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魔物使いの娘  作者: 天都ダム∈(・ω・)∋
第九章 人繭のセリセリセ
148/168

プロローグ 白と黒と灰 Ⅴ


 朝食が終わって少しすると、チノヒトが血液を『回収』しにくることを、経験から知っていた三人は、まさにその時に、脱走することに決めました。


 もしも子供達が規則に違反した際は、止めに来る役割を持っているチノヒトですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、ハクラ達が三階より下に降りても、大丈夫な理屈です。


 時間が来るまで、それぞれ手分けして、靴を整え、食料と水を持てるだけ持って。

 ついに、集合の鐘がなりました。からんころんと、城の最上部から響く鐘の音が、チノヒト達が血液の回収に現れる合図です。

 吸ってもらいやすいように、四階の運動場に集まるのが習慣で、チノヒト達は一斉に、そちらへ群がっていきました。


「いち、に、さん、よん、ご……」


 普段、城の中に居るチノヒトは、全部で十人。その全員が運動場へ出ていくのを、しっかり数えてから……。


「…………今だ!」


 クロヤの合図で、三人は動き出しました。なるべく音を立てないように早歩きで、普段は降りることのない階段を、下っていきます。


「…………意外と簡単に行けたな」


 あっという間に二階にたどり着いて、一階へ下りながら、ハクラがぼそりと言いました。そりゃあ、行けると思ったからこそ決行したのですが、思っていたよりもあっけなく進むものだから、逆に拍子抜けしてしまいます。


「多分、想定してないんだと思うよ」

「何を?」

「決められたルールを破る子供がいるってことを。カレリンのことを皆が忘れてるってことは……」


 クロヤは、苦々しく、吐き捨てるようにいいました。


「多分、僕らは今までも、色んな子のことを忘れたり、無意識にルールを破らないようにされてたんじゃないかな」


 ありえない話ではないし、むしろ、そうされていて当然だと、他人事のように納得できてしまって、ハクラはくそ、と吐き捨てました。


「だったら、クソだこんなとこ、壊れちまえ」


 そうして、階段を、降りて、降りて、降りて、降りて……。


「…………あれ?」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「…………おかしい、ハクラ、一回、上に戻……」


 違和感に気づいたときは、当然、もう手遅れです。

 だって、魔女は最初から、ずっとずっと見ているのですから。

 例えば、今も、こんなふうに。

 踊り場について、階段を見上げた三人の前には。





「くふふ」






 真っ白な――真っ白な、童女がいました。

 瞳も、肌も、何もかもが、汚れのない純白。異様に伸びた髪の毛が床や壁を這いずるように蠢いて、覆って、埋め尽くしています。


 外見はカイネより幼い程で、一糸纏わぬ姿なのに、彫刻の様な美しさがありました。

 裸身を隠そうともせず、そう、見られることなど、どうでも良いと思っているのです。

 虫や獣に裸を見られて、恥じらう人など居ない様に。


「悪い子たちだね、でも、いいよ、元気なのは、嫌いじゃないからね」


 グツグツと煮詰めた砂糖水を、耳の中に直接流し込まれているような、甘い、甘い声でした。


「イ、イスティラ……」


 ハクラのつぶやきに、魔女イスティラは、愛らしく首を傾げて見せました。


「くふふ、お母さん、って呼んでくれて、いいんだよ。それは、君だけの特権なのに」

「……一度も顔見せなかったくせに母親ヅラすんじゃねーよ」


 ハクラからすれば、顔を合わせるのはこれで二度目で。

 会話をするのは、初めてです。そのはずでした。


「くふふふ」


 笑いをこらえきれない、といった様子で、イスティラは口元に手を当てました。


「不思議なものだね、私もやっぱり親なんだ。子供に嫌われたくないからって、小細工を弄してみたけれど、ハクラはすごいねえ、ティタニアスの血が濃いのかな。無意識で、覚えている物なのかもね」

