祈るということ Ⅲ
◆
「ファイア様を解放しなさい! 責任者は出てきなさい!」
ギルドに抗議する民衆の最前列で、『聖女奪還』の看板を掲げながら、誰より大きな声を張り上げているクレセンの後頭部に一撃入れて、悶えている間に首根っこをひっつかんで回収し、ヴァーラッド邸に戻るまでおおよそ三十分を要した。
なまじ、ファイアの奇蹟によって蘇った修道女、という情報が知られているらしく、集まってた住民にものすげえ抵抗をされたことを考えると、これでも早い方だったと思う。
「何やってんだお前は馬鹿か!?」
「馬鹿とは何ですか馬鹿とは!」
数日前に心臓が潰れていたとは思えないぐらい元気なクレセンの姿を見て、安心するやら呆れるやらだった。
再会の感慨はまったくなく、非常に慣れた感じの罵倒が飛んでくる、うん、こいつとの距離感はこれぐらいがちょうどいい。
「黙っていられるわけがないじゃないですか! ファイア様が魔女だなんて、そんな!」
「でも、厄介なことに魔女だ、ってことになっちゃうと、今までの奇蹟にある程度理由がつけられちゃうんですよね……」
眉をしかめっぱなしにしながら、リーンが呟く。
ファイアの力はこの騒動で、レレントの人々に広く知れ渡っている。
そうでなくても、今までの旅の道程で様々な人間を救ってきたはずで、それらすべてが実は魔女の力だった、ということになれば、ザシェの目論見通り、レレントやらオルタリナ王国内部の問題どころじゃなくなるはずだ。
「だからってギルドの真ん前で抗議してる馬鹿がいるか!」
「私だって元【聖女機構】の一員です! ギルドが一方的に魔女の証明をするなんてこと、許せるわけが……」
「ドアホ! ギルドからしたらファイアが魔女じゃないと証明できる奴が居るのが一番不味いんだよ!」
ファイアに全責任を押し付ける為には、ファイアが魔女でないといけないのだ。
洗礼を受けていないとはいえ、ルーヴィの下で積んできた【魔女狩り】の経験までがなくなるわけじゃない。
現実問題として、クレセンがファイアの魔女裁判に立ち会うような事態になることはまず無いだろうが、相手は究極の合理主義者だ。あらゆる可能性を排除する為に、騒動に乗じて、小娘一人……殺すまではしなくても、全てが終わるまで軟禁するぐらいはやってのけるだろう。
ましてクレセンは、レレントの住民に顔を知られている。ザシェがその素性を洗ってないとも考えづらい。
まさか自分がそういう対象であるとは思い至ってなかったのか、クレセンは一度ぽかんとした顔をしてから、徐々に焦りを浮かべ始める。
「勢い任せに行動するのはいいけど、ちったぁ状況を考えろ!」
「あ、あなたに言われたくありません!」
「ハクラに言われたくはないと思いますけど……」
「ハクラに言われたくはないと思うよ」
『小僧に言われたくはあるまい』
「なんでいきなり俺がアウェイなんだよ!」
やり場のない怒りを吹き出す場所もない、おかしい、正しいことを言ったはずなのに。
「でも、でも! ファイア様を犠牲にしてなんの問題が解決するというのです! 〝竜骸〟は帰ってきません! ルーヴィ様だって! 誰も何も救われないじゃないですか!」
「………………俺らもそう思ってるから、とりあえずどうするか考えてるんだろ!」
「なんですか今の微妙な間は!」
まさかもう〝竜骸〟の在り処がわかっている、とは言い辛い。
「ここまで問題が大きくなってくると、正直手に負えない感じもしますけどね……」
「…………いや、それはそうなんだが」
戦う相手がいるなら、俺が剣を振るえばいい。
魔物が暴れているのならば、リーンが調停すればいい。
問題は、〝竜骸〟にせよ、呪いにせよ、ファイアにせよ、物理的にも立場的にも、立ち向かう相手が、物理的にも政治的にも、遠い、という事だ。
現状をはっきり表すと、俺達は渦中に居ながら『蚊帳の外』なのだ。
「かといって、ファイアさんが魔女でない、ということになった場合も、それはそれで問題なんですよね」
その場合、教会の定めたルールによって、ザシェは告発の代償として命を奪われることになる。
そうなればレレント内の権力バランスは完全に崩壊し、最悪の場合はギルドもサフィアス諸国連合も、レレントそのものを切り捨てる可能性が出てくる。
