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魔物使いの娘  作者: 天都ダム∈(・ω・)∋
第八章 ミアスピカの双星

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求めるということ Ⅰ

 ○


『そもそも、最初にクロムロームに食ってかかったのは、何を隠そうヴァミーリであった。単純な力量比べであれば、確かに奴にも可能性はあったのだが……』

「悪魔と契約してるなんて思ってなかったんですかね?」

『然り。誰よりも速くクロムロームに歯向かい、誰よりも速くクロムロームに勝つ事を諦めた竜。それがヴァミーリである。その戦いがあったからこそ、アイフィスは己だけでクロムロームに勝てぬと判断して〝魔物使いの娘〟を作る、という作戦を取ることが出来たわけであるが』

「で、ヴァミーリがふてくされてる間にクロムロームの封印に成功しちゃったと」

『うむ、奴が起きてみたら、滅びているはずの世界は滅びていない。慌ててアイフィスの下にやってきた時は、大変であったな……なにせ空から竜が降りてきたわけであるから』

「その光景はちょっと見たかったですけど……それで?」

『一通りやりあった(、、、、、)あと、今度は人の世を見に行った。街に、都市に、国に顔を出したヴァミーリの話は、いまの各地で物語になっておろう』





 ✾


『つってーと何か? 竜と契約した人間が、クロムロームを封印したって?』


 赤竜ヴァミーリの問いかけるのは、先を歩く少女です。何分小さな人間の歩幅ですから、竜からしてみれば遅々としていたことでしょう。


「そ。だから私は、黒竜が居ない世界を見に行こうと思って旅にでたの」


 いまは北方大陸(オルタリナ)と呼ばれているその大陸は、竜の被害が最も大きい地域でした。なにせクロムロームは北の最果てに巣食っていたので、たくさんの被害が出たのです。

 大地のほとんどは一面の荒野で、草木は育たず、山は頻繁に火を吹きました。人々は僅かに残された土地に、小さな集落にぽつぽつと作って住まうだけで、国という形も、大きな都市もなかったのです。


『ありえねェ、俺達ァ竜だ。まして奴はこの俺が勝てなかった相手だぞ? アイフィスの力を借りたところで、人間ごときが勝てるわけ――』

「もー、うるっさいなぁ! グチグチ言うのやめてくれない? 要するに、君は悔しいんでしょう?」

『な、んっ、だっ、とっ?』

「自分ができなかったことを、私達小さな人間がやり遂げたって、認めたくないんでしょう。体は大きいのに器はちっちゃい! そんなんだから、クロムロームに勝てなかったんじゃあないの?」


 それはヴァミーリにとって図星だったので、ただでさえ大きな竜は、だんだんと地団駄を踏んで、大地が大きく揺れて、地割れまで起こってしまいました。


 この時出来た地形が、いまは有名なヴァミーリ渓谷と呼ばれています――おっと失礼。


『こ、この小さい生物が、言わせておけば――――』

「同じ目線で怒ってる時点で、語るに落ちてるじゃん、ばーかばーか」

『ぬぐおおおおおおおおおおお!』


 少女と竜は、とても仲が悪かったのです。ですが、ヴァミーリには少女を傷つけられない理由がありました。


「で、どうするの? 私についてくるんだったら、その大きさ、すっごい邪魔だよ? ほら、見て。地平線まで大地が割れてる」

『グヌヌヌヌヌ――――』

「君が私と契約するなら、旅に連れていけるサイズにしてあげる。ただし、竜としての力は封じるよ。癇癪で大陸の形を変えられたら、たまったものじゃないんだから」

『ウゴゴゴゴゴ――――――』





 ○


「それで、ヴァミーリはサフィアリスに着いていくことにしたんですか?」

『うむ。アイフィスとのやり取りもあったが、一番の理由はサフィアリスという少女そのものに興味を持ったからだな。なにせ――竜を見て畏怖せぬ人間など、ヴァミーリは知らなかった』