「…………何、言ってんだ」

「昨日だって会ったのにね。カレリンを取り戻そうとして、勇気を振り絞って、私の部屋に、君は来たのに」


 パチパチと、頭の奥で何かが弾ける感覚。

 そうです、ハクラは。

 あの時、カレリンを追いかけて、()()()()()()()()()()()す。

 そこで見たものは。


「う、げ…………」


 ハクラは、喉の奥から込み上げてくる物を、吐き出さないようにするのに精一杯でした。


「ああ、思い出したの? すごいなあ、いつもいつも、ハクラは私の期待以上でいてくれるね」


 クロヤには、イスティラが何を言っているのか、わかりません。しかし、まだ何かを仕掛けてはこない、これは千載一遇の、チャンスなのではないでしょうか。


「…………カイネを連れて下に降りろ、ハクラ!」

「っぐ、おい、クロヤ……」

「いいから! 僕が足止めする!」


 一歩階段を上がって、クロヤはイスティラを睨みつけて、叫びました。


「僕らが今一番守らなきゃ行けないのは、カイネだろ!」

「……待って、クロヤ、待って! ハクラお兄ちゃん!」


 ハクラはギリ、と歯を噛んで、とどまろうとするカイネの手を引き、階段を下っていきます。


「違うの……聞いてっ! ハクラお兄ちゃん!」

「いいから、来いって…………!」


 クロヤを置いて、降りて、降りて。

「わあ、格好いい、クロヤ、君もいい子だね。ハクラと一緒にして正解だったみたい」

 イスティラの声が、()()()()()()()()()()()から聞こえてきました。


「…………は?」

「……え?」


 クロヤからしても、驚いたことでしょう。階段を降りたはずのハクラが、階段の上から現れたのです。踊り場で、子供達に挟まれたイスティラは、くふふ、と楽しそうに笑いました。


「かわいいなあ、君たちは。献身的で、健気で、愛らしくて」


 にこにこと微笑む様は、子供達が感じている底の知れない恐怖と違い、新鮮な驚きと、感動に満ちています。


「盲目的で。おいで、()()()

「…………………………あ?」


 イスティラが手を差し伸べた先、名前を呼ばれた少女は。

 ハクラの手を振りほどいて、階段を一歩ずつ降りていって、イスティラの前までいくと、くるりと振り向いて。


「わ、わたし…………ま、間違ってるって思ったのよ」


 ハクラとクロヤは、お互いを対等に扱います、肩を並べる相棒で、いざという時、相手に自分のことを託せる親友だと思っています。


 そして、カイネのことは、小さな、守るべき妹だと思ってました。

 カイネは自分たちを信用してくれていて、真剣に話せば言うことを聞いてくれると信じていました。

 そこにカイネの意思はあったのでしょうか。


 今まで居た、家族がいる幸せな場所を、突然捨てる事を決断するに足るだけの理由を、二人はカイネに与えられたでしょうか。


「ま、まずはイスティラ様にお話を聞いたほうが、いいんじゃないかって……」


 なにかの間違いかも知れません、勘違いかもしれません。

 あるいは。


「そしたら、悪いようには、しないからって、言ってくださったのよ、ね、ねえ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、これからも一緒に居られるかも知れません。

 他の家族を見捨てて、逃げるくらいなら。




「ごめんなさいして、許してもらおうよ、クロヤ、ハクラお兄ちゃん」




 チノヒトが来る前、脱走を決行する準備期間のその間に。

 ()()()()()()()()()()、という可能性を、二人は、考えてもみなかったのです。


「くふふふふふふ、もちろん、許してあげるよ、クロヤ、ハクラ、カイネ」


 イスティラは、悪戯をした子供を叱りつけて、それから、許しを与えるように。

 白くて、細い手を差し出しました。


「さあ、お家に帰りましょう?」


 カイネは側に居ません、階段は上っても下ってもどこにもたどり着けません、逃げる手段はなくなって、もう打つ手はありません。


「…………一つ、聞いてもいいですか、イスティラ様」

「うん、なあに? クロヤ」

「カレリンは、どうなったんですか」

「…………違う、クロヤ」


 口を開いたら、すべてを吐き出してしまいそうです。


「殺したんですか、イスティラ様」

「聞くな、クロヤ!」


 その不快感を、こらえてでも、ハクラは叫ばないといけませんでした。





()()()()()()、ほら、そこにいるじゃない」

 



