遺すということ Ⅴ
◆
「では、状況を整理しましょう」
会話の進行役となったのは、ギルド長のザシェだ。手元の書類をめくりながら、
「本日早朝、レレントにリザードマンを伴ったワイバーンが襲撃、市民を襲いました。間を置かずして〝竜骸〟が突如動き出し、竜骸神殿から南東に向けて、六百二十メートル地点まで移動、ルーヴィ特級騎士と交戦後、上空へ向けて飛翔、レレントを離脱――この際に瓦礫が巻き上げられ、商業地区と農業地区の一部に落下、被害が出ています。確認できている段階で、死者二百六十五名、連絡のつかない行方不明者が報告があるだけで六十四名、重軽傷者多数……」
二百六十五、という数字を、多いと見るか少ないと見るかは、状況に拠るだろう。
「〝竜骸〟の活動を見届けた後には、ワイバーン達もレレントを離脱していることから、彼らの目的は〝竜骸〟であり、市民への攻撃は陽動だったと思われますが……いかがですか?」
ザシェは、迷うことなくリーンにそう尋ねた。話を振られたリーンもリーンで、淀みなく頷いて、
「まず大前提として、ワイバーンを指揮していたリザードマン……セキさんは、魔女の眷属です。でないと、そもそも〝竜骸〟を動かせません」
魔女。
人理の外側にはみ出した、悪魔と契約した異端の女達。
「肝心なのは、リザードマン共の裏にいる魔女が居るとして、〝竜骸〟を、支配下においているのかどうかです。それによって我々の対応も変わります」
「対応が変わるって……具体的には?」
俺が口を挟むと、ザシェは、さらりと言った。
「レレントからギルドを撤収するかどうかの判断をする、ということです」
ギルドは冒険者、つまり合理主義者の集団だ。当然、その街でトップを務めるギルド長というのは、誰よりも合理主義を貫く人物ということにほかならない。
「勿論、我々はそれを望みません。対策を取れるものならば取りたいし、可能であれば街の復興をしたい。のでこうしてリングリーンのお嬢さんをお呼びしたわけです。見解を聞かせていただけますか?」
ここでようやく、俺達が……というかリーンがこの場に招かれた理由がわかった。
竜だろうがなんだろうが、『魔物の専門家』としてだ。リーンの冒険者階級を規格外(EX)に設定したのがそもそもギルドなわけで、何が出来て、何をしてきたのかを、連中は全てを把握している。
「竜を人が支配するのは、たとえ魔女でも不可能です。存在の規格自体がそもそも違うので。もし竜の力を人が利用しようとするなら、方法は一つしかありません」
リーンはきっぱり断言した。……手段自体はあるのか。
当然、俺と同じことを思ったらしく、ザシェは不快ではなく、疑問に眉根を寄せた。
「その、一つというのは?」
リーンはその問いに、正面から堂々と答えた。
「愛されることです」
「…………………………」
沈黙が部屋を包んだ。無理もない。
どうリアクションしていいか、大人達がわからなかったからだろう、ギルクがおずおずと手を挙げた。
「そ、それってどういう意味だい?」
「子犬は人を支配できません。でも、人に自分の世話を焼かせる事はできますよね。子犬が愛らしいから、ペットだから、家族だから、生物として上位にいるはずの人が、わざわざ奉仕してあげるわけです。人と竜の関係は、それとおんなじです」
それを指して愛と言いきるリーンと、何故自分は旅をしているのだろう。
「ですが、実際にリザードマン達は〝竜骸〟を操っていませんか?」
反論するザシェ。リーンは人差し指をくるくる回す、いつもの癖を見せながら、
「〝竜骸〟の状態で動いていたのは、『死体操作』の呪詛です。えーっと、リビングデッドとかを使役する呪いですね。ただ、あの大きさを動かして操るとなると、そりゃもう莫大な魔素が必要になります。私が一番疑問なのは、そのリソースをどこから持ってきたのか、っていうことなんですよね、〝竜骸〟を五分動かすとだけでも、途方も無い量の触媒が必要になってきます」
そういや、〝竜骸〟から逃げてる最中にもそんなことを言ってた気がする。
「私は、魔法とかには疎いんだけど、具体的に何がどれぐらい必要なものなのかな」
ギルクの問いに、リーンはんー、と少し考えて、
「魔女の呪詛を槍に込めるとして、生贄が五千人ぐらいは必要じゃないですか?」
