10 予餞会当日(8)
最初盛り上がっていたカンカン踊りもなんとなくだれてきた。そのタイミングでスポットライトが二階席に点った。見上げると奥の扉から真っ白いウェディングドレスを纏った野々村先生ことエルザ姫が現れ、スカートを持ち上げ丁寧に礼をした。同時に歌いだしたのは肥後先生演じる白鳥の騎士だった。何の曲かはわからないが相変わらず朗々たる歌声にみな聞き惚れる。その後エルザ姫は姿を消し、改めて奥の入り口からしずしずと入場してきた。まさに結婚式だが裾は思ったよりも長くない。よってもつれて転ぶ心配もなさそうだ。
「りっちゃん渾身の作」
しみじみと南雲が呟く。
「エルザ姫の拘りがいろいろございまして、りっちゃんひとりで死に物狂いで縫ってたな」
「例えば」
「裾の長さとか」
立村が同時に乙彦たちの後ろに戻ってきた。相変わらずふらふらだ。
「りっちゃんお疲れさん、まあここで見てようや」
南雲のねぎらいに頷きつつ立村は静かにすきまからのぞきこんでいた。
ストーリーは白鳥の騎士とエルザ姫との新婚初夜のはずなのだが、誰も卑猥なことを口走るものはない。むしろすでにすすり泣きの声が聞こえてきたのに気がついた。まだエルザ姫がしつこく白鳥の騎士に名前を聞き出そうとしている場面なのでちょっとばかり感動からはずれている。主に女子たちだ。
「なんかこう、うちの学校の先生たちはなあ、芸達者だよな」
東堂の言葉にみな頷く。音楽教師の肥後先生はともかく、カンカンダンスもネタを超えた統一感がある。また野々村先生もまさに本気を全面に出して悲劇のヒロイン、エルザ姫になりきっている。たいてい誰かかしら揶揄する声が聞こえるのだが全く意に介さない。
「うまいへたはとにかくとして、なんか来るものあるな」
乙彦が呟くと、またみな同意の頷きをかえしてきた。
「はじめての企画だろ」
「まさかここまでのって来るとはなあ。先生たち、生徒を締め付けたいんじゃなくてさ、自分らのエネルギーを解き放ちたいだけなんじゃねえのとか思っちゃったよ」
南雲がまさに名言を唱えた。
──南雲いいこと言うな。
水鳥中学時代渇望してきたものが、青大附高に来てからありとあらゆるところに溢れかえっていることに気づいていた。やる気の溢れた同級生たち、夢を持って走り回っている先輩たち、やりたいことは無理に反抗せず自分なりの仁義を通してやり抜こうとする友だち、さまざまだ。
その中にはかつて、教師という存在はありえなかった。
教師とは上から教えてくれる人であり時には反発する対象だった。
少なくとも、自分たちと同じ平面でやりたいことを求めている人々には見えなかった。
──みな、同じなんだ。
──みな、本気でやりたいことにぶつかっているんだ。大人になっても、教師としても。
当たり前のことなのかもしれない。ただ乙彦には盲点だった。見えなかった。
──先生たちは、ここにいるみんなを喜ばせたがっているんだ。俺たちと根っこが一緒なんだ。
物語はどんどん進んでいく。前もって「ローエングリン」のあらすじを教えてもらったこともあって、白鳥の騎士とエルザ姫の関係が悲恋に終わることは明白。いったい肥後先生は舞台上で何曲歌ったのだろう。数え切れないほどだ。一方でなりきり姫野々村先生は禁じられた名前を問うたゆえに愛する白鳥の騎士から絶望され見送らざるを得ず最後には息絶える悲恋のヒロインを見事に演じていた。その他女装している多くの先生たちも、みなが気を切らさずに舞台の役割に徹していた。
「いやあ、うちの担任、見直したわまじで」
ラスト、弟の腕の中で息絶えるエルザ姫を残して幕が下りる。東堂が満面の笑みで拍手を送っている。
「親みたいな気持ちではらはらしてたけどなあ、これで少しはいい彼氏でも見つけてほしいねえ。こういっちゃあなんだけどうちの担任さん、まだ恋人作ったことねえみたいなんだよ」