 かつんかつん、と。

 階段の上から、つまり、ハクラの後ろから、それは現れました。

 陶器のように白い肌、石膏のように白い髪の毛、血が溜まった瞳。


「…………カレ、リン」


 見知った少女の面影を残す、チノヒト、と子供達が呼ぶそれが、ゆっくりと、ハクラの横を通り過ぎて、イスティラの側に控えました。


「君たちが一体、壊しちゃったからね。新しいのが欲しかったんだ。カレリンも私のために働きたがっていたし、ちょうどいいかなと思って」

「……おれ達が、壊し、た?」

「うん、本と椅子で、頭を、がつんって。しばらくしたら、動かなくなっちゃった。まったくもう、仕方がないんだから」


 悪戯をした子供を、叱るような口調でしたが、それはつまり。

 ハクラが、カイネを助けようとして、チノヒトを殴りつけたことが。

 イスティラが、()()()()()()()()()()()になった、ということでした。


「…………そんな」


 呆然とするクロヤとハクラ、そして。


「…………そっか、カレリン」


 チノヒトとなったカレリンを見て。


「生きてたんだね、よかったのよ」


 ()()()()()()()()()()()


「くふふ」


 そんなカイネの頭を、慈しむように撫でてあげるイスティラの様子は、まるで血と臓物と、絶望で塗りたくった、一枚の絵画のようでした。


「でも、こんな事がもう起こらないようには、しておかないとな。そうだ、カイネ、ずっと、ハクラやクロヤと、一緒にいたいよね」


 イスティラの甘い声が、カイネの脳にじわじわと染み渡っていきます。


「うん、居たい、です。居たいのよ、離れ離れになるのは、嫌」

「くふふ、ふたりとも、駄目だよ、こんなに可愛い妹を、不安にさせたら……そうだ」


 悪戯をした子供を叱るような口調に、ハクラも、クロヤも、口すら挟めません。

彼女たちは何を言っていて、自分たちは何を見ているのでしょう。


「カイネの望みを叶えられて、ハクラ達もいたずらができない、素敵なアイディアを思いついたよ。カイネ、ふたりの事を教えてくれたご褒美だ」

「え…………?」


 ずるり、と、イスティラの長い長い髪の毛の一部が、カイネの腕に巻きついて、




「カイネも、()()()()()()()()()()。これで、ずっと一緒にいられるね」




 みしり、と細い腕が、軋む音が聞こえました。


「うあああああああああああああああああああ!」


 その時、誰よりも先に動いたのは、誰でもない、クロヤでした。

 今までに見せたことのないほど、強い怒りをむき出しにして。

 それが意味するところをまざまざと見せられてしまったから、そうするしかなかったのです。拳を振り上げ、自分よりも遥かに小さなイスティラに向かって行きます。


 くちゃり、と肉を引きちぎる音が、聞こえました。


「がっ」


 長い長い、イスティラの髪を踏んでしまったのです、それが一瞬で右脚に絡みついて、肉も骨もまとめて、ぶちりと引きちぎってしまったのでした。


「うぐ、あっ、ぐあ、あっ、ああっ」

「あ、いけない。かじっちゃった」


 びちゃびちゃと血が滴る音、鉄の臭い、髪の毛の中で、奪われた足が、ぐちゃぐちゃと音を立てて咀嚼され、飲み込まれていきます。


「く、クロヤ……!」


 腕にイスティラの髪の毛が絡みついたまま、咄嗟にクロヤに駆け寄ろうとしたカイネの腕が、みしりと音を立てて、反対側にねじられました。


「あ、こら、カイネ、駄目だよ」

「ひ、いいいいいいいいいいいいいっ!」


 二人が味わっているのは、筋繊維が引きちぎれて、骨が折れて、皮膚が破ける、原始的で、シンプルで、単純な痛みです。


たったそれだけで、妹を取り戻そうと魔女に挑んだ勇敢な兄も、それを案じた心優しき少女も、獣の様に咆哮して、身悶えして、決意も、覚悟も、全て投げ出して、イモムシの様に悶えるしかなくなります。


 ハクラは、それを見ていました。

 見ているしか、出来ませんでした。

 動き出すことも、叫ぶことも、助けに行くことも出来ませんでした。


 ()()()()()()()()()()、という恐怖が、全身を蝕んでいました。


「ん?」


 てっきり、ハクラも向かってくるだろうから、次はちゃんと手加減しないとな、と考えていたイスティラは、固まっているハクラを見上げて、


「…………くふふふっ」


 嘲笑いました。


「ああ、そうか、そうだよね、うんうん、普通は、そうだよ、ハクラ、きみはいい子だね、ちゃんとわかってるね。私に逆らったらこうなっちゃうって、君は知っているんだもんね」


