願うということ Ⅲ
○
時は少し、遡る。
祀るものが居なくなった竜骸神殿に、我輩とお嬢は居た。
他の皆は、外で待機してもらっている。これから起こる出来事は、なるべくならば人に見られたくはない。
まあ小僧は良いのではと思ったが、お嬢が『ハクラは一番ダメです』と言うので放り出した。理由を考えたが、そういえば発動にはお嬢の名前が必要なのだった。
……未だ小僧に教えたくないというか、意地になっているというか。
余計なことを考える場合ではなかった。時間がない。
我輩を広場の中心に置いて、お嬢は杖を大きく翳した。
前置きもなにもなく、即座に詠唱が始まる。
リングリーンの秘宝、魔杖エメラアリアの先端、特大の秘輝石に刻まれた魔法が、その中身を顕にし、目を閉じた。
「――――汝、蒼竜アイフィス。契約に従い、己が存在を思い出せ」
「汝は竜、汝は王、汝は契約者、汝は支配者」
「天を舞うもの、地を治めるもの、星を総べるもの」
「ルシルフェルが契約者、リングリーンを受け継ぎし、我が名■■■■■■が希う」
よどみなく紡がれる詠唱に、我輩の中で何かが膨れ上がる。
それは、かつて我輩のものであった体である。
「――――――顕現せよ」
それが、最後の鍵だ。
莫大な緑の粒子が、柱となって我輩を包み込んだ。
「お、おい、大丈夫か…………うおお!?」
天に立ち上る光を見て、慌てて飛び込んできた小僧達の目に入ったのは。
『――――どうだ、小僧』
懐かしき、我が竜の体である――――目を見開いて、呆気に取られた様は、なかなかに面白い。
「〝竜骸〟、でもない、本物の、竜、です……」
ファイア嬢も、クレセン嬢も、同じような顔をしていたが。
「…………今更ビビるかよ、おら、行くぞ!」
小僧が飛び乗り、お嬢が後に続いた。ファイア嬢には申し訳ないが、尾で体を持ち上げて、そのまま背に乗せる。
「ひきゃっ」
『乱暴ですまぬが、時間がない。クレセン嬢、君には申し訳ないが…………』
「わ、わかってます、ここから先は、私、役に立たないって。でも、待ってますから!」
『うむ――ニコ、クレセン嬢を頼む』
『きゅ!』
ニコに預けておけば、どれだけの危機であっても、逃げ延びる事ぐらいはできよう。
馬車にクレセン嬢が乗り込むのを確認してから、竜骸神殿の、開けた天井に向かって、我輩は翼を動かした。
◆
竜になったスライム――いや、アイフィスの背に乗って、レレントの北側に辿り着いた時、もう現場は混乱状態に陥っていた。
『振り落とされるなよ!』
アイフィスが警告を発しながら、ヴァミーリにそのまま突進した。
炎を吐き出そうとするその頭に尾を叩きつけ、弾き飛ばす、ヴァミーリは即座に空中でその身を翻し、こちらに向き直り、吼えた。
【ゴアアアアアアアアアアアアアア――――!】
だが、その体は――――。
「……なんか、色が戻ってねえか?」
俺達が竜骸神殿で見た、赤錆にまみれたような、骸、という言葉が似合う色彩に、戻っていた。
「ハクラ、あれ!」
リーンが指差す先、そこに居たのは。
「…………ねえ、さま?」
大地を溶かしながら、歩みを進める、異形の少女の姿だった。
あまりに鮮烈な赤は、人知を超えたモノだと、直感が告げている。
「……私、勘違いしてました」
「リーン?」
「ヴァミーリが蘇ったのは、ファイアさんの奇蹟の影響だと思ってました、違うんです、ルーヴィさんだったんです……ルーヴィさんの秘輝石を飲み込んだから!」
ルーヴィとファイア、双子の《天然石》。
サフィアリスの奇蹟を受け継いだ、ファイアの秘輝石が星蒼玉だったように。
ルーヴィの星紅玉は、ヴァミーリの力を受け継いでいた、ということか。
「でも、何でルーヴィさんが今になって――――――」
『委ねたンだ』
セキが、遮るように言った。