「にしたって、よくトカゲになる(、、、、、)なんて契約を呑みましたね。プライドをやすりで削ってるようなものじゃないですか」

『ヴァミーリの図体は、共に旅するには大きすぎた故な。サフィアリスに従い、サフィアリスと共に歩み、サフィアリスを守る。それがヴァミーリとサフィアリスの契約であった』

「また、随分と不平等な」

『それぐらいの枷をかけねば意味がないと、説いたのはアイフィスであったよ。竜の目線から見て得られるものなど無い、同じ目線で見なければ、お前の疑問は解けぬとな』







 ✾


『………………』

「なあにをそんなにふてくされてるの」


 サフィアリスと契約したヴァミーリは、その姿を一匹のトカゲに変えていました。

 手のひらに乗るほどの大きさですが、竜であった頃を考えれば、比較することすら馬鹿らしいほど、ちっぽけな存在です。そんな姿ですから、ヴァミーリはもっぱら、サフィアリスの肩に乗って、彼女の旅に同行しました。


 同じ目線で、同じものを見続けていました。


『気に食わねェ』

「もー、何が? さっきの村のこと?」

『そォだよ。テメー、あそこで何をした?』

「何って……土地があんまりに枯れてたから、こう、ちょちょいっと」

『俺ァ何かを治す事ァ出来ねェ、焼き払うだけだから、テメーの力がものすげェのは認めるヨ。こんな死んだ土地が蘇るたァ思ってなかった』


 サフィアリスが祈りを捧げれば、毒に侵された大地はたちまち活力を取り戻し、枯れ草すら生えなかったはずの畑は、次々と緑を芽吹かせました。

 しかし、それを行った人々の反応は、感謝ではなく、恐怖です。まだ魔法や錬金術が形態化していなかった時代であり、魔女の力が強かった時代でもあります。


 聖女が起こした奇蹟は、忌まわしき呪いだと恐れられてしまったのでした。


「すごいでしょ、私、こういう方面の魔法は得意みたいなんだよね。要するに、大地も生き物と考えて、魔素を戻してあげれば良いわけで――――」

『俺が言いたいのはそういう事じゃねェーよ! 何でアイツらはテメーに助けてもらッておいて一言も礼を言いやがらねェ!』

「…………」


 牙をむき出しにしてギィギィ怒るヴァミーリを、サフィアリスは意外そうに見つめるものですから、ついに怒りの矛先は当人に向けられてしまいました。


『何黙ってンだオイ!』

「いや、君がそういう、なんていうのかな……善意に誠意を求めるような倫理観を持ってるのにびっくりしちゃって」

『馬鹿にしてンのか!?』

「いいじゃない、別に助けてくださいって言われてやったわけじゃないんだし」

『それがおかしいっつってンだ!』

「………………ふふっ」

『どこに笑う所があった!? あァ!?』

「い、いや、だってさ、君、それって私のために(、、、、、)怒ってる(、、、、、)ってことでしょ?」

『ハァ――――!?』

「そう思ったら、なんだか笑えてきちゃって……だって、あんなに人間なんて、とか言ってたくせに……ふふっ」


 文字通り、開いた口が塞がらないヴァミーリに、サフィアリスは笑い続けるのでした。


「…………あいたっ!」


 時折、耳に噛みつかれたりもしていたそうですが。


「なあにするのよ、このポンコツトカゲ!」

『俺様は竜だ! この善人女が!』

「…………それ悪口?」

『悪口だねェ! やっぱり納得がいかねェ! あの畑を俺が燃やしてきてやる!』

「馬鹿じゃないの!? ほら、いくよヴァミーリ! 明日には船に乗るんだから!」

『離せ…………コラ! 尻尾を持つんじゃねェ!』




 ○


「滅茶苦茶仲良さそうじゃないですか」

本竜(ほんにん)は否定していたがな。ヴァミーリはとどのつまり、サフィアリスを愛していた。竜が人に向けるそれは、人同士の愛情と同じではないにせよだ』

「それは、アイフィスが初代を愛していたように?」

『……………話を戻すが、サフィアリスとヴァミーリの旅は続いた。かつてのリングリーンがそうしたように、東方大陸(トミトア)の異文化に触れ、西方大陸(リーラベル)で人々を助け、南方大陸(コルセウニ)で厄災を鎮め、そして再び北方大陸(オルタリナ)に戻ってくる頃には……サフィアリスは聖女と呼ばれるようになっていた』