 ハクラの頭の中で、ぱちぱちと、何かが弾けます。脳の奥に閉じ込めていたものが、じわじわじわじわと、にじみ出てきます。


 ――白一色の寝台。体中に絡みついた、細い管のようなものは、全てあの女の髪の毛。

 ――死なないように、生かしたまま、血を吸い上げるための機構。

 ――肉を削がれ、皮膚を剥がされ、髪の毛を喰まれる痛み。

 ――ずっと前から、おれはそうされていた。()()()()()


「くふふ、ハクラ、今日が何の日か知ってる?」

「――――――え、あ、何」

「君の十一歳の誕生日だよ、おめでとう! プレゼントも用意していたんだよ、みんなから、血を分けてもらってね。君の中のティタニアスの血を、目覚めせさようと思ったんだ」


 クロヤとカイネが、痛みに悶える声が、耳を通り抜けていきます。

 何を言っているかはわからないけれど、何が起きたのかはわかります。

 ハクラの為に。

 血を集めていた。

 チノヒト達が来たのも、カレリンがああなったのも、クロヤが足を引きちぎられて、カイネが腕を折られたのも。


 全部、ハクラが理由だった。


「でも、そうだなぁ。少し、考えが変わったかも。可愛い子には旅をさせろって言うし」


 くちゃくちゃ。にちゃにちゃ。

 湧き出る血を、イスティラの髪の毛は床を這って啜ります。真っ白な髪の毛がじわじわと赤に染まっていって、あっという間に飲み下して、白に戻っていきます。

 今までにないほど、愛らしさに満ちた笑みで、イスティラは言いました。


「ハクラ、いいよ、()()()()()()()

「――――――――――え、ぁ?」

「だから、行っていいよ。このお城の外を、見てくるといい。私のところでずっと飼っていてもいいけど、君は思ったより()()だった」


 みしり、ごきり、と更に不快な音がして、カイネの肩がねじ曲がりました。人間が絶対に関節を向けられない位置まで引っ張られて、悲鳴は更に大きくなりましたが、


「ひ、きゃああああああああああっ! あっ、がっ」


 口の中に、白い髪の毛がわさわさと入り込んで、それ以上、何かを発することができなくなりました。


「あ、ひ――――」


 カイネの瞳が、ハクラを見ました。大事な家族、だから、言っていることがわかります。




 ――痛い。苦しい。助けて。

 ――お兄ちゃん。




「強い衝動的な怒りは、魔人が覚醒するきっかけになるはずなんだけど、ハクラは怒りよりも、恐怖のほうが強かったみたいだ」

「――――――!」

「今は空間を繋げてないから、階段を降りれば、外に出られるよ。真っすぐ白い道を進んで行けば、街道に出る。道に沿っていけば、村があるから、そこで保護してもらうといいよ。くふふ――ご飯は持った? 靴もあるね? 準備がいいなあ、さすがクロヤだ」


 逃げられる。でていける。すべてを捨てて。なかったことにすれば。

 立ち向かえ。そんなの無理だ。怖い。苦しい。だって、逃げていいって言っている。


「ハ、クラ――――…………」


 クロヤが、何か言おうとしました。それが、最後の切欠でした。


「………………っ!」


 ハクラは階段を駆け下りました。もう何も言わなくなったカレリンの横を、楽しそうに笑うイスティラの横を、そして、縋るようにこちらを見る、カイネの横を通り過ぎて。

 足を食いちぎられたクロヤを飛び越えて、ハクラは走りました。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「うわあああ、あああああ! ああああああああ!」


 守りたかったものも、大事なものも、友達も、家族も、全て見捨てて、置き去りにして。

 魔女の言いなりになるまま、されるがまま、ハクラは、逃げ出しました。


「くふふ、くふふふふふふ」。


 魔女の嘲笑が、いつまでもいつまでも耳にこびりついて。



「頑張れ、ハクラ、応援してる。いつか、素敵に育って、帰っておいで!」



 誰も助けられず、何も手に入れられず、何も救えず、何も出来なかった少年は、母親の慈悲でもって救済の道を示されて、言われるがままに逃げ出して、言われた通りに外へと飛び出しました。


 やがて、ラモンド・ドーラッドという名前の冒険者に保護されて、自分もまた、戦う力を得るために、秘輝石(スフィア)をその手に刻み。



――――「私の瞳は、綺麗でしょう? 照れちゃいました?」



 リーンという少女と出会うまでの、それが、ハクラ・イスティラの原点です。


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