その
日本で突如蔓延した病原菌は多数の死者を出している
その伝染病の一時的な対抗策として急いで作られた薬がチロムだ。
チロムは人間に潜伏している病原菌を潜伏期間以内に殺す薬だが、副作用として夢遊行動などの精神作用がある。
最近の犯罪の多くがチロムの精神作用によるものであることが分かっており、酷いものであれば突発的な殺人事件まで起こっている。そのためチロム服用から24〜48時間以内は外出を固く禁止しており、チロムが体内に残った状態で外出をするのは5万円以下の罰金又は医療機関下での一年以内の入院措置となる。
服用を義務付けられ、国から支給されるチロムだが、副作用の改善は今後の課題であるー
明はボーッと天井を見ている。右手に触れると、やや冷たい彼女の温度を感じた。
「チロムを飲んだとき、しばらく見ていて欲しいの」
明は震えながら僕に訴えた。「友達がね、チロムを飲んで我に返ったら、服に血が付いてたっていうのよ。私も何かされるかもしれないし、何かしてしまうかも」
僕は頷いた。あの時の彼女は酷く怯えていて、ごめんね、ありがとう、と言った。
それから明がチロムを飲むときは僕が必ず側にいる。彼女の心配とは裏腹に派手な行動などはせず、寝てしまうか、ソファの上で座ってジッとしているか、たまに冷蔵庫の中を覗くくらいである。
明は目が覚めたとき、必ずハッとして、僕に「自分が何をしていたのか」を聞いてくる。しかし、僕が何も無く、穏やかだったことを伝えても彼女は不安げだった。私のために嘘はついていないのか、これから何をするかも分からない、そう言った。
「じゃあ、こうしよう。次から服用後の君の撮影をするんだ、何もしてないことが分かるよ、それで安心だろ」
僕は腕時計を見た。そろそろチロムを飲まなければいけない時間だ。
「帰るよ」
僕が立つと、明は家まで送ると言った。しかし明の家から僕の家までは距離が遠く、しかも深夜であるため、彼女の帰り道が心配で断った。
「気を付けてね」
外に出ると、昼間の暑さが嘘のように涼しかった。背後で鈍い音がして、振り返ると濁った目をしていた女性が転んでいた。
目を覚ますと、空腹感と、部屋が綺麗に片されていることに気が付いた。
チロムを飲んだ僕は、明に電話をかけていたり、たまに部屋が散らかっていたり、かなり行動的になるらしい。だから玄関はきっちり閉めてから服用するようにしている。
キッチンに行くと、鍋やフライパンが違う棚に移動されていた。冷蔵庫のハムや卵に手が伸びたが、舌が酷くザラついてるのを感じて一気に食べる気が失せてしまった。
スマートフォンを開くと、何件か明や旧友に電話を掛けていた。明だけが応答してくれた履歴が残っていたため、彼女に電話をかけることにした。
「もしもし?ねえ、大丈夫?」
開口一番、明は酷く取り乱していた。僕がどんな要件で彼女に電話をしたのか聞く。
明はしばらく黙っていたが、眠たくてちゃんと聞いてなかったわ、今思うと慌ててたかな、慌てて何を言ってるか分かんなかった、と言った。
「そっか、部屋もキッチンも片付けられてるし、結構動いたみたいだ。夜中に電話してしまってごめん」
「良いのよ、それよりね」
電話口でも分かるほど明の息は荒く、そして言葉の続きを飲み込もうとしている気配がして、それより?と僕は催促を掛けた。
「あのね、チロム飲むときは私と一緒にいましょう?見てて、あげるからー」