「あー、誤魔化した。……ぐるっと、世界一周したんですね?」

『うむ、その頃には復興もある程度進み、人々が奇蹟を受け入れる余裕が出来ていた』

「それが、聖女伝説に繋がっていったと」

『人が生きるのに、苦しい時代であったのは確かだ――まだ冒険者すら居なかった時代、サフィアリスの力は、大きすぎた。人の歴史の過渡期に、聖女になってしまった娘だった』





 ✾


「〝私があなたを救いましょう。いずれあなたが救うべき誰かのために〟」


 サフィアリスが血を一滴流すと、またたく間に傷が癒え、不治の病すら治るとあっては、人々がその噂を聞きつけて、集まらないわけがありませんでした。


「〝祈りを聞き届けましょう、その尊い想いを無駄にしないように〟」


 そのすべてを受け入れて、行く先々で血を流し、癒やしを施していくうちに。


「〝全ての傷を、癒やしましょう〟」


 いつしか、彼女は聖女と呼ばれるようになったのです。

 誰もを助け、誰もを救い、誰もを癒やす、蒼の聖女サフィアリスと。


『どうして、テメーはそこまで出来んのかってのを、俺ァ聞いてんだよ』


 ある日、荒れ地の真ん中で、ヴァミーリはいつものように言いました。

 サフィアリスが誰かを助ける度に、ヴァミーリはそれを咎めてきたのです。

 お前がそこまでする必要はない、お前が傷つく必要はない。


『感謝の言葉だけなら、いくらでも吐けるさ。だって何も失わねー!』


 ヴァミーリは、旅の最中で、学んでいたのです。

 便利な力があれば、人々はそれを頼り、すがることを。


『だけどお前はボロボロじゃねーか! 何度も何度も血を流して、馬鹿を見てると思わねーのかよ』

「見てられないなら、着いてこないでよ。私は別に、来てくれなんて頼んでないよ?」


 十数年、旅を共にした相方にかける言葉にしては、本当に今更な言葉です。

 それが普通になるぐらい、お互いの間で、かわされきったやり取りなのです。


『うるせー。俺がいなかったらテメー、そこいらで出血多量でぶっ倒れて死ぬぜ!』

「そしたら、骨を持って帰ってよ。最期くらい、故郷(ルワントン)の土で眠りた――あいたっ! 噛んだなぁ!」

『アホかテメー! いや、馬鹿アホだな。馬鹿アホだテメー!』

「……あのさ、なーんで君、メチャクチャ長生きなのにそんなに語彙力ないの?」

『やかましい! 人の言葉は不完全なんだよ! 竜同士ならこんなまどろっこしい真似をしなくて済むっつーのに!』

「そうかなあ、私は君と言葉を交わせるのが嬉しいよ」

『あぁ?』

「一人だったら、きっと私は途中で諦めてたよ。耳元でぎゃあぎゃあうるさいけど、誰かと一緒なら、もう一歩だけ歩こう、って気持ちになってくるものだよ」

『俺ァテメーと一緒に来たことを後悔してるよ、どいつもこいつも自分勝手だ』

「私も含めて?」

『テメーも含めてだ』

「でも、君はずっと一緒に居てくれた」

『そういう契約だからだろォが!』

「じゃあ、契約を今解いたら、君はラディントンに帰ってしまう?」

『――――――――――』

