13 年度末試験前(10)
「おとひっちゃん、早く上がってこいよ!」
次の日約束通り乙彦は雅弘の部屋にいた。藤沖や片岡に声をかけられたりしたけれどもやはり、親友は最優先にすべきものだ。店にいる雅弘の両親に挨拶して急いで靴を脱いだ。階段を昇り雅弘の部屋に入りいつものように窓辺に座った。そこからアーケードの屋根、青潟駅が見えるのだ。
雅弘はとっくに着替えていて、テレビをつけっぱなしにしていた。とてもだが勉強するムードではない。
「お前、ながら勉強はよくないぞ」
「わかってるよ。ほらおとひっちゃん」
山のようなチョコレートが皿の上に乗っかっている。ちょうど腹ペコあったこともあって遠慮なくいただいた。
「おとひっちゃん、そういえばバレンタインデーどうだった?」
「ああ?」
何を言われたのかぴんとこなくて硬直した。雅弘がチョコを指差して、
「うちの学校男子が多いから、あまりもらえないってみんな嘆いてたけど青大附高は男女比半々だろ?」
「タイミングが悪かったな。ちょうどその頃は予餞会の準備でそれどころじゃなかったんだ」
すっかり忘れていた。世間ではバレンタインデーで浮かれ気味、女子たちの動向が気になって仕方ない奴もいたのかもしれない。残念ながら乙彦はその範疇にあらずだった。
「雅弘は結局もらえたのか?」
「まあ、一応」
あいまいにはぐらかされた。たぶん、そういうことなのだろう。あえず問わずにおいた。それよりなにより、雅弘の英語勉強を手伝うことが先決だ。参考書を開きつつ説明に専念した。
自分で頼みこんだくせにあまり乗り気ではない雅弘だったが、無理やりテレビの電源を消したりして乙彦なりにがんばった。それほど難しい問題ではなさそうで、話を聞く限りとにかく文章を暗記すればなんとかなりそうな感じはした。
「とにかくだ、ここの例文を十回書け! 俺が読んでやるからとにかく書き取れ!」
「おとひっちゃんもういいよ、次に行こうよ」
「いや、お前がしょっちゅう間違えるところを洗い出して次回はそこを徹底して追い詰める! これが勝利のコツなんだ!」
「おとひっちゃん、何かゲームと勘違いしてないかなあ」
雅弘のぼやきを無視して鬼教師と化した乙彦の全力投球、とりあえず一時間で雅弘のエネルギーが枯渇したので一休みすることにした。
「また続きやるぞ。今日は六時まで一気にやるからな」
「おとひっちゃんしっかり休まなくちゃだめだよ。あっそうだ、それでさ昨日話したことの続きなんだけどいいかなあ」
やっぱり苦手なことから逃げたがる雅弘。これはまずい。乗せられてはいけない。チョコレートをつまみながら気を引き締める。
「時間はきっちりカウントするからな」
「わかってるよ。おとひっちゃん学校でもずっとこの調子でやってるの?」
「残念ながら俺より賢い奴ばかりの学校なんで、立場がない」
「なあんだ、俺でストレス解消してるだけかあ」
笑いあう。図星なんだが、腹はなぜか立たない。雅弘が続けた。
「それでさ、電話ではちょっと話せなかったんだけどね。この前、俺、新井林くんと会ってバッティングセンターで遊んできたんだけどね」
意外なことを持ち出す。
「新井林とか」
「そうなんだ。おとひっちゃんにも言っとこうと思ったんだけど、いろいろ大変みたいだね。佐賀さんのことでいろいろ嫌がらせ受けたり、よりによって俺なんかとくっつけようとする奴らがいるとかでほとほと参ってた」
「雅弘、お前」
思わず「知ってたのか」と問いかけたくなるのが、雅弘ののほほんとした口調に飲み込まれていく。
「おとひっちゃんだって俺のこと誤解してたことあるじゃないか。しょうがないよ。それは。けど、今の俺には全くそういう後ろ暗いとこなんてないよ。新井林くんも最初からそれはガセネタだって分かってたみたいで、そのつっかかってくる奴の話をいろいろしてくれたんだ。ひどい話だよ。さすがに俺もここまで言われたらひどいなあって思っちゃったけど」
「いったいどんな話をされたんだ?」
問い詰めると、雅弘は正座して頷き、
「だってさ、そいつ、佐賀さんを何かかしら理由つけて捕まえて、ありもしないこと見たとか言って脅すらしいんだよ。たまたまうちの店に来てくれてちょこっと話してただけなのに、妄想膨らませてるんだよ。俺がもし腕っ節強かったらもっと叩きのめしているだろうになって思うけど、やっぱり怖いから何もできないなあ」
──やはり、霧島の思い込み過ぎか。
雅弘は波のない口調でさらに語った。怒ってはいなさそうだ。
「まるで俺が新井林くんから佐賀さんを奪い取ろうとするとんでもない奴だと決め付けて、そのことで佐賀さんをいっぱい脅したらしいんだ。もし俺と佐賀さんがいちゃついているところを新井林くんに告げ口したらどうなりますかとかなんとか言ってさ。ありえないことばっかりだしそもそも新井林くん、俺がそんなことするわけないって分かってるのにな」
「なんでそう断言できる?」
深い意味なく問いかけると、
「いや、なんでもないよ。ただ、なんとなく」
ふっと下を向いて、チョコレートをふたかけらまとめて口に押し込んだ。
──やはり、水野さんのことだろうな。
雅弘の言葉を信じるならば、思い込みが激しすぎて顰蹙買った霧島の一人相撲だったようだ。勝手にふたりの仲を勘違いして、しつこく佐賀を追いかけて迫りまくり嫌われてしまったという、ある意味同情せざるを得ない行動だったのだろう。自分の慧眼に誇りを持ちたくなる。
「俺も少しその噂は聞いていたんだが、やはり濡れ衣もいいとこだったんだな」
「そうだよおとひっちゃん! 健吾くんがぶっちぎれてとうとうそいつと対決したらしいんだけど結局尻尾丸めて逃げ出しちゃったんだって。ほんとよかったよ。今は健吾くんと佐賀さんも仲直りしてるしね」
「お前なんで、青大附高のことに詳しいんだ」
雅弘がまた俯いた。窓辺を眺めてぽつりと、
「二年の冬の、交流会準備の時からね」
はにかむようにつぶやいた。
「佐賀さんとさっきたん、文通しあってるんだ。だからなんだけど」




