慕うということ Ⅱ
「今夜中にレレントを発ってもらいます」
〝竜骸〟を何とか食い止める事ができた、その数時間後の事である。
とりあえず寝たい、休みたい、何も考えたくないという状態の俺達を呼び出したザシェは、躊躇なくそう言った。
「いくらなんでも性急じゃねえか!?」
「ですが、明日になれば街の外に出るのが難しくなります」
当然の抗議に当然の正論が返ってくる。それは確かにその通りで、竜が襲ってくるわ大司教と特級騎士が殉職するわ、レレントは現在進行系で大混乱の真っ只中だ。
ミアスピカ大聖堂に細かい情報が伝わるのはまだ少し時間がかかるだろうが、今だって民衆の動揺は激しい訳で。
「当事者の俺達がいると、邪魔か」
「はっきり言って。話を〝纏める〟のには、あなた方がいない方が都合が良い。英雄になりたいのであれば止めませんが」
視線で問われたリーンは、見るからに嫌そうな顔で首を横に振った。
「流石に遠慮したいです、旅がしづらくなりますし」
「同じ意見で幸いです。蒼竜の出処は〝奇跡〟でなければ話の落とし所が作れません。竜骸の暴走という一大事に、聖女たちが命と引き換えに竜を呼び、鎮めた……という形で話をまとめるつもりです」
殉職したミアスピカ大聖堂の面子を考えれば、まあ妥当なところだろう。
で、そうなると実際に竜骸と戦ってた俺や、リーンは存在してないほうが都合が良い。
「事情はわかったけど、流石に準備が……」
「ヴァーラッド伯が提供してくださった積荷があります。今、荷台に詰め込んでますので」
ザシェが机に何枚かの羊皮紙を置いた。
一枚目はその積荷の詳細で、食料に水に毛布に衣類、各種雑貨にと至れり尽くせりな内容だった。
「用意がいいなこんちくしょう」
二枚目から六枚目は、ギルドの受付に持っていけば世界中のどこでも換金してくれる手形だった。それなりの現金を移動させたいが、物理的に持ち歩きたくない時などに使う。
「ああ、軍資金がもらえるなら越したこと………………は………………」
内容をざっと確認しようとして、数字が間違ってるぞ、と言おうとして、桁を三回数え直して、俺は言葉を失った。
「私の権限で発行した架空の《冒険依頼》の報酬として処理するので、念の為に同じギルドで一度にまとめて換金するのはやめたほうがいいでしょう」
「いやいやいやいやいやちょっと待てって!」
「ふむ、足りないというのであればもう少し工面しますが――――」
「多すぎるつってんだよ!」
一枚につき、八桁の数字が並んでいる。
一枚で冒険者を『上がり』に出来る額だ。それが五枚ある。
治安の良い大きな街に市民権を買って、豪邸を構える事だって可能だろう。
具体的に言うなら、クローベルでの《大規模冒険依頼》の成功報酬と同額だった。
「私達がやったことを考えたらこれでも少ないぐらいだと思いますけど」
リーンはしれっと言い放ちながら、俺から書面を奪い、内容を確認していた。
「〝竜骸〟を止められなかったら、レレントどころの騒ぎじゃなくなっていましたし」
「……いやまぁ、そうかも知れんが」
報酬を期待して戦ったわけではないので、降って湧いてきた儲けに困惑しているというのもあるが、リーンはそれ以上に強かだ。
「ハクラがいらないなら私が全部もらいますけど」
「いらないとは言ってねえ」
『配分比率で行くと我輩が六割もらっても良いのではないか?』
急に話に参加してきたスライムは一旦置いといて、次の書類を見る。
八枚目は、どうも北方大陸の一部を切り取った地図らしい、それに封がされた便箋が添えられている。
「これは?」
「この期に及んで頼み事をするのは恐縮なのですが、これをとある村に届けてもらいたいのです」
全く申し訳ないと思っていなさそうな顔で、ザシェは言った。
「本来であれば子飼いの冒険者に任せるはず仕事なのですが、レレントがこの状況では私の駒を手元から動かすことができません。貴方がた以外に頼める相手が居ないのです」
レレントのギルドを統括するザシェをして『頼める相手が居ない』というのであれば、嘘じゃないのだろうが、言い換えれば、それだけ重要な封書でもあるということだ。
正直、全力で関わりたくないのだが、先に見せられた報酬があまりに魅力的すぎる。
俺が眉根を寄せているのを見て取ったのか、ザシェは不意に口元を抑えた。
くっく、と言う声が聞こえる事から察するに、笑っているらしかった。
「その報酬は純粋にレレントを救ってくださったことに関する、我々からの謝礼です。これは、困っている私からのお願いですので、断るというのであれば、それも構いません」
断られることを、全く想定していない物言いだった。
地図に目を落とす。レレントからの詳細なルートが記されていた、目的地の名前は……。
「セリセリセ?」
聞き覚えのない……いや、どっかで聞いたことがあったような響きだ。
「ええ」
それがさも当然であるかのように、普段と変わらない調子で、ザシェは言った。
「周囲の国家からは公的な村として認識されていない、『集落』扱いですが、私が知る限り、最も古い魔女の一人が支配する村です」
――――『贄や道具として人間を飼い殺しにする魔女は多いが、その家畜小屋の規模を街と呼べる大きさまで拡大させた者は限られる』
――――『人繭のセリセリセ、女郎蜘蛛のカーネリ、酷嬢イスティラ、どれも最悪の魔女と呼んで良い悪魔以上の悪魔ばかりよ。よくぞ鳥籠から抜け出せたものだな、小僧』
セリセリセ。
それは、俺とリーンと出会った時、スライムが話の流れで口にした名前だ。