「……私は君の、そういう嘘が吐けないところが好きなんだよ」


 サフィアリスは、服が汚れることも厭わず、荒れ地に体を投げ出しました。

 薄暗い雲に遮られて、太陽がよく見えません。寒くて、冷たい地面の温度は、まだまだ、土地が癒えきってないことを伝えてくるのです。


「ヴァミーリ、私はね、花を咲かせたいんだ」

『…………花ァ?』


 そんな事を言うものだから、ヴァミーリは理解不能とばかりに舌を出しました。


「うん、北方大陸(オルタリナ)は寒いでしょう? だからあんまり花が咲かないんだ。育てる余裕もまだまだ無いし……花を育てるぐらいなら、麦とか野菜を育てるよね」

『当たり前だろ、喰えねェモノがなんの役に立つってンだ』

「でもヴァミーリ、私は、君と見たサクラを忘れてないよ」


 サフィアリスは、もう大分、擦り切れて、古くなった日記帳を取り出すと、パラパラとめくって、ほほえみました。


「積み重なった思い出を、掘り返すために書いたのに、全然忘れてないんだから、困っちゃうよねえ」

『………………』

「あれは、綺麗、だったよね」

『……そォだな』

「東方大陸のみんなはさ、損得じゃなくて……きっと、何があっても、あの花を見れば、みんな同じ思いを抱けるように、って思って、育ててたんだと思うんだ」

『………………』

「なんの役にも立たないものを、綺麗だからって育てられる世界のことを、きっと平和って呼ぶんじゃないかな、ヴァミーリ」

『………………』

「南方大陸じゃ、一面の青い花の絨毯があった。あんな場所がこの大陸にもあったら――――もう少しくらいは、平和になると思うんだ」


 何故人々がサフィアリスを頼るのか。けが人が絶えず、聖女の奇蹟を望み、血を流し続けるのか。

 それは、クロムロームの脅威が去ったあと、ずーっとずっと、人間同士の争いが続いていたからでした。

 魔物が人を襲う以上に、人が人を襲いました。格差があり、差別があり、支配があり、暴力がありました。

 特に、サフィアリスの故郷である北方大陸は、面積は広いのですが、山と荒野がほとんどで、人が住める土地が少なかったのです。


 数少ない定住の地を求めて、異民族たちが、原住民の土地を奪い。

 土地を追われた者たちは、新たな土地を欲して。

 己の力を示すために、豪族達は隣接する地域に戦いを仕掛け。

 そんな事を、もうずっとずっと繰り返しているのでした。


「だからさ」


 サフィアリスは、空に手を伸ばしました。つかむものは、今は、何もありません。


「こんな草も生えないような荒れ地に、いつか、花が咲いたら素敵だと思わない?」

『…………思わないね、バカバカしい』


 ヴァミーリは心の底から吐き捨てるように言って。

 サフィアリスは、ちぇ、と唇を尖らせました。








 ○


「人間ってほんとわかんない!」

『ヴァミーリも悩んだらしい。生き残った人間という種が愚かであるなら、何故同胞であるクロムロームは封じられたのか。アイフィスの判断は間違っていたのではないか。いっそ黒竜の思うがままに、世界など滅びていたほうがまだ良かったのではないかと』