「……………………」
全員が沈黙した。生贄が、五千人。レレントで今確認できている死者の二十倍。
それこそ、戦争でも起こらない限りは、そうそう出てこない数だ。
「物理的な触媒でも代用できなくもないですけど、手を付けてない水晶窟をまるまる一個、全部つぎ込んだら……ぐらいじゃないですか?」
「それはもう、国家事業のレベルだよ……」
「それか、冒険者なら百人ぐらいで済むと思います、秘輝石があるので」
「冒険者が百人も消えたら、ギルドは絶対に察知できますよ」
ザシェが、呆れたような口ぶりで言った。
「はい、だから不思議なんです。リソースを準備するだけで、絶対に目立つ動きをしないと行けないわけ……で……」
言いながら、リーンは急に言葉を止めた。
「リーン?」
「…………あ、いえ、なんでもないです」
ギルクが問いかけると、慌てたように手を振って、ごまかした。
明らかに何でもあるのだが、考えが纏まっていないのか、それ以上続けはしなかった。
「ふむ……では、そもそもどうやって〝竜骸〟は復活を遂げたのですかな?」
ハーロット司祭が、挙手をしながら言った。
「〝竜骸〟を、ほんの一時動かすだけで、それだけの手間がかかるのであれば、現世に蘇らせるなど、不可能ではないかと思うのですが」
応じる前に、リーンは、ちらりと俺を横目で見てから、
「ファイアさんの力を利用されたんだと思います。『死体を動かす』ことと、『死体を蘇らせること』は、厳密には違いますから」
リーンは、自分の胸をとんとん、と叩いた。
「心臓さえ動けば、あとは竜が自分で自分が動くための魔素を生産できる――はずです。
平坦な道で、ひたすら巨石を押し続けるのが死体使役、下り坂までは運んで、あとは転がるに任せるのが蘇生、っていうとわかりやすいですかね?」
どっちにしても概念的な話だが、とりあえずリーンの視点から見れば、それは不可能ごとではない、ということらしい。
「それは、つまり……その、ファイア司教が、自らの意思で〝竜骸〟を蘇らせたとおっしゃるのですかな?」
ハーロット司祭の顔は酷いものだった。女神の再来と呼ばれた聖女が、この惨事に加担していたとなれば、同じサフィア教徒としては気が気じゃないだろう。
「私は利用された、って言いましたよ。私とハクラは、ファイアさんの護衛……ルーヴィさんが〝竜骸〟と戦って――食べられる所を、見ました」
「食べ――――!?」
ギルクが息を呑み、ルーヴィの強さを知っているであろうハーロット司祭とザシェも同じく驚きを見せ、ヴァーラッド辺境伯は、悔しそうに歯ぎしりした。
「――――奇蹟を起こそうとしたのだね? だが……」
「……遺ったのが手首から先だけじゃ、どうにもなんねえよ」
クレセンの蘇生に成功したのは――まだ目を覚ますかどうかわからないが――矢に胸を貫かれてから、時間がほとんど経っていなかったことと、身体が欠損していなかったことが大きいはずだ。
ファイアの奇蹟は、圧倒的だが、万能でも全能でもない。
何でもは出来ないし、全てを救うことも出来ない。
「それが可能かどうかは、ちょっと私には判断しかねるんですけど……ファイアさんがルーヴィさんの遺体に対して使った奇蹟は、『無駄撃ち』です。その余剰が〝竜骸〟に流れ込んで――――」
「竜として蘇った、か」
辻褄は合う気がする。リーンは、セキの目的が〝竜骸〟の復活であり、その為にファイアを欲していると予測した。だから、ファイアが奇蹟を起こした時点で連中は目的を達成していて、故に撤退を躊躇わなかった、と仮定すると……。
「そうなると、リザードマン達は、ファイア司教がレレントに居ることを前提として襲ってきた、ということになりますね」
ザシェが、俺の言いたいことを、簡潔に纏めた。
「ハーロット司祭、ファイア司教がレレントを訪れることを知っていましたか?」
問いに、老司祭は首を横に振った。
「いいえ、そもそも、エリン・メリン大聖堂を出発して以降、ファイア司教は行方不明、というのが教会内部の認識でおりましたし、私もそう思っておりました。レレントに居られた事すら、驚いているほどです。どうやってこの地までたどり着いたのか……」
「……………………」
俺達が連れてきた、とは非常に言い出し辛かった。何ならレレントに被害をもたらした遠因として糾弾されかねない。
