刻むということ Ⅳ
☆
パイを全部平らげたラッチナちゃんは、けふ、と小さくな咳をして、それから自分に集まった視線に首を傾げた。
「チナ、またなにかやっちゃいました?」
「ええ、驚異的な食欲を前に皆さんドン引きしているのでしょう。それよりちょっと秘輝石を見せてください、ラッチナ」
「えーーーーー」
「なんでそんな嫌そうなんですかあなた」
「ルーバにやれって言われることは、チナはだいたい全部やだ」
「あ、あの、ラッチナ……?」
何をすればこれだけ嫌われることが出来るんだろう、そして、何で二人は一緒に旅をしているんだろう……。
「ラッチナちゃん、秘輝石、みせてくれる?」
「いいよ」
「ラッチナ!?」
そもそも、さっきも見せてくれたし、単純にルーバさんの言うことを聞くのが嫌だっただけみたいだった。
あっさり差し出された右手の甲、乳白色の細長い月長石の秘輝石が、照明に照らされて、ちかりと光った。
「それで、秘輝石がなに? もうえぐるの?」
「あなたから秘輝石を取ったら誰が私を守ってくれるというのです」
「チナは、ルーバを、守らない……!」
「守ってくださいよ!? いいですね!?」
「君達何で二人で旅してるんだい?」
私が思っても言わなかったことをギルクさんが聞いてくれた。
「いろいろあって」
「ええ、本当に色々あるんですが……それはともかくとして、ご存知の通り、秘輝石を手に埋め込み適合すれば、魔物とすら戦える身体能力を手に入れることができますが、そもそも何故強化されるのかと言えば、魔素を体内に取り込めるようになる作用によって起こる変化なのです」
私より小さなラッチナちゃんでも、戦えるのは秘輝石があるから。
複雑な感情で、じっと顔を見つめると、えへ、と笑みが返って来た。
「これは魔物が我々人間より〝強い〟のと同じ理屈です。代わりにギルドに絶対服従という制約が付きますが」
その『絶対服従』がどれぐらい重いルールなのかは、私は知らないけれど、そんなに軽い言葉じゃあないことはわかる。
「綺麗だと思うけどなあ。私もちょっと欲しいと思ったことあるよ」
「………………怒られませんでした?」
「すごく怒られたし、ザシェ……ああ、レレントのギルド長にも怒られた。貴族に冒険者になられると、権力の均衡が崩れるからやめてくれって」
「でしょうねえ」
冒険者にして貴族、という人がいないわけじゃない、私は見たことないけれど、有名な人は、何人か、知識として知っている。
……似合いそうだなあ、ギルクさん。
魔女になるよりは、よっぽどいいと思う……なんて、こんなことも、少し前の私なら考えもしなかったと思う。
「さて、ところでおふた方、先程私が言ったことを覚えていますか?」
「ん?」
入ってくる情報が多かったから、どこまでが『先程』なのかつかめなくて、少し考える。ギルクさんも、多分一緒だ。
秘輝石の話。ラッチナちゃんが魔法を使える、理由。
……秘輝石には、事前に記録させた魔法の発動を、手助けしてくれる機能がある。
……冒険者が魔法を使う時は、詠唱だの触媒だの面倒な手順を省いているでしょう。
「あ……」
「神学校に通い、知識を学び、蓄え、研鑽し、ようやく身につけ、使用する際にも多大なコストを支払う治癒魔法を、冒険者は秘輝石一つで行うことが出来るのです」
「え、あ、そ、それって、じゃあ、つまり」
自分を指差して、私は、言った。言ってしまった。
「私が、冒険者になったら、治癒魔法が使えるようになる、ってこと、ですか? すぐに?」
それが自分の中で、どれだけ衝撃的な事実だったか、わからない。
言葉にできない感情が、お腹の奥からぐっとせり上がってきた。
けど、ルーバさんは――私にとっては多分、幸いなことに――首を横に振った。
「残念ながら、そうとは限りません。秘輝石自体に、どの魔法が使えるか、という適性が存在しますので。例えばラッチナの秘輝石には余裕があろうと、治癒魔法を刻めませんし、その個人差は実際に秘輝石に色が定着するまではわかりません」
「…………そう、ですか」
「そもそも『拡張魔刻』が存在しない冒険者も居るのですよ。冒険者達が全員魔法を使えるのであれば、全員が治癒魔法の使い手になりますよ。そちらのほうが合理的ですから」