あの女と同じ、人を飼っている、魔女。
「なんでギルドが魔女とやり取りなんかしてるんです?」
言葉を失った俺を横目に、リーンがそう聞いた。
「色々事情がありまして、一言で説明するのは困難です。時間もない。確かな事実は、この封書を届けない限り、私は魔女セリセリセの怒りを買う、ということです。彼女たちは〝契約〟を何より重んじる」
「うげ、そっかぁ、〝契約〟かぁ……」
露骨に顔をしかめるリーン。
ただでさえ混乱の只中にあるレレントに対して、悪意ある魔女が介入してくる、というのは笑い事じゃすまない事態ではある。
「…………そんなに大事になるのか? 魔女との契約ってのは」
聞きたいことと言いたいことを、一度全て飲み込んで、俺はリーンにそう尋ねた。
「うーん……魔女や悪魔にとって前提となるルールなんですよ。結んだ以上は守るもの。そして反故にするのであれば、取り決めたペナルティを背負うことになります、大体の場合は、契約の時点でその内容を決めるんですけど……」
リーンがちらりとザシェを見ると、一度頷いて。
「こちらからの書類が期日までに届かない場合、私が死にます」
「あー……………………」
目頭を押さえるリーンに、俺は一応聞いた。
「……絶対?」
「絶対です。『それを破ったら自動的にこうなる』系の契約って、交わした時点で結果が決まっているので、必ず履行されます。なんでそんなアホな契約を?」
アホなとか言うなよ。
「取引の担保ですよ。こちらが尻尾を巻いて途中で話を打ち切ることがないように。別に今日明日がリミットというわけではないのですが、のんきに一ヶ月放置して良い話でもないのです」
言い換えれば、レレントの生命線であるザシェが命を賭ける必要があるほど、重要な『何か』を、セリセリセとやり取りしている、ということになる。
「今の状況で私が死ねばレレントは終わります。とはいえ、貴方がたは冒険者です。合理的に判断して、レレントの事情は関係ない、私を助ける義理はないと言うのであれば、先程言った通り、断っていただいても構いません」
あまりにも恩着せがましい物言いだった。
「レレントを立て直せなければ、神学校の再開も厳しいでしょう。ああ、そういえば二人分の新しい冒険者の書類も捏造らなければ……処理が済む前に、私が逝去しなければいいのですが」
その上、あろうことかクレセンやギルク、それにあの二人の生活基盤を人質に取ってくる始末だ。こっちの事をよく理解している。
ただ、旅の主導権はあくまでリーンにある。俺の一存で決めるわけにはいかない。
……のだが、肝心のリーンは明らかに行きたくなさそうな顔をしている。俺が晩飯のおかずを寄越せといっても、まだこんな顔しねえだろうな、というぐらいには気乗りしない感じだ。
「ちなみに、どれぐらい行きたくない?」
「九割は行きたくないです」
だいぶ高めの行きたくなさだった
それでも、速攻で拒否しない辺り、こいつにも情という感情が芽生えたのかも知れない。
「ちなみに私が死ぬと、お渡しした手形は換金できなくなりますので」
「行かなきゃいけないが三割ぐらいになっちゃいました!」
出してきた交渉条件の使い方が最悪すぎる。何がレレントを救ってくれた礼だ。
この条件でも、七割は行きたくない辺り、マジで嫌なんだな……。
「安心してください、というのも変な話ですが、少なくとも私からの使者である以上、危害が加えられることはないでしょう。破ればペナルティを負うのはあちらです」
「……ということは、〝契約〟自体は本当の取引を円滑に進めるためだけに交わしてるんですね?」
「ええ、お互いがお互いを裏切らないように取った措置ですから、内容に裏をかく余地もありません、それは保証します」
リーンの確認に、ザシェは頷いた。こいつがそう言うなら、少なくともザシェが交わした契約に関しては間違いないんだろう。
みっちり三十秒、今までにないほど複雑な表情の変遷の果てに、
「…………わかりました、引き受けましょう」
そう結論付けた。
『お嬢』
スライムが咎めるように声を上げたが、リーンは続きを言わせないようにべちべちと上から叩いて続きを止めた。
「私だって行きたくないですけど! でも流石にこれを見なかったことにして先に進んだら、レレントの一件が本当にタダ働きじゃないですか! アオの変身回数、一回使っちゃいましたし!」
結局最後にリーンの決断を後押ししたのはそこだったらしい、俺も大体は同じ感想だが……。
『ぐぬっ、〝古き魔女〟の懐に自ら飛び込む事の危険を、むごっ、理解しておらぬわけでは、もがっ、あるまいな!』
潰され、伸ばされ、もっかい潰されても、スライムは抗議の姿勢を崩さなかった。
「だぁいじょうぶですって。ちょっとしたお使いくらいのものですよ、ハクラが居ますもん、ね?」
リーンは、俺に対して、自分の笑顔が有効であることをよく知っている。
「……わぁーったよ」
そうまで自信満々に言われると、俺も覚悟を決めないわけには行かない。
「ありがとうございます、助かります。私の命が」
洒落にならねえ。
とにかく、行くと決まった以上はさっさと行動を開始しなければならない。
もうちょっと別れを惜しみたい気持ちもあるが、ザシェの言う通り、俺たちはレレントからなるべく早く消えるべきだ。
「ちょうど積み込みも終わっている頃でしょう、どうかお気をつけて」
眼鏡を持ち上げながら……それは皮肉なのか、それとも本当にそう思っているのか。
「女神の加護があらんことを」