「ハクラ、そのあたりの説明は、もう父様にもしてあるから。ザシェさんとハーロット司祭にも」
「…………あ、そう」
ラディントンからこっち、同行者だったギルクの口を止められるわけもなく、その上で辺境伯が俺達を責めてこないのだから、とりあえずそっちの方面では大丈夫か。
「面倒事は嫌いなので、先に申し上げておきますがね。今は情報が必要です。すべて吐き出して、何をすべきなのかを考えるターンなのです。責任の追及も糾弾も時間の無駄ですので、私はするつもりはありません」
タタタタ、と細かい音が部屋に響く。ザシェがピアノを引くように、五指で机を叩く音だった。苛立ちを隠そうともしない。
必要なことは言え、無駄なことは言うな、という訳だ。
「まあ、考えてみたら、ルーヴィもファイアがいたことには驚いてたもんな」
特級騎士、双子の姉妹であるルーヴィですら、ファイアの所在を知らなかったのだから、レレントが大都市とは言え、一教会の司祭が知らなくても不自然ではないか。
「ワイバーンと一戦交えましたし、多分あの時に居場所を把握されてたんですね。その後も、上から偵察してる個体もいましたし」
「……魔物に人並みの知性があると最悪だってことがよくわかった」
クルルが言っていた『ワイバーンの活動が活発になった』というのも、ファイアの行方を探していたのだと考えると、一応の説明がつく。
空からワイバーンが偵察して情報を集め、リザードマンと手を組んでの奇襲……なんてものが、そこいらでまかり通るようになれば、ある意味では〝竜骸〟以上の災害だ。
「再び、彼奴らがレレントを襲ってくることはありうるだろうか? 〝竜骸〟が無き今、目的がない、故に襲ってこない……とは言い切れまい」
ヴァーラッド辺境伯の疑問に、ザシェも頷いた。今後、レレントの復興をするにしても、『空から来る魔物』の脅威に備え続けるのはかなりの労苦だ。
「実際、死傷者の中には『喰われた』ものも居ますからね。安易な餌場だと思われてはたまらない。冒険者を常に防衛に回すのはコストもかかりますが、バリスタは内々に向けて使うのは危険でしたね。アレでもかなり被害が出た」
まさにクレセンが被害にあっているのだから、他人事ではない。ギルクの顔に、少し暗い影が落ちた。
「んー、その心配はないです」
少し間をおいてから、リーンが断言した。全員の視線が集まり、ザシェが続きを促した。
「根拠は?」
「ワイバーンは高山に適応した魔物なんです。標高が高くて、空気が薄くて、寒い場所ですね。レレントの周辺にワイバーンが多く生息してるのも、周りに山が多いからです。エスマやライデアの周りには居なかったでしょう?」
「ああ、南方大陸の北端は山が低いからな」
その分、木々が生い茂っていて、ユニコーンみたいな霊獣が住み着く余地があったんだろうが。
「それが何故、襲ってこないという理由に?」
「標高が高い所でも生息できる、じゃなくて、標高が高いところじゃないと生息できないんですよ、身体はほとんど骨と皮で、体躯の割にすごく軽くて、四つの肺にしこたま空気を吸い込んで、風船みたいにして、高所から飛んで、翼でコントロール、っていう構造なので、レレント……というか、人間が集まって暮らせるような標高は、ワイバーンの活動限界ギリギリなんです。ワイバーンが頻繁に出る場所って、だいたい山道か、比較的標高の高い街道でしょう?」
「つまり、今回がイレギュラーだったと?」
「ええ、実際、レレントに直接降りてきたワイバーンは、ほぼ討伐できてると思いますよ。再飛行は苦手なので、逃げ場はなかったはずです」
「……そうなのか?」
ワイバーンとは、空を自由に飛び回る、厄介な魔物だというのが、共通認識だったようで、俺だけではなく、その場に全員が驚いた顔をしていた。
「ワイバーンが飛行するためには、それなりの高度から飛び降りて、滑空しないといけないんです。一度飛んじゃえば、飛行し続けるのは得意なんですけどね。高山に住んでる一番の理由は、崖とか丘とか、滑空する為に必要な高低差のある場所が、沢山あるからです」
標高が高いところじゃないと生息できない、というのはそういう意味か。
