祈るということ Ⅳ
◆
「これで教会の支持は急上昇、反対にギルドの評価はガタ落ちってか」
あれからも演説は続き、大司教が何かを言う度に、集まった人々は称賛の声を上げ、また語り……の繰り返しだった。
結局、全部終わったのは日が落ちてからで、ヴァーラッド邸の食堂にはいまだ重苦しい空気が立ち込めている。
ギルクは一度、仕事があるとかで席を立ち、クレセンはその手伝いをすると着いていった。結果として俺とリーン、スライムとセキだけが残され、図らずしも相談の時間が生まれたわけだ……が。
『安心したいのだろう、彼らに罪はあるまいよ』
いつもと同じ明日が来て、今日が無事に終わっていく。
家を構え、家族を持ち、村や街で暮らす人々にとって、その繰り返しを日常という。冒険者とは程遠い概念だが、それを望む気持ちは嫌というほどわかる。
だから彼らは女神に祈る、当たり前の毎日を享受できるのは、自分たちが善い行いをしているからで、正しい信仰を持っているからだと。
「問題は、これを受けてギルドがどう動くかだ」
ザシェの方針が『ファイアを魔女として裁き、全責任を押し付ける』である以上、悠長に教会のやることを放置するとは考えづらい……が。
「強引にファイアさんを断罪しちゃったら、もう取り返しつかないですよね」
なまじコーランダ大司教が〝竜骸〟を取り戻すと宣言したのだから、その可否を待たずに結果を出そうとするのは悪手のはずだ、住民の支持は教会寄りだから、ギルドの居場所がなくなる。
今生じている問題を、なるべく素早く、それでいて合理的に解決する方法があるとすれば……。
「…………なあ、コーランダ大司教に〝竜骸〟の在り処を教えるのはどうだ?」
取引材料として、ソレンサの土地と、ついでにリザードマン達の浄化を秘密裏に要求する。ミアスピカ精鋭の浄化部隊なら、解呪が可能かも知れない。
「問題点が三つあります。一つ、私達とコーランダ大司教が接触するのは現実的に不可能であること、二つ、セキさん達を助ける理由が向こうにないこと、三つ、私はコーランダ大司教が〝竜骸〟を動かせると思ってません」
『そもそも我輩らが〝竜骸〟の在り処を知っている理由を問われると、ヴァーラッド辺境伯達からの依頼の話をせざるをえなくなるからな……』
「俺達の知らない方法で、コーランダ大司教が〝竜骸〟を制御できる可能性は?」
その可能性は、ゼロではないだろうと思うのだが、リーンはつまらなそうに。
「それができるなら、最初からミアスピカ大聖堂に呼んでるはずじゃないですか」
「…………ああ、そりゃそうか」
他の大聖堂と比べてて立場が弱いミアスピカ大聖堂にとって、〝竜骸〟なんて箔があればそりゃ欲しいだろう。
「なによりあの女に手柄を渡したくありません、この問題は私達が解決すべきです」
「何で顔も見たこともない相手に対してそんな当たりが強いんだ……」
伝令石越しに声を聞いただけのコーランダ大司教に対して、リーンはずいぶんと敵意を顕にしていた。少なくとも『私達が解決すべき』なんてはっきり言うことはなかなか珍しい。
「聞こえのいいことばっかりいう人、嫌いなんですよ私。ファイアさんが誰を見て育ってきたのかよーくわかりました」
「お前が教会の人間と根本的に相性が悪い理由がよくわかった」
こいつ、この感性でよくここまでクレセンと旅が出来てたな……。
『…………お嬢、一つ提案があるのだが』
不意に、スライムが言った。
『我輩、どうしても気になる事があってな』
「? なんですか、アオが自分から意見を言うなんて珍しい」
確かに、スライムは基本的に俺達の行動に、口は挟むにせよ、能動的に提案をすることは少なかった。
『コーランダ大司教の人となりは、演説とギルク嬢達の説明で一通りわかった。であれば我輩、一つ疑問があるのだ』
「っていうと?」
『何故、ルーヴィ嬢とファイア嬢、二人の娘に秘輝石が入っているのだ?』
それは、俺も疑問に思っていた事ではある。ルーヴィが特級騎士にして冒険者、というのはイレギュラーな存在だが、教会とギルドの間で何かしらの契約なりがあったのだと思い、本人から聞こうともしなかった。
「まあ、何かしらの理由はあるんだろうが……」
『その一点が、現状得られているコーランダ大司教の評判と食い違う。そして我輩は真の意味での聖人などこの世に居ないと考えている』
「どういう意味です?」
『二人が秘輝石を入れるのを親から強制されていたとすればどうであるか? コーランダ大司教が現在の地位に着いたのが二十歳、もう一人の大司教が亡くなり、ミアスピカ大聖堂の発言力が落ちたのが十年前。ルーヴィ嬢とファイア嬢が十三歳前後で、現在は四十歳前後なのであろう?』
