8 青大附高入試(2)
青潟大学附属高校の募集定員は二十五名と定められている。実際の合格者は若干水増しされているようだがさすがに入学辞退する生徒も少なく結局三十名程度に納まることがほとんどだという。教えてくれたのはもちろん結城先輩であり乙彦は話を聞いて感心するだけだった。
「ということは関崎くん、君は本当にくもの糸のようなチャンスをものにしたということなんだよ。わかるかね」
「はあ、だいたいは」
「しかも英語科、君たちの年は英語科にエレベーター入学する奴らが非常に多かったんだ。本来ならもう少し多めに外部生を英語科に呼び込んでも良かったんだが。針の穴をくぐるようなチャンスだよまったく」
──全くだ。奇跡だ本当に。
その「針の穴」をくぐり抜けられる内川なのかどうかが非常に気にかかる。
片岡と約束した朝八時ジャスト、バイトを終わらせて乙彦は一目散に高校の校門へ走った。この日は不正防止のため高校内への生徒立ち入りは禁止されている。生徒会役員をはじめ予餞会準備に余念のない連中はさっさと別のアジトをこしらえて自分らの仕事をすることになる。乙彦もこれからその「アジト」に向かう予定だ。
「関崎、おはよう!」
すでに片岡も校門の柱側に立って手袋を振っていた。すでに受験生および見送りの家族が連れ立って青大附高前に集まってきている。塾の名が刷り込まれた旗を振っている一群もいる。友だち同士で連れ立って学校に向かう中学生もいる。
「あいつまだ来ていないか」
「まだだよ。俺もずっと目を凝らしてたけど。少しでも早めに来て準備したほうがいいよって伝えておいたんだけど、遅いなあ」
──まああいつのことなら珍しくもないんだが。
内川は決して朝が強いほうではない。まさかとは思うが寝坊したなんてことは考えたくない、が可能性がないとはどうしても言えない。
「大丈夫かなあ。あれだけ一生懸命やったんだから、きっとうまくいくって昨日も電話で話したんだけどなあ」
「やることはやったんだから、あとは当たって砕けろだ」
「砕けちゃだめだよ。合格しなくちゃ」
──片岡には悪いが、やはり現実的には難しいだろ。
きわめて冷静に乙彦は内川の成績を分析している。去年の受験答案を思い起こせばそれはいやというほど実感されてくる。ある程度過去問題は解いたつもりだし青大附高の傾向らしいものも研究した。しかし、この学校の特長はやたらと長い文章をことあるごとに書かせたがるところだ。単にマークシート式で選べるわけではなくただひたすらに自分自身の考えを問われる。水鳥中学時代にはそんな答案めったにお目にかかることなどなかったのでかなり戸惑ったものだった。
──片岡は附属中学入試しか経験してないからいまひとつぴんとこないかもしれないが、やはりこの学校は特殊だな。付け焼刃で合格するものじゃない。
雪が止んでいるのがありがたい。寒さは一段と身に染みる。本当だったらさっそく学食に向かって食堂で生徒会連中と落ち合う予定だ。あったかい飲み物がほしい。何度か咳き込んだ。
「関崎、あれ、来た来た!」
呼びかけられて片岡が指している方向をじっと見やる。かなり遠くだというのに楽しそうに手を振りながらやってくるのはまぎれもなく内川だ。学生服にジャケットを羽織って真っ先に片岡のもとに駆け寄ってくる。
「片岡先輩!」
「いよいよだね。大丈夫。応援してるからね」
「はい! 絶対絶対、片岡先輩の後輩になります! 全力尽くしてきます!」
笑顔で何度も頷いている。片岡の隣りに乙彦もいるはずなのだが気づいていないのか全く目を向けようとしない。視野が狭すぎると思う。
「おい、内川、もう少しこっちを見ろよ」
「あ、関崎先輩も、ありがとうございます!」
なんだか悲しくなるものがある。内川の奴、一応は水鳥中学の先輩だというのに後輩らしく敬おうともしない。けなすならまだいい、眼中にないというのはどういうことだ。
「いいかい、試験の時は予期しないことがあっても落ち着いて。試験が終わったら僕もすぐ、桂さんと一緒に迎えに来るから一緒にうちでおいしいもの食べようよ」
「え、ほんとですか!」
