14 エスコート(5)
──これで最後となるのか。
肩が少し軽くなったような心地がする。目の前の杉本梨南が真剣な目で語るのをしっかと聞いた。
「厳密には卒業式まで間がありますが、本日を持ってこの高校内に入ることは永遠にありません。せいぜい校門の前に立つ程度でしょう。万が一外ですれ違ったとしても私は目を閉じますのでご安心ください」
──目を閉じる?
意味不明な言葉が混じるが黙っているのが安全と判断しそのまま聞き流した。
「一点目のお願いは以上になります。そして二点目なのですが」
「なにか?」
切り替えで息を継ぎ直すといったこともなく杉本は続けた。
「こちらはこれから関崎さんがこの学校にいらっしゃるという前提でのお願いになります。特に、退学、転校などのご予定はございませんか」
「いやない」
ものすごく失礼なことを尋ねられているような気がするが反応しようがない。杉本はほっとしたようにやっと息をついた。
「それであれば安心いたしました。お願いしたいことと申しますのは霧島くんのことです。霧島くん、ご存知ですか」
「あの、現在中学にいる、生徒会長の」
なぜいきなり霧島の話を持ち出すのか。ということは必然立村につながるのか。
杉本梨南はこっくり頷いた。
「おっしゃる通りです。彼は現在諸事情により私と同じクラスで学んでおります。多少なりともご存知かもしれませんが、彼はかねてより立村先輩と兄弟の杯を交わした仲です」
──兄弟の杯? そんなのあるのか。この学校には?
独特の言い回しにただ混乱するのみ。
「詳細は省きますが、現在ふたりの間で少々面倒なトラブルが起きております」
「話は聞いている。新井林とのことか」
「よくご存知ですね」
──何様のつもりなんだ? その言い方は。
乙彦を想う気持ちと裏腹にこの高圧的な口調はなんなのだろう。葉牡丹の花を差し出すその手に愛らしさを感じないのはすべてにその口調が行き渡っているからだろうか。同じ想いを伝えるにしても、宇津木野からもらった手紙を読んだ時とは全く違う何かが杉本梨南にはまとわりついている。決して心地よいものではない。
杉本梨南の語り口は全くもって変わらなかった。
「事情は私も把握しておりまして、結論から申し上げれば悪いのは霧島くんです。立村先輩が許せないというのは理解できなくもありません」
「その事情は俺もよくわからないんだが」
「お話することはできません。個人的な問題になります」
──ここまで話して置いて隠すのか?
全く知らないわけではないので乙彦は何度も喉奥にむかつきを押し込めた。
「ただ、立村先輩がもし霧島くんをこのまま見捨てた場合、かなりシリアスな状況に陥るのではということを私は危惧しております。清廉潔白の士であればまだしも、あの立村先輩が人を裁く権利などありません。それゆえに私は立村先輩しか霧島くんの罪を許すことができないのではと考えております」
「申し訳ないんだが、俺は何を言われているのかが全く理解できない」
「さようでございますか」
また威張りくさった言い方で返される。しつこいようだが本当に杉本は乙彦に行為を持っていたのだろうか。
「清廉潔白かどうかはとともかく、立村と霧島との間の諍いをなぜ俺に話す必要があるんだろうか」
「簡単なことでございます」
またぴしゃりと杉本は言い切った。
「私が去った後、そのことをお願いできるのは、今のところ関崎さんしかいらっしゃらないからです」
「なんで俺が?」
「関崎さん、お分かりのはずでございます」
冷ややかに、まっすぐ、杉本梨南の言葉が流れていく。
「霧島くんは関崎さんに、先日なんらかのお願いをしたはずです。先日の日曜に、市立図書館にて」
「なんでそれを知ってるんだ?」
「私がそれを強く勧めたからです」
あんぐり口をあけた乙彦の前でせせら笑うがごとく、
「来年以降も同じクラスでかつ、しがらみのない先輩は関崎さんしかいらっしゃらないからです。羽飛先輩、清坂先輩、古川先輩、その他いろいろ考えましたがどの方も霧島くんに対しては冷ややかな扱いをされてます。自業自得といえばそれまでですが、関崎さんだけは霧島くんに対してそれなりに公平な見方をなさってらっしゃるはずです。利害関係がないとも申しましょうか」
「利害関係?」
ますます謎の言葉を杉本は紡ぎ出す。
「私が来年以降も青潟におりましたら多少の手伝いはします。しかし、現段階ではそのことも叶いません。私と立村先輩、および霧島くんとは多少の縁もあり、このままいがみ合ったまま過ごすことは決して望みではありません」
「だったら直接立村に話をすればいいことじゃないのか?」
当然のことを乙彦が返すと杉本は首を振った。と同時に胸も揺れた。
「いいえ、私は女子である以上フィルターがかかってしまいます。正当な答えをいただくことは難しいでしょう」
──確かに。
また余計なところに目線が行きそうになる。人間としてそれはまずい。
「卒業式までまだ数日ございますので私なりにそれなりの対処はさせていただきます。ただ、四月以降は私も手を下すことが一切できません。それゆえに男子としての意識を持った関崎さんに、今後のお手伝いをお願いしたいのです。どうか、内密ながら、ご協力を賜れると幸いです」
──ご協力を、賜れる? 幸い?
ふと、かたりと扉が開いた。思わずびくりと振り返った。いや、何も疚しいことしていないのだが。杉本もそっと後ろを向いた。同じクラスの疋田がファイルを小脇に抱えたままにっこり微笑んでいた。
「関崎くん、ちょっとごめん、今、頼まれごとあるんだけど入っていい?」
全く関係ない相手だったので心底ほっとした。ぜひとも入っていただきたい。杉本の表情を無視して、乙彦は大声で答えた。
「俺に用か?」
疋田はちらと杉本に目を走らせ、笑顔で会釈した。杉本が丁寧に礼を返している間に疋田は乙彦の耳元に近づき、
「立村くんに頼まれたんだけど、ここで一曲、『モルダウ』歌ってもらえない? 私が伴奏するから」
「あいつから?」
「理由はあとで話すから合わせてもらえる?」
乙彦の返事を待たず、疋田は蓋の開いたグランドピアノに座り、楽譜を開いた。そのまま目で乙彦に合図を送り、すぐに前奏へと取り掛かった。音楽室いっぱいに軽やかでかつ流れるようなメロディが広がった。
条件反射、そのまま乙彦は大きく息を吸った。声を思い切り響かせた。