「まして今回はリザードマンを乗っけて来て、個体によっては〝回収〟していかないといけないわけですから、そんな無茶を、わざわざやる理由と意味がありません」
全ての問題は〝竜骸〟を中心に回っていて、ワイバーン達はその為に命を賭してレレントへの奇襲を仕掛けた、というわけだ。
少なくとも、二度目の襲撃を警戒して人員を割かなくていい、というのは不幸中の幸いだ。今のレレントには問題が多すぎる。
そこからしばらくの間、ザシェとハーロット司祭が、今後の自組織の方針に関する考えを述べて、ヴァーラッド辺境伯がそれを許可する、といった事務的な話が続いた。
小一時間、口を挟まず、会話を聞き流していたが、それらも一段落したところで、辺境伯が、盛大な溜息を吐いた。
「やはり、〝竜骸〟を動かす事そのものが、目的だった、と考えるのが筋だろうな」
でしょうね、とザシェが賛同し、ハーロット司祭はむう、と唸り声をあげた。
「?」
その辺りの世情にあまり興味のなさそうなリーンが首を傾げると、ヴァーラッド伯は咳払いをして言った。
「〝竜骸〟はレレントの、ひいてはオルタリナ王国の象徴だ。王国がサフィアス諸国連合に対し教義の正当性を主張できるのは、何より〝竜骸〟という伝承の実物に拠るところが大きくあるのだよ」
クレセンが、ラディントンからパズへ向かう最中に、とうとうと説明した事だったが――――しかし、〝竜骸〟は失われてしまった。いや、状況はもっと悪い。
「諸事情はどうあれ、事実としてみれば、〝竜骸〟はレレントに破壊をもたらした上で、自ら去っていった。連合の連中は嬉々として言うだろう、『オルタリナ王国に正当を名乗る権利は無い。我らこそが女神サフィアの正しき伝承者である』と」
ファイアの存在は戦争の火種になりかねなかったが。
〝竜骸〟が消えてしまったことは、もう戦争の火種そのものなのだ。
だが、そうなると――――。
「……なあ、それって、魔女はサフィアス諸国連合側の誰か、ってことか?」
オルタリナ王国に戦争を吹っかける口実の為に、サフィアス諸国連合が裏で手を引いた、と考えると、嫌な形に辻褄があってくる。
先程、ギルクは『非現実的だ』という意味で、そんなの国家事業だよ、言ったが。
言い換えるなら、諸国連合が――つまり国家単位のバックアップがついているなら、リーンが疑問視していた『〝竜骸〟を動かすリソース』の問題が解決してしまうからだ。
「形は違えど、連合も女神への信仰を同じくするもの。彼らがいくら我々と教義を違えているとは言えど、魔女の力を借りる事などありえません!」
異を唱えたのは、ハーロット司祭だった。確かにサフィア教徒からしてみれば、『あってはならないこと』なんだろう。
「これに関しては、私達がここで議論しても答えは出ませんよ、ハーロット司祭」
怒る司祭をザシェが嗜めたが、改めて現状がどれだけ不味い事態になっているかを思い知る。
真実はどうあれ、間違いないのは、レレントが追い詰められている、という事だ。
「……つーか、そもそもヴァミーリに自我はあるのか?」
もはや〝竜骸〟はない。赤竜は蘇った。それを前提として、ヴァミーリはどう動くのか。
もしヴァミーリが再びレレントを……いや、大陸を滅ぼすつもりで戻ってきたら、恐らく、世界中の誰であれ太刀打ちできないし、他のどこかに居着かれても、それはそれで問題だ。そこが新たなサフィア教の聖地になってしまう。
「どうなんです? アオ」
リーンなら何かしらの知見を持っているだろうと思ったら、あろうことか、この状況下でスライムに話を振りやがった。
そういやごく自然にリーンの腕に収まっていたが、大丈夫なのか、見られても。
『…………現時点では、断言しきれぬ。が、ヴァミーリそのものが完全に目覚めているわけではないはずだ』
スライムが喋り、説明を始めたことに、三人は全く動じていなかった。ギルクあたりが、事前に説明をしておいてくれたのかも知れない。
『ヴァミーリが完全に蘇ったのであれば、すでにこの大陸は滅んでいるはずである。そうでないということは、アレの自我は足りていないのであろう』
竜を間近に見た身として言うなら。
それは、誇張無しに事実なのだろうと思った。