少なくともヴァーラッド伯は完全に立場を失うことになり、そうなれば子女のギルクはもちろん、神学校に入る予定のクレセンの明日だってわからなくなる。
『…………ハァ』
合理的に考えるなら、この場で切り捨てるべきは、リザードマン達の命だ。それさえ無視すれば大半の問題は解決する――それがわかっているからこそ、セキは小さく息を吐いた。
ギルクとクレセンがいる手前、堂々と喋ったりはしないが、生殺与奪を握られている現状では気が気じゃないだろう、呪いを解く、という方針で居るのは、リーンが俺の意思を尊重している……からだ。
ファイアの事情を鑑みた上で、『どうにもならなくなったら』と言っていた、リーンの判断は……。
「…………」
首を、縦に振った。まだ、〝竜骸〟は持ち出さない、という意思表示。
「……ギルドに行って、ザシェに面会できると思うか?」
「私がザシェさんだったら、そもそもギルドの中には居ないですね……」
「だよなあ」
あの合理主義者がセーフハウスの一つや二つ持っていないわけがないし、この状況を想定せずにファイアを告発したわけもない。力ずくで人の波をかき分けてギルドに乗り込んだところで、何か得られるとは到底思えない。
完全に場が固まり、誰も、何も言わない時間が数分続いた所で――――
沈黙を破ったのは、食堂の扉を叩く、ノック音だった。
「ギルク様、失礼します」
入ってきたのは、竜骸神殿にも居た、ギルクの昔なじみだ。顔に見覚えがある。
「イルニース、どうしたの?」
ギルクに名前を呼ばれると、焦った様子で告げた。
「伝令石の配布が終わりました、三十分後には……」
「ああ、もうそんな時間か」
ギルクが慌てたように立ち上がる。
「どうかしたんですか?」
リーンが再びパンに手を伸ばしながら尋ねると、ああ、とギルクは頷き、
「これから、コーランダ大司教の演説があるんだ」
「演説?」
俺がオウム返しすると、教会騎士イルニースは、は、と遅まきながらの敬礼をした。一応、俺達は来賓扱いらしい。
「は、はい、ギルドがファイア司教の身柄を拘束した事もあって、住民の不満が限界に達していて……そこで、コーランダ大司教が、皆に伝えたい事があると」
「それで準備してたんだ。さすがにレレント全体に伝令石を配るってなると一日じゃ終わらないから……ああ、イルニース、ミアスピカ側は今どんな……」
ギルクが領主の娘モードになって応対を始めた傍ら、セキが俺の耳元で小さく呟いた。
(伝令石ってのァ何だイ?)
(あー、知らねえか。錬金術の水晶だよ、遠くに声を届ける為に使う奴)
一抱えもあるオレンジ色の水晶を、大小に分かれるように砕いて使う。
砕いた水晶の内、一番大きい奴が『親』となり、こいつに向かって話かけると、『子』である小さい水晶から、『親』を通じて声が聞こえてくる、という性質を持っている。
一度使うとだんだん効果が薄くなってくる使い捨てで、同じ水晶から作った『親』と『子』でしか使えない、音が届く範囲も、元のサイズ次第だが、せいぜい同じ街一つが限度、という特徴はあるが、離れた相手に一方的に声を届けられる、使い方次第じゃ便利な道具だ。
それこそ、こうやってお偉方が何かしら演説をする前に、各家庭に小石サイズの伝令石を配って歩く、なんて《冒険依頼》も、町長選挙なんかのタイミングじゃあ時々あったりする。
「ハクラ、リーン、君達も聞くだろう? イルニースが持ってきてくれた」
指先でつまめる程度の大きさの伝令石が、テーブルの上に置かれた。
人工的な屈折が、シャンデリアの光を受けて、きらきらとした反射を作り出していた。
「……そもそもコーランダってのはどういう奴なんだ?」
ルーヴィとファイアの母親で、サフィア教の大司教。
という程度しか、俺はそいつに対する知識を持ち合わせていない。リーンもスライムも多分同程度だろう。
「それを知らないことに関して、今更とやかくいうつもりはありませんけど……」
そして教会のことであれば、聞けば答えてくれる便利な奴がいる。数日前に目を覚ましたばかりだとは思えない、見慣れた小憎たらしい説明顔で、クレセンは言った。
