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スイキョウ駅

 それから暫くの間、電車はかたんことんと、律儀に同じ調子で囁き続けている。私はと言えば、なんとなく気まずい気分で俯いている。急にどうしたのかというと、私を有頂天にさせた旅装が、その非の打ち所のなさ故に、今は私を悩ますのだ。我が国小規模ローカル線の典型的な見本とも思える鄙びた車内で、この服装。ちょっと、別な方向に気合いが入っちゃってる感が漂ってなかろうか。この車両には、相変わらず私しか乗っていないけれど、ちょこっとばかし居心地が悪いのである。

 窓から吹き込んでくる風が、重く、冷たさを含んだものに変わった。最初は雨が降り出したのかと思ったけど、それは違った。私は窓枠に身を乗り出した。外の景色が、明るい灰色一色になっている。空は薄雲に覆い尽くされているとも、太陽が延べられて空全体に薄くかかっているとも、どちらともつかない様子を見せている。地表もいつの間にか富んだ起伏と色彩を失って、曖昧な空と合わせ鏡のように、よく似た単調な姿になっている。陸にも空にも、凄く凪いだ水面が広がってるみたい…私は口の中で呟いた。

 その内に列車が停止する。頭上には列車に沿った細長い屋根と、そこから吊り下げられた駅名の標識が確認できる。ってことは、単に駅に着いただけか。けれど、続けて下を覗き込んだ私は、うーむと唸ってしまった。いやだって、列車の下は全て、一面水浸しなんだもの。細長い屋根の下に、コンクリのプラットフォームは無かった。てか、目に入る限りにおいて、陸地なるものがこの場には無かった。駅舎の屋根を支える何本もの柱は、そのまま基礎となるのか、直接水中に没している。水深は結構あるみたい。水面には、上にある物の影がただ静かに映っていた。私はもう一度唸る。さっきは当てずっぽうに、凪いだ水面の広がりを想像したけれど、図らずも正しかった訳だ。でも本当に、さざ波ひとつすら無く、完璧に静止した水面が、ただ広がってるだけとはね…

 標識が教える駅名は、“スイキョウ” 駅だった。スイキョウ。水鏡かな。ん、ちょっと待てよ。前の駅では、確か駅名が物事の鍵だったよね。…実はこの変に静止した水面、本当に鏡だとか。なーんて、列車なんぞに上を走られた日にゃ、ひとたまりも無く割れるよね。けれど既に、私の旅は在り来たりなんかじゃ無かった。もしかしたら、もしかするかも…? 私は、膝に抱えていたお茶の包みを置いて、乗降口へ向かった。

 いざ立ってみて分かったことだけど、プラットフォームが無い分、水面もしくは鏡面と乗降口の間には結構な高さがあった。水面ならレールをひたひたと濡らす程度の所に、それらはあるらしい。爪先で簡単にそれらに触れられると考えていた私は、しょうがないので、一応周りに人目が無いことを確認しつつ、外に背を向ける。乗降口の両脇に取り付けられた手摺りを左右の手でしっかり握って、靴を脱いだ右足だけを外へ出し、ぐーっと左の膝を折った。ああ、ここで手を滑らせたら悲惨だなぁ。左膝が胸につかえて苦しくなってきた頃、私の裸足の爪先は目標に触れた。えっ。それは意外にも、両方の感触だった。もうちょっと頑張って、指の腹をぐっと押し付けてみる。勘違いじゃ無い。やっぱり、私の爪先は水に洗われている。と同時に、地面を踏みしめたように、そこからしっかりと押し返されてもいる。

 もうそろそろ限界だったし、私は右足を引き上げると同時に、思い切りよく両手を離した。それでも反射的に身を竦めてしまった私を、それはぱちゃっと軽く、けれど危なげなく受け止めてくれる。自分の足下を一心に見詰める私の目は、きっときらきら輝いてることだろう。改めて確認してみても、水はずっと深くまで続き、私の足は水面に接したところで支えられている。人が、なんの道具も無しに水の上に立てているのだ。この事実を面白がらずして、一体何を面白がれというのだろう。