『竜とはこの世界に生じるはずだった力を独占した、五つの大罪の一である。いくらファイア嬢が優れているとはいえ、その全てを取り戻すことは叶わぬはずだ。竜の蘇生という奇蹟は――――サフィアリスですら、成し遂げられなかったのだから』
「……………………」
その言動に、明らかに不快な表情を見せたのはハーロット司祭だった。スライム如きが女神の名前を呼び、あまつさえその神性を否定するような言動をしたのだから当然か。
「……アオ君、女神サフィアは、竜を蘇らせようとしたことがあるのかい?」
『……………………』
「おい黙秘すんな」
ギルクの質問に、スライムは口(?)を噤んだ。強引に聞き出すべきか……。
「〝竜骸〟がどう転ぶかは未知数、ということはわかりました。一旦保留にして、次の話に参りましょう。辺境伯、お願いします」
空気が若干怪しくなってきたところで、ザシェが割り込んで流れを変えた。
「ああ……実は夕刻、ミアスピカから使者が来てな」
ヴァーラッド伯の表情は、苦虫を噛み潰してもこうはならんだろうというほど苦々しい顔をしていた。
「未曾有の災害に際し、ミアスピカ大聖堂はコーランダ大司教の名の下、神官隊の派遣を決定した。明後日にはレレントに到着し、怪我人の治療にあたるそうだ」
「ち……流石に動きが早いですね」
傍からは喜ぶべき話に聞こえるが、辺境伯もザシェも、表情は明るいものではなかった。ならハーロット司祭はと視線を向けると、こちらも手放しで喜んでいるようには見えない。なんとも複雑そうな顔をしていた。
「えーっと、それって、なにか問題でもあるんですか?」
リーンは、そのバツの悪さを不思議に思ったらしく、首を傾げてそう言った。
ザシェは、問いに頭を振りながら、
「今までは諸国連合にはルワントン大聖堂、オルタリナ王国にはミアスピカ大聖堂という形で、バランスが取れていましたが、〝竜骸〟を失った事で、ミアスピカの権威は大きく揺らぐでしょう。ミアスピカ側からしてみれば、自分たちに責任の所在はないと言い張りたいはずです」
「〝竜骸〟を失ったのはレレントの責任だ、ということにならないと、連中としては不味いってことか」
「ええ、近いうち、オルタリナからも人が派遣されるでしょう。王国側が戦争を回避する為の最短ルートは、レレントを切り捨てることです」
尻尾切りというには、レレントは大きすぎる。それでも王国という命に危害が及びそうなら、腕を切り離すことぐらいはするだろう。
もし、この状況を打開する方法があるなら…………。
「…………君達をここに呼んだのは、実はザシェの提案でね」
ヴァーラッド伯が、不意に、俺とリーンを見ながらそう言った。
「へ?」
俺は反射的に、ザシェの顔を見た。てっきりギルク経由の繋がりだと思っていたのだが。
「これからザシェが話す言葉は、私を含む、レレントの総意だと思って欲しい」
その宣言と同時、ザシェが立ち上がり、俺達を見据えた。
「あなた方の経歴も活動も、私は全て知っています。こちらへ来る前の活躍も、よく聞き及んでいますとも、例えば」
なんだろう。
「レストンにおける〝魔女の災害〟の解決であるとか」
突如、猛烈に、
「クローベルの奇蹟の、立役者であるとか」
嫌な予感が、してきた。
「今回の事件、裏に居るのは魔女であろう、ということを、客観的に証明する手段がありません。この場にいる我々には、これ以上打つ手がない。政治的な問題は全力で引き伸ばしますが、いずれ限界が来る。サフィア教、オルタリナ王国、サフィアス諸国連合、その全てがレレントに責任を求めるでしょう」
オルタリナ王国は、サフィアス諸国連合に戦争の口実を与えたくはない。
サフィアス諸国連合は、オルタリナ王国の正当性を揺るがしたい。
国家の枠を越えたサフィア教という組織そのものは、〝竜骸〟を失った事そのものを責めるだろう。
「土地も人も消えはしません。レレントの民は、ただ暮らし、生きているだけです。では、誰が責任を取るのか?」
決まっている。領主である、ヴァーラッド伯だ。
貴族としての権利を剥奪されるぐらいでは恐らく済まない、状況次第では一族全員の首が必要になるかも知れない。
「北方大陸で、貴族とギルドと教会、三者の平和的な談合が行われているのは、この街だけです。レレントがオルタリナ王国の支点となっているから、現状のバランスを保っていられる」
