1 水仙の白き花(1)
「おい、知ってるか? おとひっちゃんがさ青大附高でさ、すげえ女子にもてもてなんだってさ」
「俺も眉唾もんかと思ってたけど去年学校祭に行っておったまげた! おとひっちゃん派手な学ラン着て女子たちに写真ねだられてたんだぜ!」
「友だちの彼女が青大附高にいとこ通ってるらしいんだけど、もうおとひっちゃんの名前知らない奴はもぐりって言われているくらいなんだと。おとひっちゃんあのまんまの性格だから気づいてねえかもしれねえけど、結構上級生の女子たちからも狙われてるんだと」
「あの、水鳥中学生徒会では究極の堅物シーラカンスとか言われてたおとひっちゃんがだぞ? なんだよいったい、おとひっちゃんになんで突然春が来たんだ?」
どうでもいいがありもしないことをみな勝手に言いふらすのはやめてもらいたい。
ご近所の父母会のみなさまが作ってくれた雪山に登り、スノーボード通称「そり」を連結させて滑り降りるといった、高校生にあるまじき行いに燃え上がった。さすがに小学生たちの遊び場を奪うのはまずかろうということで切り上げ、乙彦たちはそのまま近所の大型スーパーへと向かった。すでに正月三が日ともなれば大抵の店は初売りが始まっている。お正月気分に少し飽きてきた頃、仲間内で思い切り身体を動かしたくなるのも当然のこと。
しかし、後ろで騒いでいる奴、何とかならないのか。
「あのな、こういうのを大いなる誤解というんだがな。余計なこと言うな」
「何言ってるんだよおとひっちゃん、俺たち嘘言ってねえよなあ?」
うっと詰まる。そう、嘘とは言い切れないことも多々あるのも確か。
隣りで雅弘があっけらかんと言い放つ。
「おとひっちゃんは全然変わってないけど学校の連中がびっくりしただけだよ。おとひっちゃんはちっとも悪くないしなあって思うよ」
相変わらずどんぐり眼のあどけない表情でもって雅弘は乙彦に笑いかける。
やはり、雅弘としゃべっていると自分が元の場所にきっちりと戻ってきているような気がしてくる。一言で片付けると、ほっとする。
──お前が一番変わってないだろ、雅弘。
夏休みと違い冬休みの場合、青大附高の連中とは冬期講習が始まるまでほとんど顔を合わせる機会がない。もちろん連絡して集まることも可能ではあるのだが、いかんせん生活水準が高い連中だけにこの時期は長期旅行したりなんなりとみな忙しい。講習自体、参加者ががくんと減るとも聞いている。乙彦の知る限りでも藤沖、片岡、南雲あたりはみな欠席を決め込んでいるし生徒会役員たちも合宿までは顔をあわせない可能性が大だ。清坂と羽飛は講習に参加すると聞いているけれども、そいつらだって終わったら家族ぐるみでの旅行に出かけるとかわけのわからないことを話している。
「じゃ、悪いけど俺とおとひっちゃんこれから寄るとこあるからここで分かれるね」
雅弘が後ろに固まっている仲間たちに手を振った。中から「えー?」と驚き声も上がるがほとんどは演技。今日は最初から、昼以降離脱すると話していたのだから。
「お前らどこ行くんだよ」
「ちょっとさ、ほら、いろいろと。おとひっちゃんもてるから」
雅弘の頭を軽く後ろから叩いてやるがちっとも動じやしない。
「あっそうか。おとひっちゃんのデートを偵察かあ」
「雅弘でないとできないなあそりゃ」
「あとでレポートプリーズだぞ」
みな好き勝手なことを言いながら手を振り返す。とりあえずはここで雅弘とふたりで行動することにみな了解してくれている。余計な詮索されないですむのがありがたい。
「じゃあな、また後で連絡くれよな」
乙彦が呼びかけるとすぐに返事がきた。
「当たり前だ、宿題片付ける時は頼むぞ!」
いつものパターンである。
