望むということ Ⅱ
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『きゅっ!』
「お前本当に頭いいな!」
ヴァーラッド邸の外に出ると、既にニコが馬車を引いた状態で待ち構えていた。鼻だけじゃなくて耳も良いらしい。既にクレセンは馬車の中にいて、しっかり手すりに捕まっていた。
「ニコちゃん、ファイアさんのところへ! ダッシュで!」
歩こうと思えば歩ける距離ではあるが、今は時間が惜しい。俺とリーンも荷台に飛び乗ると、ニコはすぐさま走り出した。
『ぎゅい…………きゅっ、ぎゅっ』
「え? なんですか、ニコちゃん」
ヴァーラッド伯の宣言通り、街の明かりは落ちておらず、未だ人々の往来が続く路を走りながら、ニコが北の空を見上げた。
「なんて言ってるんだ?」
「……匂いが近づいてきてるそうです」
何の、と確認するまでもない。
「……〝竜骸〟か、クソ、速ぇな!」
まるでこちらの動きを見られているようだ……いや、待てよ?
「おいセキ、お前、確か自分がヴァミーリの〝目〟だって言ってたよな」
『あァ、そォだよ。俺が見たものはヴァミーリに伝わる。じゃなきゃ復活の時期なんて決められないだろ?』
「―――そりゃあ動くよな、畜生!」
ヴァミーリが骸となっている間、外の世界を観測し、契約が履行されているか確認するのが、セキの本来の役割だとしたら。
ファイアの自己犠牲という選択肢を残している人間を許すわけがない。
『――――きゅっ!』
ニコが突如、その場で急停止した。街中だったから、大した加速ではなかったものの、それでも体が前に引っ張られる。
「…………どうした! ニコ!」
『ぎゅいー……』
ニコが鼻先で示したのは、道を塞ぐように立っている、一人の男だった。
背が高く、幽鬼の様に細く、生気のない瞳と、痩けた頬が目につく。
最上位の教会騎士にしか許されていない、白銀の鎧。
腰に携えた剣が、業物であることは疑いようもないだろう。
〝背教者殺し〟、特級騎士ドゥグリー・ルワントンが、そこに居た。
「これは皆様……このような時間に、お揃いで……」
「さっきぶりじゃねえか、何してやがる」
「人を、迎えに…………もう、刻はそこまで、来ていますので……」
よく見れば、ドゥグリーの背後には、小さな馬車があった。
幌の中を窺うことは出来ないが、誰が乗っているかなんぞ、決まっている。
この道の先にあるのは……ファイアが軟禁されている、ザシェの隠れ家だ。
「ザシェはどうした?」
「……死んでは、おりませんが」
「なら――――ファイアをどうするつもりだ?」
「…………どう、とは?」
「今からファイアを〝竜骸〟の前に連れて行って、何になる? まさか『ご覧の通り聖女はご存命です』なんて言うつもりじゃねえよな」
「ははは…………まさか」
ドゥグリーは、表情を変えないまま、笑った。
「言えよドゥグリー、コーランダ大司教はどうやって〝竜骸〟を止めるつもりだ」
「――――――血、ですよ」
「…………何?」
「女神サフィアは…………自らの体を……血を与え……代償とした……それが、人が竜と契約を交わすために、必要だった……」
人の手で、自らの旅を終わらせることを拒み、ヴァミーリの手で散ることを選んだサフィアリス。
「その契約を、延長する奇蹟を、コーランダ大司教は、お持ちです……ただし、今回は、〝目〟は産まれず、二度と目覚めない…………永遠の、眠りと、なりますが」
〝竜骸〟は、女神サフィアが竜と共に合ったことを証明する、サフィア教のシンボルだ。
サフィア教からすればただそこにあればいい、中身も事情もどうだっていい。
「そのためには……ファイア様が、必要です……女神の、再来……女神サフィアの、生まれ変わり…………」
馬車の中で、恐らく、本人はそれを聞いている。
わかった上で、ドゥグリーは、言っている。
「…………その生命と引き換えに、〝竜骸〟を……この地に、据え置くのです」
……リーンはかつて、ファイアを評して、こう言った。
(――――今の世界は良くも悪くもファイアさん抜きで成立してるんです)
今のサフィア教は、サフィアリスが望んだ、『人の世界』を体現しているだろうか。
末端の、それこそクレセンのような奴ばかりなら、まだいい。
だが、洗礼という名の選別を行い、魔女の烙印を捺された者は差別され、立場を盾に横暴を振るう神父が居て、大聖堂同士が権力闘争を行っている。
そんな中で誕生した、あまりに正しく、あまりに無垢な、ただ救済の精神のみを掲げ、人々を救う〝女神の再来〟を、今更、誰が望むだろうか。
コーランダ大司教が【蒼の書】の原典を知っている、というリーンの仮説が正しければ、必然的に、他の大司教達も知っていることに、ならないだろうか。
聖女が再誕した時、〝竜骸〟もまた、蘇ることを。
そして、竜が裁くであろう人の世は、もう、とっくに手遅れになっていることを。
だったら、最も都合が良いのは。
ファイアとヴァミーリに消えてもらい、〝竜骸〟だけが残ることだ。
「――――――何でそれを俺達に聞かせた?」
「無駄な争いを、したくは……ありませんので……」
「無駄、だと?」
「ここで、我々が切り結んでも、〝竜骸〟は、止まらない……止められるのは、我々だけです……どちらが有効的にファイア様を使えるか……あなたにも、わかるはずだ……」
恐らく、あえて中にいる人間にも聞こえるように。
ドゥグリーは、細い喉から、声を張り上げた。
ぴし、と決定的な亀裂が、刻まれた音がした。
「ファイア様は、全てが救われるならば、その身を捧げると、お誓いに、なられた……その尊き献身を、無下にできましょうか………」
事を収める為に、自分が処刑される事すら受け入れた奴だ。
皆をヴァミーリから救う為に命を捧げろ、と言われたら、ファイアはそうするだろう、だが。
「―――ふざけんなよ、お前ら」
それをわかってなお、ファイアに全てを押し付けようとする事は。
ヴァミーリが滅ぼそうとした、人間の醜悪そのものだ。
だったら人間なんて滅んじまえ。
そう吐き捨てようとした、俺より先に。
「だったら!」
怒りのままに、馬車から飛び出して、特級騎士と対峙したのは。
「人間なんて、滅んじゃえばいい!」
洗礼も受けていない、修道女未満の、ただの少女。
クレセン・リリエット。
流石に相手が悪すぎる、と思って身を乗り出した俺を止めたのは、リーンの手だった。
「待ってください、ハクラ」
「ば、お前、馬鹿!」
戦力差は歴然――どころじゃない。瞬きの間に、クレセンが胴から真っ二つにされても何らおかしくない。
「クレセンさんに任せましょう、ハクラ、ちょっと過保護ですよ」
「過保護、って相手は、〝背教者殺し〟だぞ!?」
信仰を違える者を、容赦なく殺す特級騎士は、いくらなんでも相手が悪すぎる。
「いいから、見ててください」
それでもリーンは、俺の肩を掴んだまま、離さない。
一方、流石に、クレセンが出てくるとは思ってなかったのだろう、ドゥグリーも、若干呆気にとられているようだった、が。
「私は……竜骸神殿の一件で、君を女神の信徒だと、認識している……言葉には、気をつけた方がいい……」
それは役割に従って、お前を斬る、という宣言だった。
クレセンは、大きく息を吸い込んで。
「…………私、本当は――女神様なんて、信じてません」
そう言った。




