接続章 裁かれる蒼の魔女《せいじょ》 Ⅱ
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ソレは、レレントを空高くから、見下ろしていた。
ミアスピカ大聖堂から、大司教が、神官隊を伴って到着した、という知らせはあっという間に街中に広がった。
まだ最低限しか手が回っていなかった治癒魔法の施しを、大量の銀塊を携えた司祭達が次々とこなしていく。
「ここから先は立ち入らないでください、これより女神の奇蹟を以て浄化致します」
他にも、突然腐りだした魔物の死体によって、汚染された水や畑を、次々と流れ作業のように浄化していく。
冒険者は、確かに、洗礼を受けた信者よりも、便利に、器用に、治癒魔法を使うかも知れない。
けれど、一つの信仰に集った、志を同じくする者達による、大規模な〝救済〟を真似することは、出来ない。
女神の再来、ファイア・ミアスピカは、確かに奇蹟を起こした。
だが、力を合わせれば、同じことを、皆の力で出来る。
その景色こそ、民衆がほしかった姿だ。
冒険者だけでは足りない、教会という組織の存在が、無くてはならないことを思い出す。
彼らは安心したい。彼らは安全でありたい。彼らは失いたくない。
だから、拠り所を必要とする。
だから、女神サフィアは、人々に慕われたのだ。
求められ、貪られ、その挙げ句に、死んだのだ。
「〝我は女神の代弁者。我は女神の慈悲の雫をその手に受けたもの。ああ、どうか救い給え、救い給え、救い給え。罪なき人々の痛みを取り除き給え――――〟」
女神の再来を伴い、神官隊を指揮しながら、大きな杖をかざし、聖句を唱え、助けを求め集う人々に、治癒を施しながら歩く大司教の姿に、誰もが安堵を覚えた。
「コーランダ様! 大司教様!」「ああ、よかった、よかったよぉ!」
「ファイア様、ありがとうございます!」「助かった……どうなることかと思った」
助けを求めたくせに、いざとなったら見捨てて、また縋り付いた少女にすら、賞賛と感謝のエールを贈る、なんて厚顔無恥なのだろう。
〝竜骸〟を失った不安すら、埋まっていく。
私達は、まだ大丈夫だと。
何も終わってなんていないと、そう感じる。
悲劇からほんの数日なのに、まるでお祭り騒ぎだった。
年に一度、収穫祭のパレードもかくやだ。
あそこに行けば救われると、誰もが根拠なく信じている。
だけど、人間は愚かだから。
人を信じきることなど、出来ないから。
ただ無秩序に救われるだけでは、満足できないものが。
新しい争いを、生みだしてくれる。
――――大司教が行く道を、とある一団が塞いだ。
先頭に立つのは眼鏡の男。左右に立つのは、北方大陸では名前の知らないものなどいない程高名な、冒険者商隊のリーダー達。
背後には、その構成員達が群れとなって、ずらりと並ぶ。
誰も彼もが一流と呼んで良い、歴戦の冒険者であり、ギルドの意向でもって動く、合理主義者の集団。
「あなたは―――ザシェ様」
行く先を阻まれ、困惑する大司教は、咄嗟に杖を放り捨て、傍らの娘を手元に抱き寄せた。
まるで、なにかから守ろうとするように。
「遠路はるばる、よくぞ来てくださいました、コーランダ・ミアスピカ大司教。まさか本当に二日でレレントまで来ていただけるとは。ギルドを代表して、お礼を申し上げます」
レレントでは、領主とギルドと教会の談合が行われているが。
教会都市においては、存在を許されない。
ギルドとは、女神を冒涜するもの、穢すもの。
故に、神官隊は、我らが大司教に触れさすまいと集い始め、
それに応じるように、冒険者達も一歩前に出る。
「やめなさい、まだ挨拶をしただけですよ?」
剣など持つことが出来ないであろう細腕一本を伸ばすだけで、そんな荒くれ達を制しながら、ザシェは再び、コーランダ大司教へと向き直った。
互いの視線が交わり、やがて口を開いたのは、大司教の方だ。
「お礼を言われることではありません。我らは女神の信徒、助けを求めるものがあれば、駆けつけるが当然。誰のためでもなく、己の信仰のためにそうしているのです」
コーランダ大司教の返答は、女神に仕えるものとして、百点満点と言っていいだろう。
この場において、悪者は誰だろうか?
民衆の不信感は、誰に集まるのだろうか?
周りを取り囲む人々の視線も、徐々に険しくなっていく中、ザシェはパチパチパチ、と手を叩いた。
軽快な拍手が響き、困惑の声は更に強くなる。
一体、彼は何がしたいのだ。
この奇蹟の一瞬を遮ってまで。
誰もがそう感じていた。
誰もがそう思っていた。
そして。
「いい加減に――――」
神官隊の一人が、痺れを切らして前に出た次の瞬間。
「ファイア・ミアスピカ司教」
ザシェは、女神の再来の名前を呼んだ。
「は、はい……?」
母親の聖衣を、縋るように掴んでいた少女は、突如呼ばれた、己の名前に困惑し。
「――――あなたを、ギルドの規律に基づき、拘束します」
パチン、と指を弾くと、ザシェの右手の甲が強く光った。
それは、刻まれた魔法の発動を意味する。
「あ、ああああああああああああっ」
途端、ファイアは、悲鳴を上げて、頭を抑えうずくまった。
「ああああああああああっ!」
「ファイア、駄目よ、落ち着いて!」
コーランダ大司教は、そんな娘を抱きしめ、暴れるのを止めさせようとするが。
それは無理だろう。
ギルドが何故、常人を遥かに超える、冒険者という生物に対して、強制力を行使出来るのか。
それは、秘輝石を持つものに対する、絶対的な優位を持つからだ。
「それが女神の再来、聖女の奇蹟の正体だ。さあご覧なさい、大聖堂の者よ」
「あああああああああああああっ! 嫌ぁああああああああっ!」
痛みに耐えかねて、少女の身体から、蒼い粒子が溢れでた。
その勢いは、ローブを、そして表情を覆い隠す、御簾のように垂れ下がっていた前髪を、舞い上げた。
「見ないで――見ないでくださいっ!」
大司教が、絶叫し――そして人々は、言葉を失う。
なぜなら。
ファイア・ミアスピカの額には、蒼い宝石が埋め込まれていたからだ。
中央に星の文様を宿す、最上級の輝石。
あらゆる癒やしと浄化の奇蹟を、器が許す限り刻み込んでいるであろう秘輝石――星蒼玉が、そこにあった。
「〝竜骸〟は蘇り、レレントを去った。では、誰が〝竜骸〟に新たな生命を与えたのか。我らがオルタリナ王国の、信仰の象徴を奪い去ったのは誰か! 潰えた命の蘇生という奇蹟を起こしたのは誰か!」
オルタリナ王国、ヴァーラッド領レレント。
「女神の再来――――いや、こう呼ぶべきでしょう、蒼の魔女、ファイア・ミアスピカ」
〝竜骸〟が去ってから二日後の朝に、一つの告発が行われた。
「ザシェ・ルワントンの名において、あなたを告発します」