「流石にそこまでは思いませんけど……釈然とはしませんよね」

『だが、サフィアリスは、目についた争い、全てに介入した。どちらか一方に加勢することはなく、ただ傷ついたもの、等しく全てを救い続け――――』

「それで……戦いはなくなったんですか?」

増えた(、、、)。聖女が居る限り、死は遠ざかり、反比例するように攻撃は苛烈になった。どうせ聖女が助けるのだから、どれだけやってもいいだろう、と』

「…………それじゃサフィアリスは、馬鹿みたいじゃないですか」

『だが、癒やしの手を止めることはなかった。ここまでくれば、サフィアリスがやめた時点で、大量の犠牲者が出ることになると、そして――――』





 ✾


 血を流せば流すほど、より激しくなる戦いは、聖女の体を蝕んでいきました。

 どれだけ人を癒やしても、どれだけ奇跡を起こせても。

 サフィアリスという女性は、たったひとりしか居ないのです。

 ですが、一度起きた奇蹟は、二度目からは当然となり、三度目ともなれば前提と化し、それを享受できないものからは、不公平だと罵られました。


『もう我慢できねェ』


 肌はすっかり血の気の無くし、瞳から生気が失せたサフィアリスを見て、ヴァミーリはついに聖女の肩から降りました。


「まって、ヴァミーリ、何するの?」

『全部焼く。最初からそうすりゃ良かったンだ。人間が消えりゃ争イも起こらない。簡単だろォが』

「駄目だよ、ヴァミーリ、それは駄目」

『じゃあどうするってンだ!?』

「どうもしないよ、私なら、まだ大丈夫……」


『俺はテメーに何も出来ねェ(、、、、、、)ンだよ!』


 今まで無い剣幕で怒鳴るヴァミーリに、サフィアリスはつい、伸ばしかけた手を引っ込めてしまいます。


『あァそうだ、俺ァ竜だ。最強種だ。この世界を滅ぼすぐらい造作もねェ。船で何日もかけて渡った海も、ひたすら登った山々も、何年もかけて巡った世界も、俺がその気になればひとっ飛びで越えていける』

「ヴァミーリ……」

『だけど、それだけ(、、、、)だ。それだけなンだよ。死にに行こうとするお前を、止めることすらできねェ。なァ、俺がこれだけ頼ンでも駄目か? 人間同士のくだらねェ争いなんぞ見限って、故郷にさっさと帰っちまえばいい! たったそれだけの事だろォが!』


 それが、誇り高き竜に取って、有るまじき懇願である事ぐらい、サフィアリスにだってわかっていました。


「…………蒼の書、第二百六章、愛しき旅の道連れが、私を認めてくれた日」

『……何だそりゃ』

「日記の、タイトル……もう、書く所、なくなっちゃったけど」

『…………忘れねェんだろォが、お前は』

「……なんでかな。心の何処かでは、なんとなくわかってるんだ。私がどれだけ頑張ったって、多分戦いは終わらなくて、きっとあんまり意味がないって――おかしいよね、クロムロームを倒そうって時は、人間も、竜も、魔女も、魔物も、みんなが手を繋いで、一つになれたはずなのに、それが終わったら、傷つけあってさ」

『だったら――――やめちまえよ』


 やめてしまえ、諦めてしまえ。

 希望なんて捨ててしまえ、責任なんて背負わなくて良い。

 誰かがそう言い続けない限り、聖女(こいつ)は永遠に血を流す。


『――――頼むよ、サフィアリス』


 ヴァミーリが肩に戻ると、サフィアリスは、自分の頬を寄せて、目を閉じました。


「……なんだか、疲れちゃったな」

『……だろォな。何日寝てない?』

「忘れちゃった。……ああ、元気かな、みんな、私のこと、心配してないかな」

『してるに決まってンだろ。お前が旅に出る時、どれだけ引き止められたと思ってる』

「……うん、うん、そうだった……そうだったね。そんな大事なこと、忘れてた」

『馬ぁ鹿野郎』

「返す言葉もないや……だって仕方ないじゃない、楽しかったんだもの」

『…………はァ?』

「君との旅がだよ。船から見る、どこまでも続く海は綺麗だった。悪口を言い合いながら、山を登る時間は、楽しかった。地平線の果てから昇る太陽を、君と見るのが好きだった」

『……それァ、テメー。ずるくねェか?』

「ずるくないよ……ずるくない」

『…………そォか』


 一人と一匹は、しばらくそのままでいました。

 やがて、ちらちらと雪が降ってきて、少しずつ、積もり始めた頃。


「……帰ろっか、一回」

『…………良いのかヨ』

「だって、君がうるさいんだもん。私一人じゃどうにもできないなら、みんなの知恵を借りるよ。そしたら――ヴァミーリ、今度はさ、一緒に」


 その続きを、サフィアリスが言うことは出来ませんでした。

 後ろから、ずぶりと胸を刺したのは、遠くから放たれた矢でした。


 ――――居たぞ、聖女だ! 

 ――――確保しろ! 逃がすな!

 ――――こいつを捕えれば彼奴らは傷を癒せない!

