、あまり積極的にしたい行為ではない、疲れるし。
「大丈夫です、ニコちゃんがいますから」
自分の名前が聞こえたのか、きゅい? と外から鳴き声がした。
「ニコが?」
「クローベルでのユニコーン探しの時は……あー、そうだ、ハクラ、あの時居なかったんでしたね」
リーンとの契約が切れていた時期に、別行動を取る事になったのは確かだが……何だその顔は。
「いえ、思い出したらだんだんムカムカしてきて……なんであのタイミングで私を置いていくんですか!」
「今わざわざそれにキレるなよ、謝っただろ!?」
「許したなんて言ってないですよ私!」
「本当だ!」
そういや許さないって言われたきりだった。
「こほん、その件についてはまた後日ゆっくり話すとして……霊獣ユニコーンの幼体であるニコちゃんには、自然の形を自由に組み替える『迷路』を作る力があります。本来は縄張りに外敵が近寄れないようにする為のものなので、長く住んだ土地でないと自由自在とは行きませんが、馬車を通せるような道を一時的に作るぐらいは簡単ですよ」
「……………………」
疲れない。止まらない。本来は眠る必要もない。生半可な魔物なら一撃で踏み潰せる。意思の疎通が出来る。悪路を無条件で走行できる。
馬車馬としての能力が改めて見ると反則すぎる。この旅で一番役立ってるのは間違いなくニコだろう。
「霊獣が作れる『迷路』には種族差と個体差もあるんですけどね、この手の森ならユニコーンの領分です」
「つまり悪路かどうかは問題ないと」
「なんだったらソレンサに行く時とか、山道通る時も活用してましたよ、あまり揺れなかったでしょう」
単に馬車の性能が良いのだと思っていたが、どうもそれだけではなかったらしい。
「だったら……うん、森を行かない理由がないな」
「はい、最悪の事態がなければ問題ないかと」
「………………ちなみにその最悪の事態って?」
「この森が、実は他の霊獣の縄張りで、こっちが『迷路』を作ろうとしたのが侵略行為とみなされて襲われる場合ですね」
「そんなホイホイ居られてたまるか!」
霊獣ユニコーンが希少だったからこそ、クローベルではあんな大騒ぎになったわけで。
ただ、口に出した以上は多少なりとも覚悟すべきだ、と、一応身構えてはいたのだが。
結論から言うとそれらの警戒は杞憂に終わった。
なにせ、森が開けていたからだ。
ここまでの道中が、往来の結果で生まれた天然の街道だとすれば、これは明らかに人為的な手が加わっていた。
丁寧に整備されている、というわけではなく、木々を乱雑になぎ倒し、藪を打ち払い、強引に進行ルートを確保した、と言う感じではあるが。
「……ザシェの使いがセリセリセに行きやすくする為に道を開いた、ってことはないか」
だったら地図に迂回のルートが指示されているわけがない。
「でも、魔女の庭に、直通する道をわざわざ作る人っていますかね」
そう、誰がこの道を切り開いたのかいまいちわからない。
「……なんかの罠とか?」
リーンは魔物に強い、ニコは自然に強い。
だが、これが人間の悪意だった場合、迂闊に踏み込んだ際の安全は保証されない。
「でも、罠だったらもーちょっと露骨な気もします、それにほら、よく見ると切り開かれてからは、結構経ってますね」
確かに、切り株の切り口は若干風化していて、間から新しい芽が覗いていたり、藪の枝葉は所々が伸びっぱなしになっていたりもする。
「……何かあったら即引き返す、でいいか?」
「それぐらいにしておきましょう、ニコちゃんが走りやすくなったと思えば」
『きゅっ』
ニコが応じて、馬車は森の中へと踏み込んだ。
そして、〝何か〟はすぐに訪れた。
森に足を踏み入れて小一時間もしたところで、俺達は〝それ〟に遭遇した。
白く、細長い円形のものが、道の真ん中、あるいは両脇にごろごろと転がっていた。
「……何だこれ」
大きいものならば2m以上サイズがあり、それらが数えて十個以上はある。
物によっては太い木に張り付いていたり、枝から吊るされていたり。
この形状を、何かに例えて言うなら……。
「……繭、ですかね」
俺の思考を先回りするように、リーンが小さく呟いた。
そう、繭だ。俺達が今向かっている、魔女の庭の主はなんと呼ばれていた?