目が輝いた。中学生男子の胃袋をも掴んでいる片岡、恐ろしい奴だ。
「そうだよ、ちゃんと焼肉用意してあるからね」
「おい片岡、まだこいつには先があるんだぞ」
見かねて乙彦も口を挟んだ。
「こう言ったらなんだが、三月には公立試験だってあるんだ」
「関崎、今はそんなこと言うもんじゃない」
出た、片岡のお兄さん口調が。勝ち目はないので黙る。
「僕は、内川くんがうちの学校に来てくれるってこと絶対信じてるよ。大丈夫。これからうちに戻って、ホットプレートの準備とかおいしい野菜とか買ってくるからね」
頬が紅潮してきている。内川は今にも頭から湯気ふかんばかりの状態で何度も頭を振った。おそらくこいつの頭に詰め込んだはずの中学三年分知識は「焼肉」の文字と香ばしい匂いとで埋め尽くされたはずだ。本当に、試験、大丈夫なのか、内川。
「お見送りありがとうございます! それでは参ります。いざ!」
にこやかに見送る片岡にだけ笑顔で手を振り、内川は生徒玄関までしっかり踏みしめていった。
「本当は関崎とも一緒に焼肉食べたかったけど、そうか、しょうがないよね。予餞会も近いしね」
「悪かった、じゃあまた明日」
せっかくの休み、片岡はさっさと家に戻った。受験生たちがひととおり生徒玄関に吸い込まれたのを見守りいつもの鐘が鳴ってから、乙彦はゆっくり生協食堂へと向かった。
──全く、先輩の俺があれだけやきもきしてたってのになんなんだあいつは!
──片岡ばっかりに懐きやがって。しかも片岡もしっかり猫かぶってやがる。
なんともいえないもやもや感があるがこればかりは仕方がない。いらいらしつつも、片岡と内川の仲良しぶりは観察していると結構面白いのでずっとこの調子で続けてほしいと思う。思えば片岡も、クラスで乙彦には懐いてくるけれども他に親しい男子がそれほどいるわけでもない。不思議なのはなぜ泉州と友だちなのかということだが、婚約者の親友ともなればだべりもするだろう。委員会にも部活動にも関わらない。桂さんにしっかりホールドされている。そう考えると内川の存在というのは非常にありがたいものなのかもしれない。少なくとも一緒に焼肉食べたがる後輩はいそうにない。
「関崎先輩」
呼び止められた。昨日からやたらと声をかけられる。しかも後輩から。
「どうした、霧島」
「本日は、学校を自主休校なさったのでしょうか」
「何言ってるんだ。今日は青大附高の入試だ。高校に立ち入り禁止なんだ」
よりによって青大附高生徒会長の霧島が気づかないわけがない。そういえば青大附中の入試もそろそろのはずだがどうなのだろう。
「今日は中学も入試日なのか」
「いえ、来週です」
短く答え、真っ白い狐顔をこわばらせるようにして、霧島がじっと乙彦を見据えた。端正な顔立ちだけに、飾らない表情のままだと弱弱しく見える。
「ということはもう遅刻じゃないか。急いでも間に合わないだろう、走らねば」
乙彦がせかしても霧島は動こうとしなかった。ちらりと高校の生徒玄関を見やり、
「ということは、今日、立村先輩はいらっしゃらないのですか」
か細い声で尋ねてきた。
「いや、今いるかはわからないがどちらにしろ今日は来るだろう。予餞会の準備があるから、たぶん学食あたりかセミナーハウスにいるんじゃないか」
「セミナーハウス?」
けげんそうな顔をする霧島に伝えておいた。
「そうなんだ、今の時期俺たちは予餞会やらなんやらで忙しいんだ。規律委員会もそれなりに仕事があるからな」
──女装用のドレスを縫い続けるといったこととか。
嘘は言いたくないので余計なことは言わずにおく。
「そうですか」
いつもの甲高い高飛車な口調ではない。力が抜けたような、どことなく倒れそうな、いわゆる本来霧島のイメージにもどったようなフォルム。思わず言葉を飲み込んだ。
「わかりました。失礼します」
「おい、立村に用事があるなら言っとくが」
「いえ、結構です。学校に戻りますので失礼します」
霧島は唇をかみ締めるようにし一礼し、そのまままっすぐ中学校舎のある方向へ歩いていった。さっき内川を見送ったのとは全く異なる後姿だった。




