1 水仙の白き花(4)
三人で語らっているうちに突然雅弘が、
「じゃあ俺、なんか食べ物注文してくるね」
水野さんから受け取った紙袋を片手に外に出た。
「なんだ、部屋にちゃんと電話があるんだからそれで注文すればいいものを」
乙彦がいぶかしがると水野さんも不思議そうに扉を眺め、
「そうね」
小さな声でつぶやいた。確か水野さんが雅弘の友だちの妹のために用意したパンフレットということだが、別にそんな大事そうに握り締めて持っていかなくてもいいだろう。場を盛り立てていた雅弘が席を外すと部屋の中は一気に静まり返り、外でがなりたてる歌声だけが響いてくる。話のじゃまになるほどではなかった。
──だが、な。やはり。
背中が妙にあったかくなるのはしゃべりすぎたせいだろうか。
──雅弘、早く戻って来い。
水野さんは乙彦の様子をじっと観察していたが、
「関崎くん、もしよかったら教えてほしいの」
ささやくように話しかけてきた。いまだにジュースにも手をつけず、背を伸ばして座ったまま、
「佐川くんには前から相談していて、もしかしたら生徒会長になってしまうかもってこと伝えていたの。学校祭の頃に」
すぐに思い出した。礎祭のあたりか。乙彦は頷いた。
「俺も顔合わせたな、あの頃にもう話が」
「そう。だから私もどうしていいかわからなくて。佐川くんにも」
ここで水野さんは言葉を切った。考え込むようにして、
「みんなびっくりしていて、私も気がつけばこういうことになっていて。でも私の知っている生徒会のイメージと実際の環境とが全く違っていて、どうすればいいかわからなくって」
見るからに戸惑いが隠せない様子の水野さんを乙彦は改めて見つめ直した。お下げ髪のほつれもなくつややかにライトが射している。もろく壊れそうに見えて実は芯が通っているそういう女子、それが水野さんだった。雅弘の決断を静かに受け止め、行きたくもない学校で努力をし続け周囲からも思わぬ形ながら認められたその姿。
何かを伝えねばならない。心臓がうねる。膝を何度か叩いた。
「水野さん」
喉から何かが飛び出しそうなのをこらえて乙彦は呼びかけた。
「雅弘から少し聞いてたんだが、生徒会室が使える状態じゃないというのはどういうことなんだ?」
問い詰めるように聞こえてしまっただろうか。ぴくりと水野さんが身体を振るわせた。そんなつもりではない。
「生徒会長は私が一年で、あとはみな、二年の先輩たち。いい人たちでみな私を可愛がってくれるのだけど、なんというか、先生たちに対して厳しいの」
「例えば」
「つまらない授業は出なくてもいいとか、学校を変えるためには多少の腕力行使も止むを得ないとか。でも、合唱祭や学校祭は盛り上がるのよ。その先輩たちがみんなを楽しませてくれるから。私だけたただぽつんとしているだけなの」
──授業のサボりはまだわかるが、腕力行使って、女子高だろう?
乙彦の心のつぶやきに気がついていない水野さんは首を傾げつつ続ける。
「この前も生徒総会が行われて、校則で髪飾りの種類を増やしたいという案が出て先生たちから却下されてしまったのだけど、それでまた大騒ぎになって、先輩たちが生徒の代表として大議論して、私だけどうしていいかわからなくて」
「そうか、骨のある人が多いんだな」
思わず共感しそうになるが、
「私、みんなが話を真剣にするのはいいことだと思う。でも、けんか腰で文句を言っても誰も聞いてもらえないんじゃないかって気がするの。結局あの生徒総会ではたくさんの人が停学になってしまって生徒側が損をしたように見えてならないの。でも私、それをどう伝えていいのかわからないし、先輩たちや他の人たちが窮屈な思いしているのもわかるし」
あの制服に赤白黄色のリボンを髪にあしらうのははっきり言って間抜けだしセンスがなさすぎじゃないかと思う。乙彦も校則遵守を訴えたことがあったが単純に「美的にひどい」という一点につきる。髪飾りの種類をどう増やすのかはよくわからないがこのあたりはもう少し冷静に議論して落としどころを決めてもいいのではとも思う。
「つまり、可南女子高の生徒会は水野さんを除いて教師を仮想敵に見立てて戦うだけの集団に成り下がっているということか。無駄なエネルギーを使いすぎているような感じを受けるんだがどうだろう」
「そう、何かが違うって思うの。私も何か言わなくちゃって思うのだけど。私一年生だからあまり厳しいことは言えないし、どうしていいのかわからないの」
──水野さんには、あまりにも荷が重いよな。
乙彦は目の前のヨーグルトドリンクを指差し、
「飲んだほうがいい。それから考えよう」
それだけ伝えた。
──水鳥中学生徒会の悲惨さをはるかに超える環境だ、これは。
腹を割って話し合いたいという乙彦のスタンスと、面白おかしくみんなハッピーならそれでいいだろとせせら笑う総田の方針と。ぶつかり合い喚きあった中学時代。渦中にいた頃は自分でもわけがわからなかったが、離れてみてわかる。視野が狭すぎるだけだった。自覚したのは青大附高に進学してさまざまな価値観の奴らと出会い気づいたことだったし、もしかしたら中学卒業間際に総田とささやかながら和解らしきものをしたのも影響しているのかもしれない。百パーセント受け入れられるわけではないけれども、別の方法があってもいいのだと意識できるようにはなってきた。教師と腹をかち割るのに時間のかかる奴も居れば、自分なりのルートでもって路を切り開く奴だっている。さまざまだ。
──水野さんには誰か助けてくれる人いるんだろうか。たとえばあの、霧島のお姉さんにあたる人とか。元青大附中の評議委員だったんだ。一緒に学校祭へ来るくらい親しいのだから支えにはなってくれているんじゃないのか?
「水野さん、この前の雅弘の学校で会った、霧島さんという人」
切り出してみた。
「あの人は一緒に生徒会に入らなかったのか?」
「霧島さんのことね」
水野さんは頷いた。初めてストローに指を触れた。首を振った。
「陰で助けてくれるとは言ってくれたけど、もう表には出たくない、そう言ってたわ」
「表に? 確か元評議じゃ」
言いかけた乙彦に、水野さんはきっぱりと答えた。
「これ以上霧島さんに辛い想いをさせたくないの。それが、私の立候補した理由だから」
はつかねずみのようなあどけない瞳が、凛とした光を湛えていた。
撃たれた。
「おとひっちゃん、ごめん遅くなって。ちょっと別の部屋でうちの高校の友だちと鉢合わせしちゃってさ。ごめんごめん」
「注文するにしてはずいぶん遅かったな」
ジュース注文するにしてもずいぶんかかるものだ。乙彦がつっこむと雅弘はかくっと頭を下げ、
「ロビーでちょこっとしゃべってただけなんだけど、ついつい。ごめん」
水野さんのくれた紙袋を改めて自分のかばんにしまいこんだ。その様子を水野さんがやはりじっと見つめているのに気がつき、また心臓がじりりと鳴った。
──水野さんはやはり、まだ、なんだ。