遺すということ Ⅵ
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翌日。レレントのギルドには、大きな酒場が併設されていて、冒険者で賑わっている――というのは平時の話だと、注文を取りにきたウェイトレスは忙しそうに言っていた。
少なくとも現時点においては、酒と飯と馬鹿話で溢れ返る、あの独特の賑わいは無い。
瓦礫の撤去や人命救助、物資の輸送と言った《冒険依頼》は、さっき俺がちらりと見ただけでも、随分と割の良い報酬が掲示されていた。
儲かるなら数をこなしたいのは人の性で、合理主義者の冒険者共がのんびり飯など喰うわけもなく、ドタバタとギルドに駆け込んできては、新しい《冒険依頼》を受けて、すぐさま飛び出ていく。
飯を頼むにしても、事前に用意してもらった弁当を回収するぐらいだ。
結果として、出入りは激しいのに、テーブルに座って食卓を囲む者はそう多くはない、という状態が生まれているわけだが。
「ん~っ! すいません、スープのおかわりお願いします!」
レレントで育った羊は、癖が少なく柔らかいそうで、自生するカロメトというスパイスとともにじっくり煮込んでスープにすると、唇でほぐれるぐらいホロホロになるらしい。
当然、そんな名物料理にリーンが飛びつかないわけもなく、具を山と入れてもらったにもかかわらず、既に二杯目を平らげようとしていた。
「だって、パイがないんですもん……楽しみにしてたのに……ああ美味しい……」
料理長自慢のミートパイがこの店最大の売りらしいのだが、家族が〝竜骸〟の一件で怪我をしたらしく、本日は出勤していない。そういう意味では黒幕はリーンの怒りを買ったといえる。可哀想に。
……ヴァーラッド伯と会談を終えて、昨日は一旦お開きとなり、俺達は今日、改めてギルドへ赴き、ギルド長から直々にレレント救済に向けた《冒険依頼》を受ける手はずになっている。
のだが。
しばらくお待ち下さい、と受付嬢に言われて、テーブルに座ってから二時間経過しても、ザシェからの連絡はまったくなかった。
幸い、喰わせていればリーンは爆発しない。ヴァーラッド伯からは、前金として当座の活動資金を受け取っているので、ご機嫌取りに投資するのは悪くない選択のはずだ。
「……で、どうやってセキを探す? そりゃ魔女よりは見つけやすいだろうが、どこにいるかわかんねえって意味じゃ大差ねえぞ」
勿論、無駄に食べてばかりでいるよりは、先の話をするほうが建設的だし、合理的だ。
「ハクラ、本気で言ってます?」
そう思って切り出したのだが、食事の手を止めないまま、リーンは呆れ顔で首を傾げた。
「ニコちゃんに匂いを追いかけてもらえばいいじゃないですか」
「あ、そうか」
今更だが、ニコはどうも犬より鼻が利くらしい。実際、セキの匂いも覚えていた。
「さっきも言いましたけど、今回の奇襲はワイバーンにとってものすごい強行軍です。巣に戻ったらしばらく動けませんし、セキさんの機動力はたかが知れてます。ニコちゃんの足の速さなら、どの山に逃げ込もうとも追いつけますよ」
パンを少しスープに浸して口に運び、ぺろりと平らげてから、また肉に戻る。そのローテーションで、テーブルの中央に山積みにされ、食べた分だけ後で請求されるシステムの丸パンは、当初の半分の標高になっていたが、リーンの満腹はまだ遠いようだ。
「単独行で山を超えて、南中央やら東部にまで逃げられたらどうする?」
「シャラマ族のリザードマンは、暑さには強いですが、寒いのは苦手です、これ以上北上することは多分ないかと」
俺が思いつく程度の問題点は、リーンの中ですでに答えが出ているらしい。
「成程ね、じゃあ明日からは馬車旅だ」
とは言え、快適な冒険がしたいわけではない。追いつける計算とはいえ、早いに越したことはない。速度に特化した馬車を借り受ける必要があるかも知れない――。
「………………えいっ」
などと考えていたら、リーンは山からパンを一つ掴んで、俺の皿に置いた。