雅弘とふたり、それぞれの家に自転車を取りに戻った。年末にはかなり大降りだった雪も、年が明けると同時に路がきれいに溶けてなんと漕いでいけそそうな状態だ。自転車だったら多少の小回りも利くので友だちに妙な詮索をされずにすむ。
「けど、おとひっちゃんがまさかなあ」
雅弘は感心したかのようにつぶやく。
「カラオケボックスよく知ってるよなあ」
「そうでもない。下手なところで昼飯食うよりも安いことが多いんだ」
「けどさっきたん、平気で入ってくれるかなあ」
「大丈夫だろう。帰って安心するんじゃないか」
今日の目的である水野さんとの待ち合わせは、青大附高近くのカラオケボックスと決めていた。雅弘がどういう連絡を入れたのかはわからないが乙彦の、「できるだけ三人だけで話が出来る場所ならカラオケボックスが無難じゃないか」に水野さんも賛同してくれたのはありがたい。時間が余ればひとり一曲くらい歌ったっていいだろう。
「そうかなあ」
雅弘が自転車から降りた。場所は迷わずにたどり着けたが果たして水野さんは大丈夫だろうか。きょろきょろ見渡すがその姿は見えない。
「雅弘、ちゃんと場所連絡したんだろうな」
「当たり前だよ。それにさっきたんもこのあたりの学校に通ってるからわかると思うけどさ」
「水野さんがカラオケにひとりで通うような人だと思うか?」
真正面から問いかける。
「わかんないよ。中学時代ならともかく、今ならさ」
「迎えに行ったほうがいいじゃないのか」
「大丈夫だよ。さっきたんそこまで頭悪くないよ」
さらっと答えて雅弘は、カラオケボックスの自転車置き場に無理やり押し込み、乙彦を招いた。正月みな暇をもてあましていると見えて、自転車が大量に並んでいる。
「部屋押さえられればいいね。俺、先に部屋押さえてくるね」
「おい、雅弘」
すばやくカラオケボックス入り口まで駆け込む雅弘を目で追いつつ、乙彦は自分の自転車をどこに着けるべきか迷った。青大附高の連中と顔をあわせたらなんと挨拶すべきだろうか。とりあえずは「あけましておめでとう、今年もよろしく」でいいだろうか。
──水野さんも戸惑っているんだろうな。
年末、雅弘から教えてもらった衝撃の事実に乙彦も言葉を失いかけた。
──まさか、あの水野さんが生徒会長を。
可南女子高の生徒会長というのがどういう意味を持つのか正直乙彦も把握しかねているところがある。女子高には女子しかないのだから、女子が生徒会長をするのは当たり前すぎるほど当たり前のこと。青大附高もなぜか清坂美里が高校一年のみぎりでいきなり立候補し信任とはいえ当選してしまったという事実あり。
──だが、清坂はもともと青大附中で三年間評議委員を務めていた。何よりも評議委員長だった立村の側に寄り添っていた。水野さんのように全く何も知らない純白な状態ではない。そんな水野さんがなんでいきなり、一年のうちに。
決して望んで進んだ学校ではない。いろいろ思うところもあっただろう。それでも水野さんは自分なりに努力をし続けて、多くの人に評価されてここまできたのだろう。認められることは当然だと思っても、いざ背負わされた荷物に押しつぶされそうになるのもわかる。
──水野さんは、今、どうやって乗り切ろうとしているんだろう。
雅弘が見るに見かねて乙彦へSOSを出すくらいなのだから相当憔悴しているのではないだろうか。
──今の俺に、出来ることあるんだろうか。
楚々としたお下げ髪、はつかねずみのような表情。白いスカーフ。
「おとひっちゃん、部屋取れたよ。俺、さっきたん迎えに行ってくるから部屋に先に入ってて待っててよ。歌い放題で二時間取ったから、何か適当に飲み物頼んで歌ってていいよ」
雅弘の声に引き戻され、乙彦は急いでカラオケボックスの受付口まで急いだ。