「コーランダ・ミアスピカ様は、若干二十歳にして大司教になった、ミアスピカ大聖堂の大司教様です。ファイア様が記録を塗り替えてはしまいましたが、以前の最年少司教、そして現在の最年少大司教でもあります。大司教は現在、世界に八人しか居ませんが、その中でも特に慕われ、民衆に寄り添ってくださる方なのです」
「へー、ちなみに今は何歳なんだ?」
「四十歳ぐらいじゃなかったかな……そんな年齢には見えないって評判だけど」
俺のどうでもいい質問は、ギルクが答えてくれた。
「はー……今更なんですけど、大司教ってどれぐらい偉いんですか? 基準がちょっとわかんなくて」
演説待ちの間つまめるようにと、屋敷の使用人が気を利かせて持ってきてくれた軽食をもりもり食べながら、リーンが言った。
「……私のような洗礼前の修道女からすれば、天上人に等しいです」
じぃー、と非難混じりの視線を向けるのは、当然クレセンだ。
「騎士を除く、教会組織の階級でいうなら、洗礼を受けた修道士、修道女が一番下で、経験と実績を積めば助祭、そこから功績を認められれば司祭、そこから司教になるには、途方もない時間と実績か、あるいは……」
ファイアが持つ奇蹟のような、特別な力が必要になってくるわけだ。
その更に上が大司教だというなら、まあ確かに天上人という言い方で間違いではないんだろう。
「本来なら、大司教が大聖堂の外に出ることなんて皆無だし……お目通りの機会なんてめったにないから、教会側には今頃、人がすごいんじゃないかな」
クレセンの言葉を、ギルクが引き継いだ。
「レレントくんだりまで、わざわざ来てくれたのが、もう異常事態ってことか」
「はい、司教ともなれば、一つの地域の信者、全てのまとめ役ですが……その立場にありながら、あえて一所にとどまらず、三大聖堂を含む四十六の聖地で祈りを捧げ、過半数の大司教の承認を経て、教皇様よりお許しを頂き、ようやく至れるのが大司教です。故にその影響力は大きく、一声が教会全体の方針を決める、とまで言われていますから、ファイア様が大司教になるのは、コーランダ様にとっても、ミアスピカにとっても、悲願だったんですけど……」
そういや、レレントに来る前にそんな話をしていたような気がする。ファイアが行方不明になったとかなってないだとか。
「本人も命を狙われてるって言ってましたしね」
チーズが挟まれたクラッカーを半分に割って、セキの口元に持っていくリーン。何やってんだこいつ。
「…………これは純粋に疑問なんだが、別に人数制限があるわけじゃないんだろ? 命を狙われるほどのことなのか?」
「教会も組織だから、派閥争いみたいなのがあってね。エリン・メリンとルワントンじゃあ、【蒼の書】の解釈の仕方も違って、バチバチだっていうし、信仰の対立だけあって話し合いじゃまとまらないこともあるし……そういう時、自分の派閥に抱えてる司教や大司教の数は、そのまま派閥の発言力に直結するんだ」
「はーん、で、ミアスピカは?」
「正直な所、三大聖堂の中では、一番立場が弱い、かな。現状、大聖堂付きの大司教様はエリン・メリンに二人、ルワントンに三人居るんだけど、ミアスピカはコーランダ大司教お一人だけだから」
なるほど、教会内の勢力争いでも、ミアスピカは不利な立場にあるわけだ。
だってのに〝竜骸〟の紛失責任まで押し付けられたら、確かにたまったものじゃないだろう。俺ならキレる。
『それはまた、ずいぶんと偏っているものだな』
「うん……十年ぐらい前は、もう一人、ミアスピカに大司教様が居られたんだけどね、ご高齢だったこともあって、病で亡くなってしまってからは、負担が全部コーランダ様に行っちゃって……ほら、他の大司教なんか、おじいちゃんおばあちゃんの集まりだから、ほら……」
「能力と実績と優秀さで大司教になっても、若造扱いされるわけだ」
「だから、ってわけでもないと思うけど、大聖堂を訪れた信者には、親身になって寄り添い、同じ目線で話を聞いてくれる聖女だ、って言われてるんだ。支持も厚いし、人気も高い」
それだけに、〝女神の再来〟が大司教に至ることができれば、ミアスピカの地位向上は間違いなかった。
だからこそ――ミアスピカはザシェの告発を、そのまま素通りしたりはしないだろう。
