望むということ Ⅲ
☆
「…………言葉を、選ぶといい、これ以降は」
私は今、敵意をぶつけられている。
言葉を間違ったら死んでしまう、女神の再来、サフィア教の聖女。
ファイア・ミアスピカ様の信仰を、私はこれから、否定するんだ。
……構うもんか、と思った。
「だって、本当に女神様がいるなら、私達みたいな娘が、いるわけないじゃないですか」
リリエットではほとんどの家庭がサフィア教の信者だから、親がそうしているように、女神サフィアを信じて、教えに従うのが当然だと思ってた、何の疑問もなかった。
教会に足繁く通い、司祭様に気に入られて、見込みがあると推薦をもらって、奨学金で神学校に入って、真面目に勉強してただけだったのに。
魔女だと言われて、裸にされて、髪の毛を全て切られて、屈辱を受けて。
そこまでされた理由が、成績で負けたことが悔しかった、同級生の逆恨みで。
告発者である町長の親戚が【聖女機構】に処刑された後、私を待っていたのは『魔女だと疑われた娘』という、私自身にはどうしようもないレッテルだった。
処刑された娘の親は、私の父の上役だったから、報復を受けるのも、私の責任になった。
(お前が死んでればこんな事にはならなかったのに!)
その時は、あなた達は魔女の親になってたんだよ、と、言っていたら、どんな顔をしたんだろう。
「でも、私はサフィア様が居なくてもよかったんです、女神への信仰は……私達が、寄り添い合うために、必要だったから」
私は、初めて〝竜骸〟を見た時、嘘だ、と思った。
だって――〝竜骸〟が実在するっていうことは、女神サフィアまで、本当にいた事になってしまうから。
こんなもの、存在して居てほしくなかった。
「本当に女神様がいるなら、こんなに祈ってるのに、こんなに何で助けてくれないのって、ずっと思ってた! 私だけじゃない、ルーヴィ様も、ラーディアも、他のみんなも! ギルクさんだって! こんなに信じてるのにって、思いました!」
信仰が足りないから、覚悟が足りないから、身を捧げる覚悟が足りないから。
救われないのは、お前が悪いから――――そう、私達は言われ続けてきた。
「でもそれは、間違ってた、間違ってたんです!」
私は、ドゥグリー特級騎士を睨みつけた。
怖い、足が震える。でも、私は言わなくちゃいけない。
「私達は、もう女神様に助けてもらっていたんです! ずっとずっと前に……女神サフィアが生まれた時に、一番最初に!」
この声は、きっとその後ろにいる、ファイア様にも届いているはずだから。
「だから今度は、私達が助けに行かなきゃいけないんだ!」
扉越しに聞いた、サフィアリスとヴァミーリの物語が本当だったなら。
「私達は、ファイア様に、生きて欲しいって言わなくちゃいけないんだ!」
私の叫びを、ドゥグリー特級騎士は、最後まで聞いて。
「…………それが、貴女が掲げる信仰で、よろしいですか」
そう言った。まったく揺れてない瞳で、私を見据えた。
斬られる、と思った。ここで死ぬんだと思った。そう思ったら――もう。
「――――はい、私を斬りたければ、どうぞご自由に」
何も怖くなかった。
だって私はもう、一度死んでしまっていて。
その生命を、救ってもらっている。
だったら、言いたいことを、言ってやる。
「私を殺して、ファイア様も殺して―――― 一生、罪悪感を抱えて生きたらいい」
その言葉に、ぴたり、とドゥグリー特級騎士が、止まった。
「…………罪悪感、何故、私が?」
「だって、あなたは私を、暴力でねじ伏せるんでしょう」
意見が違えば、人は力を振るう。それは、当たり前のことなんだ。
でも、振るっちゃいけない暴力だって、きっとある。
「あなたは私に、正しい信仰のあり方を説きませんでした。私が間違ってるのなら、正しいあり方を示してくれればいい、ファイア様を殺すことこそが正しいんだって。それが女神様の教えなんだって、誰もが救われる唯一無二の正しい方法なんだって、言えばいい! だけどあなたにはそれが出来ないんです、だって……間違ってるって誰より理解してるのは、あなた自身だから!」
「クレセンやめろ、それ以上――――」