談合と言い切りやがった。当然、本来なら一介の冒険者が知るべきことではないはずだ。
知ってはいけないことのはずだ。
「もしヴァーラッド家が断絶したら、この天秤は偏ります。個人の利益と名誉を求める愚か者が、必ず現れ、破綻する。辺境伯あってのレレントなのです。それを理解していただいた上で、ハクラ・イスティラ。リーン・シュトナベル」
フルネームを呼んだ。
ここからは、ザシェという個人ではなく、ギルド長としての立場から放たれる言葉ということになる。
「この問題を解決する為に、我々はどうしたら良いと思いますか?」
意見を求めてるわけではないだろう、ここで問われているのは、共通の認識を持っているかどうか、だ。
「一番てっとり早いのは、〝竜骸〟を取り戻す事ですよね?」
リーンの言っていることは正しい。途中経過がどうあれ、最終的には現物さえあればどうとでもなる。
ただ、ヴァミーリが今どこに居るのかわからないし、見つけられたとして、まさかもう一度殺せるわけもない。
次善の策としては――――。
「それか、黒幕の魔女を見つけ出す、か」
レレントが糾弾される口実となるのが〝竜骸〟を失った事なのだから、その原因を作った奴を探し出して、全責任を取らせればいい。
問題としては、その魔女がどこに居るのか、誰なのか、皆目見当がつかないという事だ。
仮に、今回の一件をサフィアス諸国連合が手引きしていた場合、魔女の存在は厳重に秘匿されているはずだ。さあ探すぞ、といったところで、はい見つかりました、とはならないだろう。
「どっちも、現実的じゃないよな」
「そうでもないですよ」
早くも漂い始めた八方塞がりの気配を感じた所で、リーンが、あっさりそう言った。
「あん?」
「〝竜骸〟はともかく、魔女を辿る当てならあります。セキさんがいますから」
「…………セキが、なんだって?」
「セキさんは魔女と契約を交わしているわけですから、眷属の証である魔女の印だって刻まれてるはずです、捕まえられれば、手がかりをつかめると思います」
「…………あいつ、自分の主人は知らない、とか言ってなかったか?」
「え、ハクラ、まさか言われたことをそのまま信じちゃったんですか?」
「ああ俺が悪かったよ俺が馬鹿だったよいいよ話を進めてくれ」
とんでもねぇ顔をしたリーンに続きを促しつつ、俺はちょっと落ち込んだ。
「ちょっと真面目な話をしますと、最低でも魔女と契約を結ぶ際は、絶対に顔を合わせているはずです、ですから――――」
「セキを生け捕りにして、情報を聞き出す?」
「現状、取れる選択肢は、それ以外にないと思います――ところでハクラ」
「…………何だよ」
「私達、別にそれをやる義理はないんですけど、だいぶ気合が入ってません?」
「この期に及んでここまで聞かされて『じゃあ後は頑張ってください』で帰してもらえるわけねえだろギルド長が居るんだぞ」
ちらりとザシェを見ると、うんうんと頷いてから、
「他の《冒険依頼》を受けられないようにしておきますので、安心して従事してください」
「ほらな!?」
「勿論、報酬は約束する。私の力で叶えられる事であれば、あらゆる事をさせてもらおう」
そう告げるヴァーラッド伯の表情は、力のない笑顔だった。
どうしようもなくなってくると、人は笑うしかなくなるものらしい。
「冒険者である君達に重荷を背負わせることも、申し訳なく思う。だが、今、私は手段を選べる立場にない。ありとあらゆる手を尽くし、レレントを存続させねばならない」
それは自分の命がかかっているから、というだけでは、ないだろう。
「俺達にそんな仕事任せていいのかよ、今日会ったばかりの若造だぜ」
「なあに、元より無茶を言っているのは承知の上、どうにもならなかったら、全部投げ捨ててスパっと逃げてくれて構わんよ」
そう俺達に告げるヴァーラッド伯の目は、これから何万何十万という人間の命運を左右する、分岐点に立っている張本人とは思えないほど、柔らかかった。
「だがね、ギルクは君達の事を、『誰より信頼が置ける冒険者』だと言ったよ。私は娘を信じている。その娘が言うのだから、私だってそうするとも」
まったく。
「――――どうか、レレントを救う為に、君達の力を貸して欲しい」
出来るわけねえだろ、と即答できたら、どれほど楽なことか。