『ヴァミーリはもォ、何が正しくて何が間違ってるか、判断出来なかったンだ。だから別の奴に判断を、委ねた。人を滅ぼすかどォか。世界が聖女を受け入れたかどォか』
それは断言だった。考察ではなく、真実を、ただ告げている、という様子だった。
『――――答えなンて決まってるだろォ?』
女神の再来、稀代の聖女、幼き司教。
ファイア・ミアスピカがどう扱われてきたか、誰より知っているのは、ルーヴィに決まっている。
『想定外だ――――どうする、お嬢!』
「どうって言われても……!」
〝竜骸〟は当然放置出来ないが、ルーヴィの脅威度は未知数だ。
だったら――――。
「リーン、行ってくる」
「……ああもう! どうせ止めても聞かないんでしょう!?」
「わかっててくれて、助かる――――ファイア」
「は、はい、あ、あの、ハクラさま、あの、あの!」
言葉を上手く紡げない、ファイアの頭を、俺は軽く撫でた。
「あ…………」
「ルーヴィは助ける。だからお前は、お前のやるべきことをやれ」
眼下で、未だ状況を飲み込めず、逃げ惑う教会騎士達。
コーランダ大司教の顔はわからないが、ドゥグリーの姿が見当たらない。指揮する奴が、必要だ。
「あいつらを、助けてやれ」
「…………よろしく、おねがいします……っ!」
「そこ、見つめ合わない! もー!」
リーンが大きく杖を振ると、俺の体を緑の粒子が包み込んだ。
「行きなさい! ――――ハクラ・イスティラ! ちょっとおまけしときます!」
体の奥から熱が生まれ、全身を血が駆け巡る。
――――魔人への変貌は、もう一瞬だ。ファイアが俺の姿に目を丸くしていたが、説明する時間も惜しい。
これが俺の本性だってのが、ずっと気に食わなかったが、今はありがたい。
悪魔の力でも、魔女の血でも。
使えるもんを全て使わなければ、この戦いは終わらせられない。
アイフィスの背から体を投げ出し、風に自分の翼を乗せる。
「――――助けろって言ったのはお前だぜ、ルーヴィ!」
声に反応したのか、ルーヴィがこちらに目を向けた。
「ウ……アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
激烈な咆哮は、それだけでも異常な破壊力を持っている。
音の壁が生じ、摩擦で空気が燃え上がり、ルーヴィの前方を起点として、空中に広がる熱波が生まれた。
「熱いのにはもう――――――慣れたっつの!」
俺は〝風碧〟を振り抜き、その空気ごと斬り裂いて。
ルーヴィの前に、立った。
「よう……元気そうじゃねえか、ルーヴィ」
「ウウウウウウ――――」
唸り声を上げるその姿は、どこか俺と――魔人に似ているが、異なるモノだった。
ルーヴィが纏っているのは、悪魔の力ではなく、竜の力。
あえて名付けるなら、竜人、とでも呼ぶべきだろうか。
ただ、見開いた目から、理性の光は伺えない。
こいつを突き動かしてるのは――――怒りだ。
ルーヴィが立っているだけで、地面が溶けるほどの熱が生じ、周囲の空気はあらゆるものを焼き尽くす、凶悪な温度になっている。
魔人とはいえ、俺がここに立っていられるのは、恐らく熱に耐性が出来ているからだろう。
ラディントンを火砕流が襲った時、俺はその熱を体内に吸い上げることで喰い止めた。
火の精霊が吐き出した魔素の塊は、今も俺の身体を駆け巡っている。
「回り道してよかったぜ――――なんでもやってみるもんだな」
「――――ガアアアアアアアアアアアア!」
ルーヴィが、再度咆哮をあげた。今度は空気を焼くのではなく――喉の奥から、凝縮された光が見える。
「――――――っ!」
とっさに横に飛ばなかったら、首を貫かれていた――青紫色になるまで温度を上げた火線は、さながらクローベルを街ごと薙ぎ払った、あのユニコーンの熱線の様だった…………いや、ってことは。
「ルアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「………………こっちにも来るよなあ!」
翼を広げ、レレントを巻き添えにしないよう、山に向かって飛ぶ。
俺が飛行する直ぐ後ろを、どこまでも伸びる凝縮された熱の線が追いかけてくる。
直撃したら恐らく、その部分が焼き切れるだろうというのは、容易に想像がついた――なにせ、遠くに見える山や丘が、線が通過した軌跡に沿って、バターのように溶けていくのが見えるからだ。
このまま遠くに飛んでも、避けきれるものではない……なら。
「――――――おおおおおおおおおお!」
反転して、ルーヴィに向かって突進する。
「アアアアアアアアアアア――――――ガアッ!」
俺が近づいてくるのを見ると、圧縮された火線が、放射状に広がる炎に変じた。
「うお――――――!」
視界が火炎の網に遮られ、ルーヴィの姿を一瞬見失う。
現象だけみればセキのブレスに近いが、威力と熱が桁外れだった。使い分けが効くのかよ!
「ルアアアアアアアアアアアアアアアアアア! アアアアアアアア!」
咆哮と共に飛びかかってきたルーヴィの爪を、反射的に〝風碧〟を持っていない右手で受け止めたが、これが失敗だった。
触れた際からジュウ、と嫌な音がして、異常なまでの痛みが襲う。肉を越えて骨まで焼かれる嫌な感覚。
局所的な熱は、溶岩よりも上らしい、化け物だ。
「っの野郎ぉ!」
開いた左手で、〝風碧〟を抜き打ちにする。元々加減する余裕など無いが、この状況を脱さないと死ぬ、と思った――――が。
脇腹を横薙ぎに払った〝風碧〟は、ギン、と鈍い音を立てるだけだった。
鱗に触れた部位が即座に赤熱して、手にも熱が伝わってくる。
「ち、くしょ…………!」
魔人の全力と、アダマンタイトの刃を以てして、刃が一ミリたりとも通らないとは。
むしろ、刀身が溶けていないだけマシなのか。ガドのじいさんはとんでもない名剣をこしらえてくれたらしい、これで斬れてれば完璧だった。
「ぐ、う…………」
「ウウウウウウウウウウウウウアアアアアアアアアアア!」
熱と痛みを考慮しない、単純な力の押し合いであれば、多少拮抗出来るにせよ、ルーヴィの方が上で、ジリジリと体が押し込まれていく。
何より、残った左腕を突き立てられたら、回避の術がない。
「だったら――――これでどうだぁ!」
炎は熱、熱は光。
ラディントンでそうした様に、俺はルーヴィの腕から、熱を奪い、血に蓄えようとした。
「――――――――――ッ!」
その選択を、すぐに後悔した。全身の血液が一瞬沸騰して、意識が飛びそうになる。
こいつが有する〝熱〟は、ラディントンの噴火のエネルギーを、上回るってことか。
それでも、ルーヴィにとって不快な感覚だったのは、間違いなかったらしい。赤かった角が急激に赤熱し始めた、やばい、何かが来る。
「――――――シャラララララララララ!」
その発動を止めたのは、突如、割り込んできた声だった。
赤い鱗のリザードマンが、ルーヴィの脇腹めがけて、槍を突き出した。
「グル………!」
それはほとんど無意味な行為――であるはずだった。今のルーヴィの鱗に触れた時点で、生半可な武器では、そもそも溶けて形を失う。
だが……。
「ガ…………!」
その瞬間、何故かルーヴィの体から、一瞬力が抜けた――ここしか無い。
腹を下から思い切り蹴り上げて、突き飛ばす。
大したダメージにはなっていないだろうが、多少の距離を稼ぐことには成功した――蹴り上げた足は酷い火傷を負ったが。
「どこに居たんだテメェ――セキ!」
「仕方ねェだろ、仮たァ言えご主人サマの命令だ」
おまけってこいつのことかよ!