この演説で何を語るかはわからんが、面白い話にならんことは間違いなさそうで、今から嫌な気分になってきた。
『モグモグモグ……』
ところで、差し出されたクラッカーを普通に喰ってるセキだが、俺の肩の上でやられると欠片がマントに付くから本気でやめて欲しい。
「……あの、そのトカゲ、どこで拾ったんですか?」
「まあそれは気にしないでくれ」
クレセンがじとっとした目で俺を睨んだ。まあこいつトカゲとして見るとかなりサイズがデカイから、ずっと気になってはいたんだろう。
「私に近づけないでくれるならいいですけど……」
どうやら、爬虫類はお気に召さないらしい。まあ避けてくれるに越したことはない。
一応、ギルクに正体がバレるとものすごく不味いんだが、幸い、初見では可愛いねえとのんきに微笑んでいるだけだった。
「………………あのー、ちょっと気になる事があるんですけど」
リーンがそう尋ねようとした瞬間。
キィン、と、テーブルの上の伝令石が、甲高い音を立てた。
『…………私の声は、レレントの皆様に、届いているでしょうか』
伝令石越しの声は、若干音が荒れて聞き取りづらくなるものだが、それでも、コーランダ大司教の声はよく響いた。
更に遠くから、ざわざわとした群衆のどよめきが聞こえてくる。石がこれだけ音を拾っているということは、相当な人数が教会に集まっているのだろう。
『私の心がガラスであれば、とうに砕けていたでしょう……私は、悲しく思います』
そんなわざとらしい言葉ですらも、どこか身近に寄り添ってくるような、親しみと親しさを感じる、そんな声だった。
『皆様の信仰の拠り所が、親しき隣人であるレレントから、失われたことを。その最中、尊い、かけがえのない命が、失われたことを。まだ、体も、心も、痛みを覚えている中で、これだけの方が、私の声を聞くために集まってくれたことを、嬉しく思います』
気づけば、群衆の声は聞こえなくなっていた。
『なぜ、正しき信仰を抱いている我々に、女神はなぜこのような仕打ちを与えるのか。なぜ、このような痛みを受けなければならなかったのか……女神は我らを見捨てたのでしょうか。信仰は間違いだったのでしょうか……?』
「………………」
室内に居る誰もが、その言葉を黙って聞いていた。リーンすらも、ちゃちゃを挟まずに。
『いいえ、いいえ……そのようなことは、断じてありません。なぜなら皆様は、隣人と手を取り合ってきました。レレントは、素晴らしい街です。オルタリナ王国にありながら、隣人を決して虐げない。女神への信仰が遠き者とすら手を繋ぎ、和を尊び、この街を発展させて来たではありませんか!』
レレントは、オルタリナ王国では珍しくギルドと教会のバランスが保たれている街だ。
だからこそ、〝竜骸〟を失い、信仰を裏切られた人々は思うだろう。
――ギルドを、冒険者を受け入れて暮らして来たのは間違いだったのでは?
コーランダ大司教は、それを否定した。それは間違いではないと。
『私は信じています、皆様の、そして我々の信仰は、今もなお純粋であると……ならばこそ、私はそれを証明したい。女神の加護もまた、失われていないと!』
だから、その一言は、確かに希望の道標となったことだろう。
『誓いましょう、皆様の下に、我々の信仰の証を取り戻すと! 女神の加護は失われていないと! 女神サフィアの友、赤竜ヴァミーリを、再びこの地に呼び戻すと!』
群衆が、沸いた。それはレレントに住まう誰もが欲しかった言葉だったからに他ならない。それさえできれば、全ての問題は解決するのだから。
『ええ……それならば、過ちを認める事もできましょう――隣人と、皆様が再び手を取り合えるでしょう! 我が娘、ファイアは……決して魔女などではないと! 断じて裁かれるべき存在ではないと! そう証明してみせましょう!』
伝令石を通す必要すらない。わ、と俺達がいる屋敷の外からも、人々の歓声が聞こえてくる。
そのざわめきの中で、恐らくこの部屋に居る者だけが、リーンのその呟きを、耳にした。
「……どうやって?」
〝竜骸〟を取り戻すという奇蹟の起こし方は、魔物使いの娘にすらわからないというのに。