「あ、そう……ですよね、そっか」
そんなことになっていたら、教会の権威なんて、とっくに失われてる。
「『拡張魔刻』が一つあるだけでも全体の三割程度、二つならその中で更に三割、三つも空いていれば天賦の才と呼べるでしょう。そこを行くとラッチナがどれだけものすごいかはわかっていただけますか?」
「あのね、チナはね、六つあるの」
ラッチナちゃんが得意げにしていた理由を、もう一度繰り返されて、やっとわかった。
一つでも珍しくて、二つでも凄くて、三つなら天才、っていう中で、六つ。
「もう一つ、冒険者が魔法を多用できない最大の理由として、拡張魔刻を埋めると冒険者の最大の利点である身体機能の強化が失われる、というのがありますね。例えば拡張魔刻が一つなら、何かしらの魔法を一つ刻んだ時点で、身体能力は一般人と同じになります。拡張魔刻が二つあるなら、その半分ぐらいの弱体化で済みますが」
「……魔法を刻めば刻むほど、弱くなっちゃうってこと?」
情報を整理しているのだろう、目を閉じながらギルクさんは言った。
「ええ。魔導士と呼ばれる冒険者は、魔法を刻んだ時点で、冒険者が使うことを前提とした重量の装備を使う力が失われてしまうのです。だからかように軽装であると」
ちら、とラッチナちゃんを見る。確かに、ラッチナちゃんは鎧とか、防具の類を身に着けていない。旅装だけど、ひらひらとした布地がメインの服だ。
視線に気づいたのか、ん、と頷いて。
「チナ、三つしか刻れてないから」
拡張魔刻が六つあって、三つの魔法が使える。普通の冒険者と比べて、身体能力は半分ぐらい、っていうことだ。
「ラッチナには豊富な拡張魔刻を活かして、身体強化の魔法を刻んであります。上乗せされる強化分が刻まない状態よりも上回る事を活かした一種の裏技ですね、ははは」
から笑いするように言ってから、ルーバさんは目を細めた。
「冒険者の場合、触媒となるのは秘輝石であり、自分自身が取り込んだ魔素になります。ですから枯渇しても休めば回復しますし、効果の多寡を決める詠唱に至ってはもっと調整が簡単です。何せ元から自分の中にあるものですからね。そうすると詠唱も非常に短く出来ます。例えば……ラッチナ」
「ん」
ルーバさんが示すと、ラッチナちゃんは、甲を見せていた手をくるりとひっくり返して、
「〝創られろ〟」
呟いた。途端、手のひらの上に、パキパキと音を立てて、平べったい金属が生まれて、広がっていく。
柄はないけれど、それは、薄いナイフだった。出来たそれの、先端を指で挟んで、ひゅっと投げると、壁に深々と刺さって、それから、刀身がボロボロと崩れていった。
「わっ」
ギルクさんが声をあげたのは、多分驚いたのと、壁に穴があいちゃったことの両方だと思う。私は、そもそも目で追うのが精一杯だった。
「今のは金属生成魔法、これを普通の人間がやるなら、触媒として同じ材質の金属を用意する所からになるでしょうねぇ」
「えへん」
説明を受けた上で、目の前で実演された〝魔法〟に、私は少し、言葉が出なかった。
ギルクさんは、衝撃よりも抱いた疑問を解消したかったらしく。
「魔法を刻む、って言うのはどうやるんだい?」
「大きく分けて二通りです。一度自分で該当する魔法を通常の手順を踏んで使うか、他人から自分の秘輝石を対象にその魔法を使ってもらうことですね」
「それだけでいいの? ……あれ、じゃあ、神官は冒険者を治療するのを嫌がるんじゃない? もしその秘輝石に治癒魔法の適正があったら、使われちゃうんじゃ」
「ええ。実際そういう時期もありましたよ。冒険者への治癒魔法が禁じられ、結果として助からなかった冒険者が多く生まれてしまい――死んだのに生まれたとは言葉の妙ですが、その時期が一番、ギルドと教会の関係が険悪だった時代ですね」
「……それ、解決したのかい?」
「昔は詠唱の技術が洗練されておらず、秘輝石まで対象に含んで治癒魔法が使われていましたが、今は傷に集中して作用させることによって、秘輝石に直接影響を与えずに治療する手段が確立しているらしいですよ、逆に言うと、右手の傷に対しては今でも治療は出来ないということになりますが」