 ――――独占しちまえばよかったんだ、こんな便利な奴(、、、、、、、)


 それがどれだけの愚行か、彼らは知りませんでした。

 それが何の逆鱗に触れたか、彼らは知りませんでした。

 聖女が、自分の傷だけは治せない、ということすら、彼らは知りませんでした。

 聖女の奇蹟は、自らの命を分け与える力であり――――もう、ほとんど何も残っていないことを、彼らは知りませんでした。

 そして、聖女の命が潰えてしまったら、赤竜ヴァミーリの力を封じる者はいなくなってしまうのだということも、知りませんでした。


『――――――――――――』


その日、北方大陸に、一体の竜が現れました。

 名を赤竜ヴァミーリ。

 眼光は全てを溶かし、滾る血は万物を焼く焔、翼が逆巻けば地表は吹き飛び、足を踏み鳴らせば大地が砕ける――伝承の存在。

 大いなる竜は、人間を――――――。





 ○


『サフィアリスは、胸を矢に貫かれてなお、立ち上がったのだ。竜となったヴァミーリが何をするつもりか察し、止めろ、と説いたらしい』

「それで止まるとは思えないですけど……でも、人間が滅んでないってことは、サフィアリスはヴァミーリに説得に成功したんですよね?」

『結果論で言えばな。奴は、サフィアリスの亡骸を連れて、アイフィスの前にやってきた。何の言い訳もしなかったよ。ただ…………〝俺が殺した〟と、そう言っただけであった』

「そして、将来レレントになる場所で朽ちて、〝竜骸〟になったと。んー、ヴァミーリとサフィアリスがどんな話をしたかわかれば、何らかの手がかりになりそうだと思ったんですけどね、無駄に長話を聞いちゃいました」

『…………あのヴァミーリは動かぬよ。我輩を前に、何の反応もないのだ。あれは、ただの抜け殻だ』

「…………んー、ますますわかんないですね、そもそもヴァミーリは、なんで蘇ってすぐに、ソレンサに行ったんでしょう?」






 ◆

 

弦楽器の音が作るリズムと、その合間を縫って放たれる、憎らしいほどよく通る声。

 ルーバの弾き語りは、いざ始まってしまえば、恐ろしいほど流麗に耳の中に入ってきて、その情景を叩き込んでくる。

 それは口伝で人々が繋いで来た創作だ。面白おかしくするために、客の感情を揺さぶるために、脚色を混ぜ込んだ作り話で、実際の出来事であるわけがないのに。

ルーバの語る物語を聞き終えた時、なぜだか俺は、確信していた。


「――――だから動かなかった(、、、、、、)のか」


〝竜骸〟が何故、ソレンサへと向かったのか。セキを見つめたまま動かなかったのか。

その理由が……わかってしまった。腑に落ちた、と言ってもいい。


「以上を持ちまして、〝一人と一匹の、たどり着くまでのささやかな旅〟は終焉でございます、かくて女神サフィアは生まれ、赤竜ヴァミーリはこの地を己の終焉の地と決め――――――おや、ドゥグリーさん、どう致しました?」


 気づけばジョッキを飲み干したドゥグリーが立ち上がり、その長身によって、ルーバを見下ろしていた。


「…………その話は、一体、どこで……?」

「世界中、色んなところで、ですよ。サフィア……サフィアリスが世界各地を巡ったのは確か。各大陸で奇蹟を起こして回ったのも確か。でなければサフィア教が世界中に根付くわけがありませんので」

「………………」


 二人の視線が交わる。相手が〝背教者殺し〟であることを知っていてなお、ルーバはにこやかに笑っていた。


「……信じるのか? こんな与太話(、、、、、、)