 足首にまでかかってしまった水滴を拭い、右足の靴も履く。実は鏡の地面でした、って結果も面白かっただろうけど、水の鏡の上を歩けるっていう方が、より冒険心をくすぐられる。この不思議な水にもっと触れてみたくなった私は、ワンピの裾を膝裏の方までしっかりとたくし込んで、その場にしゃがみ込んだ。口の中でどぼーんとか言いつつ、揃えた指先を真っ直ぐに水面へ下ろす。とん、っていう抵抗と同時に、指先は水面を乱し、丸い波紋が広がっていった。

 うむむ。ほんの一瞬の出来事だったけど、私の目はその違和感を見逃さなかったのだ。水面が上下して、それが凪いでる時の高さよりも低くなったそのタイミング。凹んだ水面が暴くようにして、水面下に、人の指がはっきりと見えたのだ。その指は、指先をきちっと揃えて、私の指と正面衝突していた。そう、それはまったく。互いが互いの、鏡像みたいだった。

「私もさ、今、おんなじこと思ったんだよねー」

 と、いうような私の声が、私が思い浮かべたのでは無く、勝手に心に浮かんだ。普通なら戸惑うところだけど、案外落ち着いている。てか、そういうことかぁと、理解できて嬉しい気持ちの方が大きかった。

「じゃあ、お利口さんの私が、どういうことなのか説明してよ」

 水上の私は、水中の私に促される。そっちだって分かってるくせに、だから水鏡なんでしょ。ここは、水を境にして鏡像が生まれる世界。でもその像は、光の働きで出来た影じゃ無い。水上に列車があれば、それと左右が反転しただけのそれが水の中にも現れる。私がいれば、体は鏡に映った者どうしだけど、私がもう一人水の中で生き始める。そうでしょ?

「もうひとつ大事なこと忘れてる。私たちはこの世界で、お互いに支え合ってる」

 おお、そうか。だから私、水の上を歩けるんだ。

「正確には、私の足の裏に立ってる、だけどね」

 それはそっちだって同じでしょ…ねぇ。水の中って、どんな感じ?

「別に。そっちと同じで、なぁんにも無いよ」

 私は立ち上がって、ぐるっと辺りを見渡した。私が乗ってきた列車、どちらを見ても消失点まで続く一本のレール、細長い屋根しか無い駅舎。確かに、それ以外はなぁんにも無かった。真っ平らな水面と、高さが良く分からない所にやっぱり無機質な銀色の空が、どこまでもどこまでも広がってるだけ。はるばる渡ってきた風が、私の体を撫でていく。ちょっと寒い気がして、肩を抱いた。

「こっちに空は無いけど、風っぽいのはあるよ。今、冷たい流れが過ぎてった。ね、歩きながら話さない?」

 水中の私の提案が心に浮かぶ。そうしますか。で、歩き出すのだけれど。うぬぬ、なんか妙に足が重い。

「こっちは水の中歩くんだから。そっちみたいに、さっさか行ける訳ないでしょ」

 意外と不便ねー。あ、そうだ。水の中で逆さまになって、鼻に水入ったりしない?

「もうちょっとましな心配してよ。例えば、息はどうしてるの、とか」

 …ぎゃああああっ!?

「今更慌てすぎでしょ! 大丈夫よ、普通に出来てる。もちろん肺でよ」

 そうなんだ…でも、考えてみると不思議ね。私が空気を取り込んで、足の裏を介してそっちに供給してるとか?

「自分で自分のフリーダム発想を聞くと、ちょっと恥ずかしいっていうか…だから肺呼吸してるって言ってるでしょ。良く分かんないけど、それもこの世界の対称性が、保証するところなんじゃないの?」

 ふぅうううううん?