「それに、このまま暴れられて、生き延びた同胞達が全滅させられちゃたまらねェ」
「…………お前、大丈夫なんだろうな、体」
「俺ァ赤い砂漠のシャラマ族だぞ、高温に何よりも強イ種族だ」
「ああそうかよ――――っつーかよく考えたらルーヴィにトドメ刺したのお前じゃねえか、責任取れよ!」
「だァからこうして――――うおァ!」
「グルアアアアアアアアアアアアアアアア!」
呑気に喋っている場合じゃなかった、ルーヴィが再び口を開く――広範囲に向ける火炎の息だった。周囲の大地が一瞬で溶解し、むき出しになった岩肌がグツグツと煮立ち始める。
流石に正面から受けたら黒焦げどころじゃない、蒸発しちまう。
距離を開けながら、舌打ちする。
「くそっ――――!」
ブレスの勢いが、徐々に小さくなる、それが息切れだったなら、ありがたいのだが。
「ガアアアアアアアアアアアアアアア!」
俺には、それが、再び熱を凝縮する、前振りのように見えてきた。無差別に辺りを焼き払う炎が、だんだんと細く、しかし炎の色が赤から、青へ変化していく。
あの山すら切り払う火線をもう一度撃たれたら、今度は回避しきれるかわからない。
まして次は、レレントに向けてそれが放たれても、おかしくない。
もしルーヴィが少し顔を上に向ければ、空で〝竜骸〟と戦うアイフィス――リーン達に、直撃するだろう。
体を奮い立たせながら、しかし心の片隅で、俺の理性が言う。
勝てるのか? そして――――どうやってルーヴィを助ければいい?
「これを使エ!」
セキが俺に向かって何かを投げ、それを反射的に掴み取る。
「これは――――」
槍だ。見覚えがある。セキが、〝竜骸〟に突き立てた槍。
役目を終えて、鉄屑になったはずのそれは……今は、内側から熱を放ち、明滅していた。
「そいつァ、ヴァミーリを動かす為に作らレた、俺達の命を吸い上げる魔槍!」
叫びながら、大地を駆け、炎を避けながら、セキは教会騎士が取り落とした適当な槍を拾い上げ、ルーヴィに向かって投げつけた。
「グゥ――――――アアアアアアアアアアアアアア!」
迎撃のため、反射的に炎がセキに向けられる。空中でドロリと穂先が溶けて、柄の部分が炭化した。
「――――要するにアイツァ! 俺達の上位種だろォ!?」
竜人ルーヴィは、身に纏う鱗と熱で、あらゆる攻撃をシャットダウンする。〝風碧〟ですら傷つかない頑丈さは、どうにもならない。世界中のどんな生物よりも、内包している魔素が桁違い。
人の形をした竜、世界に満ちた力を独占した生物の頂点。
それが、今のルーヴィ・ミアスピカなのだ。
対抗する手段があるとすれば、同じ竜の力か、あるいは。
「お嬢サマの話じゃァ、その槍はヴァミーリの力を吸い上げる機構があル! 〝竜骸〟の中身はもォ空っぽだが――――」
「…………ルーヴィには、通じる、か」
その可能性を信じて、やってみるしかなさそうだ。
「――――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
竜人が吼える。燃え盛る怒りは、未だ収まる気配はない。
「…………やってやろうじゃねえか」
ふざけやがって。
今更怒りが湧いてきた。
まったく、たすけて、なんて気軽に言ってくれやがる!