人繭の、セリセリセ。
〝風碧〟を抜いて、地面に横たわっていた繭の外皮を、斬る。
束ねた糸の繊維を断ち切るブチブチとした感触、かなりの力を入れないと、刃を振り抜くことが出来なかった。
「…………おい」
刃を入れた部分から、ドロリと、白く濁った液体とともに、何か細長いものがだらりとまろびでた。瞬間、生々しい、肉の臭いが辺りに溢れかえった。
それは繭そのものと同じように真っ白で、つるつるとしていて、色というものを失っていたので……形状から人間の腕だと理解するのに、時間がかかった。
「…………おい!」
残りの外皮を一気に断ち切って、中に居る『もの』を引きずり出す。
それは人間の形をしているが、もう人間ではないものだった。
全身の皮膚が溶けて、筋肉がむき出しになり、その筋肉も溶けて骨と混ざり合い、固まってもう自律的な動作をするのは不可能だった。
全身から個人を表す記号は全て奪われ、首から上は、恐らく口なんだろうと思える空洞の部位以外、全ての凹凸と機関が消失していた。
だが、何より恐ろしいと思ったのは。
「…………ぁ…………ぁー…………」
それが、まだ生きていることだった。
意識の有無はわからないが、体をよじって揺らし、何かを求めるようにパクパクと口を開いて、閉じて、声を発した。
「ぁっ、ぁー…………ぁー………………――――――」
その動きを何度か繰り返して、それが最後に残されていた力だったのだろう、文字通り、ぶつんと糸が切れたように脱力して、そのまま動かなくなった。
「………………っ、リーン!」
俺が振り返ると、リーンは鼻と口をローブの袖で押さえながら、首を横に振った。
「……くそっ!」
『きゅい……』
ニコが、やるせなさそうに声を上げた。
仮にここにファイアが居ても、助けられたかは、分からない。
「ザシェの野郎……!」
とんでもない所に使いを頼まれた、心底後悔した。
これをやる相手と、何の取引をするって?
他の繭にも、同じような中身が詰まっているのだろう。
何の目的でこんなもんを作ったのか、俺には皆目見当もつかない。
だが、中に同じ様に人間が入っていて、まだ生きているというのであれば、せめて、楽にしてやりたい――――。
「……………ハクラ! 止まってください!」
そう思って繭に近寄ろうとした俺の腕を、リーンが掴んだ。
反対の手で杖を持ち、目を細めて、周囲の森を見回した。
その瞬間、周囲の木々が揺れた。木の葉がかすれる音と……その隙間から生じる呼吸音。
『――キチ』『――――キチキチ』『――――――――キチチチチチ』
硬いものがぶつかる音が、そこいらから響く。
「――――魔蜘蛛!」
枝に絡ませた糸を伝って、そいつらは一斉に、だらりとぶら下がるように降りてきた。
一匹一匹が1m近い大きさの、巨大な蜘蛛だ。腕を横に大きく広げたら更に倍ぐらいには見えるだろうか。
完全に周囲を取り囲んだアラクネ達は、一匹につき八つある眼で、無機質にこちらを見ている……気がする。
「…………交渉は?」
〝風碧〟の柄を握ったまま、そう尋ねる。
「うーん、いけるかなあ」
「おい、魔物使いの娘」
「このアラクネ達、他の魔女の使役下にあります。私を襲うことは出来ませんけど、命令を強引に通すのも難しいと言うか」
他の魔女、一体誰が……などと疑問を呈するのも馬鹿らしい。
俺たちは、どこに足を踏み入れた?
「私達は」
俺達を取り囲んだまま動かないアラクネ共に対し、リーンは杖を一度地面に突き立てて、言った。
「レレントからの使者です。あなた達の主に帰って伝えなさい。争いは望んでいません」
リーンが発した言葉ならば、それはあらゆる魔物への命令となる。
アラクネ達は数秒の硬直の後、お互い、顔を見合わせると。
『キチキチキチキチキチ…………』
牙を打ち鳴らす音を立てながら、人によっては恐怖と嫌悪感の生じる動きで、『人繭』の外皮に取り付いて。こちらにじぃと視線を向けた。
「……!」
何をするつもりなのか、意図が読めずに身構えたが、俺の警戒に反して、アラクネ達はそれ以上のことをしない。
「……触るな、って」
リーンが、〝風碧〟を握る俺の手に、自分の手を被せながら、そっと耳打ちをしてきた。
「言ってるのか?」
「そういうフェロモンを出してます。この繭には触るな、って」
「……お前はそれを」
「無視できます。でも、この繭がセリセリセの作ったものだとしたら、迂闊に手を出すべきではない、と思います」
「………………」
結果として生じたのは、完全な膠着状態だった。恐らく、俺が繭を破壊して、中身を引きずり出したことが、こいつらの行動を誘発したのだろう。
『…………我輩も賛成である。能動的に敵対するのは避けるべきだ』
〝風碧〟の柄を握る手の力が、強くなる。二人の意見を無視して、アラクネに斬りかかり、繭の中身を全てぶち撒けてやりたい。
「………………………………わかった、わかったよ」
その衝動を抑え込めたのは、俺の手を握るリーンの力が、強くなったからだ。
リーンという女には欠片も似つかわしくない、不安と動揺に満ちた表情で、俺を見ていたからだ。
「……気をつけてください、ここから先は本当に、魔女のテリトリーです」
改めて、自分達が何をしようとしているのか、どこに居るのか、自覚する。
「……ただ、ザシェには悪いけどな」
魔女の面を拝んだ時、ぶん殴らない自信だけが、どうにもなかった。