なので、気をつけてくださいね、とルーバさんがラッチナちゃんに話を振ると。
「〝創られろ〟、〝創られろ〟、〝創られろ〟」
ひたすら、薄いナイフを生産していた。
「ラッチナ? 何してるんですあなた」
「次はチナの得意技を見せる」
「ラッチナ? ラッチナ?」
「超高速ナイフジャグリング五連撃……!」
「やめなさいラッチナ! 壁にそれ以上穴が空いたら誤魔化しきれません!」
「いえ、あとで私、報告しに行きますけど……」
「良い子ですねぇクレセンさん! 情報料として勘弁していただけませんか!」
「自らの利益のために嘘を吐く事を、女神は咎めていますから」
「誰かを守るための嘘には光が宿るとも仰っていますよ!?」
女神サフィアの言葉を引用した私に、同じく【蒼の書】からの引用で返されて、私はちょっと驚いた。
「吟遊詩人ですから、信仰としてではなく情報としては読ませていただいていますとも。なので教会の方々は、我々吟遊詩人も嫌っているのです」
「わあ、良いオチがついた」
ギルクさんはパチパチ拍手しながら言いつつ、ラッチナちゃんを宥めてくれた。
「ちぇー」
唇を尖らせなら座るラッチナちゃん、多分、褒められたからもっと見せたかったんだと思うけど。
「こほん。えー、というわけで、長々とお話しましたが結論に参りましょう。最初は親切心だったと言われています。怪我をした冒険者を、司祭が治癒魔法で助けた、そして癒やされた冒険者には、たまたま適性があった。便利極まりないと秘輝石に刻みつけ、頼まれれば同じ様に他の仲間に使ったでしょう。生存率を上げるのは合理的ですからね」
そこから、冒険者たちの間に、サフィア教にしか許されないはずの治癒魔法が広がっていった。
「勿論、万人が使えるわけではありません。しかし秘輝石に治癒魔法を刻めれば、これ以上に便利なことはない。女神サフィアが生みだした魔法故に、その適性には女神への信仰と理解が大いに影響します――だから冒険者の中には、サフィア教の信者がいるのです。たとえ洗礼を受けられなくても……」
「…………女神様を信仰すれば、秘輝石に適性が生まれるかも知れないから。そっちのほうが、都合がいいから?」
便利な治療魔法を、便利に使うには、祈りを捧げるのが一番、合理的だから。
「――というのが、吟遊詩人の間の通説ですが、勿論、教会はそんな事わざわざ公言しませんし、言いふらしたら最後私はとっ捕まって縛り首ですとも――というより、何に怒ってらっしゃってるのです?」
肩をすくめるその姿に、私は思わず、身を乗り出した。
「だって、それじゃ、私達は何のために――――」
続きが、出てこなかった。まだ感情がぐるぐるしていて、言葉にまとまらない。
多分、嫉妬とか、不公平だ、とか、そういう気持ちなんだと思う。
「何も悔しがる必要はないでしょう、だって問題ないじゃあないですか」
そんな様子にも、全く動じずに、ヘラヘラしたまま、ルーバさんは言った。
「つまるところ、教会とギルドの対立は利権問題なのですから」
「――――――え?」
怒りのままに感情をぶつけようとした私は、その言葉に固まってしまった。
「教会がギルドを嫌う理由は、身勝手に治癒魔法を使われると権威が保てないからですが、元々女神サフィアは誰でも分け隔てなく救ってきた、とされています」
治癒魔法は、誰かを助けるための魔法。
なら――――使いやすくて、便利で、多用して、悪いことはあるんだろうか。
教会に頼らなきゃいけない、教会を頼らせたい、教会以外を頼れなくしたい。
そうしたい以外に、洗礼を与えない理由は、あるんだろうか。
「最初に言ったとおり、吟遊詩人の与太話ですから、真実がどこにあるかなど私は保証できません。あくまでそういう話もあり、それを信じている人もいる、というだけなのです」
言葉を失った私の前で、もう一度、ポロン、と楽器が鳴った。
「『誰かが決めた正しい道をゆくより、自分が正しいと感じた道をゆくのが良い』――これは救国の英雄、エッザメッラの言葉です。貴女は、何を信じるのですか?」
「私が……信じるのは」
すぐに言い切ることは、できなかった。




