10 予餞会当日(6)
いつまでも立村を寝させておくわけにいかず、東堂が無理やりたたき起こしたのちそれぞれのんびりと話をしていた。
「今回は実言うと、暇だよな」
「見た目はな」
評議委員会はノータッチだが、一部のメンバーは予餞会実行委員会のメンバーとして参加している。他の委員会も同様だ。いわゆる委員会としてのまとまった活動はなされていない。
「中学とそこが違うというわけ」
「だがなんでお前ら、規律委員会から出ようとしたんだ」
「いやね、やはり委員会の枠組みが弱い今なら、有志として参加した方がいろいろ楽じゃんとか思ってさ。とりあえず東堂大先生とりっちゃんに声かけて、冬期講習の間にいろいろ提案なんかして」
「あっさり通ったって訳か」
「そ。学校側もさ、去年までの教師合唱だと今一つ盛り上がりに欠けちまうしってことで、乗ってくれてさ。たぶんみなさんも、俺たち悪ガキどもの面倒見て疲れはててたんじゃあねえの。みなストレスたまってるんだよ。おーい、りっちゃん」
何度か南雲が声をかけてかろうじて目をさますありさまだ。立村の様子を何度か伺いながら、一方で生徒会室の扉を見やる南雲。
「りっちゃんにはドレス全般において最初から最後までお世話になりました」
「そんなんでもないよ」
疲れきった口調で答える立村に今度は東堂が口を挟む。
「実際、エルザ姫に試着してもらえないことにはどうしようもないからなあ。よくぞ説得してくれたよなあ裏技で」
「裏技?」
乙彦が尋ねると、東堂がすぐに答えた。立村が止めたそうに首を振ったがもろ無視した。
「学校内では無理だから、直接ご自宅に運んだんだよなあ」
「エルザ姫って、まさか野々村先生の家にか。立村がか?」
ますます訳が分からない。指された立村は俯いてしばらく口をつぐんでいたが、
「いいじゃんりっちゃん、何も悪いことしてたわけじゃないし、どうせばれるよ。清坂さんにもそろそろ聞かれている頃じゃないかなあ」
もうにっちもさっちも行かない状況と相成った。何か隠し事をしているのだろうが、さほど問題があるわけでもなさそうに思える。せっかくなら聞いてみたい。
「立村、お前が言いづらいなら、南雲に聞くが」
「いいよ、まかせる」
投げやりに立村は答えた。受けて南雲も東堂に親指立てて返した。
「じゃあ説明するけど、りっちゃん、実は野々村先生と同じ先生とこにピアノ習いに行ってたんだって。きょうだい弟子だったんだって。もろ偶然」
顔を上げた立村は大きなため息をついた。乙彦の顔を申し訳なさそうに見上げ、
「隠すつもりじゃなかったよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声でささやいた。
──ピアノ、そういえば合唱コンクール後も続けてるって言ってたよな。
合唱コンクールをきっかけに立村が本気でピアノに取り組み出し、今でも熱心に続けているとはちょくちょく耳にしていた。吹奏楽部の同級生たちや、たまたま規律委員を務めている疋田とも音楽の話で盛り上がっているのをたまに耳にする。いやなによりも、
──宇津木野の一件もそうか。
だがピアノを誰から習っているとかそういう話題には全く触れることがなかった。別に音大を目指すわけでもないし、ピアノの先生といえばそれこそ青潟市内だけでもごまんといる。立村のレベルから考えて、いわゆる手ほどき程度の先生についているのだろう。
「野々村先生、ピアノ習ってたのか」
「趣味でだって。ま、そういうご縁があるのであれば、ウェディングドレスを直接ご自宅で着ていただくのはいかがでしょうってことで、りっちゃんに持ってってもらうことにしたわけ。女性たるものやはり、いろいろ合わせたいところもあるだろうし、こだわりだってあるだろうしってね」
「直接持ってったんじゃないよ。親の車で、ピアノの教室まで持ってって、それで渡しただけだよ」
言い訳がましく立村が続けるが誰も何も聞いちゃいない。南雲の言葉にだけ集中する。