「供給説の真偽を確かめる実験、してみよっか?」

 どうやって。

「こうやるの。しっかりと足を踏ん張って。いい? じゃあ、行くよ!」

 うわっ! 両足の裏を、力強く蹴られたと感じた瞬間だ。私はいとも容易く、風船みたいにぽーんと空中に打ち上げられた。うわ、うわ、うわ。一層の驚きが、私に追い打ちをかけ続ける。打ち上げられた私の体が、落ちるどころか更に更に高く、ぐん、ぐん、ぐんって、段階的に高度を増していくのである! ひーあー。なになに、なんなのーっ。

「おっかしい! ほら私、ちゃんと自分を理解しなさい。そっちとこっちは鏡の像なんでしょ。なら、私が深く潜っていけば、そっちは水面を境にして、同じ分高く飛べるのに決まってるじゃない」

 なるほど! すっごい、私ってば天才!

「じゃあお互い、暫くは異なる媒質の中、遊泳を楽しもうか。そっちは空、私は水の中を飛ぶんだから」

 ペンギンみたいにぃ? あはは、すごいすごいすごーい! 気持ちいーいっ! …あっ! ねぇ、ちょっと! 息っ! 息はっ!?

「へーき。ひとつも乱すことなく、絶好調よ」

 そっか、良かった。胸を撫で下ろしていると、すーっと水面が近くなってくる。お互いに、一先ず遊泳終了ということだ。再び、足の裏を合わせて立つ。

「んー。楽しいのは確かなんだけど、でもやっぱり、不便も感じるわねー」

 水の中の私が、ちょっと困ったように言った。そうね。私たち、空を飛べるとか凄い自由なようでいて、結局は互いに束縛されてるんだもんね。

「…ねぇ。やっぱり、陸地を作ろう?」

 そっちも結構フリーダムじゃない。作るってったって陸地でしょ。どうやるのよ。

「こういう時は、水底から持ってこられた一握の土が、陸地になるのよ」

 って、それどこの創世神話よ。水中の私は、それには答えずにどんどん深く潜って行ってるらしい。私の方はぐんぐん上昇してるから、それで分かる。

 随分上昇したと思った頃、私はもうそれ以上、上へは行けなくなった。ずっと先にもここまでと同じ、ただ銀色に明るいだけの空が続くようだけど、プロペラが空回りしだした飛行機みたいに、ここから更に、私が上を目指そうとするのは無理なようだった。私はふと、この立ち往生は、相方が水の底に着いたからじゃないかしら、と思った。じゃあ、私が至ったこの場所は、空のなんなのだろう。底の訳はないし、天井というのもまだ先がありそうだし。

 相方は、今頃、水の底で陸地作りに相応しい土を物色してるのだろう。私は空の突き当たりの近辺を、腕組みをして漂いながら、私も何かを探すべきなのかしら、でも探すとしたら何を? と頭を悩ませている。空中で姿勢が安定してると自然とそうなるのか、体の縦の軸を中心に、ゆっくりと回転しながら、見るともなく周りを見ていた。むむ。すると遠くの方に、べったりと薄明るい空を背景にして、一際輝く光点が現れたではないか。あれかも知れぬ。私は体を捻って向きを定めると、両腕で力強く空を掻き、加速した。

 むーん、これは。光点と思ったものは、近寄ってみれば街灯のような植物だった。私の背と同じくらいの高さの細い幹に、羽のように何本もの枝を優美に広げ、その枝先にリンゴくらいの大きさの、中に光の入ったガラス玉を幾つも実らせている。ガラス玉の中の光に、眩しいのを我慢して目を凝らすと、それは灯心など何も無い虚空から燃え上がる、青白い炎だった。この街灯のような一本の木が、私を拒んだ例の空の突き当たりに、しっかりと根を張っているようなのである。苔むした幹に手を置いてみると、こぉぉぉ…と、逞しく水を吸い上げてるらしい振動が感じられる。これ、やっぱり目印の意味合いで植えられてるのかな。街灯樹の根元に、そう思わせられるものがある。