「それはもったいないなあ。誰か立候補させるよ。それこそ肥後先生も独身だろ? エルザ姫とローエングリン、お似合いじゃないか」
軽口をたたきつつも体育館の隅っこでみな惜しみない拍手を送っていた。立村もほっとした顔で、
「これでなんか、報われたような気がするよ、この指も」
じっと手のひらを見つめた。暗くて見えないがきっと指先に刺さった針の数を数えているのだろう。本当に、お疲れさんの一言だ。
いったん館内が暗くなり、しずしずと幕が上がっていく。と同時に熱演した教師劇団全員が、白鳥の騎士ローエングリンとエルザ姫を挟み、手をつないだまま高々と掲げた。そのままゆっくりと一礼した。拍手が溢れる。誰かのひゅーひゅー声も響き渡る。掛け声も聞こえるなか、次に主役ふたりが手を取り合い前に出て再度礼をした。拍手、その他みなそれぞれが礼、拍手、礼、拍手と繰り返される。規則正しく続いたリズムを、ふと、誰かがゆるがせた。
「三年諸君、行くぞ!」
男子の声で号令がかかる。
同時に前方にかたまる三年生たちが勢いよくばらばら立ち上がり始めた。
「おいおい、どうした?」
舞台の面々が戸惑ったように顔を見合わせている。動けないでいる。いつもならこういう場面で止める人々が舞台に固まっていて戸惑っている。
三年生男女みな、ある者は袖幕から、またある生徒は舞台に正面からよじ登りフットライトをまたぎ、あちらこちらから舞台めがけて駆け出していた。
──おい、これは、いったい。
みな、両手に花を抱えていた。片方には美化委員会が配った造花が、もう片方には生の花束が。舞台に駆け上がった全員が誰かかしら先生をひとり捕まえては押し付け、手渡ししている。中には渡したとたん感極まって泣きじゃくる生徒もいる。またある先生は花束を抱え切れんほどうけとり放心状態のまま、胴上げされそうになっている。もちろんワンピース姿でだった。よくよく見ると麻生先生の周辺には男子連中がかじりつき、花束と一緒に堅い握手を交わしているではないか。野々村先生にいたっては女子たちと抱き合ってただひたすら、涙、涙、止まらない。
「なぐっち、どうする? 次期規律委員長としてどうするよ。みなさんしずかにしてくださーいとか言っちゃう?」
からかい口調で東堂がささやく。とんでもないと首を振る南雲。
「野暮なこと言いなさんな。それにしてもなあ、これは結城先輩に一本取られたな」
「どうして」
乙彦が問うと、
「ほら、あれ見てみろよ。マイクいつのまにか放送委員から受け取ってるの結城先輩だよ。先輩、きっとどっかからこの情報入手して、三年全員に指示だしたな絶対」
「何の指示だ?」
今度は名倉が尋ねた。珍しい。
「先生たちが生徒たちをびっくりさせようとするんだったらその意気、卒業生一同も見せてやろうってさ。そういうことじゃないのかな」
その通り、結城先輩がいつのまにか頭をかきながら舞台中央に現れた。無理やり、音響係の校長先生をひきずってきて、真正面から、
「校長先生、そして今日、想像を絶する舞台を僕たち卒業生のために用意してくれた各先生がた、本当に素晴らしいひとときをありがとうございました! いろいろ悪さもしたし赤点もたっぷりとったしいろいろと問題児ぞろいのこの学年でしたが、俺たちはほんとに幸せな三年間を過ごさせていただきました。たぶん三年と先生たち全員とが一緒の舞台に立つことはもう二度とないかと思うんで、ここでどうかみな、一緒に、青大附高校歌を斉唱しようではありませんか! もちろんタイトルロール・ローエングリンたる肥後先生にはかなわないと承知してますが、ぜひ、全員でがなりたてようではありませんか! 在校生諸君、今日は本当に素晴らしい時をありがとう!」
結城先輩の演説が終わるやいなや勢いよく演奏が始まった。上演中に一年、二年の吹奏楽部員たちが二階席にスタンバイしていたらしい。
いつのまにか在校生たちも全員立ち上がり、手拍子を打っている。誰か指示したわけでもなく、自然と歌声が流れ出していた。