ミアスピカにもう一人いた大司教が他界し、他の大聖堂とのバランスが取れなくなってしまったのが十年前。若干三十歳の、最年少大司教の立場は相当苦しかったに違いない。そこでギルドと何かしらの取引を行い、秘輝石を入手して、どこかの二人の娘に秘輝石を入れた――魔女狩り機関のトップと、女神の再来を創り出し、ミアスピカ大聖堂の権力基盤を盤石にする為に。
その二人の〝母親〟ともなれば、コーランダ大司教の地位は揺るがなくなるだろう。
言われてみれば、辻褄は通る気がする、が。
「っても、そんなに簡単じゃないだろ? 秘輝石を入れたからってそう簡単に強くなるわけじゃねえし」
ルーヴィもファイアも、自身の分野において、子供とは思えないほど図抜けた力を持ってはいるが、それは結果論であって、秘輝石を入れる前からどんな力が発揮され、どんな能力が身につくのかが決まっていたわけではない。
『そうとも限らぬ』
だが、スライムは首(?)を横に振って飛び跳ね、リーンの腕の中に収まった。
『例えばお嬢のそれは、代々の魔物使いの娘が使っていた秘輝石そのものだ。結果、擬態魔法などの役目を果たすのに必要な魔法を受け継いでいるのである』
「……そんな事できるのか? まさか」
冒険者は引退する際、ギルドに申請した後、秘輝石を摘出する義務がある。
ただ、取り外した秘輝石はそのまま冒険者に返還される。色彩や透明度にもよるが、熟練の冒険者の秘輝石は『世界に二つと無い宝石』としての需要があり、それを売り払って引退後の資産を作る、というのが一つの定石となっている。
勿論、そこまで価値のある秘輝石に育て上げるには相応の時間と経験が必要だし、その過程で死ぬやつも多い。円満に引退出来る冒険者は、そう多くない。
何にせよ、ギルドがそれを許しているのは、一度色づいた秘輝石は、強引に剥ぎ取って他人に入れても効果を発揮しないからだ。
もし秘輝石の能力を、移植した他人が発揮できるなら、ギルドは引退後のそれも厳密に管理するはずだ。
『だが現実として、お嬢は秘輝石の継承に成功している。もとい――』
「秘輝石を継承できたから、今代の魔物使いの娘は私なのです、えへん」
得意げにしているリーンだが、もしかしてそれは、一般的な冒険者である俺は知ってはいけない情報だったのではないだろうか。
「仮に、そうだとして、じゃああの二人の秘輝石はどっから持ってきた? って話になるだろ」
『今すぐ断言はできぬが、仮説はある。しかし、手っ取り早いのはファイア嬢本人から話を聞くことであろう』
「それがわかれば苦労しないんだが……」
そもそも全責任がファイアにある、という現状が最短ルートで合理的に事態を片付ける手段である、というだけで、真相がどうあれ、ザシェがそれを重要視するとは思えない、そもそもファイアが魔女でない、と結論づけられたら処刑されるのはザシェの方だ。
「くっそ、せめてファイアの居場所さえわかりゃな……」
そう呟いたタイミングで、コンコン、と扉がノックされた。
許可を待たずに中に入ってきたのは、若干疲れた顔のクレセンだった。
「失礼します、あの、皆さんにお客様が……」
「あ、クレセン。ちょうどいい所にきた。お前ルーヴィの秘輝石がどこから来たか知らねえ?」
「なんですか藪から棒に! 私が【聖女機関】に入った頃にはもう持っていらしてましたよ。一度『ルーヴィ様は何で冒険者達のように右手に石があるんですか?』って聞いたことあるんですけど、すごく曖昧な笑顔でごまかされて、ラーディア達からは『よくそんな事聞けたね……』って怒られました」
「よくそんな事聞けたな……」
「なんなんですか一体! それより! 貴方達にお客様なんですってば!」
「あん?」
のそ、とクレセンの後ろから現れたのは、ツバ広の帽子とマントを羽織った……見覚えのある、長身の男。
「やあやあ、皆様お久しぶりです。大変なことになっておりますねえ」
そう、俺たちはこいつを知っている。
「えーっと……………………ル、ル、ル……」
『ル、ル……ルンバとかではなかったか?』
「二人共、失礼ですよもう! この前ぶりですね、ルーシーさん!」
「ルーバですが!?」
そうだそうだ。吟遊詩人のルーバ・シェリテだった。
「いやあ、ありがとうございますクレセンさん、堂々と正面から入ろうとしたら警備の人にめちゃくちゃ怒られて簀巻きにされたところを助けていただいて」
「いえ、それはいいんですけど……」
クレセンが、疑問を隠さない表情で、俺とルーバを交互に見た。