 それは、ハッチのような構造物だった。街灯樹が根を張る所から、それと同じ様に、私に向かって逆さまに突き出している。そいつのロックを解除する機構が、私が注目するのを計ってたみたいに、ひとりでに動き出した。いや、そうじゃないよね。私は直ぐに了解して、ハンドルを回すのを手伝い始めた。

「良かった。無事会えたね」

 ハッチが切り取る、人一人がやっと通れるくらいの円形の枠の向こうに、水の中の私の笑顔があった。向こうは水の底、私は空の果て。二人極端に離れたはずなのに、今こうして顔を合わせられるのは、ちょっと感動的だった。

「いい土採れたよ。半分分けてあげるね」

 水の中の私が、一旦枠の陰に引っ込んだ。ハッチのこっちと向こうを繋ぐ部分はある程度奥行きのある円筒だから、本当に狭い範囲でしか相手が見えない。少しすると、相手が一握の土を盛った貝殻のお皿を、その円筒の中に差し入れ始めた。真ん中辺りまで手を伸ばし、後はとん、とそれを押す。空中をすーっと滑ってきたお皿は、無事に私の手に収まった。

「私が今いる水の底ね、一面、そんな綺麗な銀色の土なんだよ」

 本当に綺麗ね。私が今いる、この空と同じ色。

「ただ、濡れてるから、ちょっと使いにくいかも知れないんだけど」

 私はぱっと顔を輝かせた。私の方にも、分けてあげられるものがあったからだ。すぐ傍らに生っている光のガラス玉を手早くもいで、水の中の私がしたのと同じ様に、とん、とハッチの向こうに投げ入れる。その火なら、きっと濡れた土も乾かせるよ。

「そっかー。これも補い合ってたのかー」

 心底楽しそうに目を細める水の中の私を、私はじっと見詰めた。相手も直ぐに悟って、そっと右手を伸ばしてきた。私と私は、平らな水鏡を境に向き合った者どうし。互いに誰よりも近いようでいて、実は握手すらままならない。だから互いの掌を、ハッチの奥行きの真ん中でぴたっと合わせる、それが、私たちのお別れの握手。

「楽しかったわ。じゃあね、ばいばい」

 うん、さよなら。陸地作り、お互い頑張ろうね。それぞれの側に取り付けられているハッチの蓋を、同時に閉めた。どちら側からでも回せるハンドルを通じて、まだお互いに相手を感じられている。協力し合って回し続けていたハンドルが、がちんと鳴った。これでハッチは元通り、完全にロックされた。

 足裏の感触が随分硬くなっている。まず最初、そこに気が付いた。おお、コンクリだ。私は一人、プラットフォームに佇んでいた。見上げれば、そこにスイキョウ駅の表示。私を乗せてきた列車も、何食わぬ顔で止まっている。

 改めてぐるりを見渡して、私は感嘆の溜息をついた。不自然に静止した水面と、それと合わせ鏡のような単調な空の広がりは、もうどこにも見当たらなかった。景色は再び、起伏と色彩に富んでいた。振り返ると、駅舎の直ぐ近くまで湖が迫っている。さざ波立つ水面が、たっぷりの日差しをたっぷりの煌めきに変えて、まるであの光のガラス玉が、それも無数のそれが、水面一杯に転がり回っているようだった。実は辺りの地面、この大きな湖に浮いた浮島なんじゃなかろうか。私は、自分が立つこの場所の裏側で、やっぱり相方も、自分で生み直した世界に感嘆していて欲しいと、心から願った。

 列車に乗り込みながら、私は “スイキョウ” の意味を改めて考えた。水鏡の意味は確かにあるとして、非常に近しい二者を厳しく画するなら、水境ってあててみても構わないだろう。でもねぇ。うん。今一番しっくりくるのは、やっぱり酔狂の二文字かな。

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