「あん?」
てっきり自分で食べるつもりでとったのだと思った……というか、例え食べ放題だったとしても、リーンが俺に食い物の事で譲歩することは無いはずなのだが。一体何事だ。
「さっきから全然食べてないじゃないですか。どうしたんですか?」
「……そんな事気にしてたのか」
「しますよ。ハクラは知らないかもですけど、生き物って食べなきゃ死んじゃうんですよ」
「すいませんねその程度のことも知らねえで」
「教えてあげた私に感謝してください。スープも注文しますか? 美味しいですよ」
匙を咥えながらぷんすかしている女に捧げる感謝は持ち合わせていないが、リーンなりに気を使ってくれてはいるんだろう、情けないことに。
「スープは、いい。正直、あまり食欲は無え」
置かれたパンを、ちぎって口に含むと、豊かな小麦の香りが広がる。旅の途中ではとても食べられないような、日持ちよりも味に拘った上等なパンだ。
リーンはリーンで、全く理解できない、みたいな顔をして、首をぐぐっと横に倒した。かしげるとかいう可愛いレベルではない、大きな翠玉色の瞳が、縦に二つ並んだ。
「……………………逆によくお前はそこまで食えるよな、俺はいっぱいいっぱいだよ」
ワイバーンの襲撃、〝竜骸〟の復活、心臓を射抜かれたクレセンに、血まみれのファイア、背負わされたレレントの命運、それに何より。
考えたことが、表情に出ていたらしい。
「ルーヴィさんのこと、気にしてます?」
こと、人間の感情に対しては、驚くほど察しの悪いリーンでも、流石に気づいた様だ。
「…………ああ」
「こういう言い方は、ハクラ、嫌がるとわかってて、あえて言うんですけど」
普段はそもそもそんな予防線を張ったりしない女だ、前置きをしてくれるだけで、ありがたい。
「ルーヴィさんが食べられちゃったのは、ハクラのせいじゃありません。誰も間に合いませんでした、私も、ニコちゃんも」
「……わかってるよ」
「わかってる顔じゃないと思いますけど、それ」
「どんな顔してるんだ、俺」
「ルーヴィさんと温泉に入ってる所を、私に見つかった時ぐらい顔が真っ白です」
「そりゃ相当辛そうなんだろうな……」
よりによってなんで例えがそこなんだ。
「髪の毛も真っ白です」
「そりゃ元からだ……」
「合わせる顔がないですか? クレセンさんに」
「よくこの流れでその質問が出来たな!」
ふわふわとした意味のない言葉の投げあいからの、唐突な剛速球だった。
緩急の差が激しすぎて、誤魔化す余力なんぞありゃしない。
「……あいつ、目を覚まして、ルーヴィが死んだなんて聞いたら、どうするんだろうな」
ルーヴィの力になるために、仲間たちと別れ、異端者狩りの特級騎士に楯突き、ルーヴィとすら離れ離れになって、神学校に入ろうとしていたクレセンは――目標を、全て奪われたのと同じじゃないのか。
「そんなの、どうにもなりませんよ」
リーンの反応は、どうしようもないほど現実を見据えていた。合理主義者の権化たる、冒険者としては、百点満点の回答だった。俺が言葉を失うほどに。
何も返さない、俺の表情を窺ってか、うー、と少し唸るような声を上げてから。
「…………ハクラが側で慰めてあげたいって言うなら、止めませんけど」
「んなもん、クレセンだってゴメンだろ」
どうあがいたって、俺はルーヴィの代わりにはなれない。
「…………ルーヴィはさ」
思い出す。〝竜骸〟に向かっていく赤い姿。
こびりついているのは、竜に喰われ、散っていったルーヴィの姿――では、ない。
「……俺が逃げようとした竜に、立ち向かったんだよな」
特級騎士、A級冒険者〝星紅〟。
それらは、『戦いのエキスパート』であることを示す称号だ。俺より強く、俺より成果を残している証であり、自分が臆した相手に立ち向かったことを、恥じる必要はないのかも知れない。
だが、俺は知っている。
(…………私は、疲れた――――)
ラディントンで、湯に溶かすようにして溢した言葉が、きっとあいつの本音だった。