「で、俺らに用事ってなんだよ」
「ええ、こちらの手紙を預かっていまして、ラッチナから」
蝋印が押された封筒を懐から取り出すと、テーブルに上にすっと置いて。
「差出人は中を見ればわかります。私は南通りの『明るい鶏亭』に宿を借りておりますので、お手数ですがついでにウチのラッチナを引き取ってきてくださると助かります、そちらにお邪魔しているはずですので」
「何で俺らがラッチナの送り迎えをしなきゃいけねえんだよ」
「まあまあ、行けばわかりますよ。では私はこれで」
ぽろん、とリュートを一回無意味に鳴らして、ルーバはそのまま廊下へ消えていった。なんだったんだ。
「で、何なんです? その手紙」
「さあ……」
中身を開くと、レレント内の簡素な地図と、差出人の名前が記されていた。
◆
ヴァーラッド邸からそれほど離れていない民家に入り、書斎の一番右の本棚の、突き出た背表紙の本を、指示された順番で押し込むと、ずるずると横滑りに移動し、地下へ続く階段が現れた。
それなりに長いそれを慎重に下って、たどり着いた隠し部屋の扉を開くと、少し広い部屋に出た。
地下だから窓はなく、左右の壁は古い本や書類が詰まった本棚になっていて、奥にもう一つ、頑丈そうな拵えの扉があった。
そして――その手前には、机に向かってペンを書類に走らせるザシェの姿があり、顔を上げて俺たちの顔を見てからの第一声が、
「遅い」
だった。
流石に怒っていいと思うのだがどうだろう。リーンはすでに杖の素振りを始めている。
「戻ってきたら真っ先に私のもとに来ると思っていましたが……レレントに帰還したと報告を受けてから何日経ったと?」
「お前が隠れてるから場所がわからなかったんだろうが!!」
呆れたような物言いのザシェだが、こっちだって面を拝んで言いたいことは山ほどあったというのによくもまあぬけぬけと言いやがる。
だが、ザシェはもう書き物を再開しながら呆れたように言った。
「あなた方、どうやってリザードマンの後を追ったんです?」
「「『…………あ』」」
多分このタイミングで、ヴァーラッド邸で眠りこけているであろうニコがくしゃみをしたんじゃないかと思うぐらい、俺達は同時に言ってしまった。
「《冒険依頼》の指示書に私の匂いが残っているでしょうから、それを追いかけて来ると……いえ、済んだことですので、良いでしょう。能力以上の期待をかけた私の責任ということで……」
盛大な溜息とともに放たれるその言葉の厭味ったらしいことはない。リーンはすでに部屋の中を荒らさないコンパクト・スイングの練習を終えている。
「こんな隠れ家があったなんてな」
「ヴァーラッド伯のご厚意で使わせてもらっている場所でしてね。安全性は保証されていますよ、仕事もこうして続けられています」
この状況下で行う仕事の内容を、詳しく知りたいとも思わない。今知りたいことは、一つだけだ。
「ザシェ、ファイアはどこにいる」
「それを聞いて何をするつもりなのです?」
「確認したいことがあんだよ」
この状況下で、ザシェがファイアを一人にしておくとは思えない。監視下においているか、ここに居なくても信用できる人間の下で拘束しているはずだ。
「私は先に、あなた方の成果の確認をしたいのですがねぇ」
問い詰めようと一歩近づいた瞬間のことだった、奥の扉から、不意に、
(もう………めて……だ……!)
という、か細い少女の声が、とぎれとぎれに聞こえてきた。
「!」
(お願…………やめ………っ…………)
その声が、明確になった瞬間、俺は眼の前のザシェを殴り飛ばし、扉に駆け出していた。
「ファイア!」
鍵はかかっておらず、勢いよく開け放った、そこに居たのは……。
「い、痛い、痛いです、きついです……!」
「大丈夫……大丈夫だから……チナは限界に挑戦する……!」
「自分の髪の毛でしてください……!」
大きなベッドに腰掛けるファイアと、その長い髪の毛を小さなみつあみに加工し続けるラッチナの姿があった。
「…………何で?」
遅れて様子を見に来たリーンが、俺の背中からひょこっと顔を出して、室内の様子を眺めてから。
「ハクラ、今殴っちゃいけない人を殴りませんでした?」
「ああ、今猛烈に後悔してるところだ」
「ご安心ください、すぐにもっと後悔させて差し上げますので」
更にその後ろから、頬を抑えたザシェがにこやかな笑顔でそう告げた。口の端からこぼれた血が、ぽたりと落ちて床にシミを作った。
「あれ………ハクラ、さま?」
遅ればせながら、俺に気づいたファイアが、ラッチナに髪の毛をいじられ続けたまま、首を傾げた。