ハクラ・イスティラの声が聞こえた。
だけど……止められなかった。言ってやりたかった。
「だからあなたなんて、私は怖くありません、あなたはこれから、洗礼も受けてない、特別な力もない、ただの小娘の正論に耐えかねて、返す言葉がなくて暴力に訴えるんです!」
信仰とは――――信じる心、信じる力。
自分が正しいと思う道を、歩くための道標。
「一生、その敗北を刻んで生きていけばいい! コーランダ大司教の顔を見る度にそれを思い出せばいい! 胸を張って堂々と掲げられない信仰に、何の価値があるっていうんですか!」
だから、私は、退きたくない。
「――――――――――」
「ドゥグリー、待ってください!」
ファイア様の声が聞こえたのと、ほぼ同時に。
空気が、変わった感覚が、あった。
ひゅ、と風を切る音が聞こえたときにはもう、冷たい刃が、首元にあった。
竜骸神殿では、ルーヴィ様と、ハクラ・イスティラが護ってくれたけれど。
今はもう、それを防ぐ物は、なにもない。
「――――――――――」
反射的に目を閉じる、ごめんなさいルーヴィ様、私、やっぱり怖いです。
でも、そっちに行ったら、頑張ったねって褒めて欲しい。それぐらいの我儘は、許してください。
「――――――――…………?」
……いつまで経っても、感覚が来ない。
それか、斬られてるけど、わからないんだろうか。胸を矢で貫かれた時も、そういえば、痛みはなかった気がする、あ、私、サフィアリス様とおそろいの経験したんだ、とか、そんな下らないことを考えてしまうぐらいの時間があって。
ようやく、恐る恐る、ゆっくり、目を開いた。
私の首元に、刃が突きつけられていた。
馬車から、身を乗り出したファイア様は、転びそうになっていて。
「では…………では、一つ、一つ問いましょう、クレセン・リリエット」
ドゥグリー特級騎士は、そちらには目もくれず、私を見ていた。
「女神が……あの子自身が、死を望んでいるのならば…………あなたは、どうやって、それを救う……?」
答えを間違えたら、刃が引かれる。
頭は怖いと思っているのに、胸の鼓動は、怖いぐらい静かで。
だから、私は、ドゥグリー特級騎士の目を、しっかりと見て、答えた。
「手を握ります、そばにいます。あなたに死んでほしくない人が居るって、伝えます」
私がリリエットで、そうしようとした時に、ルーヴィ様がしてくれたのと、同じこと。
「きっと、ルーヴィ様なら、そうするはずです。私は、それが伝わるって信じてます」
「………………………………」
しばらく、黙ったままだったドゥグリー特級騎士は、やがて、ゆっくり私の首から刃を離して、鞘に収めた。
「…………時間は、あまり……ありません、〝竜骸〟は、もう、すぐに……レレントに、到着するでしょう……」
「…………え、あ、あの」
戸惑う私を置いて、ドゥグリー特級騎士は、ファイア様の前に立って、跪いた。
「私は……コーランダ大司教の下に、馳せ参じなければ、なりません……」
「ドゥグリー、わたくしも、一緒に」
「…………彼らと話して、なお、お気持ちが、変わらないのであれば……迎えに、参ります………」
ファイア様の返事を待たずに、立ち上がると、再び私の前にやってきて、手を伸ばしてきた。
「ファイア様のことは、おまかせします、クレセン・リリエット」
手甲越しの指が、私の頭に触れた。固い感触は、少し痛かったけど。
なんだか、とても懐かしい感じが、した。
「あなたは…………すごい子だ。ルーヴィ様のそばにいてくれて……ありがとう……きっと、救われていたはずだ…………」
それが、撫でられたのだと気づく頃には、もう背を翻して、駆け出していた。
反射的に後を追いかけようとして。
「――――――っ! 馬鹿野郎!」
後ろから思い切り肩を揺さぶられて、我に返った。
「下手したら本当に死んでたんだぞ!? 無茶苦茶しやがって!」
自分でもそう思うし、本気で心配してくれたんだとわかるけど。
「――――あなたに言われたく、ありませんっ!」
私が無謀になった理由の半分は、多分あなたのせいです、ハクラ・イスティラ。