「今回さ、『ローエングリン』やることになって最初、男の先生たちの禁じられた楽園みたいなのりでやろうかって話だったんだけど、よくよく考えるとそれってもったいないなって思ったんだよな。単なるお笑いでもいいけど、やっぱりヒロインはお姫様でなくちゃつまらないし、タイトルロールのローエングリンはそれなりにかっこよくないとなあって。先生たちと相談して、とにかくエルザ姫とローエングリンだけは絶対にまっとうに演じてもらって、あとのにぎやかしは趣味に走ってもらうことにしたってわけなんだよ。さーて、そろそろお着替え完了かな」
南雲と一緒に扉のほうをちらと見る。静まり返った廊下に職員室からわらわらと、あきらかにかつらとしか思えない金髪やらネグリジェやら燕尾服やらで歩いていく人々がいる。礼儀としてみな頭を下げると、みなにこやかに手を振りつつ、
「エルザ姫待ってるよ!」
わざわざ生徒会室に向かい声をかけていく。もちろん返事はない。
「どう、似合う?」
いきなり声をかけてきたのは、フリルたっぷりのネグりジェに女性用の黒いかつらをかぶった麻生先生だった。数秒凍りつきやっと気づいた。
「あ、はい」
「じゃあ体育館で会おう!」
豪快に手を振り大股で階段を下りていく「彼女」たちを見送りつつ乙彦は改めて青大附高の教師がいかにストレスに満ち溢れていたのかを実感した。
──しんどい仕事だなこれは。
「そろそろ時間ですよ、みなさん」
実行委員会の生徒たちが先生たちを引っ張っていき、ついでに生徒会室の前で、
「あの、野々村先生は」
小声で南雲に尋ねた。
「そろそろじゃないかなあ。とりあえず、エルザ姫が完成したら連れてきますよ」
南雲が愛想良く答えるのと同時に生徒会室の扉が開いた。
その場にいる男子全員が立ち尽くした。
──これが、あの、一Bの担任か?
脇でにやにやしているのは泉州と阿木のふたり。清坂の姿はない。
「エルザ姫できあがりい!」
はしゃいで手を叩いている阿木を冷ややかに名倉が見つめる中、純白の裾長ドレスで現れたのは確かに野々村先生だった。いかにも地味でただ清楚なだけな印象しかなかったのに化粧しただけでこうも変貌するものなのか。たまたま学校の中だから「野々村先生」と認識できるがたぶん別の場所なら見分けつかないだろう。
「さすが先生をヒロインに選んだうちの学校の先生たちはお目が高い!」
ちょっとそれは言いすぎなのではと思いたくなるようなお世辞を南雲が笑顔でつぶやき、
「先生、明日から下駄箱にラブレターの山、覚悟しといたほういいですねえ」
これまた手もみしながらにやつく東堂。自クラス担任の変貌に奴なりの感慨があるらしい。恥ずかしげにうつむきつつ首を振る野々村先生が、ふと目線を立村に向けた。かなり露骨に、首を動かした。
「立村くん、本当にありがとう」
顔を見合わせた二人がかすかに頬を赤らめたような気がした。立村は何も言わず一礼し、エルザ姫こと野々村先生が女子ふたりにひっぱられていくのを見守った。
「立村くん、ちょっと来なさい」
野々村先生たちが姿を消すまでの間、清坂はずっと生徒会室に篭っていた。タイミングを見計らったのか、ウェットティッシュで手を拭きながら立村に近づいた。
「何、清坂氏?」
「わかってるよね。私が何、言いたいか」
「だいたい」
消えそうな声で一歩後ろずさりする立村の肩を清坂はがっちり片手で押さえ込み、
「今日は忙しいからこれ以上何も聞かないけど、明日以降覚えてなさいよ」
「わかりました」
「貴史と、こずえ、私、三人の前でたっぷり事情説明してもらうから、覚えといて。絶対よ!」
声音震わせ、清坂はとどめに思い切り立村の肩をぶったたき、背中に向かいから蹴りした。、
「さ、早く行きなさいよ! エルザ姫はね、幕の途中でウェディングドレスに着替えるんだからあんた連れてきなさいよ! 全くもう、ほんっと、ばっかみたい!」
ひさびさに見たいかにも清坂らしい振る舞いに、男子全員顔を見合わせた。
「俺、あの二人が別れた理由、わかるような気がするなあ」
「何を今更」
南雲と東堂のささやき声に思わず乙彦、名倉も頷きあった。