 俺が横から口を挟むと、ドゥグリーは視線だけをこちらに向けた。


「……アナタは……信じた」

「何でそう思う」

「そういう、眼をしている……ここに来た……アナタには、光がなかった……今は、違う」


 枯れた喉から吐き出される言葉の一つ一つに、強い意志を感じる。


「何かを確信した……同時に、やるべきことが、決まった……そんな、顔をしている。味方にすれば頼もしいが……敵にすれば厄介な、そういう顔だ……さて」


 ちゃき、と、鞘に手がかかる音がした。


「アナタは……私にとって、どちらになるのか……」

納得いった(、、、、、)だけだ。それよりお前はどうだよ、〝背教者殺し〟」


 俺はドゥグリーに、正面から向かい合った。

 今、この場で切り結ぶなら、それもありだと思った――このまま行くなら、どうせ俺達はどこかでぶつかることになるだろうから。


「お前の立場なら、今の与太話は見過ごしたら……聞き過ごしたら行けないんじゃないか?」

「…………彼が、それを、正しい教えだと、広めるのであれば……咎めますが」

「まったく全然これっぽっちもそんな事は思っておりません、女神に誓って、私の話はただの吟遊、酒の席を盛り上げるための余興にすぎませんとも。誰がどう受け止めるか、までは私の管轄ではありませんが」


 へらへらとした表情のまま両手を上げるルーバの軽薄な言葉からは、先程までの真に迫った弾き語りの欠片すら感じ取ることが出来ない。


 ドゥグリーは、剣から手を放すと、本当に――本当に小さく、笑った。


「何があろうと、私のやることは、変わらない……この剣は、大司教の為にある……」

「……コーランダ大司教は、本当に〝竜骸〟を動かせるのか?」


 俺の問いに、ドゥグリーは顔を上げ、答えた。


正しい信仰が(、、、、、、)そこにあれば(、、、、、、)……あるいは」


 その言葉が、別れの挨拶代わりだったんだろう、ドゥグリーはそのまま『明るい鶏亭』を出ていった。誰も止めなかった。

 ……正しい信仰とは、何を指すのだろう。誰の信仰が正しくて、誰の信仰が間違っているのだろう。誰がそれを決めるのだろう。

 ルーバの話を、頭からまるっと信じるなら――――。


「……くっだらねぇこと考えてる場合かよ」


 ひとまずヴァーラッド邸に戻らなければならない、スライムを叩けば、もっと詳しい話も出てくるだろう。


「おいルーバ、俺も帰るぞ。ラッチナは…………まあ流石にギルクは一人で帰さないだろうから、今日はヴァーラッド邸に泊まっていく流れになってると思う」

「それはそれで、私は別に構いませんよ、明日の昼までに戻ってくる様伝えてくだされば」

「わかった。…………ところでルーバよ」

「はい、なんでしょう」

お前一体(、、、、)何者なんだ(、、、、、)?」


 質問に、肩をすくめたルーバは、間を作るように、ぼろん、と一回リュートを弾いた。


「ただの吟遊詩人ですよ。弾き語ることしか出来ない、か弱く儚い存在です」

「俺らの前に何度も姿を現すのが、偶然だとでも?」

「そうは言いません。ただ、目的地が同じであれば、道程が重なる事もあるでしょう?」

「…………」

「誓ってもいいですよ、私は雑音(ノイズ)のようなものです。あなた方の旅にとって、重要であることはあっても、必要であることは決して無い。先程の物語にしたって、あなたに聞かせるのは私じゃなくてもよかった、もっと確実な情報源(ソース)があったはずです、今回は、たまたま巡り合せが良かったので、私にその役目が回ってきたまでのこと」


 ペラペラとよく回る口、へらへらとした変わらない笑み。絵に描いたような軽薄で、誰からも侮られるように振る舞う吟遊詩人。

 ルーバ・シェリテは、俺達の敵なのか、味方なのか。

 多分、どちらでもない、が正解なんだろう。


「……まぁ、いいや。お前はこれ以上、なにもしないんだろ?」

「私はいつだって何もしません。英雄ではありませんので」


 ルーバは、もう一度、ぽろん、とリュートを弾いた。


「ですが、女神ではなく、聖女でもなく、人間、サフィアリスの願いは、どうか叶ってほしいと思っていますよ」


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