どんな人生を送れば、こんな立場につかされることになるのか、想像も出来ない。
だが、立場と役割に、少しずつ、すり潰されていった事ぐらいは、わかる。
ルーヴィ・ミアスピカは、仲間の無事を知れば、安堵に泣いて、時には人に縋る事だってする、ただの子供だということを――俺は、知っているのだ。
「…………ヴァミーリに喰われる直前、俺はあいつと目が合った」
俺の目に今も焼き付いているのは、ルーヴィの、表情だ。
せめてあれを見なければ。
「俺に笑いながら言ったんだぜ」
こんな責任、背負おうなどと思わなかったものを。
あの時。
声は届かなかったが、口の動きを読めてしまった。
『たすけて』
そう言って、微笑みながら、ルーヴィは喰い千切られた。
自分を、じゃない。そんな事、今更言わない。
ファイアを、クレセンを、ラーディアを、【聖女機構】のシスターたちを。
ルーヴィ・ミアスピカが守るべきだったはずのものを、助けてくれと。
あいつは、俺に託しやがったのだ。
ふざけやがって。
「ハクラが恐るべきお人好しであることを、ルーヴィさんはちゃーんとわかってたってことですね」
リーンの顔にすら、苦笑が浮かぶ有様だった。
返す言葉がないことが腹立たしく、沈黙を誤魔化すように、手元に残ったパンを、強引に口の奥に詰め込んだ。
「…………別にルーヴィの弔い合戦をしようとか、思ってるわけじゃねえんだ」
俺の心が挫かれた一瞬はもう、無かったことには出来ない。
「ただ、逃げようとした俺に、立ち向かったルーヴィが託したものまで投げ出したら」
だから、取り返したいのは、俺の中にある、理由の方だ。
「俺はもう、お前の隣にも居られなくなっちまう」
我ながら、情けない言葉だったと思う。そもそも、リーンにこんな弱音を吐いた時点で完全に主導権を明け渡すようなものだが、ここまで来たらいっそメチャクチャにからかい倒されて、色々と吹っ切った方がマシだと思った。
「…………リーン?」
だが、肝心のリーンは、ぽかんとした表情で、俺を見ているだけだった。いや、だんだんソワソワし始めて、ついに食事中だと言うのに匙を置いて、椅子ごと横を向いて、視線だけをこっちに送ってきた。
「………………………あ、いえ、ほら、なんていいますか、そこで私に返ってくると思ってなかったので、その」
えへへ、と誤魔化すように笑って。
「ハクラが、私の隣にいてくれようとして、よかったです」
「…………今更どこにも行けねんだよ俺は」
殊勝になられると、俺だって困る。
こっちは別に、この女の顔に慣れきったわけでもないのだから。
「そうですかー? 最近はだいぶモテモテだと思いますけど」
「気のせいだろ」
「それに、ハクラってば、いーっつも私以外の女の子を気にかけてばっかりじゃないですか。指折り数えてあげましょうか?」
「別に気にかけたくて気にかけてる訳じゃないんだが……」
放って置いたら何かしらの問題が生じて、それが巡り巡って俺の不利益になるから、対処せざるを得なかっただけで、俺のせいじゃない、はずだ。
「…………ま、ハクラがちゃーんとその辺りをわかってるなら、私も寛容になってあげましょう」
「具体的には?」
「パンをもう一個あげます」
「そりゃどうも」
軽口を叩いたおかげか、先程よりはスムーズに口に入った。味も、よくわかる。
「大丈夫ですよ、ハクラ」
「…………何が」
「自分じゃわかってないようなので、教えてあげますけど」
柔らかく微笑むリーンの表情は。
「ハクラは、誰かの為に頑張る時が、一番強いんですから」
初めて出会った時に、心奪われた時のそれと、そっくりだった。
じゃあ俺は、お前のために戦えばいいわけだ。
それを言葉にすることは、出来なかった。一瞬ためらった間に、俺達のテーブルに、ギルドの職員が近づいてきたからだ。
「失礼します、ハクラ様、リーン様」
おまたせしました、一言もなく事務的な態度で、職員はこう告げた。
「ギルド長がお待ちです、奥の部屋へどうぞ」




